後日譚③
「就職試験を受けましょう」
九月に入ってから、学校は、特に材料科はピリピリしていた。それも、生徒ではなく教師側が。
原因は一つ。工業高校の最大の目標といえる、就職試験が間近に迫っているから。
九月の中旬に試験が解禁され、ほとんどの企業が解禁日に試験を行っている。皐月が受験する企業もそれに漏れない。今週の金曜日。あと三日である。
皐月からすれば、ここまで来たらなるようになれ、といった心境であるが、教師側となればそうはいかないらしい。生徒が無事に就職できるように、というのは勿論であるが、就職率が学科の、ひいては教師個人の評価にも直結する。そのためか、実習や専門科目といった、学科内で完結する科目は全て面接の練習に充てられていた。空き時間は過去問による試験勉強。さすがにここまで来ると食傷気味である。ちなみに、公務員や進学志望の生徒は自習時間。正直、羨ましい。
母校訪問に来ていた先輩曰く、学校とのコネもあるので、よほどのことがない限りは落ちたりはしないらしい。だが、人事を尽くして天命を待つ。その域まで達しないことには不安が拭えないという、教師側の気持ちもわからなくもない。
そんな訳で、今日も面接練習で残業。学校を出たのは19時前であった。成美と一緒に駐輪場に向かう。
「はー、ザビエルの顔はしばらく見たくねぇな」
成美は毒づきながらヘルメットを被る。ザビエルとは県外就職組を担当している教師のことだ。綺麗に頭頂部が禿げているので、先輩いわく材料科で長年呼ばれ続けている由緒正しいあだ名だそうだ。
「まぁなー。面接練習もいい加減に飽きたよ」
皐月もヘルメットを被る。時期が時期、時間が時間なだけに、3年の駐輪場には原付も自転車もほとんど停まっていない。材料科だと皐月達が最後であった。他の科にはまだ一台か二台停まっている。どの科にも一人か二人は、有名企業を受けるエースがいるのだろう。エースゆえにみっちり練習されられるようだ。
ちなみに皐月も成美も、帰りが遅くなったのは、面接の練習後に職員室のテレビで野球中継を見ながら駄弁っていたためであり、エース扱いというわけではない。他の県外就職組は電車通学なので、少し早めに帰っていた。時間に縛られないのは原付通学のいいところであるが、自制が効かないとこんな時間になってしまう。良し悪し、といったところだ。
「なるちゃん、俺、晩飯ないからコンビニ寄って帰るわ」
「ん、弥生さん遅いのか」
「おー。親父に相談したら、親父も帰るの遅くなりそうだから弁当買って帰れとさ」
弥生は最近、残業が増えた。任せられる仕事が増えたのだそうだ。そういうわけで、最近は夕飯が遅くなることが多い。父もそんなに早く帰って来ないので、皐月が簡単な料理を作ったり、はたまたコンビニ弁当だったり。あまり褒められた食生活ではない。
「はー、お前んとこも大変だな」
「まぁ、一人暮らしの予行演習と思えばな」
就職できたとしたら社員寮暮らしになるだろう。そのときに料理も洗濯もできないとなると色々苦しいだろうから、これもいい機会である。
ともあれ、成美と二人で家路をたどり、団地の最寄の黄色いコンビニに入る。成美が立ち読みをしている間に、カップ焼きそばとコーラのペットボトルを買う。せっかくなので、皐月も漫画雑誌を立ち読みしていると、後ろから声をかけられた。
「あら、輩が立ち読みしてると思ったら、二月クンじゃないすか」
新月だ。人間の姿に化けていて、手にはレモンティーのペットボトルが握られている。支払いを済ませているのか、ペットボトルにテープが貼ってあるのが見えた。
「だからどこが輩だって。どう見ても普通の好青年だろうが」
就職試験に備えて、先週に髪を整えたので、髪の茶色い部分はなくなった。学校帰りなのでシャツの裾は出しているが、それぐらいは誰でもやるだろう。
