第17話『連鎖反応』
早朝、薄暗い部屋の中。ルフは起床する。フリューゲル観測所内一室、ベッド替わりのソファーから立ち上がると、いつものルーティンを始めた。
自身の武器、拳銃の分解清掃。ここ最近は拳銃を使用していない為、メンテナンスは簡易的に済ます。
それから拳銃をしまったホルスターを左右の太ももに取り付け、準備を終えた。
その足で観測所を後にし、フリューゲル東部にある広場へ。ベンチに座ると何も考えずに街を傍観する。いつも通りの日常。平和が流れる光景を暇で謳歌し、あくびの一つを吐いて背伸びをした。無駄な様で大切な、暇を持て余すこの時間がルフは好きだった。
「暇そうね、ルフ」
聞き慣れて辟易する声が背後から聞こえ、ルフは面倒くさそうにベンチにもたれ掛かり、首を仰いで後ろを視認する。金色のミディアムヘアと、糸が解れかけてボロめの赤いマフラーをした、ルフと同じくらいの背丈をした女の子。フリューゲル観測所所属の観測士、ノヴァである。
「んだよ、何しに来た?」
「何よ、その態度! そんな子に育てた覚えはないわよ?」
「お前は俺の何なんだよ……」
「お姉ちゃんよ!」
「……………………」
面倒くささが上回って、ルフは口を閉じた。青い空を無言で見上げる。すると、ノヴァはルフの隣に座ってきた。反応するのも面倒だと、無言で受け入れる。
「何だか久々ね」
「……ああ。ちょっと離れろよ、静電気が移る」
「こんな時期に静電気なんて来ないわよ、ほらほらー!」
ルフを煽るように、両手で触れようとするモーションだけを取るノヴァ。呆れたルフはノヴァの手を叩くと、案の定バチッと音を立てて静電気が走り、ノヴァは奇声を上げてベンチから転げ落ちた。
「ひひひっ、ざまぁー」
「いったぁあああーっ! 何のつもりよ、ルフ?!」
そんな和やかな姉弟喧嘩を、茂みで隠れ見ていた存在が。じれったい空気に耐えられなかった存在は茂みから飛び出し、喧嘩の仲裁へと入る。
「あらぁ? そんな女なんかほっておいて、あたしと一緒にクエストに行きましょうよ、ルフちゃああん♡」
仲裁の風上にも置けないし、主人公失格の主人公。私、狐火木ノ葉は仲裁そっちのけでルフに誘惑を仕掛ける事に。別に誘惑が主ではなく、ルフにだる絡みを仕掛け、昼ドラ的三角関係を作りたかっただけの単なる暇を持て余した主人公の遊び。これが悪趣味な性悪女の例である。
「はぁ〜……めんどくさいのが増えた……」
「お姉ちゃんに向かって、めんどくさいってどういう事よ?!」
「妹だろ、ばか」
「ばかって……もう、いつからそんなに口が悪くなったのかしら……。まあ、その、アタシは別にそんなんで嫌いにはならないけど」
ムッとした顔をしてルフから顔を逸らす一方、ボソリと小言でデレるノヴァ。このメスガキ、分からせてやる必要がありそうだ。
「諦めなさい、ノヴァ! ルフちゃんは私のモノよ!」
「あんな猪女のどこがいいのよ?! ルフはアタシのもんよ!!」
私とノヴァの間に飛び散る火花。端っこでルフは、相変わらずジト目で面倒くさそうにしていた。
「どっちのもんでもねぇよ」
「じゃあ、選んでもらおうかしら、ルフちゃん!!」
「アタシでしょ!」「いいえ、この狐火木ノ葉よ!」
そうして突然、二人に詰め寄られるルフ。ピリピリと静電気を放つノヴァと炎のオーラを纏う私。広場にゆっくりしに来たルフは、滲み寄られる圧迫感に我慢できず、堪らずベンチから飛び出して逃走を図る。
「やってられるかよ、ばーか!!!」
ベッと舌を出して挑発しながら広場を後にするルフ。さすがは男の子、小柄に物言わせぬ走力であっという間に遠くへ。
「逃げた?!」
「させないわ! 先にルフを捕まえた方が勝ちね!」
「のった!!!」
突如としてルフ争奪戦が始まる。広場から大通りを西へとかけていくルフの後を、二人でストーキングしていく。やはり、坊やだからさ。走力ではこの私には敵わない。ノヴァを追い抜いて現在二位。前方二十メーター先、一位のルフ目掛けて走る。くっ、アイテムは緑コウラか、使えん。
などと思考しながら全速力でルフとの距離を詰めるそんな時、私の足は地面に落ちていたそれを踏み抜いてスリップした。そのまま体勢を崩して顔面からスライディング、電柱に激突する。まさか、ルフの奴がバナナを仕込んでいるとは。奴め、マリカーをやり込んでいるな!
