7話 心理学的に効果があるとされる、命がけ高速土下座効果
ドラゴンと対峙する水樹は、ケシーとの会話を思い出していた。
「いーい? ドラゴンがどうして、ああやって洞穴に住んでるかわかる?」
「わからん」
「ぶっぶー! 残念!」
「いや、わからんって言っただろ」
「今のはズッキーさんの存在が残念って意味ですよ」
「斬新だねえ」
「わからないようなので、教えてあげましょう! 正解は、宝物を守るため!」
ケシーは得意気にそう言った。
「宝物?」
「そう! 煌びやかな宝石! 希少で価値の高い財宝! ドラゴンはそういう宝物をダンジョンの奥まで運んで隠して、洞穴で大事に守る習性があるの!」
「そう聞くと、何だか可愛げのある奴だな。でもたしかに、ゲームとかでもそういう感じかも」
「げえむ?」
「いや、話の腰を折って悪かった」
やはり、ケシーと俺の間では大きな認識の隔たりがあるな。
「続けてくれ」
「つまり! ドラゴンが興味のある話題っていうのは……ズバリ! 自分の宝物のことだけ! あとはもう基本的に最強かつ完璧な存在だし不死だから、悩みも興味も一切ナッシーって感じ!」
「宝物……なるほど! つまりは財宝、財産ってことだな!」
「そのとーり!」
「それなら、俺の得意分野だ!」
ケシーはそう言って胸を張った俺のことを、ジトリとした目で眺める。
「得意分野って言ったってねー。あっきらかに自殺行為だと思うけどー?」
「いいや……この状況を打開するヒントは! 心理学にある!」
「しんりがくぅ?」
◆◆◆◆◆◆
そして、現在。
息を吐くだけで俺のことを殺せるであろうドラゴンは、白い鱗に覆われる目を細めた。
『“資産管理……?”』
「その通りです! お客様の資産を運用し適切に管理するのが、わたくしの仕事であります!」
『“貴様……我が財宝を狙いに来た、盗人ではあるまいな……?”』
「とんでもございません!」
冷や汗をかいて叫びながら、俺はたしかな手ごたえを感じていた。
よし! たしかに食いついているぞ!
ケシーの言う通り、マジで興味がそこにしかないんだろうな!
まさか俺も、ドラゴンに対して営業をかますことになるとは思っていなかったが……まあいいだろう!
『“ふん。小癪な。”』
ドラゴンはそう言って、俺のことを上から見下げた。
『“貴様のような小さき者に助言を貰わずとも……我が居れば、財宝は安泰安全である。”』
ふむ……。
一見、取りつく島もなく拒絶されているように見えるこの態度だが……俺としてはむしろ好都合!
大体ケシーによれば、俺みたいなちっぽけな存在と会話をしていること自体が有り得ないのだ。興味が無い風を装いながらも、こいつはこの話題に確実に関心を持っている!
さらに、自分が“賢い”と思っている奴ほど……そして実際に“賢い”ほど!
説得の余地はある!
「しかし……最近はここも、色々と変わって来ているように見えますね」
諸事情により、物理法則を無視しながら現在進行形でな。
『“だからどうした?”』
「最近、何か物騒なこととかはありませんでしたか? 貴方ほどの存在であれば、何も心配は要らないことだとは思いますが……」
ピクリ、とドラゴンの鱗が反応し、周囲に漂う空気が張り詰めた。
それは人間であれば、傍にいても感じられないような、些細な感情の変化。
しかし、この圧倒的な質量差!
少し感情の色が変わるだけで、周囲の空間すら捻じ曲げてしまう究極の存在!
やはり、このデカブツは……この件について、何か心当たりがある!
『“貴様……この我を愚弄するつもりか? 我がこの迷宮の奥から逃げて来て、こんな浅い洞穴に陣取る、情けない竜だと言いたいのか?”』
ビ、ンゴ……!
ドラゴンの威圧に気圧されながらも、俺は拳を握りしめた……!
ケシーの推理通りだ!
こいつは元々、ダンジョンの奥深くで暮らしていたのだが……何らかの脅威に追われて、ここまで引っ越してきた!
つまりは直近に、自分自身と守るべき宝物の危機を経験している!
「いいえ! そのようなつもりは、毛頭ございません!」
『“もうよいわ。氷漬けにして、生きたまま砕き! 降り積もる白雪の中で、我を嘲笑したことを永久に後悔させてくれる……!”』
「わたくしは! 資産管理のプロフェッショナルでございます! 必ずや貴方のお役に立ちます!」
俺は力の限りに叫んだ。
「今ここで! わたくしを殺せば! わたくしがお教えできる、貴方の財産を確実に守るための術は! 永遠に失われるでしょう!」
どうだ……?