「どうして新月さんがこんなとこにいるんだよ」
「いや、仕事でこっち来てたついでにジャスコに寄ってたんすよ。その帰りっす」
「なんでジャスコに。どこにでもあるだろ」
「二月クン、知らないんすか? あそこのCD屋、結構品揃えがいいんすよ。ちょっと見て帰ろうと思って。お目当てのはありませんでしたけど」
そういえば、インディーズのバンドが好きな姉もジャスコのCD屋の品揃えを褒めていた。新月もそういう趣味があるのだろうか。
「二月クンこそこんな時間に何してんすか? 制服でコンビニにたむろしてるから輩に見えるんすよ」
「今は学校帰りだよ。二人とも就職試験の面接練習で残業してたんだ。試験、近いからな」
「ああ、隣の子はお友達っすか。近いって、いつすか?」
「金曜だよ」
「すぐそこじゃないっすか! 言ってくれたら壮行会してあげたのに」
「いいよ、別に」
日曜に髪を切ってから、霞と食事をした。それが壮行会である。新月や巻雲に気を遣わせるのも悪いので、内緒にしてもらっていたのだ。
「じゃあ、あんまり時間取るのも悪いっすね。友達さんも試験、近いんすか?」
「ああ、はい。俺も金曜す」
成美が軽く会釈する。彼も皐月と同じく、金曜日に試験がある。
「二人とも、試験頑張ってくださいね。……こんな美少女に応援してもらったら、やる気も出るでしょ?」
嬉しくないわけではないが、自分で美少女とか言うか。二人とも同じことを考えたのか、苦笑いで返答する。
「あー、失礼なこと考えてますねー! いいっすよ、帰ります!」
「ああうん、霞さんによろしく」
「よろしくも何もないでしょ。毎日話してるくせに」
確かに最近、隙を見ては霞と電話しているので、電話代が笑えない額になってきている。
新月は悪戯っぽく舌を出すと、店から出て行った。雑誌売り場のすぐ前にクルマを停めていたようで、乗り込む前に手を振ってきたので、手を振って返答。
「キサ坊、今の人は知り合い?」
「ああ、彼女の友達だよ」
「なんていうか……いや、うん。可愛いとは思うけどな」
「なるちゃんが何を言おうとしてるかはわかる」
新月は自称美少女だが、黙っていれば自称だけではないと思う。あくまで黙っていれば、だが。
木曜日。試験は金曜日に予定されているが、会場までは電車で二時間ほどかかるため、会社がホテルを融通してくれていた。皐月以外にも、希望者は前泊という形であり、ホテル代は会社持ち。しかも朝晩の食事つき。太っ腹だ。
そんなわけで、皐月は昼で早退し、今は弥生の運転する軽自動車に乗っていた。弥生も今日は早退してくれたのだ。
「準備はどう? バッチリ?」
会場までの近道、ということで山道を走っている。弥生は休みの度に出掛けているので、道にはかなり詳しいようだ。
「バッチリ……かな。過去問は完璧だけど」
学科試験のほうはひたすら過去問を解き、平均80点は取れるようになった。問題は面接である。想定される質問は一通り覚えたが、どんな不意討ちがくるかわかったもんじゃない。
「あとは面接かしらねー。想定外の質問が来ても、どれだけ冷静でいれるかがカギね。あたしの友達も結構テンパってたそうよ」
「姉さんはそういうのあったのかよ?」
「あたしは特に。志望動機と高校で頑張ったこと、アピールポイントぐらいかしらね。あとは世間話して終わったわ」
「えー、いいなそれ」
「まぁ高卒だと学校とのコネで取ってるみたいなものだし? あたしんとこもちょうど若手が欲しかったらしいしね」
母校訪問に来ていた先輩と同じことを言っている。少し気が楽になった。
そうこうしているうちに、ホテルがある駅ビルに到着。弥生は入口のロータリーに車を停める。
「んじゃ、がんばりなさい。終わったら一言ちょうだいね」
「ああ、うん。ありがとう」