「ははははははっ! そこで寝転がっているのがお似合いよ、狐火!!」
高笑いしながら走り抜ける一般通過観測士。追突の痛みを堪えながら、私はノヴァの後を追う。例え、少し遅れを取ってもノヴァの走力ではハンデにもならない。
一方、一位で走り抜けるルフ。当人は別にレースなどしているつもりはないだろうが。そうしてかなり追っ手を引き離した頃、たまたま通りかかっていたウィンディーネと鉢合うルフ。
「ウィンディーネ?!」
「朝から元気ですね、ルフ。ランニングですか?」
逃走中だったが、ウィンディーネの前ではカッコつけてランニングだと言う事にするルフ。
「あ、あぁ、そんなとこだ」
「あっそうだ!」
「ん?」
ウィンディーネはバッグをガサゴソと探り始めた。ルフはしきりに後方を確認し、追っ手を警戒してソワソワする。
「ランニングしてるルフにとっておきのアイテムがあるからあげるね!」
笑顔で取り出したそれは、瓶に入った謎の液体。それを見た瞬間、ルフの顔は青ざめる。
「私が研究に研究を重ねて生み出した──って、ルフ?!」
脳裏に過ぎる過去の残影。ウィンディーネに激マズ薬草を無理やり食わされて気絶したトラウマがフラッシュバックし、ルフは本能的にその場から逃げ出した。本質を理解していないウィンディーネは、ルフの後を追い始める。そうして後方から追いついてきた私とノヴァはウィンディーネと合流した。
「あれ、狐火さん? と、ノヴァちゃん?」
「ウィンちゃん!」
「おはよ、ウィンディーネ! あんたもルフに用ありって感じね?」
「え、その、いや──」
「よぉおしっ! じゃあ、私とノヴァ、ウィンちゃんの三人で、一番最初に捕まえた奴が勝ちって事で!!」
「のったわ!!!」
「あ、えっと──」
ウィンディーネが半ばと言うかもはや強制参加となり、三者による争奪戦が始まった。口ごもるウィンディーネを残し、私とノヴァは先手を駆ける。
「年季の差を見せつけたるわぁッ!」
たかだか十八年の女は年季を語る。身長差だけで一位を維持。その後ろを駆けるノヴァと、更に後ろで呆然とするウィンディーネ。
「その、私は──」
「スピードでアタシの前に出るものはいないって事を見せてあげる!! 電流体転送!!」
バチバチと音を立てながら身体を電気に変化させるノヴァ。瞬間、私の横を赤い雷が通過する。糸を縫うように通行人の隙間を正確に抜けて、一気にルフへと距離を詰めていく。
「波動使うのはズルじゃん!!」
「ズルくなーいもーん! 自分の才能を恨むがいいわ、ははははは!!!」
あっという間に距離は縮まり、ルフを射程園内へ収めるノヴァ。逃走中のルフは、電流体転送で急接近してきたノヴァを察し、即座にホルスターから拳銃を取り出すと、ポーチからある弾丸を装填して銃口を空へ向けた。ノヴァは、拳銃を取り出したルフを見て、回避を取ろうか考えるも、銃口の先はノヴァを捉えるつもりはなく、明後日を向いている。何をしようとしているのか疑問が浮かぶと、一発の弾丸が放たれる音がした。弾丸は何を狙う事なく空へ。すると直後、ノヴァの身体は吸い寄せられる磁石のように、放たれた弾丸へと引き寄せられた! 抗おうとするも、電流体は引き伸ばされながら上空へ。ノヴァはそのまま為す術なく、弾丸へと引っ張られるようにして打ち上げられてしまった。
その弾丸は、雷属性を引き付けるルフ特製の魔弾。本来の用途は、自身の頭蓋に打ち込み、対象者と脳波をリンクする自害弾。使用する事で、ルフの身体にノヴァを憑依させる。今回はその応用、放たれた魔弾は本来の用途通り、リンクを繋がる為にノヴァの雷の魔力を引っ張る。結果、ノヴァの身体は魔弾に引き寄せられて空へ。端的に言うと、高精度の避雷針である。
「ざまあーねぇなあー、ノヴァ!! しばらくお空でゆっくりしてろ! ひっひっひ!」
ホルスターに拳銃をしまうと、空へ打ち上がったノヴァに手を振ってお別れをする。
「ぁあああああああ!!! ルフぅううううッ、覚えてなさぁああああぃ──」
ノヴァ、空へ打ち上げられてリタイア。その後、魔弾が推進力を失うまで上空を浮遊する事となった。
それを良い事に私はトップを駆ける。というか、ウィンディーネは追ってくる気配が無いので、もはや私が単独首位だし独断専行だしナンバーワンのオンリーワンであった。
そうして身長差を良い事にルフちゃんとの距離を詰め、ついでに心の距離も詰めに行く。
「タッチ! さあ、ルフちゃん、もう逃げられないよぉぉ?」
ガシッと肩を掴み、ここぞとばかりの笑顔を振りまく私に、ルフは喉に餅を詰まらせたような深刻な顔付きを見せた。
「な、何なんだよ、狐火……?」
そう訊ねられると我に返った私は、別段用事などがない事を思い出した。これはただ単に、誰がルフを捕まえられるのかという競走に興じていただけ。では、せっかくだからルフちゃんと朝ご飯でもご一緒に如何でしょうか? 朝から天使と共に栄養補給をする事で、今日一日をより良いものにしてみるのはどうだろうか?
「って事でさ、どっかご飯にでも──」
「他を当たってくれ」
冷たくあしらわれる始末。火属性の癖に氷みたいに冷たく刺さる目線。そこに、
「師匠ーーッ!!」
熱量の気配を纏って、何者かが後ろから走ってくるが、振り向かずとも誰だか分かった。
継ぎ接ぎみたいに所々がカラフルな柄のシャツ、その上に絵の具汚れが酷くて一周回ってアーティスティックになった長めのカーディガンを羽織る。足首までの長さの、スカートのようなズボンを履く。頭には画家帽を被っていた。
「エシー……」
「おはようございます、師匠!」
フリューゲルで画家をしている、エシ。その身長は180センチと、目の前に迫ると高さ故に圧が凄い。背丈と言い、格好と言い、金髪と言い、偏見だがやはり輩臭する出立ちだ。
するとエシは、真下に立つ男の子を見て、怪訝そうな目を向けた。
「なんだ、この生意気そうな小僧は?」
口調や表情から、エシはルフを見下している。現に身長差で見下している。
ルフは顔を上に向け、私に向けた冷たい視線と反して、熱の篭った鋭い目付きを突き付けた。
「あ? お前がなんだよ? 邪魔だからどっかに消えろ、図体だけのボンクラ」
思えば、ルフは初対面から口が悪かった。
互いに喧嘩腰で睨み合いが始まる。両者間にはバチバチと目に見えて火花が走っている。
「師匠、少し待ってもらっても良いですか? 今からこの世間知らずの坊やに躾をしてきます」
エシはニコリと笑顔を私に向けてそう言う。その顔には青筋が立っていて、フツフツと怒りが煮えていた。
「ああ?! 上等だ、空威張り野郎! その減らず口に地面の味ぃ教えてやらぁ!」
ルフは口から火を吐き出しながら激昂する。その火でステーキ一枚焼き上げられる火力だ。
両者譲らず、戦いが始まりそうだったので、ここは私が間を取り持つ羽目に。
