吸血鬼の共喰いに遭遇したニートの話
ニート生活三年、久々に家を出た深夜三時に、ハルは三人の吸血鬼の共食いに遭遇した。
草木も眠る丑三つ時、目的地のコンビニまで人に会うことがありませんようにと願いながら道中急いでいる最中だった。
なるほど確かに人ではないのだろう。
遭遇したのは人ではなく鬼、もしくは怪物、化物。
吸血鬼であると気付いたのは、その三つの存在の、姿形もバラバラなそれらに一つだけ共通点があったから。
男と犬を混ぜたような見た目のそれも、鳥と猫を混ぜたようなそれも、猿と蛇を混ぜたようなそれも。
全て共通して、異常に長い八重歯を持っていた。
ハルがその場を通ろうとした時に猿蛇はすでに絶命していた。
だらりと大口を開けたその口から、長い牙が見えていた。
そして犬男と鳥猫が互いに互いの首筋に自らの長い牙を突き立てていた。
じゅるじゅると、血を啜るおぞましく醜悪な二重奏に、ハルの身体は動かなくなった。
あまりにも非現実なその光景に、ハルはわけがわからなかったのだ。
現実であることを疑った、いつの間に寝落ちていたのだろうかと記憶の中をぐちゃぐちゃに荒らして探った。
しかし、その光景はどうやら本物であったらしい。
ありえない現実であったらしい。
互いの血を啜り合う二つの怪物のうちの一つの身体が崩れ落ちる。
崩れ落ちたのは鳥猫、犬男は自らの身体から鳥猫の身体を引き剥がして地面に投げつけた。
肉が潰れる音が、確かにこちらまで響いてきた。
それでもハルの身体は動かない。
声が潰れていることに、この時は少しだけ感謝した。
身体が動かなくても、きっと声が潰れていなければ悲鳴の一つ二つはあげていただろう。
このまま気付かれずにやり過ごしたい、そう思っていたけど、それは無理な話だった。
グルリ、と犬男が身体をこちらに向ける。
目があった。
「……っ!?」
潰れた喉は何の音も発さない。
何も言わないハルを見て、犬男が血に濡れた口元を笑みの形に歪める。
そこで、生存本能が恐怖を打ち負かした。
恐れによる金縛りが解ける、ハルは即座に逃げ出した。
ああ、だけど――逃げ切れるわけもなく。
そもそも右足が義足のハルが超常の存在から逃げ切るには、よほどの奇跡か偶然が必要で。
捕まるどころか――近付かれる以前に派手に無様に転倒した。
転んだ衝撃に呻くハルの背に強い衝撃と痛みが。
背を思い切り踏まれたのだと気付いたその瞬間に、首に鋭い痛みを感じた。
噛まれた。
そして吸われている。
何って、当然。
血を。
「――!!」
喉が潰れていなければ、きっと穢い絶叫をあげていただろう。
痛い。
痛い。
痛い。
そうだった、ほとんど忘れかけていた。
麻酔なしに肉体を痛めつけられる痛みを。
じゅるり、じゅるりとハルの身体から血が消えていく。
鋭い痛みと、ドロドロと粘ったそれの舌の感触に絶望した。
ああ、死ぬのか。
こんなことになるのなら、死ぬまでドナーやってたほうがマシだった――
と、そう思った直後。
聞いたことのある、肉を断つ音が聞こえてきた。
直後に生温い液体が後頭部全体に掛かる。
そして、身体を押さえつけていた重みが消失し、何かが落ちる音がした。
上半身だけ起き上がって背後を見る。
ポタポタと少し粘ついた液体が髪から垂れていく嫌な感覚は、それを目にした直後に消失した。
そこにいたのは推定ヒトだった。
白い肌に金色の髪、透き通るような青い目。
おそらく日本人ではないだろう。
外国の方だ、きっとそうなのだ。
そのヒトは、とても美しかった。
ハルの語彙力では表現しきれないくらい、綺麗だった、美麗だった。
今まで見たことのある人間どころか、ありとあらゆる物体よりも飛び抜けて美しい、そう思った。
「おい、お前」
そのヒトそう言った数秒後に、ハルはその言葉が自分にかけられたものだと理解した。
声もひどく美しかったから、思わず聞き惚れてしまって、すぐにそのことには気付かなかったけど。
「――。…………。」
思わず口を開いて、ハルは何かを応えようとした。
数年前に喉を潰されていた上、ここ数年は誰かと会話する必要もなかったというのに。
ついうっかり、声を上げようとしていたらしい。
そのことに気付いて苦笑した。
そんな簡単なことすら、忘れてしまうだなんて。
「……声が、出ないのか」
問い掛けにコクコクと赤べこのように首を振る。
随分流暢な日本語だった、日本に住んで長いのだろうか?