替えの下着と筆記具なんかが入った鞄を持って、車から降りる。ホテルに入る前に、ネクタイの具合とシャツの裾を確認。うん、悪くない。
ロビーに入って周りを見渡してみると、受ける企業の名前が書かれた看板を見つけた。別の高校のブレザーを着た女性がいる。そこに向かう。
「えっと、こんにちは」
鞄の中から案内を取り出して、看板のそばにいる男に見せる。
「こんにちは。お名前は?」
採用担当者なのか、スーツ姿の男が二人。見た感じでは40代で、そんなに怖い感じはしない。
「如月。如月皐月です」
「……はいはい。如月君ですね。今回はありがとうございます」
担当者が手元の名簿に蛍光ペンで消し込みを入れた。
「あ、いえ、こちらこそ」
「橘さんには途中まで話しましたけど、部屋の鍵はこちらです。如月君も六階ですね」
部屋のカードキーに書かれていたのは613の番号。カードキーを受け取る。
「夕食は18時に二階のエレベーター前まで来てください。明日の朝食は六時半から、同じく二階の朝食会場にこのチケットを持って来てください」
朝食チケットを受け取る。
「案内にも書いていますが、筆記試験は九時から。四階の会議室にお願いします」
「九時から、ですね。わかりました」
「エレベーターはあちらです。それじゃ、明日までごゆっくり」
採用担当者にお辞儀をして、エレベーターに向かう。隣にいた女子も一緒だ。背が低い。中学生、いや、小学生にすら見える。髪は長かった。
「……えっと、試験、受けるのか?」
エレベーター待ちの間、気まずい空気になるのも嫌なので、声をかけてみる。
「そりゃそうだよ。試験受けないのにここにいちゃダメじゃん」
「まぁな」
ここに来ているということは、工業高校なのだろう。こんな小柄な女の子がいるとか、皐月のクラスでは考えられない。女の子が同じクラスにいたら楽しいだろうな。
いや、かえって気を遣うか。
「如月君、だっけ。ひょっとして、昔、月野にいなかった?」
エレベーターに入って、六階のボタンを押す。
「……ん? まぁ、小六までいたかな」
「あー、やっぱり。珍しい苗字だったから、覚えてたんだよ」
「え。ひょっとして、西高田小?」
「そうそう。あたし、橘菫っていうんだけど、覚えてない?」
「うーん……」
どうやら同じ小学校にいたようだ。記憶をほじくり返してみる。少なくとも、小五・六のクラスにはいなかった。三クラスしかないとはいっても、別のクラスの女子となると、なかなか覚えていないものだ。月野の友達とは、中学になってからすっかり疎遠になってしまったし。
「ごめん、覚えてない」
「ウソー。ま、そうだよね。一緒だったの、小四の頃だったし」
六階に着いたので、エレベーターから降りる。
「小四か。そりゃ覚えてないよ」
「あたしは覚えてたけどねー」
「そりゃ如月なんて苗字、珍しいし」
廊下の案内を見る。613号室はエレベーターから降りて右側だ。
「じゃ、また後で」
「あ、そうか。晩飯で会うのか。また後で」
菫の部屋は左側のようだ。手を挙げて挨拶し、部屋に入る。当然だが、シングルだ。カードキーを差して照明を点け、とりあえずベッドへ。時刻は17時過ぎ。夕食には時間がある。とりあえずテレビを点ける。夕方の情報番組が流れていた。
ひとまず、霞にメールでもしよう。
『試験会場についたよ。試験は明日だから、何してようかな?』
送信。過去問の束を眺めていると、十分ほどでメールが返ってきた。いや、返信ではない。巻雲からのメールだ。開いてみる。
『まぁ、適当に頑張れよ。巻雲 緊張しちゃダメっすよー。あと、輩みたいな服装しないように。新月ちゃん』
エールはありがたいが、輩じゃないって。それと、画像が添付されている。巻雲の携帯はカメラ付きなのか。画像を開いてみる。
そこには、頑張れ、と書かれたスケッチブックを持った霞がいた。緊張しているのか、ちょっと笑顔が固い。画像を保存するまで、三秒もかからなかった。
