第3話 不幸な女と少女
私、大福恵は不幸だ。
幼い時、自動車事故で両親を失った私は、孤児院で育った。
そのことを不幸だと思ったことはない。
しかし、私の不幸を物語るエピソードは、三十五才になる今日まで生きてきた日にちの数ほどある。
もし、不幸に値段がつけられるなら、私は億万長者だろう。
例えば、高校の受験をしたときは、こうだった。
受験会場に向かう途中、電車の中で受験票を確認した私は、それを落としてしまった。その日は雨模様だったこともあり、電車には傘を持つ人がたくさん乗っていた。その一人が持つ傘の先端が、私の受験票を貫いた。
「あ、それ、私の……」
ちょうど駅に着いた電車の扉が開く。
男性は受験票を突きさしたままの傘を持ち、あっという間に満員電車から降り、人ごみに紛れてしまった。
その事を報告した教師に「嘘をつくな」と、ひどく叱られた私は、少し遅刻して試験会場に入った。
解答用紙に名前を書こうとしたが、鉛筆の芯が折れていた。別の鉛筆を出すが、それも同様だった。全部の鉛筆が使いものにならないと分かった私は、用心のため入れておいたシャーペンで書こうとした。しかし、昨日まできちんと使えていたそれは、どこが壊れたのか芯が出てこない。
あまりの事に私が呆然としているうちに、一コマ目の試験時間は終わってしまった。
私は受験をあきらめ、試験会場を後にした。
親がおらず中卒の学歴である私を雇ってくれる会社は、なかなか見つからなかった。
たまに手に入れたアルバイトは、私が巻きおこすトラブルに耐えかね、雇い主が私をクビにして終わるというパターンばかりだった。
見た目もパッとせず、なぜか少し食べただけで太ってしまう体質の私は、男性にもモテなかった。たとえ付きあったとしても、度重なる不幸を一緒に体験した男たちは、さよならも言わず私の前から姿を消した。。
中には、後に結婚詐欺を働いていたと分かった者もいたが、そんな男でさえ、私と一緒にいることに耐えられなかった。
そんな私にも、やっと遅い春がやってきた。
アルバイト先で知りあった五十代の男性が、結婚を前提とした付きあいをしたいと言ってくれたのだ。
私は自分がどれほど不幸か、どれほど他人を不幸にしてきたか、正直に打明けた。
すでに二度結婚に失敗している男は、それでもいいと言ってくれた。
今日は、結婚式の予約をするため、彼と教会で待ちあわせている。
隣町の教会に行くため、私は築五十年のアパートから駅に向かった。
三月の下旬でまだ肌寒く、ちょうど吹いている春一番が安物のコートを通し、身体に突きささるようだった。
駅のホームに立つ私は、寒さの余りコートの襟を立てた。
◇
同じとき、遥か離れた公園で小さな木の葉が一枚、風にあおられ枝から空に舞いあがった。木の葉は、同じく空中を飛んでいたビニール袋に触れ、その軌道をわずかに変えた。
そのビニール袋が、同じく空を舞う開いたままの黒い傘に触れる。この傘は、そのことでクルクル回った。空を飛んで来た小さな金属製の看板が傘に触れ、やはり少し軌道を変えた。
上空から駅の構内に落ちてきた看板は、通りすぎる電車の風でさらに方向を変えると、ホームで待つ大福恵の背中をトンと押した。
折からの強風、隣のホームを通り過ぎる電車が巻きおこす風、背中にぶつかった看板、この三つの力が合わさり、大福恵の大柄な身体を線路へ、すっと押しだした。
近づく電車を正面から眺めながら、私は、なぜか穏やかな気持ちで目を閉じた。
少なくとも、私と結婚したいと言ってくれた彼を不幸な目に遭わせることは、これでなくなるのだから。
◇
村人に『森の魔女』と呼ばれている高齢の魔術師ダレーヤは、錬金術にも造詣が深く、足りない素材があると、それを召喚魔術で呼びよせることもしばしばだった。
今も、召喚用に建てた小屋で、素材召喚を行っているところだ。
「万物の元素よ、我が求めに従い、ここに『雪の結晶』を召喚したまえ」
彼女が長い詠唱の最後を口にすると、足元に描かれた魔法陣が光りはじめる。
その光が一層強くなると、魔法陣の上に予期せぬものが現れた。
「あいや!
