『古傷』
…………寒い……寒くて痛くて、苦しくて…………私は泣いた。泣く事だけしか持ち合わせていなかった。
「……どうしたの? こんな所で……って分からないよね? さあ、行きましょう」
何を言われているかすら理解もできない。誰か知らない人間が私の体を持ち上げる。ゴツゴツとしてカサカサな肌、でも暖かくて……泣き疲れた私はゆっくりと眠りに就いた。壊れてしまいそうな心を抱かれたまま。
「お母さん! 見て見て! 変なの!」
晴天の下、爽涼な風がそよぐ森林の中。木漏れ日に照らされて、一人の少女は無邪気な笑顔で走り回っていた。エシラ山麓、夏期は魔界から吹き込んでくる冷気を纏う風が気温を下げる為、過ごしやすい気候になっている。その上、木々が生い茂る深森は直射日光を防ぐので、真夏日に走り回っても汗をかかない。
茶褐色の肌と黄色の髪をなびかせながら、小さな女の子は母親の元へと駆けていく。どこから拾ったのか、緑色の木の枝を手に。
「それはダメよ、捨ててきなさい。その木の枝はね、毒があるから手に刺さると大変よ?」
「はあーい」
少女は母親に諭されて渋々木の枝を放り投げると、母親の足に抱きついた。
「お母さんお母さん! 今日はね、いーっぱい遊んだ! おもしろかったあ!」
「ふふふ、そうなのね。疲れたでしょう? 昼御飯にでもしましょうか」
草木がざわめく森の中、少女は母親と手を繋ぎ、帰路へと着く。
エシラ山麓に住む少女とその母親。彼女たちはネイゲル族と呼ばれる民族の一人で、植物を摘み取り、動物を屠殺し、森の中で生きる狩猟民族だ。日中は、木を加工し作った銛で川魚を突いたり、毒のない植物を摘んで族中の食物を集めている。日が落ちると、キラーと呼ばれる狩人が弓矢を持って、夜闇の中で眠りに就く動物を狩って肉を手に入れていた。ただ時折、ネイゲル族の縄張りには、エシラ山近隣に所在する一つの街『フリューゲル』から人々が迷い込む事がある。フリューゲル民とネイゲル族は対立した関係にあり、縄張りに一歩踏み込もうものなら、見つかり次第にネイゲル族民によって、フリューゲル民はその命を絶やす事となる。その侵入者を屠殺する役目もまた、キラーの仕事の一つだ。
そんなネイゲル族の少女はキラーを目指すために弓矢の技術を母親によって鍛錬されていた。ただ少女は一向に射撃能力が向上することはなかった。
「あらあら、また外したわね、ふふふ」
「おーかーあーさーんっ!! この弓矢作り直した方がいいよおー!」
「弓矢のせいにするの禁止よ」
「う゛ーーっ!!」
癇癪を起こしつつも、背負う矢筒から一本、矢を引き抜いて番える。片目を瞑りながら、少女の射程範囲5メートル先の木の幹に土で描かれた、的の中心に焦点を合わせる。先程昼御飯を済ませた少女は眠気に襲われながらも、霞む視界の中で張り詰めた弦を離した。風を切りながら飛翔する一本の矢は、風に煽られて射線を切り、別の木の幹に突き刺さる。的の周囲に数十本、犠牲となった木の幹がそこにはあった。
また外した少女は不機嫌そうに自身の持つ弓をジロジロと観察して、あたかも自分がミスしたのではなく、これは装備の欠陥だとでも言いたげだった。
「お母さん、弓矢はやっぱりできないよー」
「困ったわねえ」
二点間およそ5メートルは子供の、それも初心者向けの距離設定。それを的すら掠めずに外してしまう。致命的な命中精度であった。キラーたちは夜間、視界が機能しにくい中で十数メートル先を射抜くだけの能力が必要だった。射線がブレないように身を構えて、冷静に迅速に、矢を番えて放つ。経験が物を言う所だが、数年経っても上達には至らない少女。的の周囲にのみ突き刺さる矢、ある意味、的以外を撃ち抜く才能と言える、などと悪あがきする少女。
「キラーになれなくても、将来、私がいなくなっても一人で生きていけるように、この技術は覚えておいて損はないのよ?」
