1話 勤め先がダンジョンに飲み込まれても、出勤しないと駄目ですか
世界各地にダンジョンが発生してから数年……。
ダンジョン内に眠る希少資源を巡って、
各国がダンジョンに関する条約を議論したり締結したり、
新しい資源条約が結ばれたり安全保障を巡る議論がいまだに過熱していたり、
行政府がダンジョンを管理しきれなくなったりする中で……
人々は『ダンジョン』というファンタジーが存在する新しい世界の形に、意外と早く順応し始めていた。
そんな世界情勢の中で、俺こと水樹了介は…
「……なんじゃこりゃあ」
赴任してきた田舎の支店が、丸ごと『ダンジョン』に飲み込まれているのを発見して、
そんな声を漏らした。
◆◆◆◆◆◆
ラブストーリーは大概突然に訪れるものだが、転勤も突然に訪れる。
深夜に「命貰いに来ました」という感じで現れる死神のように。
俺の場合は首都東京から、ド田舎の僻地への転勤命令だった。
それにしたって、転勤が不幸なものばかりとは限らない。
将来有望な社員があえて田舎の支社に上級職として送られるように、川で生まれたシャケが大海原へとくだり、大きくなってから故郷へと帰って来るように、巡り巡って本部で上級のポストに就くための転勤もまあある。
しかし俺の場合は、いわゆる左遷。
数ある転勤理由の中でも、最も忌避すべきものであった。
「水樹くん、きみ転勤ね。北海道に」
俺を呼び出し、嬉々としてそんなことを言い放った上村支店長のニヤケ面といったら。
じゃじゃ馬の俺を体の良い理由で厄介払いできたのが、心底嬉しくてたまらないように見えた。
「不貞腐れて、向こうで欠勤や遅刻でもしようものなら。わかっているね」
「ええ、ご心配なく」
「転勤先ではせいぜい……上司に噛み付くことなく、黙って毎日タイムカードでも押していなさい。これを教訓にな」
「別に構いませんが」
俺は精一杯強がって、そう返したのを覚えている。
「生田目夫妻の3億円の件、これで有耶無耶にするつもりではないでしょうね」
「……一体なんのことを言っているのか、よくわからんね。」
◆◆◆◆◆◆
辞令と共に、ハリケーンの如き引継ぎと引っ越し作業を終えて、やっと越してきたこのド田舎で。
俺は赴任してきた支店が、建物丸ごとダンジョンに飲み込まれているのを発見したのだ。
「ここが……大守支店?」
正確には、ここは小和証券の大守支店。
田舎の国道沿いに居を構える、このファストフード店ほどの小振りな建物は、いわゆるダンジョンの発生に巻き込まれたようだった。
隆起したコンクリと地面が支店を飲み込んで、ひしゃげた自動ドアがダンジョンの入り口として開いている。
建物と周囲の地面を巻き込みながら発生したのだろう。盛り上がった岩肌には所々に小和証券の社色である明るい紫色が混じっており、その斜め上には、情けなくも立てられた白旗のように、『小和証券』と書かれた看板が崩れかけながら突き刺さっていた。
「どうなってんだこれ……って、ここ電波通ってねえのかよ」
無情にも圏外を知らせるスマホにぼやきつつ、俺はふと思い出す。
そういえば、引っ越し前に電波が繋がりにくいキャリアがあるとか聞いてたな。
ソフトバントなら間違いなく繋がるから、携帯はそこに乗り換えておけと言われていたのを……転勤のドタバタですっかり忘れていた。
「こんな話、聞いてないぞ」
予想外の事態に、ついつい独り言が湧いて出て来る。
そういえば、独り言には不安を解消してストレスを軽減する効果があるらしいな。こんなときには、どうでもいい豆知識を不意に思い出すものだ。
あの部下の手柄は上司のもの、上司の失態は部下のものを地でいく上村支店長の嫌がらせも、ここまで極まったということか?
このダンジョン化して使い物にならなくなった支店を、解体業者よろしくどうにかしろということか?
いやしかし、流石にそこまでの嫌がらせは度が過ぎているというか正気じゃないし……そもそも、一体いつ発生したんだ? この支店はちゃんと、ダンジョン保険に入ってるのか? 他の従業員は?
考え出したらキリがない。
各所に電話しようにも、肝心のスマホがやる気を失くしてしまって途方に暮れる俺は、ふと呟く。
「とりあえず……どうする。タイムカードでも押しておくか? ははっ」
なかば冗談で呟いたその言葉は、転勤を知らされた時の記憶と重なって、ふつふつとした怒りを湧き上がらせた。
この野郎、あの上村支店長め。
どこまでが奴の報復人事かは知らないが、これくらいで俺がうろたえるとでも思ったか。
なんの説明もなくダンジョン化した支店に転勤させてやれば、パニクった俺が本部に情けなくも事態を報告して、恥の一つでも上塗りするとでも思ったか。
支店がダンジョンに飲み込まれていようと、自分の勤怠くらい自分で管理してくれるわ。
謎の反骨精神が芽生えてしまった俺は、内部の確認も兼ねて、自動ドアがひしゃげて構成されたダンジョンの入り口に足を踏み入れた。