「ちょ、待て待て待て! はーい、すとーっぷ!! 喧嘩は良くないよ、うんうん!」
「狐火?」「師匠?」
バチバチと火花散らす両者間に割り込み、仲介人となってしまう私。一体いつから私はボケ役を辞任した? 火花で軽く火傷した手を振り払いながら、私はエシに説明を入れる。
「エシ、いい? この子はルフ、私の仲間だよ?」
ルフよりエシの方が大人っぽい見た目という事で、勝手にエシを説得する。
説明を聞いたその刹那、エシは頭から地面に土下座を叩き込んだ。衝突によって地面に軽くヒビが入る。
「すみませんでした、ルフさん! 師匠のお仲間と知らずに飛んだ口を! こんな馬鹿野郎の木偶の坊の戯れ言、水に流してくだせぇ。地面の味は良く分かってます、私にお似合いの味ですよね、はははは!」
手のひら返しもいい所。崩れるように綺麗な移行とその潔さに、ルフは完全に引いていた。寸前までの燃え盛っていた炎は完全に鎮火され、燻した白い煙だけが立ち上る。もはや何も言う事はなく黙り込んでいた。
「そんな事より師匠、私と是非、ダンジョンへ!!」
土下座から瞬間的に立ち上がって、私の肩を掴み、ダンジョンへのお誘いを始めるエシ。猪女なんて言われている私に対抗するほどの猪突猛進振りに、私も若干引き気味になっていた。
「あ、いやぁ、ちょっと、あれがあれだからなあー……」
「師匠、行きましょう! さあ、行きましょう! さあ!!」
そんなトランペットを眺める少年みたいなキラキラした瞳を向けてこないでもらいたい。
「あ、あぁあー、ちょーっと行くとこ思い出したあ! じゃあね、ルフ!!」
そんなものはない。とりあえずその場から逃走を図る私。
「師匠?! 待ってくださいよぉおーッ!!」
次いでエシは私を追い始め、鬼ごっこ第二ラウンド開始。一人残されるルフ。
「……なんだったんだ、あいつ?」
背後から迫る金髪の巨人。男だし身長差も大きい。走力ではこちらが圧倒的不利。まっすぐ走り続ければ、そのうち私はエシに追いつかれてしまう。そこで、大通りに屯う人の波に飲まれながら隙間を縫っていく。このまま大通りを進み続けると、集会所前に出るだろう。タイミングを見計らって路地裏に抜けようか、そう考えながら私は走っていた。
「ああっ、狐火さん!! おはよっス!」
その明るい声と、二パッと輝く笑顔につい、私は足を止められてしまった。そこに立つは集会所の受付嬢だが、その格好は私服姿と見受ける。普段と違う姿に一瞬だけ誰か分からなかった。ゆるふわ系の服装と活発な性格とのギャップがまた素晴らしい。
「あ、あれ? お休み中?」
そう訊ねる私に、受付嬢は満面の笑みで答える。
「そうっス! 所で狐火さん? 私、今なら空いてるんスけど──」
「師匠ーーッ!!」
エシが手を振りながら追いついてきてしまった。あちゃあーっと額に手を当てる私。受付嬢はエシの存在に気がつくと、先程までの笑顔が一変する。
「……狐火さん」
ぼそりと呟く受付嬢。顔を俯いて、ふるふると震えている。
「……ん? ど、どうしたの?」
「私とは、お遊びだったって事っスか?」
「あっ……いや、違くてね? エシは──」
「もういいっスよ!! 私なんか、私なんかぁーーッ!!!」
溢れそうな涙を堪えながら、受付嬢は言葉を吐き捨てて走り出した。呆気にとられる私の横に、事情も何も知らないエシが到着する。
「師匠? 誰ですか、あれ?」
エシに対する憎悪が湧き上がるのを飲み込む。彼は別に何も悪くは無い。この感情をぶつける相手は今、目の前にいる受付嬢だ。恐らく彼女は、エシが私の彼氏か何かと勘違いをしているに違いない。それはお互いに良くは無い事だ。受付嬢は感情が吹っ切れる程に、私の事を好いてくれている。それはとっても嬉しいし、嬉しいし、何より嬉しい。だからこそ、この誤解は解かねばならぬ!!
「エシぃ〜…………話は後で。一緒に追うよ!!」
「は、はいっ!!」
誤解を解くために受付嬢を追う事に。人混みを縫いながら見失わないように必死で追いかけるも、受付嬢はその身から考えられない程に足が早かった。あっという間に距離が離されていく。
すると突然、エシは長筆を魔納具から展開して地面に置いた。細長い標準サイズの長筆。その長筆の柄の部分へ、スケートボードの要領で乗り始めた。
「師匠、少し失礼します!」
「え? うわっ?!!」
エシは躊躇なく私を持ち上げた。お姫様抱っこされてしまう。当然、そんな経験の無い私は、その現状に素で照れてしまった。やましい気持ちなど一ミリもないのだろうエシは、真剣な目付きで前方を確認している。
「師匠、追いつきますよ! インクジェットヴェント・灘吹筒!」
エシは長筆の波動を使った。筆先に水属性のインクが込められると、高圧縮したインクが放出された。インクは地面を蹴って長筆を前方へと押し進める。推進力を得た長筆を、スケートボードのように乗りこなし、猛烈な勢いで距離を詰め始めた。
「うぉおおああああ?! すっごい推進力!!」
「はい! ですが自分は、魔力が少ないので長くは持ちません! 短期決戦ですよ!!」
原理は私が良く使う炎柱と同じ。高出力のインクを推進力へ。しかし、この乗りこなし、出力調整。エシはかなりインク操作が熟練している。体幹もかなりのもので、速度に関わらず人混みも上手く縫っていた。
その時、受付嬢が突然脇道へと逸れた。何の予兆もない順路変更に、エシは慌てて長筆の動きを修正しようと試みるも、慣性の法則には抗えなかった。ブレーキなど当然ない長筆はそのまま路肩に先端が引っかかると、そこを支点に持ち上がり、エシと私は共に空へと打ち上げられた。浮遊感とゆっくり進む時間の中で、世界がぐるりと何回転かする。そして二人して、表に出されている食品売り場へと突っ込んだ。派手に缶詰や果物を吹き飛ばし、不時着。
この後、店主にこっぴどく叱られ、夕方頃まで掃除の手伝いをさせられる羽目となったが、当然の報いである。
「私って本当に馬鹿っスね……本当に……ぅうっ……」
路地裏の人目につかない陰で、受付嬢は一人静かに泣いていた。
日が暮れ始める頃、観測所内一室にて。用事を終えたルフはソファーに座って小休止中だった。そこに、髪がボサボサに荒れ果てたノヴァがやって来た。その様を見て、面白半分面倒半分のルフは何とも言えない顔をする。
「……んだよ、何用だ?」
「はい、これ」
今日半日は空を遊泳していたのだろうノヴァは、ルフへとそれを手渡した。それを渡すためにルフへ会いに行ったノヴァだったが、空へ打ち上げられてしまったので渡せずじまいになり、ようやく今、それを手渡す事が出来た。
「マフラー? 別に俺、誕生日じゃねぇぞ?」
渡されたそれは純白のマフラーだった。
「なくなったんでしょ、マフラー。それ昨日、編んでおいたの。今度は大事に使ってよね?」
