104話 起床
何もしてないのに炎上している俺へのヘイトを爆発させた暴徒が玄関を力ずくで突破するのと、俺たちが準備を整えたのはほぼ同時だった。
「水樹了介、ぇぇえええっ!?」
「うっ!? ぐぉおおおぉぉっ!?」
玄関から押し入ってゾンビの如き勢いで突入してきた彼らは、その直後に吹き荒れた突風によって後方へと吹き飛ばされる。玄関先で揉みくちゃになって倒れる彼らに対して悠々として近づいていくのは、あのヒースとマチルダさんだ。
「ようようみなの衆! 残念ながら、ここから先は通行止めだぞ!」
「えーと、みなさん! 落ち着いてくださーい!」
そんな風に呼びかけるも、ほぼ理性を失っている暴徒たちに説得が通じるわけもなく。彼らは問答無用で群がってくる人々に、即効性解決策の暴力で応じ始めた。
「ぐわっ! おいおい落ち着けって。落ち着けって言ってるだろうがぁ!」
「ヒース様、その殴り方だと死んでしまいますよ! 頭蓋骨とか色々陥没してしまいます、ってー! ええいっ!」
ヒースとマチルダさんが拳と杖で殴打したり吹き飛ばしたりして精神汚染を受けた市民を相手にしている間に、俺たちは裏側の窓から脱出。REAの皆様がたに周囲を警戒してもらいながら愛車にキャロルと多智花さん、それに詩のぶを詰め込み、車を急発進させた。
エンジンがズババンと鳴り響き、タイヤを空回りさせながら加速する。ハンドルを思い切り右に切るも間に合わず、向かいの壁に激突しそうになりながらギリギリで停止し、バックで進路を確保する間に溢れて追ってくる暴徒の群れには、ケビン筆頭のREAの皆様方が応戦してくれた。
「行け! 早く行け、ミズキ!」
「Jesus!!」
「ボスを頼んだぞ!」
震える手で何とかハンドルを操り、車を再発進させる。
真っ直ぐ大通りまで出ると、俺はハンドルを握りながら叫び声を上げた。
「くそっ! くそっ! どういう悪夢だ、これは!」
「水樹さん! 堀ノ宮さんから、『もしかして水樹くんが悪いのか?』ってメールが!」
「無視だ無視!」
後部座席でノパソをカタカタしている詩のぶに、俺は叫び返す。
「うわーっ!? 水樹さん、やばいです、やばいです! 日本で、というか世界中で暴徒が大量発生中! めっちゃニュースになってますよ〜っ!」
「くそおっ!」
同じく後部座席に座ってスマホでニュースをスワイプしまくっている多智花さんに叫び返すと、とにかく車を走らせながら、俺はグルグルと考えを巡らせる。
一体どこに逃げればいい? いやとにかく、このふざけた状況の元凶であるところの上村を止めなければ。だがそもそもこんな状態で、上村を止めに行けるのか? あいつはニューヨークにいるんだぞ。片や俺が追い詰められているのは北海道の田舎町。ここから叩きに行くって? 各国の派兵団も、止めを食らっている状況で!?
なんだこの状況は!?
チートだなんだでどうこうできるのかよ!
