3話 ステータス画面はこちら
「とにかくメモを取れ」、と新入社員時代に口酸っぱく言われたものだ。
どちらかといえば、それは「即座にメモを取るほどの熱心な姿勢を見せろ」という意味合いが強かったわけではあるが、その教えはいまだに俺の奥底に刻み込まれていた。
尻ポケットに仕舞い込まれていた、ソフトカバーの柔らかいメモ帳。
それに、ネット通販で買った数千円するちょっと高価な黒ペン。
こんなありふれた文房具が、今はスマホと並ぶ生命線なのかもしれない。
「また道が分かれているな…」
胸ポケットにスマホを差し込みながら、両手にペンとメモ帳を持ちながら移動する。
シャツの胸に差されたスマホは、ちょうどライトの部分がポケットの高さと合っており、まばゆい光を常に前方へと投げかけてくれていた。
そのおかげで、俺は両手を使いながら歩くことが出来ている。
塞がれた出口から歩き始めて、そこまでの道のりをメモ帳に地図として記入する。
といっても正確な座標関係までは分からないので、ザックリどこで道が分かれて、どちらの道を進んだかという覚え書きにすぎないのだが。
「つっても、さっきみたいにダンジョンの形が変わっちまったら意味ないんだけど……」
俺はフニャフニャ字の下手くそな手書きの地図を眺めながら、そうぼやいた。
まあ、何もしないよりはマシだ。しない理由を探すのではなくて、今できることをやろう。
枝分かれた道を選ぶ際の基準は、少しでも上へと向かう傾斜が付いている方(もしくは、そう見える方)にした。
そんな風に歩いていると不意に、ピロリン! という軽快な音が響く。
「おぉっ!?」
ビクリとした俺の目の前に浮かび上がる、空中を漂う焼け付く文字。
「あー……『ステータス画面』ってやつか」
ダンジョンの影響を受けた人間に現れる、いくつもの症状……能力のステータス化は、その最たるものだった。
異世界と繋がっていると思われるダンジョンの中では、どうやらこの世界とは微妙に異なる法則が働いているらしい。
だから、ダンジョンの内部に長時間留まった者は、その新しい法則に適応するために進化するという……本当はもっとややこしい説明があるのだが、まあいいさ。
とにもかくにも、それが『ステータス化』。
なぜこうにもファンタジーRPGよろしくの、ゲームじみた形で発現するのか。
それはどうやら未知の世界の概念が、俺たちに馴染み深い、理解しやすい形で現れたからではないかとも言われている。といっても真偽は定かじゃないし、ダンジョンの真実を知っている者は今のところ、この世界に一人もいないのだ。
たぶん。
知ってる人がいたら至急連絡くれ。圏外だけどな。
「俺のステータスは……っと。なんか、こうして見るとワクワクするな」
レベル18
HP14
MP1
筋力 27
体力 13
知力 15
知識 42
心力 22
敏捷 17
魅力 15
……ふむ。
ザッと見ても、何がどうなのかよくわからんな。
ここを出たら、ネットで調べよう。
『知識』だけ突出して高いのは、俺が比較的教育水準の高い日本国民だからだ。
まあ、先進国ではどこも同じらしい。
歩きながらステータス画面を眺めていると、また分かれ道。
ざっと見てみても、左右に違いは無いように見える。
どうしたもんか……。
メモ帳に新しい分かれ道を記しながら、俺はふと思い出す。
「そういえば……まだモンスターに遭遇してないな」
ダンジョンの内部に巣くうという、異世界の生物たち。
ゴブリンやスライムといった有名なモンスターについては、ネットの真偽不明なまとめサイトでその対処法を読んだことがあるが……一般人が一人で対処可能なモンスターは、それほど多くないはずだった。
スマホの時計は、遭難開始からもはや1時間近くが経過したことを示している。
これまで一体も、そういったモンスターとエンカウントしてないのは幸運が過ぎるともいえるが……ダンジョンが生成途中であることも関係しているんだろうか。
とにかく、制限時間は残り5時間ほど。
さらに危険なモンスターに遭ったらほぼほぼゲームオーバーという鬼畜設定まで追加された、セーブポイント無しの残機1、ベリーハードモードってことだな。
迷ったら左の法則に従い、俺は左の道を進んでみる。
はて。この法則はいったい、何で知った法則だったかな?
一人で狭い暗がりを歩いていると、そんなどうでもいいことばかりが頭をよぎるものだ。
相変わらず息苦しくも狭苦しい石壁の中を進むと、奥の方から、甲高い女の子の悲鳴が聞こえてきた。
「きゃーっ! ごめんなさいー! 美味しくないですー! 食べやすいサイズだけど美味しくないですからー!」
えっ!?
ほかに、他に人がいるのか!?
俺はその悲鳴を聞いて、とにかく駆け出した!
もしかして、ダンジョンの発生に巻き込まれた支店の従業員か!?
やった! 一人じゃなかったのか!
何かに襲われてるみたいだが、とにかく合流できれば!
メモ帳を仕舞ってスマホを握り、悲鳴の方へ向かって走る。
するとそこで、開けた空間に躍り出た。
そこに居たのは……
「ぎゃーっ! あっ! そこの人! そこのひとー! 助けてくださーい!」
「…………あ?」
開けた空間の中央で、焚火を囲んでいる3体ほどのゴブリン。
そして、その悲鳴の主は……
今まさに細い棒きれに縛り付けられて、串焼きよろしくの火あぶりにされそうな……
小さな、妖精のような女の子だった。
「ゴ……ゴブ? ゴゴブ?」
「ゴブ?」
俺の乱入に気付いたゴブリンが、よくわからない言語のようなもので会話(?)をしている。
縛り付けられた串焼きサイズにピッタリの妖精は、泣きながら俺に助けを求めた。
「そこのお人ー! 助けてー! このままだと私、丸焼きフェアリーになってしまいますー!」
「えっ? えっ!?」
俺が混乱していると、焚火を囲んでいたゴブリンたちがのそりと立ち上がり、石床に置いていた長物の武器を手に取った。
ああ、こいつは困った。
しかし逃げるわけにもいかん。
その場から逃げずに、俺を踏みとどまらせたのは、彼女を助けようという正義感よりも……
あの妖精が、俺の生存確率を少しでも上げてくれるかもしれない存在……かもしれない、からだった。