19話 はだかジャケット
俺の身体を叩き潰すため、振り上げられる鈍器じみた石の剣。
濃い緑色をしたゴブリンの肌色。
感覚が研ぎ澄まされ、一瞬の光景がひどくスローに感じられる。
「うおぉ!」
「ゴブッ!?」
咄嗟に突き出された俺の蹴りが、小柄なゴブリンの腹に突き刺さった。
その小さな筋肉ダルマの身体を真っ二つにへし折って、後ろへと押しのける。
腕相撲で戦えばまず勝てないだろうが、これは体重差という奴だ。
俺はこの瞬間に、ボクシングの階級が17個にも分かれている理由を思い知った。
がむしゃらに上体を起こして前を見ると、もう一匹が走って来るのが見えた。
ホルダーにようやくカードがセットされ、それを瞬時に抜き出す。
「『火炎』!」
炎が噴き出し、突っ込んできた3匹目のゴブリンが、上半身を焼かれながら俺とすれ違う。
燃える火の粉を身体に受けながら、ホルダーに素早く『火炎』のカードを戻す。
今度はもたつくことなく、ひっかかることもなく、最大限に上手くいった。俺は何かがスマートに成し遂げられた瞬間に感じられる、ほのかな達成感を味わった。
「ゴブウッ!」
蹴りを受けて倒れていた剣のゴブリンが立ち上がり、俺の方へと突っ込んで来る。
即座にカードを引き抜いて、俺は叫んだ。
「『火炎』ッ!」
◆◆◆◆◆◆
開けた小さな洞穴のような空間と、そこに繋がる通路には、合計3体のゴブリンが倒れている。
「はぁーっ。はあ、はぁ……」
俺は乱れた呼吸を整えながら、自分が『火炎』のカードで焼いたゴブリンたちを眺めていた。
戦闘中の興奮と高揚感とは裏腹に、ここには肉が焦げた嫌な匂いと、虚無的な後味の悪さだけが残っている。
俺は大学時代に入っていた、総合格闘技サークルの大会を思い出した。リングの上で戦うスポーツなら、勝っても負けても、終わった後にはお互いを称え合って、爽やかな気持ちで握手を交わすことができる。拳を交わし合った友達にだってなれるかもしれない。
しかしこれは、そんな健康的に管理された健全な試合ではなく、単なる殺し合いだったのだ。
俺はスキルブックのホルダーに「火炎」のカードを戻しながら、その使用残高の上4つが黒く塗り潰されて、残り6回になっているのを確認した。
パタン、と本を閉じると、手の中でスキルブックが自動消滅する。家で色々と弄っている内に気付いたことではあるが、どうやら俺の思考と連動して自動で消えてくれるらしい。
「や、やりましたね! ズッキーさん!」
「あぁ……なんとかな……」
ケシーにそう返して、俺は傍に転がっていた詩のぶのスマホを回収した。
石に引っかかった形で斜めに立っていたスマホは、画面が蜘蛛の巣のようにひび割れている。俺は配信機能をストップしてから、詩のぶの方に歩み寄った。
「ひどいなこりゃ」
胸を隠しながら座り込んでいる詩のぶの衣服はズタズタに引き裂かれており、千切られた白い下着やら何やらの衣片がそこかしこに散らばっていた。
足首や腕には、無理やり裁断されたと思わしき服の破片がしがみついているものの、彼女は何も着ていないのと同じ状態だ。ほとんど裸体に近い女子高生を目の前にしているわけではあるが、なんの興奮もない。
むしろなぜだか息がしづらくて、フラフラする。
脳の神経が未だに、先ほどの戦闘で過熱気味らしい。
「ほら、とりあえず立てよ」
「ぁ……は、はい……」
俺は着ていた紺色のジャケットを脱ぐと、それを詩のぶに羽織らせた。
詩のぶとは身長差があるので、ジャケットの裾が上手いこと彼女の尻を隠してくれる。太ももはまあ、仕方ない。
改めて見てみると、そのジャケットは先ほど転んだ拍子に派手に汚れて、背中の布地が破ける寸前になっていた。お気に入りだったんだけどな。
「ぁ、あの」
羽織ったジャケットの前を左右に引っ張っている詩のぶが、そんな掠れた声を出した。
「なんだ?」
「ど、どうして……たす、助けて、くれたんですか?」
「てめえが馬鹿なことをしてたからだろ」