ノヴァは鼻を高くしてそう言う。ルフは、その白いマフラーを無言で見つめると、
「……貸せよ」
「え、ルフ、ちょっと?!」
ルフはノヴァが首に巻いている赤いマフラーを無理やり奪い取り、貰った白のマフラーを投げ返した。
「こーんなボロ雑巾みてぇーなマフラー、そろそろ取り替え時期だろ。俺が貰ってやるから、そいつはお前が付けろよ」
「あっそー! ま、まあ、アンタには赤の方がお似合いですもんね! また編み直してあげるわよ、赤色で!!」
「は、はあ?! 何キレてんだよ?! マジで幼稚で困るわー」
「なっ?! お姉ちゃんにその言い様は何よ?!」
「誰が誰のお姉ちゃんだバーカっ!! お前が妹だろ、忘れちまったかよ?」
そうしてまた口喧嘩に発展し、最終的に面倒になったルフは、半ば無理やり部屋の外にノヴァを叩き出した。ノヴァも、仕事が残ってる為、仕方なくその場を後にする。
一人ソファーに座ると、ノヴァから剥ぎ取った赤のマフラーをまじまじと観察する。それは以前、ルフが付けていたマフラーの残り部分。同じように糸が解れてボロい。それを自分の首に巻いて取り付けた。
「…………温い」
「もう来んじゃねぇぞ、若造共!!」
償いの掃除を終え、疲労困憊の私とエシ。店主に叱咤されて店を後にした。
「すいません、師匠!」
「……あ、いや、大丈夫」
放心状態になっていた私は反応に遅れる。さて、日が沈み始めているが、受付嬢はもうどこかに行ってしまっただろう。探すあては無い。結局、誤解は解けなかった。
「どうしよっかあー……」
赤く染まる空を見上げ、疲れた頭を回す私に、男性の声が話しかけた。
「やあ、狐火くん」
脳に直接響くような重低音の声。それこそ耳が孕むとはこの事か。しかし、辺りを見渡しても声の主は見当たらない。遠感魔法の類かと思うも、その声はしっかり耳から聞こえている。一方のエシは、声が聞こえてなかったのか、挙動不審な私を不思議に思っていた。
「だ、だれ?」
「僕は今、君の耳に直接話しかけているよ」
「耳かい! 脳に話しかける件の奴!」
「ちょっと人目のつかないとこに移動してくれる?」
重低音の声がそう言うので、ひとまず人気のない路地へ移る。日が差さずに狭くて暗い、道と言うよりは建造物の隙間という場所。
移動するやいなや、私の襟首辺りから白い発光体が伸びて出てきた! 暗い路地と相まって目の端に映った発光体が幽霊のように見えてしまい、私は背後を振り返って尻餅をついた。
「師匠、何か首に付いてます!!」
「おっと! 武器を収めてよ、エシくん」
発光体から重低音の声が静止をかける。
「なっ……何で俺の名前を?!」
発光体はどうやら、私の身体に張り付いているらしい。服の中を確認すると、肩に巻いていた包帯が変形して伸びているのが確認できた。獣人村の医者、ノスタルによって処置してもらった際に巻いてもらった発光する包帯だ。発光体はうねうねと形を変え、犬のような形に変わる。
「こんにちは、狐火くん、エシくん」
「……もしかして、ノスタル?」
「その通り! あれから肩にくっついて観察させてもらってたよ、悪いね。やはり君たちを信じて正解だった。疑って付いてた訳じゃないけど、しっかり黙ってくれてたね、獣人村の事をさ」
ノスタルらしき発光体はそう言う。なるほど、閉鎖環境の獣人村に住むノスタルがフリューゲルの事や私の情報を知っていたのは、光る包帯を通して街を見ていたからと悟る。なぜ光る包帯がフリューゲルに流通していたのかは謎だが。
「それで、俺らを密かに監視して、お前は何を言いに来た?」
エシは発光体のノスタルを怪訝そうに見つめてそう問う。
「そうカッカしてると、お熱になっちゃうよ? 心配しなくても、取って食おうなんて考えてないからね。せっかくだから力になろうと思ってさ」
「何の得があって手を貸すんだ?」
エシは執拗に問いをかける。獣人に悪印象を持っていたエシは、獣人村の際にも睨むような表情で獣人を見ていた。私が獣人に対する好意を寄せているので、それに便乗している形になっているが、やはり内心ではあまり獣人を良くは思ってないのかもしれない。
「損得ねえー……探偵じゃないんだし、君たちから何かを得ようと接触してる訳じゃない。僕からしたら、知人のお手伝い程度の話だよ。エシくん、君は友人が困っていたら、手を貸そうとは思わないかい?」
ノスタルがそう訊ねると、エシは黙り込んだ。無言の答えが得られたノスタルは、私へと確認を取る。
「所で狐火くん、レヴィアちゃんに用事があるんだっけ?」
「えー……どちら様?」
「受付嬢だよ、知らなかった? レヴィア・ユリーカ」
「初みみみですね」
「み振りが良いね。それで、どうなの?」
「用事……そう、用事があるよ」
「うん、分かったよ。じゃあ、一時間後、またね」
「え、いや、何が──」
私が訊ねるより先に発光体は縮まり、元の包帯に戻ってしまった。一時間後、受付嬢のレヴィアに関する何かを手助けしてくれる、勝手にそう解釈しておく。
さて、一時間の有余ができた訳だが、今朝から何も飲まず食わずで掃除をし続け、ヘトヘトである。せっかくの有余、エシと晩御飯でも食べに行く事にした。エシはと言うと、まるで想像通りに乗り気だった。
「良し、今日は私が奢ってやろうではないか、エシくん!!」
「いいいいいや、悪いですよ、師匠!?」
「まあまあ、たまには師匠の私に華を持たせてくれても良んじゃない?」
「師匠ぉーーッ!!」
喜びに飛び込んできたエシを軽くいなし、早速飯屋探しに繰り出す。
夕暮れの街中、東門まで伸びる大通りを私は、顔面衝突によって平べったい顔に変形したエシを引き連れて歩いていた。そこでエシがオススメだという店舗前を通ったので、特に宛もない私はその店で晩御飯と行く。
半個室の四人席に二人で着席する。机上にはメニュー表が置かれ、観葉植物が所々に飾られて洒落ている。洋食店といった外見だが、
「所で……何屋?」
机の向かいに座るエシに訊ねると、エシはメニュー表を開いて説明する。
「ここはですね、師匠。唯一無二のダンジョン料理を振る舞ってくれる店ですよ!」
「ダンジョン料理?」
開かれたメニュー表には、メインから始め、サラダやアラカルト、ドリンクなど、それこそ種類に関してはどこも変哲ない普通のメニューが並ぶ。
「って思いますよね? ですが、この店は探索者を独自に持ってまして、ダンジョンからよりすぐりの素材を選別回収し、流通しない特殊な食材を味わえて評判が良いと、巷で言われてるとか言われていないとか定かではありませんが、フリューゲルに来たのであれば是非とも訪れたい一店ですよ!」
机を乗り上げて熱弁するエシ。あれ? 私何も言ってませんけど、また勝手に心の扉が開かれてるやないかい!