霞の写真を送りつけるのは、きっと新月の発想だろう。
『巻雲さん、新月さん、ありがとう。本当にありがとう』
返信して、さっきの画像をもう一度見る。みるみるうちに頬が緩むのを感じる。なんてかわいさだ。笑顔が固いのがまたかわいい。
『どうせ霞の画像見てにやけてんだろ。あーキモいキモい』
巻雲からの返信。否定できない。間違いなくにやけている。食事までに顔、戻るかな。少し不安になってきた皐月であった。
18時。皐月は二階のエレベーター前に来ていた。周りには別々の高校の制服を着た男が四人ほど。見たことのない制服なので、皐月の知っている高校ではないようだ。それと、菫もいた。手を振ってきたので、手を上げて返答。
「全員、揃いましたかね。ではこちらへ」
ロビーに二人いた採用担当者の一人と共に、レストランに。雰囲気的に、和食の店だろうか。案内された先には、四人掛けのテーブルが二つ。一つに男が固まって座ったので、もう一つのテーブルに。すると、菫が隣に座ってきた。向かいには採用担当者。
ウェイトレスが水とおしぼりを出してきた。注文は聞かない。どうやら前もって注文しているようだ。
「前もって注文してますので、ちょっと待っててくださいね」
ほぼ全員が初対面なのだろう。会話はほとんどない。ちょっと気まずい雰囲気だ。
「如月君、ここまでどうやって来たの?」
初対面じゃないのは菫だけだ。
「あ、姉さんに送ってもらった」
「ああ、如月先輩。最近見てないけど、元気?」
この口ぶりだと、菫は弥生のことを知っているようだ。
「姉さんのこと、知ってるのか?」
「そんなに話したことないけど。商業の声楽部でしょ? あたしの姉ちゃんの先輩だよ。発表会とかで見たことあるよ。かわいいよね」
「へー。全然知らなかったよ。それと、かわいくはない」
意外なところにつながりがあったものだ。帰ったら弥生に話してみよう。
「すみません、前泊の人って、これだけですか?」
菫は人見知りしない性格のようだ。今度は採用担当者に声をかけている。
「いや、あと五人ほどですかね。彼らは到着が遅くなるので、私ともう一人、時間を分けて」
ということは、前泊組は11人ほどか。
「じゃあ、明日来るのは?」
「それはここでは言えないですね。まぁ、倍程度、とでも」
今回の受験者は全部で30人程度ってところか。結構な多さだ。
ほどなくして、料理が出てきた。天ぷらと白飯、それと小さい蕎麦の定食だ。結構高そうな盛り付け内容である。
味のほうは文句なしだった。残さず平らげ、熱い茶を飲む。
「ごちそうさまでした」
レストランから出る際に、担当者に頭を下げる。
「いえいえ。では、また明日。おやすみなさい」
解散となり、皆がエレベーターに向かった。皐月も後を追おうとしたが、部屋に飲み物がないことを思い出したので、少し離れた自販機コーナーに向かう。
茶を買っていると、またまた菫が横に来た。
「あたしもお茶買おうっと」
「飲み物ないのか?」
「まーね。買っとくの忘れてたよ」
茶のペットボトルを持って、エレベーターを待つ。
「そういえばさ」
「ん?」
「如月君って、彼女とかいる?」
「はぁ!?」
いきなり何を聞いてくるのか。だが、上目遣いでこちらをのぞき込んでくる菫の姿は、少し可愛いと思ってしまった。
「いや、気になったからさ」
「……いるよ。いる」
「そっかー。いいなぁ」
そっけない反応。これはどう取ればいいのやら。
「じゃあさ、夏休み、デートとかした?」
「そりゃカラオケ行ったり、花火見たり」
「うーわ、羨ましい」
この言い方だと、菫はフリーのようだ。
……いやいや。菫がフリーとか、関係ない話だ。
エレベーターが六階に着いた。
「じゃ、おやすみ。また明日ね」
「ああ、おやすみ」