彼女を先導するように歩き出すと、後ろから、彼女が問いかけてくる。
「だって、その、ぁの……」
「お前がアホなことをして勝手にどうなろうが、知ったこっちゃねえよ」
「なら、その……どうして……」
「まあ、これはつまり、こういうことだ」
俺は言い訳じみた論理を頭の中でこねくり回しながら、振り返らずにこう言った。
「今回のことからお前が学ぶべき教訓は、てめえはまだまだ自分のバカの尻拭いもできねえガキだってことだ。わかったら大人しく家に帰って、親に謝って、学校に行け」
入り口に向かって歩いていると、ピロリン!という通知音と共にステータス画面がポップアップした。
『獲得経験値が上限に達し、レベル19に上がりました。能力値を割り振りますか?』
おっと、レベルアップか。
レベルや能力値の概要はすでに確認していたのだが、まだ計画を立てていなかった。
こんなイレギュラーがなけりゃ、もっとゆっくりのんびりじっくり勉強して、ダンジョンに入るのも実際にレベル上げをするのも、ずっと先のことだと思ってたからな。
いいや。とにかくあとで考えよう。
『はい』も『いいえ』もタップせずに、ステータス画面をスワイプする。視界の外へと滑らせるようにすると、自動で消える仕組みになっていた。
「おっと?」
ステータス画面を消す直前に、スキル欄が『+1』になっているのに気付く。
タップして見てみると、『ゴブリンの突撃』という新規取得スキルがあった。戦いのドサクサの中で手に入れていたんだろうか。どういう仕組みで? まあ、この辺りは調べてみないとわからん。
ダンジョンの入り口の柵もなんとか越えると、詰所の警備員はまだ寝ていた。
彼の警備服のポケットに入っていると思わしきスマホか携帯が、絶えずバイブ音でなんらかの着信を知らせているのがわかる。それでも起きないとは大した奴だ。どんな所でも深い眠りに就けるというのは羨ましい特技だが、これだけ警備員に不向きな奴も珍しい。
おそらく詩のぶの配信が通報されて、警備員である彼にも何らかの連絡が入っているのだろう。もうじきここにも、警察やら何やらが来るに違いない。それまで幸せに寝ているといい。
停めていた車の後部座席に詩のぶを乗せると、エンジンをかけながら、俺はふと溜息をつく。
「もし途中で職質とか喰らったら、ちゃんと説明してくれよ」
「あ、は、はい。もちろんです……」
「家はどっちの方だ?」
「鈴が丘の方です……」
「そういえば、近場だったな。家まで案内してくれ」
「は、はい……」
詩のぶの案内に従いながら、車を走らせた。
交差点で赤信号に捕まり、信号待ちをしながら、俺は聞いてみる。
「これからどうするんだ?」
「これから……というと」
「あの生放送とか、ダンジョン無断侵入の件とかよ」
「あ、あぁ……はい」
バックミラーに写る詩のぶは、ジャケットの下から手を伸ばして、やや頭を抱えているようだった。
「い、いやその……こんなことになるとは、思って、なくて……」
「犯罪自慢みたいな生放送に変わりはねえだろうが」
「あの……ちょっとした炎上商法? みたいな動画になればいいなって……警察には怒られるかもしれないですけど、どうせ時間が経てばみんな、忘れちゃいますし……と」
「俺は見たくもないが、たぶんネットは大変なことになってるぞ」
「ええと、どうしよう……ドッキリでしたで何とかならないかな……」
「知らん」
「…………とりあえず謝罪動画出して、謹慎します……」
「身元割られてネットの玩具にならなけりゃいいな。まあもう高校生で、自分の意思でやったことなんだから。あとは自分で何とかしてくれ」
「はい……」
「あと、俺の名前は出すなよ」
「も、もちろんです……あの……水樹さん?」
「なんだ?」
信号が青に変わって、俺はアクセルを踏み込んだ。
「あの……電話番号だけ、教えてくれませんか?」
「どうして?」
「いや、あの……迷惑なら、良いんですけど……あの……」
…………。
できることなら、俺は断りたかった。