焦る気持ちを嘲笑するように、目の前の信号は赤。急ブレーキ気味に止められた車は停止線を完全に超えてしまい、横断歩道の真ん中あたりに車体を傾けるみっともない格好で沈黙。俺は手のひらの汗をハンドルに擦り付けながら、もう片方の手で髪をグシャグシャとかき回す。
「どうする……! くそっ!」
「ミズキ、こうなったら飛行機をハイジャックして、無理やり飛ぶしかないか?」
「…………」
「……ミズキ? 大丈夫か?」
ハンドルを握りながら数秒思考停止していた俺を、助手席のキャロルが覗き込んできた。
彼女の顔色は青白い。言うなれば病の身でこの状況に放り出されているわけだ。
俺は口をパクパクさせながら、いまだ焦げ付いている思考回路で、何とか声を絞り出す。
「……………………キャロル」
「なんだ、ミズキ。何か思いついたか?」
「お前…………こう見ると、ほんと可愛いよな」
「…………落ち着け、ミズキ。嬉しいがな、ミズキが色々と追い詰められているのはよくわかったからな。一旦冷静になろうな」
パパーッ、とクラクションが鳴らされる。いつの間にか信号は青になっていて、俺は力なくアクセルを踏み込んだ。のっそりと走り出した俺の車を後ろから追い越そうとする車の運転手が、窓から悪態をついてくる。
「ちゃんと前見て運転しろ! こら!」
やや血気盛んそうな色黒の男性は、窓から腕を出しながらそう叫んだ。
彼は言うだけ言ってそのまま走り去ろうとするが、運転席で青い顔をしている俺を見とめるなり、彼の顔色がさらに赤くなる。
「……ミズキリョウスケ!?」
やばい。
目の色が変わった運転手を見るなり、俺は思い切りアクセルを踏み込んだ。
しかし並走する彼はハンドルを回し、即座に側面から、俺の愛車に激突してくる。
「ぐぅっ!」
衝撃にハンドルを取られながらも、何とか持ち直して加速する。小和証券時代にささやかな贅沢で購入した若き俺の憧れセラシオは、ずいぶん昔とはいえ国産フラッグシップセダンの走行能力を購入以来初めて遺憾なく発揮し、グイと加速して精神汚染を受けたミニバンを抜き去った。
道路交通法を完全に無視した走行で追撃を躱した俺は、そのままアクセルをベタ踏みして、北海道の片田舎大守市のいやに広い道路を走らせる。
「止まっちゃ駄目だ、ミズキ! 顔を見られたら攻撃される!」叫んだのはキャロルだ。
「ああわかった! 今のでよーくわかった!」
「いったん何処かに隠れましょう! ええと、山奥とか!」言ったのは後部座席の詩のぶ。
「一旦お前ら降ろす! ええと、キャロル以外その辺に降ろすぞ! 準備してくれ!」
「いや水樹さん、私としても帰りたいのは山々ですけどね! 正直言って帰りたいですけどね! ここは協力して乗り越えましょうよ、ええ! 水樹さんとキャロルさんだけじゃ絶対ムリですよ!」後部座席から身を乗り出した多智花さんが叫んだ。
「……はえっ!? ず、ズッキーさん! 見てください!」
最後に言ったのは、ポータブルTVでニュースを見ていたケシー。
彼女は羽で目の前に浮上してくると、横合いから俺に画面を見せつけてくる。
中継されているのは、あのオオモリ・ダンジョン。
「…………?」
報道員と共にバタバタと駆けている様子の中継映像は、急停止して再び画面を持ち上げ、やや遠くに見えるダンジョンの管理施設とマイクを握ったキャスターを同時に映していた。
あまりにも緊急の中継らしく、画角には普通なら映らないはずの多数のスタッフ達の姿も見え、現場の混乱具合が一発で伝わってくる。
『北海道テレビです! 緊急中継です!』
焦った様子の女性記者は、オオモリダンジョンとカメラを交互に見ながら叫ぶ。
『オオモリ・ダンジョン管理施設が崩壊し、内部から……あれは!? ど、ドラゴンです! 白いドラゴンが這い出ています!』
管理施設を内部から破壊しながら現れたのは、白い肌と巨体を有した一匹のドラゴン。
寝ぼけ眼を小さな前足でこすりながら巨体を這い出したドラゴンは、クイと頭を上に向けると、マイクにばっちり拾われる音量で叫び始めた。
『外界が騒がしくて起きてしまったが……どうやらけったいなことになっているようではないか!』
否。
それはマイクによって物理的に拾われた声ではなく、何処か遠くから、心の中に直接響いてくる声色だった。
中継のカメラのレンズが凍り、視界が曇っていく。
その中で、なおも白竜は叫んでいた。
『どれ、ミズキはどこだ? ミズキリョウスケはどこに行った!? どうせ起きたのだ、デンチとやら補充してくれぬか!?』