せっかくだから、私はこのメインディッシュを選ぶぜ! それからエシも、なぜか私に便乗して同じものを頼んだ。
しばらくして一人の店員が料理を手にやってきた。……と思った。そこには、肩に槌を掛けた一人の男。店員じゃないと理解するよりも早く、その槌は机を叩き割った。破砕音と共に飛び散る木片。エシはいち早く反応して椅子を弾きながら飛び退いたが、私は反応が遅れる。と、叩き落とされた槌をそのまま横へスライドし、席に座る私へと槌を打ち付けようとする男。ガードできる訳も無いが、反射で勝手に両腕でガード姿勢になる私。突如、槌は粘土のようにグニャリと変形したかと思うと、両腕の下に入り込んで腹部に打撃面がヒットしてしまった。車に轢かれたような強烈な衝撃、男はそのまま槌を振り上げ、私は勢いのままに窓を突き破って路上へ、打球のように放物線を描きながら吹き飛ばされた。
「クソが、何しやがる!!」
エシは魔納具から即座に長筆を展開し、攻撃後の隙を狙って男へと長筆を凪ぐ。男は即座に対応して槌を手に一歩後方へと引いた。
店内の客や店員たちは、槌の破砕音で皆、トラブルに気が付いて外へと避難していく。
「筆使いか! 久しく見なかったな!」
男は嬉しそうに槌を素振りしている。
「腐れ外道が、この愚行は安くは済まさねぇ。利息諸々払って貰うからなぁッ!!」
長筆を手に男へと飛び出すエシ。男は槌を構えてそれに相対する。
一方、窓を突き破って路上へと吹き飛んだ私は、全身擦り傷だらけで蹲っていた。腹部に鈍い痛みが走っている。ノーガードでもろに受けた殴打がしっかり内部に響いていた。吐き気に襲われて胃液を路上に吐き出す。当たりどころが良かったのが幸いか、骨まではやられてない。
魔納具から長筆を展開し、杖代わりにふらつきながら立ち上がった。店内ではエシが敵と戦闘中だろう。早く加戦しにいかなければならないと思いながらも、身体はまだ言う事を聞いてくれないのか、平衡感覚が不安定になってぐらつく。
周辺では、住民たちが異常事態に気付いて騒ぎになっていた。店内から出てきた客たちが、状況説明や警備隊への連絡を始めている。
すると、入口扉を派手に叩き壊して、男が出てきた。気楽に口笛なんか吹いて余裕げである。槌を肩にかけてこちらへと近付いてきた。
「狐火木ノ葉で、間違いないよな?」
新聞紙を手に文面を見ながら、そう訊ねる男。目的はどうやら私にあるらしい。エシは一体どうしたのか、まだ店内にいるのか。もしくは想像したくはないが……。
私は長筆をいつでも振れるように構える。
「そう言う君はどちら様で?!」
「ん、なんだ? 俺の事に興味があるのか?」
「ないけどほら、こういうのは自己紹介する流れじゃん?」
「はあ? 人間の常識とか良く知らねぇよー」
まるで自分が人間ではないと言うような物言い。会話を続けよう、少しでも時間を稼ぐ為に。時期に警備隊が来るだろう、それまでは。
「人間じゃないって事?」
「ああ、お前を捕まえろっていう上の指示で、わざわざ来てやったんだ」
話していて気持ちが悪い。吐き気とかの問題ではなく、ただこの男との会話に嫌悪感が湧かないという異常さ。明らかに敵である男からは、まるで敵意が一切感じられない。爽やかで軽快な声と表情。だからこそ、感情と事態とでズレが生じて不気味である。
「へぇ〜、じゃあお帰り願いたいんですけど、よろしいでしょうか!!」
長筆に魔力を込める。草原地帯とは違い、石材が基本の街中であれば、得意の火属性を存分にぶちかませる。
「お前も筆使いなのか……流行り?」
「せっかくだから私は、この赤の絵の具を選ぶぜ! 幻想色彩・夕景!!」
筆先に溜め込んだ火属性インクをスイングで放つ。宙に舞った赤のインク、敵との距離およそ三メートル程、問題なし。だが、そのインクは突然慣性を無視して真下に落下した。まるで磁石に引き付けられたようにまっすぐと地面に落ちて軽く焼き付ける。すかさず二撃目を放つも、同じように地面へ。
男は何も言わずに待ってくれる訳は無い。私の二撃目を放つタイミングで、肩にかけていた槌を振り上げ、叩きつける。しかし、三メートル先にいる私には明らかに射程外。かと思っていた私の頭上に、振り下ろされた槌の打撃面が現れた! それは一瞬の出来事。振り下ろされる槌は急に捻れて歪むと、それが私の頭上へと伸びたのだった。ゴムのように伸縮し、粘土のように変形した。私は慌てて前方に飛び込むように避ける。その回避の瞬間、私は気づく。回避で伸ばした手が、ぐにゃりと歪んだかと思うと、敵の目の前まで自分の腕が伸びていた。何を言っているか分からないと思うが、私も何をされたのか分からなかった。腕がどうにかなっていた。幻覚だとか、ゴムゴムだとか、そんな幻想なんかじゃあ断じてねぇ。もっと異質なものの片鱗を味わったぜ。
驚いて手を引っ込めて確認すると、歪に伸びたはずの腕は元通りに。頭上から振り下ろされていた槌も、気が付くと男の手元まで戻っている。そこで私は何となく男の能力を察した。
その時、
「インクジェットヴェント・汀撥!」
男の背後、店舗の壊れた窓から青いインクの弾が飛翔してきた。しかし、男に着弾する直前でまたも、垂直落下し、破裂音と水飛沫が舞って地面にヒビが入る。
「師匠ッ、無事ですかぁ?!」
窓から飛び出したエシ。そう言うエシは頭からダラダラと血を流していた。明らかにそちらの方が重傷である。
「なんだ、生きてたのか!」
「エシ!! こいつは空間を伸縮するっぽい!!」