「できないものはできないもーん!」
頬を膨らませてお手上げ状態の少女。これだけ射撃能力がない少女だが、刀を扱うのは人一倍上手だった。キラーに、木刀での指南を受けた際には褒め讃えられていたほどだ。
「ナイフとかじゃダメ?」
「獣の足に追いつけるならね」
「むぅううううりぃいいいいい!!!」
日が落ちて夜の帳が落ちる頃、森林の中に作られた一つの小屋の中で、少女と母親は晩御飯を取っていた。ただでさえ日を遮る深い森の中、夜間は月明かりも完全に遮断されて真っ暗闇に包まれる。松明の明かりは木々に燃え移るために使うことは無く、ネイゲル族は照明の役割として蓄光石を利用している。蓄光石は、空気中に漂う魔力を吸収して光に変換する能力を持つ鉱石だ。天井に吊るされた蓄光石が、小屋の中を白い光で照らし出してくれている。
食卓には今日の晩御飯だろう木製食器に盛り付けられた料理が並べられていた。食事の最中、少女は突如、右手に激痛を感じて持っていた食器を落としてしまった。業火に焼かれるような痛みが走って、少女は泣き出した。
母親は少女の右手が真っ赤に腫れ上がって水疱ができているのに気が付き、すぐさま応急処置を施す。棚から取り出してきたのは、円形のような腎臓形をした一枚の葉っぱ。所々に灰白い斑点が入った特徴的な見た目をしているそれを、泣きじゃくる少女の右手に巻き付けた。これは『ストロノスノウ』と呼ばれる植物で、火傷などの傷に貼り付ける事で治癒する効果があるとされている。
「痛いよね、よしよし。ほーら、泣いてるとせっかくのお化粧が台無しになっちゃうわよ?」
痛くて泣いている少女を撫でながら慰める母親。涙に濡れる少女の顔はぐしゃぐしゃで、茶褐色の肌が変色して肌色が顔を覗いている。涙で皮膚が変色したのではなく、少女は元々肌色の肌を持つが、その上から土化粧を施してネイゲル族の母親と同じように茶褐色に肌色を誤魔化していたのだった。母親はそんな少女の顔に塗りつけた土化粧を拭き取ると、少女をベッドに寝かせる。
「明日には治るわよ、おやすみなさい」
「お゛やずみなしゃい……」
涙目で鼻をすすりながら、少女はそう返すと寝苦しそうに唸りながらもしばらくすると眠りに就いた。
どれほどの時間が経過しただろうか。気が付かない間に眠りに就いしまった少女は、突然の騒音に飛び起きた。何かを破砕する音がして、複数人の足音が小屋の中に入ってくる。少女は恐る恐る布団から顔を覗かせると、そこには卓上に座る母親と、小屋の出入口に数名のネイゲル族のキラーの姿があった。無理やり蹴破ったのだろう、ドアだった木片が小屋に散っている。
「こんばんわー、奥さん。ちょーといいかなー?」
キラーの男はズカズカと小屋に上がり込むと作業をしている母親の目の前へと歩み寄ってきた。
「何をしに来たのよ?」
空気が重たく伸し掛かる感覚がヒシヒシと伝わってくる。普段は見せない剣幕を顔にする母親の姿にベッドに寝ていた少女は起き上がって声をかけてしまう。
「……おかあさん?」
寝起きで完全にボケていたのだろうか、土化粧を落としたスッピンの顔をキラーたちに確認をされてしまう。
「率直に訊きますが、あちらに寝ている少女を渡してもらえますでしょうか?」
ニコリとはにかみながら、キラーの男は上から目線で母親へと了承を取ろうとしている。
「断ります!!」
母親はそう叫ぶと瞬間、机を蹴りあげてキラーの男にぶつけると、椅子を吹き飛ばす勢いでベッドにいる私の元へ。
「逃げるわよ、さあ!」
母親に持ち上げられてベッドから出される。そんな少女はと言うと、困惑して固まってしまっていた。
「え……お、おかあさーー」