叫んでから、俺はゴクリ、と生唾を飲み込んだ。
行動経済学、プロスペクト理論……!
人は利益を獲得できる場面では、利益を「確実に手に入れること」を優先し、
逆に「すでに手に入れている物を失うこと」を、何よりも恐れる……!
つまり人は、「この商品を買えば、こんな良いことがありますよ」とメリットを強調されるよりも、「この商品を買わないと、こんなことになってしまいますよ!」とデメリットを強調された方が、購買行動に移りやすいのだ!
こいつは人じゃないけどな!
証券マン的には、
「資産運用すれば、これだけお金が増えますよ」と説得するよりも、
「資産運用しないと、あなたの老後はこんなことになってしまいますよ!」と迫る感じだ!
最大の興味関心である大事な宝物が失われるかもしれないという、実際に体験した損失の恐怖!
そしてそれを確実に守ることができるかもしれない俺を、殺しさえしなければ確実に獲得しているこの状況!
実際にどういうアドバイスができるかは全然わからないし、その辺りは未来の俺のアドリブ力に任せるしかないが……!
このドラゴンを、自分の顧客にするという壁さえ突破できれば……っ!
その白い竜は、ふたたび大きく開こうとした口を一瞬だけ止めて、俺のことをジロリと眺めた。
そして、冷ややかな声色で告げる。
『“…………知らぬわ、小童が……。”』
あっ。
駄目だったかー……。
命を賭けた営業、失敗かー。
死に直面した俺は、なぜか妙に諦めの良い自分自身を感じていた。
くそっ。
左遷されようと、どうしようと。
絶対に取り返してやるって、言ったのになあ……。
そのとき。
背後から、ヒュオッ! っという羽音を立てて、小さな何かが飛んできた。
「ま、ままままま待ってくださーい! ドラゴンさまー!」
そう叫んで飛んできたのは、洞穴の入り口に隠れて様子を窺っていた、手のひらサイズの全裸妖精……
「け、ケシー!?」
「ちょ! ちょちょちょちょーっとだけ待ってください! ドラゴン様! ほんの少しだけ、この下等で低俗で可哀そうなアホの話を、聞いてあげてくださいませー!!」
『“…………ぁ?”』
ケシーはその小さな身体を滞空させて、羽をバッサバサと羽ばたかせながら空中で土下座するという器用な芸当で、必死にそう叫んだ。
「いやー! 私もこの馬鹿を止めたのですがー! めっちゃ止めたのですがー! ご無礼をお許しください! ほんとお許しくださいー!!」
ケシーは羽ばたく羽と同じ速度で高速の土下座を繰り返すと、祈るように手を組む。
「そのー! ついさっきこの馬鹿に命を助けられましてー! 妖精の串焼き塩味になるところを助けられましてー! はいー! 種族は下等でも根はたぶん良い奴なんですー! たぶんー! どうかちょっとだけ、ちょっとだけでも! お話を聞いてあげてくださいー! お願いしますー! なんでもしますからー! あと、もし殺すとしても私だけは助けてください―!」
おい、こいつ最後だけなんて言った。
とにもかくにも両手を組んで、バッタバッタとパンクロックよろしくのヘッドバンキングの如き速度で空中土下座を繰り返すケシーの姿を見て……
その白いドラゴンは、大きく開いた口をパクりと閉じた。
『“…………ふむ。そうまで言われては、仕方がない。”』
「えっ」
「ほんとに?」
俺とケシーがあんぐりと口を空けていると、そのドラゴンはゴホンと咳ばらいをした。
息を吐いた口元の大気が凍り付き、パラパラと雪が降り積もる。
『“まあ……我も、別に意固地になる必要は無かったかな……うん。”』
「へっ?」
「マジ?」
『“まあ全然興味は無いが、試しにその財宝を確実に守る方法というのを教えると良い。ぜんぜん興味は無いがな。でも丁寧に教えるとよい。ついでに、我の自慢の……いや守るべき宝物も、特別に見せてくれよう。”』
ドラゴンが咳ばらいをしながらそう言ったのを見て、ケシーは嬉しそうに俺の方を振り返る。
「ねえねえ! これも“しんりがく”ってやつ?」
「そうだな……! 命がけ高速土下座効果、と名付けよう!」