【書籍版】82話 スキルブック
「ケシー、お前だけでも逃げとけ……」
俺が力なくそう言うと、ケシーは俺を鼓舞するようにして、ひらひら飛び回りながら叫ぶ。
「諦めんなってー! ドゥーユアベスト! ドゥー! ユア! ベストー!!」
諦めるな、つったって……。
戦車ですら敵わないこの巨大な化け物に、一体何ができるっていうんだ?
もはや、立ち上がる気力すら失せている。
今さっきの激しい火砲の撃ち合いに晒されて、全身から力が抜けてしまっていた。
寝起きのような気だるさが身体に充満し……再び動き出すことを、ひたすら億劫にさせている。それは何というか、度を越した寝坊に気付いて、すべてを諦める悟りの境地に似ていた。
悪いヤケクソの雰囲気があった。
『拒否』のスキルカードを眺めてみると……残り回数はたったの2回。
そんなに使ったのか……。
「ミズキ……」
折れた足で立ち上がろうとするキャロルが、剣に手をかける。
「私が囮になるから、全力で逃げろ」
「お前足折れてるだろ……無理すんな」
「数秒ならどうにでもなる。『透過』を使えば、お前だけでも逃げられる」
「お前を置いていく気にはなれねえよ」
どこか湿り気のある雰囲気でそんな言葉を交わすと、ケシーがまたヒラヒラと飛んでくる。
「ズッキーさーん! だから諦めんなって! 立ち上がれこのぉ!」
「だから! てめえは逃げろっつってんだろ、ケシー!」
「ヤダヤダ! やだやだやだやだーっ!?」
「聞き分けないこと言ってないで、お前だけは逃げろって! 飛んで逃げられるだろうがぁ!」
「やだやだやだやだやだやだやだぁ!」
子供のように駄々をこねるケシーは、ついに泣きじゃくり始めてしまう。
そういえば、俺はこいつの涙を初めて見たのだ。
「やだぁ……! ズッキーさんと一緒じゃないと、ヤダぁーっ!」
「…………っ!」
………………くそっ!
その場に倒れ込みながら、俺は『拒否』のスキルカードを再び引き抜いた。
今度は獅子頭……火炎。
それなら『拒否』でカウンターできる。
弱弱しく拒否のカードを構えながら、俺は大口を開ける獅子頭のことを睨みつけた。
くそっ。手が震えやがる。
状況としては、もうどうしようもない。
すっぱり全部を諦めてしまいたい。
だがケシーに泣かれてしまっては、もう一度覚悟を決めてやるしかない。
あがいてやるしかない。
この手のひらサイズの同居人のために、重い腰を上げてやらないといけない。
「くそっ……! 来いよ、化物風情が……!」
巨大な獅子頭がその火の息を吐く瞬間を、俺はじっと待った。
来い。
キャンセルしてやる。
諦めないでやる。諦めないぞ。
思えば、俺はいつもそうだった。
利口ぶって、中途半端に正義漢ぶって、やれやれな態度を気取って、目の前の面倒事を適当にこなしながら、本当の責任を取ることから逃れてきた。
『スキルブック』なんていう大した力を手に入れても、詩のぶやキャロルから好意を寄せられても、REAからスカウトされても、全部なあなあにしてしまって、態度を決めずに責任から逃れて、いつか全てが、いつの間にか……良い感じに解決してくれることを願っていた。
そんなどっちつかずな態度がシニカルでかっこいいと勘違いしていた。
この結末は、そんな俺の無責任さのツケが回って来たのだ。
いくらでも成長する機会はあったのに、ちっとも成長しなかった俺に対する当然のバッドエンドに、全員を巻き込もうとしているのだ。
『拒否』のスキルカードを、震える手でキマイラへと突き付けている。
わかった。
俺が悪かった。俺が全て間違っていた。
だが小さい同居人に泣かれてしまって、目が覚めた。
やり直すチャンスをくれ。
全ての責任を取るチャンスをくれ。
全てに対して向き合う時間をもう少しだけ与えてくれ。
スキルブック!
あれからずっと助けてくれたお前を厄病神みたいに思っていて悪かったが、最後に力を貸してくれ!
せめてキャロルとケシーだけは……助ける力を貸してくれ!
一緒に戦ってくれ!
そしてついに、化け物の頭から火炎が噴き出される。
その初動に合わせて、俺は掠れる声で叫んだ。
「『拒否』!」
吐き出される火炎をキャンセルし、最後の一秒まで、本当に万策尽きるまで、無駄な抵抗であっても那由他に一の可能性に賭けて、みっともなくもがいてやる!