あくまで推察の域を出ないが、槌が伸びたり、私の腕が伸びたりしたのは、ある特定箇所の空間を歪めた事が原因だと思われる。ただ、本当に空間を歪めたのならば光の屈折などの原因で、視覚に映る全てが歪まなければ辻褄が合わない。
そこでご都合的条件指定がある。この能力は指定空間に触れた一定サイズの物体のみに作用するらしい。結果、空間の歪みで景色は歪む事がなく、一方で指定空間内にある目に見える物体はしっかり歪んでいる。何ともややこしい。物体を引き伸ばす能力と言う方がよほどしっくりとくる。ただ、私の手が無意味に引き伸ばされたのを見るに、物体を引き伸ばす能力ではない。指定空間を引き伸ばし、そこにたまたま触れた私の手は能力の影響を受けた。それが無意味な引き伸ばしの答え。こちとら地球で散々漫画を読み漁っている。異能のあるあるはたかが知れている。
「お前、なかなか鋭い奴だな。だいたい合ってるよ、それで。俺の波動『リサイズホール』は空間を引き伸ばす能力だ」
そう言う男の顔は、当てられた事が嬉しいのか笑顔を浮かべている。推察は正解だったが、だとするなら相当厄介な相手だ。今昔、時間や空間を司る能力持ちはボスキャラ扱いされている。弱い事例を見たことがない。
「例えば、こうして背後を取るのも容易だ」
男の声は耳元でそう呟く。瞬きに満たない僅かな時間で、男は私の背後へと移動していた。冷や汗が湧くのと同時に前へ駆け出す私。空間を伸縮できるのなら、
「幻想色彩・夕景!!」
先程まで男が立っていただろう地点に向けて火属性インクを放つ。着弾の瞬間、インクは宙から消えると、私の背後で爆発を巻き起こした。つまりは背後に回ってきた男にヒットしたという事。推察が正しいなら、男は移動していない。空間を歪める事で瞬間移動したように見えるが、本質は歪めた箇所に留まっている。
私の攻撃がヒットしたからか、波動は解除されて目の前に爆煙が立ち込める。
一方の私は、背後に立たれた男に攻撃した際の爆風を受け、背中を軽く焦がしながら地面を転がり、元の男がいるだろう位置まで距離を縮めてしまう。目の前の爆煙を割いて、男の足が倒れる私を蹴り飛ばした。そこにはビクともせず、火傷の一つもない男が立っている。攻撃が外れたのか?
「いいや、しっかり受け取った。問題は火力不足だな」
直後、男の後頭部に水飛沫が弾け、破裂音を響かせた。後ろを取ったエシが放った水属性インクによる攻撃だろう。
「敵に背中を見せるなと教わらなかったか、クソ野郎!」
「敵に背中を見せるなと教わらなかったか、クソ野郎?」
「ッ──」
またも瞬時に背後を取る男は、エシの背に向けて槌を薙ぎ払い、そのまま旋回してエシの身体を店内へと投げ飛ばした。ガシャンと看板を吹き飛ばしながら店内へと転がっていくエシ。
後頭部に与えたエシの一撃、それもまた無傷で済んでいるようだ。防御力が桁外れに高いのかもしれない。
気が付くと男はまた元の位置に戻っていた。私の時といい、エシの時といい、男は路上から一切動かずに攻撃してきている。
「火力不足……ね」
瞬間、男の体は炎の柱に覆われた。設置型インク攻撃、幻想炎柱。一番最初に放ったが、地面に落とされたインク。その残留から遠隔で放った炎柱。誰も地面に落ちた後のインクなんて気にもとめないだろう。だから初見は必ずヒットする。
しかし幻想炎柱も意をなさなかった。男は炎柱に燃やされながらも槌を振り上げると、地面に思い切り叩きつけて炎を消し飛ばした。炎柱でも火傷にすらならない。
「悪くないが、まだまだ火力不足だ。もういい加減終わりにしないか?」
そう訊ねられた直後、男は手を伸ばして私の首を掴んだ。片手で軽く持ち上げられ、呼吸を止められる。その最中で何とか長筆を振って男の腕に攻撃するも、当然効かなかった。このままだと窒息する。苦しくなる程に頭は回らなくなり、バタバタとただもがくだけしかできなくなっていった。男の腕をガリガリと掻きむしるも、鋼鉄のように固くて何一つ意味をなさなかった。
「しばらく眠っててくれ。殺しはしないよ」
視界が暗くなっていく。ヒヤリと冷たいものが身体を覆っていった。途端に身体は楽になり、一気に噎せ返る。首を絞めていた手が離れたらしい。咳き込みながら、目の前を確認すると、そこにはまだ男の姿があった。時が止まったように身動き一つ取らない男。そして気付いた。男の身体を覆う氷の存在に。地面に転がる長筆の筆先から伝い、私の下半身までと男の全身が瞬間的に氷漬けにされている。
「師匠……無事ですか?」
明らかに無事では無いエシが、ふらふらとこちらへ近付いてきた。氷漬けになっている様を見て、目を丸くする。
「あははは……めちゃくちゃ冷たい。とにかく、そこの長筆を取ってもらえる?」
氷漬けで動けない為、エシに長筆を拾ってもらい、火属性インクで下半身の氷を溶かして脱出する。敵の男は固まったまま動く気配はなかった。
「師匠……すげぇっすよ!!」
「あ、あははは……はは」
終わったと理解した瞬間、一気に身体の力が抜け、私は意識を失う。貧血のようにふらっと浮遊感を共に視界は暗転した。
そのまま倒れる所を咄嗟にエシが抱える。
「師匠?! まずい、病院だ!!」
エシは意識を失った私を背中に乗せると、大慌てで病院へと駆け出した。エシ自体も血だらけで充分重症なのだが。
数分後、路上で氷漬けにされている男の周りに、住民たちが集まり始めていた。警備隊はその場を収束する為に、男の回収を始めようとする。その時、氷は突如ヒビ割れると、男は氷の中から飛び出した。目の前の警備隊を槌で払い除ける。