なんと、今までこのようなことは初めてじゃ!」
ダレーヤは、半分歯が抜けた口から、驚きの声というには、のんびりした言葉を漏らした。
魔法陣の上には、身体を丸めた全裸の少女がいた。
◇
意識が戻った私は、自分がベッドに寝かされていると気づいた。
部屋は小さく、木の窓が少しだけ開いており、そこから何かの爽やかな香りと陽の光が入ってくる。
長年悩まされ続けた偏頭痛が、なぜか消えているのが不思議だった。
そして、記憶をたどり、自分が電車にはねられたはずだということに気づいた。
どういうことなの?
ここは、天国? 地獄?
ノックもなく、突然ドアが開くと、茶色いローブを着た外国人風のおばあさんが入ってきた。手には素焼きの壺とコップを持っている。
「*+$%!」
おばあさんの言葉は、今まで聞いたことがないものだった。
一度、部屋から姿を消したおばあさんは、短い木の棒を手に戻ってきた。
彼女が呪文のようなものを唱えると、棒の先から出た光が私を包む。
「どうだね、嬢ちゃん。
これなら分かるかね?」
「あっ!
分かります」
さっきまで寝ていたせいか、自分の声とは思えない、少し高い声が出た。
それより、彼女が私を呼んだ、「嬢ちゃん」という言い方が気になった。
子供の頃でも、そんな呼び方をされたことはない。
「あの、あなたはどなたで、ここはどこでしょう?」
「ああ、自分がどこにいるか分からないんだね。
あたしゃ、ダレーヤという者さ。
ここは、『ティーヤム』っていう国の片田舎だよ。
あんたは、あたしが間違って召喚しちまったんだ」
そんな国の名前は聞いたことがなかった。どうやらここは、日本ではなさそうだ。
「えーっと、その『召喚』って何です?」
「ああ、そりゃ別の場所にあるものを、ここに持ってくる魔術さ」
「ま、魔術?」
「おや、嬢ちゃんは、魔術を知らないのかい?」
「い、いえ、言葉だけは知ってますが……」
私は自分が若いころ愛読していた、ファンタジー小説を思いだした。
「その年なら、今頃、親御さんが心配しているだろう。
あたしゃ、あんたに責任があるからね。
必ずそこに帰してあげるから安心おし」
「……両親はいません」
「そ、そうかい。
悪いこと聞いちまったね。
とにかく、どこから来たか聞かせてくれるかい?」
「その前に、この国以外にどんな国があるか聞かせてくれますか?」
「変な事を知りたがるんだね。
この国の西には、フェーベンクロー公国、その向こうには、モリアーナ帝国、北には、イポローク王国っていうとこだね。
こんなもんで、いいかい?」
「ありがとう」
一度も聞いたことがない名前ばかり。もしかすると、ここは地球ではないのかもしれない。
「とにかく、これを飲んだらいいよ」
おばあさんは、手にした壺から何かの液体をコップに注ぐとそれをこちらに差しだした。
「ありがとう」
それを受けとろうとして、手を差しだす。
「えっ!?」
私の手は、コップに届く前に停まっていた。
なぜって、それが自分の手ではなかったから。
明らかに中学生か高校生くらいの手に見える。
私は慌てて、自分の顔や体に触った。
そして気づいた。
自分の体じゃない。
「おばあさん、鏡ってある?」
「ああ、あるよ。
ちょいとお待ち」
彼女はどこかに行くと、柄のついた鏡を持ってきた。
それを受けとり、自分の顔を見る。
「……こ、これが私?」
そこには、見たこともないほど美しい少女がいた。
おそら十五才くらいだろう。
やや広い額から続く優美な曲線が、細い顎を形作っている。
大きな金色の目をしていて、細い鼻筋がすっと通っている。
唇は、上唇が薄く、下唇はふっくらして桜貝のようだった。
白い肌にブロンドの髪がよく似合っていた。
「おばあさん、私の顔、どこかおかしくない?」
「なんにも、おかしかないよ。
とりたてて言えば、見たことがないほど綺麗な顔だね」
「……ありがとう」
私は、とりあえず、自分の顔が醜くいと言われなくてホッとした。
改めて手を伸ばし、コップを受けとる。
温かい液体は、蜂蜜を入れたお茶のような味がした。
「おいしい……」
おばあさんは、壺からもう一度、液体をコップに注いでくれた。
それを飲みほすと、私は思いきって言ってみた。
「あの、私、自分が誰か分からないみたいです」
「ああ、召喚で記憶が混乱しているのかもしれないね。
そうだねえ……あれをやってみるかね。
でも、今は、とにかくゆっくりお休み」
こうして、私は異世界での一日目をスタートさせた。