…………つもりだったのだが。
『拒否』は、発動しなかった。
「は?」
業火が迫る。
さっきと様子が違う。
なんで消えてくれない。
「待て、おい!」
俺は情けなくも悲鳴を上げた。
「しっかり起動しろよ! せっかくやる気を出したんだからよおおおっ!?」
しかしそんな抗議もむなしく、俺は特大の業火に包まれる。
あっ、終わった。
ついにスキルブックまでもが、俺のことを見放したか。
当然か。
咄嗟にキャロルのことを庇って、その場にうずくまった。
周囲の芝生が焼け焦げる音が聞こえる。
特大のガスバーナーであぶられるような音が響いている。
しかし…………。
身を焼かれる熱さは、一切感じなかった。
「…………は?」
つむっていた目を開く。
すると、目の前には。
目には見えない防衛線のようなシールドが展開されて、それが俺たちの周囲だけを、火炎から守っていた。
何が発動している?
間違えて、違うスキルカードを発動したのか?
いや、こんなスキルは持っていなかったはず……。
『簡易操作状態の終了が承認されました』
『簡易操作状態を終了しています』
脳内に、電子音のような声が響く。
ケシーの声では……ない。
それはスマホなどに搭載されている、AIアシスタントのような口調だった。
『現在、全操作状態に移行中です。しばらくお待ちください』
バキンッ、という音が鳴る。
それは、キャロルの手元で支えられていたスキルブックから発せられていた。
俺が実体化させているその分厚いカードホルダーは、まるで岩石のようにひび割れて、その亀裂から眩い光を放っている。
『全ての操作制限を解除しています。しばらくお待ちください』
テンテンテロリンテロリンリン。
テンテンテンテンテン。
電話の保留音のような、間の抜けた音楽が流れている。
緊張感の欠片も無い、ただただ無感情な電子音。
その間にも、目に見えないバリアのような壁は炎の渦を受け止め続けている。
スキルブックの崩壊と共に空中へ飛び出したスキルカードたちが、そこに張り付くようにして展開しようとしている。それは何度か入ったことがあるカードゲーム屋さんの、壁にディスプレイされているレアカード達のようだった。
ブオンッ、と目の前に文字列が現れる。
最初も最初。俺が初めてゴブリンと戦った時に出た、警告文と同じ画面。
『全操作状態のスキルブックと接続しますか?』
『注意:この操作は取り消せません』
『はい/いいえ』
…………。
『はい』をタップする。
その瞬間、周囲の全てを吹き飛ばすような爆音が響いた。
ガラスが割れるような音。
全方位へと突風が吹き荒れる音。
「あ……?」
その場に転がりながら、俺は周囲を見回す。
発現していたスキルブックが消えている。
代わりに……俺の周囲を取り囲むようにして、今までホルダーに収めていたスキルカードが空中に展開していた。
それはちょうど、俺を始点として本を開いたかのように。
『全操作状態への移行が終了しました』
『全操作制限を解除しました』
『使用者ミズキリョウスケを承認』
『以後よろしく』
プツン、と接続が切れるような耳鳴りが響く。
目の前には、俺を特大火力で焼き払ったとばかり思っていた様子のキマイラ。
奴は不可解な光景と共に立ち上がろうとしている俺のことを見ると……不思議そうにして、その首を傾げた。
「なんだか、よくわからねえが……!」
立ち上がってみると、左右に翼を開くようにして展開しているスキルカードたちの配置がよく見える。それらはまるで、自分の手足の延長のように感じられる。
不思議なことに。
俺はそれをどう操作すればいいのか……直感じみた物で感じ取っていた。
「応えてくれたみたいじゃないか……! 自分の非ってのは、認めてみるもんだなあ!」
山羊頭の角に、再び電撃が蓄えられる。
それを見て、俺は左手側に展開していた『拒否』のカードをタップした。
スマホのアプリのような、音ゲーのボタンのような操作感覚。
押し込んだまま長押しすると、スマートホンのアプリを操作するようにして、そこからさらに操作項目が展開する。
・『発動』
・『直後のスキルに対して発動』
・『残回数の交換』
・『詳細設定』
『直後のスキルに対して発動』をタップする。
『拒否』のスキルカードの色が暗転して、発動が待機された。
山羊頭の角から、電撃の迸りと共に雷が撃ち落されようとする。
それに合わせて、俺は叫ぶ。
「『拒否』!」