「ふぅー……これは効いたよ、狐火木ノ葉」
「動くな!」
警備隊員たちが照準を男に合わせて構える。周辺の住民たちは他の隊員が避難させている為、付近には警備隊と槌使いの男のみだ。
男は笑顔を崩さぬまま槌を手に、警告を無視して警備隊員たちへと歩み寄る。威嚇射撃をするも怯まぬ男。一人の隊員が槌を持つ手に狙いを定めて銃撃を放った。しかし、銃弾は鉄板に当たったように跳弾する。狼狽える隊員。直後、男の姿が消えたかと思うと、警備隊員たちが一気に吹き飛ばされた! 男が瞬間移動して槌を振っているのを他の隊員が確認し、一気に戦闘態勢へ。だが、誰も男の屈強な体に傷一つ付けられず、皆あっという間に蹴散らされてしまう。
その中で、一人の少女は避難誘導を無視して路上を歩いていた。警備隊員が慌てて少女を止めようとするも、少女はまるで言う事を効かずに男の元へと近寄って行ってしまう。
「…………」
無言で現場を眺め、立ち尽くす少女。警備隊員たちが地面に転がる中、一人槌を手に笑顔を浮かべる男は、その少女と目が合った。
「どうした? 子供が一人でこんな危ない所へ?」
少女は無表情で男を見つめる。
「可愛げの無いお嬢ちゃんだ事……いや、待て。お前、その姿は……青髪と真紅の眼……まさか……」
何かに気付いた男。先程までの笑顔は薄れ、眉間にシワを寄せる。
少女は口を開いた。
「一つ、聞いても良いですか?」
「……なんだ?」
「人生に悔いはありませんか?」
文章をただ読んだように感情がまるでないような少女の言葉に、男は槌を構える。僅かに少女から漂う殺意を感じ取る男。嫌な予感が男の脳裏を過ぎる。
「悔いね、パッと思い出せる悔いはないな」
「まあいいですよ、どうせ救いはありませんから」
男は波動で少女の頭上へと移動すると、槌を真下へと叩き落とした。少女は槌に潰されると破裂して肉片を四散させる。その一撃は少女を潰して尚、止まらずに地面に打ち付けられると、鉄の響音と破砕音の後、大通りに直径三メートル程の凸面ができた。
誘導係の警備隊員がその様を見て悲鳴を上げる。陰に隠れて野次馬中の住民も、その惨状に目線を逸らした。少女を四散させて尚、男は槌を執拗に振って散らばる肉片を叩き潰していく。
近くの警備隊員は銃を手にすると、槌で肉片を潰している男へ目掛けて発砲した。銃弾はやはり全てが跳弾して、傷一つ付かない。
「学習しな? 銃じゃ俺は倒せない」
男は警備隊員の銃撃を無視して、引き続き槌で肉片を磨り潰していく。すると突然、男の腹部に痛みが走った。内部から電気が走るような尋常ではない痛み、その後、腹を貫いて内部から人の腕が飛び出してきた! 男は痛みに呻き、赤く鮮血で染まった腕を腹から引き抜いて投げ捨てた。地面に落ちた一本の腕は、うねうねと生き物のように地面を這い始める。
「禁忌の逸材と言われるまではある……」
男は腹を手で押さえながら、地面を這う腕を足で踏みつけて潰す。腕は容易く潰れ、液体のように溶けていく。そうして肉片を踏み潰す男は、何の前触れもなく急に全身が膨らんで爆散した。槌は地面に音を立てて倒れ、直前まで男だったそれらは路上に飛び散って路上を鮮やかに彩る。その惨憺たる光景に、傍観者の中には内容物を吐いてしまう者や失神する者も出た。男の素性は判明する事無く、事態は収束する。なぜ店を破壊したのか、何者だったのか、動機は何なのか、一切は迷宮入りして幕は下がったのだった。
鈍い痛みで目を覚ました。石材の天井が目に映る。顔を横に向けると、ランプがほんのりと部屋を照らしていた。どこか寝室のベッド上に寝かされている。
「師匠、大丈夫ですか?」
ベッドの横で、エシは椅子に座って待機していた。頭の出血跡が固まって黒く変色している。
ぼんやりとした思考を回しながら、痛む身体を起こした。
そこは、フリューゲル東部臨時病棟。災害によって先日取り急ぎで立てられた病棟である。私が気を失った後、エシがここまで運んできてくれたらしい。
「……いや、エシの方が大丈夫って感じなんですが……」
「心配いりませんよ、師匠! 見ての通りピンピンです! あんなクソ野郎の一撃じゃ、屈しませんから!」
「ありがと、エシ」
「へへ、ふへへへ、弟子として当然の事をしたまでですよ、へへへ」
ものすごいキャラ崩壊を感じさせるくらいの溶けた笑顔で照れるエシ。
「それよりも師匠! 一体どうやって氷属性を習得したんですか?!」
エシは食い入るように訊ねる。長筆は利用可能な属性が決まっている。火、水、雷、風、の四属性。他はバフ、デバフ系統。氷属性は長筆では本来利用不可能だ。私自身、意思を持って氷属性を使用した事はない。あの氷属性の一撃は、長筆の意思。そうとしか説明が付かなかった。私の身に危険が及んだ時にだけ、私を守ってくれる雪ちゃんの力。あ、たまたま雪ちゃんと長筆に名付けたけど、まさしく雪ちゃんだった。
「……あれはその、偶然できただけというか、なんというか」
エシには詳しくは明かさずはぐらかしておく。長筆に魔力供給を手伝ってもらって自身には魔力が一もないなんて、師匠の立場がないからだ。なんていつの間に私は師匠のメンツを保とうとしているのか。
「やあ、何やら大変だったみたいだね」
急に重低音の声が部屋に響く。急でビクッと身体が震えた。肩に巻いてある発光する包帯が伸びて目の前に出てくる。ノスタルだ。
「びっくりしたあー! 心臓止まるかと思ったよー!」