と、そこで気付いた。
そのヒトの手に、赤く輝く日本刀が握られていることに。
外人さんってやっぱり日本刀が好きなのかなあ、と思った直後に、意識の埒外に追いやっていた別の要素を思い出す。
そういえば、犬男は?
キョロリと辺りを見渡して、少し離れた場所に犬男の身体を発見する。
地面に倒れ伏しているその身体は、血に沈んでいた。
もう一度、金色のヒトを見た。
金色のヒトが握る日本刀を見た。
何が起こったのか、悟った。
「………………!!」
ありがとうございます、そう言おうとして喉がとっくに潰れていることを思い出す。
それでも感謝を伝えたくて、どうすればいいのだろうかと考えて。
文字で伝えるのが手っ取り早いけど、あいにくペンもメモもスマホも持っていなくて。
だから、なんとなくだるい身体で頑張って立ち上がって、深々と礼をした。
土下座だと、なんだかそれは違う気がしたから。
「命乞いのつもりか? 別に殺す気は……」
そんな言葉を投げかけられて、思わず顔をあげて首を勢いよく横に振った。
違う、そうじゃない、そうじゃないんだ。
感謝の意を伝えたいだけなんだ、あなたの事を恐れているわけではないんだ。
どうすれば伝わるのだろうか、どうすればわかってくれるのだろうか?
ああ。
あの時は声なんかいらないと思っていたけど、今更になって、あの日声を捨てたことを始めて後悔した。
いくら醜い声であったとはいえ、アレがあれば感謝の意の一つ二つは簡単に伝えられたのに。
勢いよく首を振ったハルを金色のヒトは困惑した顔で見ていた。
その顔で、その右半分で、赤が弾けた。
「――!?」
何が起きたのか、わからなかった。
顔の右半分を片手で覆った金色のヒトが何かを引き抜くような動作をする。
「……まだ、生きていたのか」
金色のヒトは引き抜いたそれを地面に投げ捨てる。
投げ捨てられたソレは、獣の爪に似ていた。
ハッとして犬男の方を見る。
血の海に沈んでいた犬男の指先が、彼の顔があった場所を指差していた。
しかし、その指先はハルが見ているうちに崩れ落ちた。
そのすぐあとに、金色のヒトは日本刀で犬男の首を刎ね飛ばす。
「……っ」
しかし、そこで限界だったようで、金色のヒトの身体が力なく崩れ落ちる。
膝をついた金色のヒトの顔を見て、気付いた。
右目が潰れていた。
先ほどの犬男の爪は、運悪く彼の右目に突き刺さってしまったらしい。
決心がつくのに、要いた時間は5秒もなかった。
ほとんど躊躇いはなかった、今更でもあると思っていた。
金色のヒトの近くまで近寄って、しゃがみこむ。
そしてその手を取って、両手でしっかり掴む。
「お前、何をす…………!!?」
金色のヒトの言葉が止まったのはほぼ同時。
ハルが掴んだ金色のヒトの右手の、白く長い指先が、ハルの目に突き刺さったのとほぼ同時。
ハルが金色のヒトの指先で、ハルの目を潰させたのと、ほとんど同時。
「……なにを」
金色のヒトが乾いた声をあげる。
そして、同時にその顔が驚愕で歪む。
潰れていた金色のヒトの右の目が、元通り綺麗に治っていた。
その顔とその色を見て、ハルは安堵と喜びで笑っていた。
痛みは遅れてやってきた。
感じたことのない激痛に喉の奥が震えて痛い。
ああ、やっぱり声なんてなくてよかった、と手のひらを返すように思う。
だって声があったら、ハルはきっと酷い叫び声をあげていただろうから。
気が狂うような痛みにのたうちまわっているうちに、いつの間にかハルの意識は消えていた。