【書籍版】43話 北海道ドラゴンクライシス未遂事件
『“ふむ。なになに? つまり、このダンジョンは別の世界と繋がっていて、ミズキは地球の日本という世界から来たというのだな?”』
単三電池の山を貰って上機嫌な様子の白竜は、氷雪の吐息を漏らしながらそう言った。
「あー、そうなんですよ。おそらくですね。ドラゴン様やうちのケシーが住んでいた世界と、僕の世界は違ってて……何かの原因で、それが繋がってしまったのではないかと……考えています」
俺はドラゴンに、そう説明した。
新スーツ姿のケシーも、俺の隣でピョコピョコと飛びながら説明に協力している。
一緒に着いて来たキャロルは、俺の言うドラゴンというのがまさかこれほどの規模だとは思っていなかったのか、立ち尽くして固まってしまっている。説明はしたはずだったのだが、半分冗談か何かだと思っていたのだろうか。
「それでですね。このケシーが、元の世界に戻る方法……ドラゴン様なら、何か知っているのではないかと思いまして……」
『“おそらく、無いぞ。”』
「無い?」
俺はそう聞き返した。
「ええと、それは……このダンジョンを通って元の世界に戻る方法は無い、ということでしょうか?」
『“いいや。”』
ドラゴンは軽く首を振りながら、鱗に覆われた竜の瞳で、俺のことをじっと見つめる。
『“おそらく、元の世界自体が、すでに存在しない。”』
「えっ?」
「ええっ?」
俺とケシーは、同時にそう言った。
『“なるほどなるほど、そういうことであったか。いやはやいやはや。そういう気はしていたのだ。”』
ドラゴンは何かに納得した様子で、うんうんと首を振る。
『“人族と魔族が永遠の侵略を繰り返す、あの魔法文明世界はすでに終わってしまったのだなあ。我も昔は、その行く末を長いこと見守り、とうの昔に飽きてこの永遠の迷宮に身を沈めたものだが。すでに失せてしまったと思うと物寂しい。”』
「あの、それは、どういうことですか?」
『“だから、その世界はすでに終わり、もうすっかりことごとく失せたのだ。”』
物分かりの悪い生徒に物を教えてあげるような口調で、白竜はそう言った。
『“後に残されたのはこの迷宮のみで、それが何の因果か、お前の世界に嘴を突き刺しているにすぎない。そこにあった全ての物が、全ての力が、全ての存在の欠片がここに散らばり、片付ける者も居ないままでずっと転がっているだけ。それが少しずつ、互いに同化しようとしているだけ。新しい何かになろうとしているだけ。その過程であるだけ……そんな感じはしていたが、そういうことであったのだなあ。”』
「すみません。お話が抽象的すぎて……僕には理解が追いつきません」
『“理解が本当に必要なのか。それは誰にもわからない。解決策が無いのであれば、理解は不要な産物にして、むしろ毒物に過ぎないのかもしれん。共に助かる術もなく滅びゆこうとする二つの世界の顛末を、理解したからといって何が救われようか。明日死ぬと知って今日眠るよりも、何も知らぬままで寝入った方が幸せではなかろうか。”』
「滅ぼうとする? 明日死ぬ?」
俺は無意識に、半歩踏み出した。
「一体、どういうことですか?」
何かを知っている白竜に、俺はそう問いただした。
これは何か、非常に重要な話である気がしていた。
俺はそのことを、理解しなくてはならないような気がしていた。
ぷいと首を横に向けた白竜は、その蛇の瞳を、どこか悲し気に細める。
『“橋の対岸が落ちれば、橋の上に居る者はもう一方の対岸を目指すだろう。それは橋が落ちる前に成し遂げられなくてはならん。奥深くに潜んでいた大きな者たちが、お前たちの世界に続々と侵入していくだろう。安寧の地を求めて、そこで再び安らぐために。もうすでに一体が、そちら側に侵入したのだ。”』
「侵入した?」
『“そう。侵入した。あちらの世界が消滅する寸前に、あちら側とこちら側を繋いだ者が。繋ぐために壊した者が。終わらせるために繋いだ黒色が。”』
ドラゴンはそう言うと、急に眠くなったかのように身体を地面に下ろして、その場に丸くなった。
『“それがここから出て行こうとするので、我は道を開けてそれと出会わないように、ここまでちょいと引っ越したのだ。それはこの通路を通って行こうとしたので、ここに住まうみなが混乱して、ここはグチャグチャになってしまった。”』
「えっと、どういうことですか? “それ”? もう少しだけ、もう少しだけ教えてください」
『“ずいぶん話したしずいぶん起きたので、我はもう眠い。デンチもたくさんあって、安心した。我はそろそろ眠る。長いこと。ここが無くなる前には起きよう”』
「あの、できれば、もう少しだけ……」
『“ミズキよ。我は惰眠を邪魔されぬように、ここをしばらく封印する。お前が内側に居ては困るだろうから、今出て行くとよい。デンチを持ってきてくれてありがとう。』
「ええと、あの……電池の配達、お待たせしてしまい……申し訳ありませんでした」
『うむ。お前が来るのがもう少し遅かったら、我は自らこのダンジョンから抜け出て、外の世界にお前を探しに行こうと思っていた。”』
マジかよあっぶねええええ。
ちょっと忙しくて後回しにしていたせいで、俺は北海道をドラゴンクライシスの危機に晒していたのか。
『“それではな、ミズキ。一千年後か、二千年後くらいにまた会おう。』
7時か8時に起きるみたいなノリで十世紀を跨がないでくれ。
『そのときは、またデンチを持ってきておくれ……むにゃ……”』
そこまでの長期保証サービスは受け付けていない。
◆◆◆◆◆◆
とにもかくにも目的を達成し、図らずも北海道をドラゴン警報の危機から救った俺は、キャロルを連れてダンジョンから帰投した。
なんというか、先日に関わった堀ノ宮の件はわりとスケールの大きい事件だったと思うのに……たぶん世界への影響度としては、この日帰り電池配達の方が圧倒的に重要だったような気がする。もう少し配達が遅れて何かが起こっていたら、自衛隊VSドラゴンどころか、米空軍VS氷雪系ドラゴンの怪獣大戦争が勃発していたのではないか。
これでいいのか。圧倒的存在の気まぐれは恐ろしい。学ぶべき教訓は、顧客をいたずらに待たせてはいけないということだ。
「……なんだったのだ……アレは……」
助手席に座り込んでいるキャロルは、あのドラゴンと出会ってからというもの、いまだに状況が飲み込めていない様子だった。一応、事前に説明はしていたのだが……まあ、話を聞くのと実際に見るのでは勝手が違ったのだろう。とにもかくにも、あの白竜は十世紀くらいの長い眠りにつくみたいだから、ちょっと安心だ。北海道ドラゴンクライシスの危機は、とりあえず延長されているのである。自主的な封印というのもちゃんとされたようで、出て行った後はもう戻ることができなかった。
赤信号を待ちながら、俺はあの白いドラゴンが話した内容を考える。
考え直さなければならないことが、よく咀嚼しなければならないことが山積みだった。
あの外国人隣人、ヒースにもきちんと話を聞かなければならない。
一つずつ、少しずつ進んで行こう。
しかし、はてさて。
物事をゆっくりじっくり考えることのできる時間というのは、長くは続かないもので。
次なる騒動の火種は、すでに俺の近くへと忍び寄っていて……いやすでに出会っていて、そこで火炎を噴かせようとしていたのであった。




