2話 好奇心は営業マンも殺す
そういえば。
『冒険者』資格を取得していない一般人がダンジョンに入ると、罰せられるんだったか?
ダンジョンの入り口と化した「小和証券」大守支店に足を踏み入れながら、俺はそんなことを考えた。
たしか懲役とかにはならずとも、罰金は喰らうはずだったな。
まあ、その辺は警察に事情を説明すれば大丈夫じゃないだろうか。タイムカードを押すためにダンジョンに入ることが、考慮すべき事情になりえるとは到底思えないが。いや、そうじゃなくて……。
「おーい! 誰かいるかー!?」
入口から数歩だけ進んだあたりで、俺はそう叫んだ。
その叫び声は、石壁を刳り貫いたような洞窟の中にむなしく響き渡る。
そりゃあ、誰も居るわけないか。
少し進んでみると、狭い洞窟のような通路が、緩やかな下り坂のような傾斜を付けて伸びていた。
入り口から遠ざかると明かりが無いため、俺はスマホを取り出す。
「充電は……90%か」
スマホのライトを点けてみると、その暗がりの狭い道は、ずっと先まで続いているようだった。
……どうやら、完全にダンジョン化したっていうことか。
しかし、一体いつ出来たんだ?
数日前? いや、いくら何でもそれなら、上村支店長の嫌がらせで情報がブロックされていたとしても、支店から俺に直接連絡があっても良さそうだから……つい昨日とかか? ダンジョン化のバタバタで、俺への連絡が失念されていたのか。
しかしこの分だと、中から会社の書類やら顧客の部外秘情報やらを回収することはできなさそうだな。それらは全て、すでにダンジョンの発生によって別の物質に形を変えてしまったのかもしれない。タイムカードなんて存在するわけもなさそうだ。
もう十分だな。
半分好奇心で足を踏み入れてしまった俺は、そこで踵を返すことにした。
タイムカードやら何やらと言ったって、本気だったわけじゃない。
本当のところは、ちょっとした少年心でダンジョンに入ってみたかっただけで、あとはいつか、話のタネにでもなれば良いと思ったのだ。
「いやあ、昔、タイムカードを押すためにダンジョンに入ったことがありまして……」
営業先でそんな話ができたら、ちょっとは会話が弾むかと思っただけ。
ちらりと入って確認してみたことだし、このまま戻って、公衆電話からでも会社に連絡しよう。
会社員としてはそれで十分だ。
そう思って振り返ると、そこには入り口が……
いや俺にとっては出口が、存在しなかった。
「は?」
数秒前に進んできたはずの道が、塞がれている。
そこは石壁で覆われて、完全に通行ができなくなっていた。
「えっ? どういうことだ?」
混乱しながら、俺は考える。
この世界に『ダンジョン』なる異世界への通路がとつぜん開いたのは、4年前のこと。
ニューヨークに突如として発生し、自由の女神像を飲み込みながら開通した……現時点でも世界最大規模の『NY・ダンジョン』が発生してから。
堰を切ったように、この世界のあちこちにダンジョンが自然発生するようになったのだ。
『ダンジョン』は異世界と繋がる通路であると言われているが、いまだにその発生メカニズムや実態、そもそもなぜ突然に、こんなファンタジーRPGよろしくの空間が出来るようになってしまったかは……依然不明のまま。
この異常事態にあやかったどこぞの新興宗教が、「『世界を終わらせる者』がこの地球に訪れた」、「黙示録をもたらす通路が開いた」のだどうだこうだと声高に叫んで信者を集めているらしいが……まあ、どうでもいいことだな。
そんなことより、こんな現象は聞いたことがない。
ダンジョンの入り口付近をうろついたって、大した危険はないはずだ。
そもそもどうして、音もなく道が塞がれてしまったんだ?
「……もしかして?」
この事態を理解するための、一つの推測が頭を過る。
「ここって……今さっき出来たばかりのダンジョンなのか?」
発生直後、生後一時間ほどのダンジョンは、内部の空間が非常に不安定だと聞いたことがある。
安定化するまで、ダンジョン内部は物理法則や論理や因果など一切合切無視して、安定した空間を構築しようと変形と生成を繰り返す……。
周囲に野次馬の一人もいないものだから、てっきり周知の事実かと思ったら……
もしかして、ダンジョンが発生したのが、まだ誰にも知られていないだけか!?
俺が到着する数時間前、いや数分前にできたばかりで!?
「んな偶然、あるか!?」
思わず、俺はスマホの強烈なライトだけが頼りの洞窟の中で叫んだ。
俺の悲壮な声が、ダンジョンの窮屈な石壁にむなしく反響する。
独り言は不安やストレスを軽減してくれる。自分の声を聞くことで安心できる作用があるらしい。
今は存分に、その力を発揮してもらおう!
「って、だとしたらまずいぞ!? どうやって外に出ればいい?」
やや冷静さを欠いた俺は、とりあえず石壁を蹴りつけてみた。
しかしそうしてみても、地面を踏むような、途方もない質量感が反作用で返って来るのみ。
薄壁が張ったわけじゃない。少なくとも数メートルという厚さの壁……。
「別の出口を探すしかないか……」
俺は冷や汗を拭いながら、スマホの明かりを頼りに、開けた方の道へと進み始めた。
歩き出してみると、俺は急に、凄まじい息苦しさを覚える。
酸素が薄くなったような感じがある。肺に空気が上手く入っていかない。
精神的な物か、それとも実際に空気の組成がおかしいのか……。
「くそっ……とんだ大馬鹿だな!」
いつでも出られるという安心感の下、ちょっとしたスリルまがいの物を求めた結果がこれか!
スマホのライトは……機種にもよるが、点けっぱなしでも7~8時間は持つと聞いたことがある。
しかし機種変更から1年ほどが経過した、俺の相棒の場合はどうだ?
もって6時間……5時間か?
つまりは、そこがデッドライン。
少なくとも6時間以内に、このダンジョンから抜けるしかないぞ!