「君がしんでいたから報告が遅れてしまったけど、あれから独自に調べたんだ。そして、見つけたよ。レヴィアちゃん宅」
ノスタルはそう言った。どうやら今の今まで、受付嬢の自宅について調べていたらしい。手段についてかなり興味がある所だったが、これでようやく受付嬢の誤解を解く事が出来る。
「良し、行こう!」
私は痛む身体を無理にでも動かしてベッドを下りる。自力で立ってみると、腹部にじんわりと痛みが走って不快だった。立って初めて気づいたが、全身包帯が巻かれている。吹き飛ばされて擦り傷だらけになった結果だ。服の下を確認すると、腹部には湿布か何かが追加で貼られているのが分かる。
「師匠! 無理しては身体に障りますよ?!」
その言葉、そのまま返したい所だが、残念な事に言い返せる程の元気はなかった。耐久性では明らかにエシに分がある。
「大丈夫! 行こう! 今じゃないと、今日中じゃないとダメなんだよ、エシ!」
「医者の僕としてはあまり賛同し兼ねるけども、止めはしないよ。行きたいならば案内するからね?」
発光体のノスタルは重低音でそう言う。失礼かもしれないが、節々に重低音が響いて痛い。
「ごめんねー、狐火くん」
ノスタルは裏声で言った。それはそれで耳につくから、やっぱり無しで。
そうして私とエシは臨時病棟を後にする。ノスタルとの予定時刻より二時間遅れ。夜が深まり始めていた。
それからノスタルのナビゲーションに従って街を縫い、受付嬢宅前へとやってきた私たち二人。幸い、臨時病棟からそう遠くなかったので何とか辿り着けた。それでもかなりしんどくはある。整備点検は定期的に。
「……なんか夜間の訪問って抵抗感あるよねえー」
菓子折りの一つでも持ってきたら良かったのだろうか。そもそもコミュ症は訪問の入門にも至らない。受付嬢が早寝タイプじゃなければ幾分かはマシだろうか。
そんな事を考えながら、扉ノックを渋っていた私。直前になって謎の緊張感に襲われていた。
すると、ノスタルが勝手に扉をノックし始めた。ぶわっと一気に汗が滲む。
「ちょっ、何を四天王?!」
「じゃ、頑張ってねー」
ノスタルは捨て台詞を吐くと、元の発光する包帯へと戻って行った。緊張で筋肉が強ばる。今か今かと内心でメトロノームが加速していく。
ノックから十秒ほどで、中から足音が近づいてきて、扉が開かれた。そこには完全にオフでパジャマ姿の受付嬢がいた。私たちの姿を見た瞬間、驚いて固まる受付嬢。
「あ、あのぉ〜、ちょっとお話を──」
受付嬢は問答無用で扉を閉めにかかった。ので、私は咄嗟に足を挟み込んでそれを静止する。
「なっ、なんスか、こんな夜に?!」
「話を聞いてよ、レヴィアちゃん!」
「……え、な、名前……なんで?」
私が受付嬢の名前を知ってる事に動揺して手が疎かになったタイミングを狙い、扉を開いて半ば無理やり押し入る。レヴィアはアワアワしながら後退した。
「まあ、色々あってね。まずはエシについて、誤解してるから言わせてよ。エシは彼氏じゃない」
「そ、そうですよ! 自分は単なる弟子です! 師匠のような人間に、自分が釣り合うわけないじゃないですか!」
レヴィアはそれを聞くと、その場にへたりこんだ。
「そ、そうっスか……ごめんなさいっス。私の早とちりッスね、ははは……」
レヴィアは悲しげに笑った。自分の勘違いで勝手に私を拒絶しようとした、自分が哀れで仕方がないと。
私はへたり込むレヴィアに合わせてしゃがむ。
「それと、伝えたい事があるんだけどさ」
「……なんスか?」
一呼吸だけすると意思を固める。
「私は可愛い子を見るとすぐアプローチしちゃう悪癖がある、いやそれは言い訳なんだけど……好きって気持ちには素直でいたい。だから、しっかり伝える事にした! 好きです、だけど……私は君と、デートはできない」
初めはこちらから誘っていた話。それを本気で受け止めてくれたレヴィア。裏切るような形になってしまったが、それを嘘で片すのは自分の信念に反する。もう後悔はしないように、心残りは全て曝け出すと決めた。
それを聞いたレヴィアはくすりと微笑む。
「ふふっ、良いっスよ、英雄さん。でも少し残念かも」
「優柔不断で浮気性で意気地無しな私で良かったらさ……まずは友達から始めてくれますか?」
ここに来て、やはり私はチェリーだった。保険に保険を重ね、保険は加速する。結果、自分に都合の良い『友人関係』なんて曖昧で一歩引いた結論を叩き出した。お断りだと言って外に叩き出されても文句は言えない。
でも、レヴィアは笑顔で答える。
「はい、よろしくっス!!」
純粋無垢だった。
こんばんは、あなたの暇人。どうも、星野夜です。暇があれば手を取っていただきたい我が小説ですが、暇潰しができるか否かは趣味次第。人によっては潰し損ねてダマになってしまうので要注意。咀嚼次第でどうにだってなるさ。
さあ、気が付いた時には前話から一ヶ月が経とうとしてました。これが当作者の遅筆たるもの。安心してください、生きていますよ。
生存報告を終えた所で、本日第17話。諸事情により、普段の二倍増しでお送り致しました。これが計画性のない当作者の執筆。
さて、次回からようやっと第三章後編に入るらしいですね。相も変わらず遅筆で続いていきます本作。気が付けばもう早七年過、時間の流れは残酷である。七年が過ぎようとも速度も語彙もまるで成長がない。これが怠惰を貪る当作者の人生。
誰がなんと言おうと、来世に期待系小説家、星野夜でした。