その瞬間、母親の背中を一本の矢が襲いかかった。キラーの男が射っただろう矢の一撃は華奢なその身を意図も容易く穿ち、少女の顔を掠めて背後の壁に刺さった。断末魔の声にならない叫びと血飛沫が、少女の顔にベッタリと恐怖を彩る。
「では、あなたもご一緒に土の源へと還っていただきましょうかー」
母親の背後、出入口から侵入してきた複数人のキラーたちは皆、一張の弓矢を構えて佇んでいる。
「……に、げる、のよ……」
血を吐き、背から胸部へ一直線に穴を空けられた身体は掠れ声で少女に言葉を紡ぐ。母親のその姿に、肌色の頬を涙が伝った。
「その命、無駄にはしません。ガスター様はあなたとそこの少女を赦してくれますよー」
弓矢の照準を母親に向けながら、男は優しげに声をかけてくる。母親は少女を押して一歩引かせると、血を吹く身体を持ち上げて少女を庇うように背を向けて立ちはだかった。
「そうはさせませんよ………….私は……この子の母親なのだから!」
吐血しながらも力強く言い放った言葉は次に放たれる風切り音によって消されてしまう。一斉に放たれた幾数本の矢の餌食になった母親は身体から矢を生やして息を絶った。
「さあ、大好きなお母さんが待っているよー? と、あれ?」
少女の姿は既に小屋の中から消えていた。身を呈して守ってくれた母親の数秒の猶予に、裏口から飛び出して闇夜を何も持たずに駆け出したのだ。
一寸先は闇とはまさに。闇夜の森を訳も分からずひたすらに、真っ直ぐ真っ直ぐ裸足で駆けていく少女。顔は血飛沫と涙でぐちゃぐちゃ、まともに前も見れていないので木の根や草の蔓に足を取られて転けに転けて、身体中、傷だらけで土に塗れた。
その最中、一本の矢が横を素通りして木の幹に突き刺さった。背後、追っ手のキラーによる追撃。死神が刻一刻と迫り来る恐怖、母親が殺された現実を目の当たりに、気が狂いかける少女。その脳裏に声が響く。
『目を、つぶって』
確かに届いたそれは母親の声。少女は恐怖の中で縋るようにその声に従って瞳を閉じる。瞬間、少女の身体から閃光が放たれた。闇夜の森の中を照らし明かすその光量に、追っ手のキラーたちは目を潰され、一同痛みに悶えている。
「さあ…………行くのよ、ノヴァ」
小屋の中で息絶え絶えに、聞こえるはずもない空気のような声で言い残す母親は、全身に矢を受けているのにも関わらず、ニコリと笑みを浮かべると、そのまま動かなくなった。
ゴンッ!!
「……っ!」
目をつぶったまま遁走する少女は目の前の木の幹にぶつかってしまった。つぶってた目を見開いて、辺りを確認しつつ、ふらつきながらも立ち上がり、再び駆け出す。背後に追ってくる気配はなし。何が起きたのか理解はしていなかったが、母親が助けてくれたのだと少女はそう察して、涙を流しながら必死でただひたすらに走る。
やがて、走る力もなくなり、惰性で歩き続け、疲労が限界に達した頃、雪の積もる地に倒れ込んでいる少女は、雪景色の中に一つの建物を見つけ出した。灰色の石材を積んで造られた頑丈そうな一軒家。人の気配もなく、廃墟となってから時間が経過していて古びている。仄暗い空の下、疲労と孤独を身に感じながら、少女は冷たい雪の上を這いつくばって、その一軒家に身を隠す事にした。
ネイゲル族内でも見る事のない石材製の家。窓に透明な謎の材料が使われていて、外から中が覗けるようになっている。暗い室内は時が止まったように暗くて静かだった。少女は木の枝を拾って窓に設置された透明のバリアのようなそれを割ると、中へと侵入する。屋内に入ると、そのまま死ぬように眠りに就いた。
どうも、こんばんは。今年の夏も毎年変わらず寝室にこもって執筆に勤しむ星野夜です。
今年も海には行かず、祭りにも行かず、お部屋御守りでカプ麺啜りながらYouTubeでした。
さて、今回は静電気少女こと、ノヴァの過去話を読んでいただきました。
次回は第32話。ネイゲル族に追われながらのエシラ山脱出へ。