菫は手を振って、部屋のほうに歩いていった。まったく、人懐っこいというか、フレンドリーというか。いくら小学校が一緒の頃があったからって。
ひょっとして。
「……いやいや。何考えてるんだ、俺は」
脈があるのかも、なんて。
いかにもモテない奴の発想だ。ちょっと親しく話しかけてきただけで脈があるか疑うなんて。ペットボトルで自分の頭を叩く。試験の前日だというのに、軽い自己嫌悪に陥る皐月だった。
翌朝。目覚ましは六時半にセットしていたが、起きたのは六時十五分だった。二度寝するには微妙な時間だが、まだ朝食もやっていないか。とりあえずテレビを点けて、朝のニュースを流す。
昨晩は特にすることもなかったので、過去問を適当に眺め、22時には寝た。おかげでよく眠れた。せっかくなのでシャワーを浴びて、歯を磨く。
そうこうしていると七時前になったので、朝食に行こう。担当者はいないと思うし、私服でいいか。寝間着のスポーツウェアのまま、二階の朝食会場へ。同年代の男が何人かいた。昨晩の食事会場で見なかった顔だ。遅く来た組だろう。制服だったり、私服だったり。私服の割合が多くて、一安心。チケットを受付に渡し、バイキング形式の朝食をとる。試験中に眠くならないよう、普段よりも少し少な目に。
会場から出ようとすると、菫と入れ違いになった。私服のTシャツ姿である。
「あ。如月君、おはよう」
「おはよう。今から朝飯?」
「うん。如月君も一緒にどう?」
「もう食べたって」
「あはは、バイキングだからいいじゃん。如月君のぶんも取ってあげるよ」
「いや、試験中に寝たくないしな」
菫に手を振って、部屋に戻る。携帯を見てみると、霞からメールが来ていた。
『いよいよじゃな。がんばるんじゃぞ』
メールを保護して、返信しておく。
「ここまで来たら、あとはベストを尽くすだけだよ」
と。
過去問を眺めていると、八時を回った。そろそろ準備しよう。もう一度、歯を磨いて顔を洗う。
制服に着替えて、ネクタイを着ける。身だしなみを確認。問題なし。忘れ物なし。鞄と鍵を持って、部屋を出た。いざ、試験会場へ。
昼。
支給された弁当―結構いい弁当だった―を食べた皐月は、一緒にもらった紙パックの緑茶を飲んで一息ついていた。
筆記試験は特に問題なかったと思う。何せ、全て過去問の切り貼りだったのだから。少し拍子抜けだ。昼からは面接で、終わり次第帰っていいとのことだ。席順は五十音順なので、皐月の席は右から二列目の一番前だ。どういった順番で面接が行われるかわからないが、五十音順でも、前に座っている人からだとしても、早いうちに終わりそうだ。学科試験が終わったとはいえ、まだ緊張は残っている。
「如月君、どうだった?」
菫が話しかけてきた。知り合いがいなくて暇なのだろう。
「まぁまぁ。っていうか過去問そのままだったよな」
「あ、やっぱり過去問もらってたんだ。そうだよね。そのまんまだよ。よかったよかった」
やはり過去問はどの学校にも配られていたようだ。それをやるかどうかは本人次第、といったところか。学力テストというよりは、過去問をやるぐらいの努力もできない奴はいらない、といったレベルの試験なのだろう。弥生や先輩が言っていた「よほどのことがない限り落とさない」という言葉を思い出す。
「そういえばさ、彼女から応援メールとか来た?」
「なんでそれを言う必要がある」
「えー、知りたいもん。彼氏できてさ、彼が試験受けるときに応援メールとか送ったほうがいいのかな、って」
「そんなの聞くまでもないだろ。送りたいなら送ればいいんだよ」
本当にグイグイ来る娘だ。普通に彼氏の一人や二人、いそうなものだが。
「面接どう、自信ある?」
「まぁ、それなりには。結構練習したしな」
「おおー、さすが。あたしも毎日やらされてたよ」
どの学校も似たようなものらしい。
「じゃあね。面接、あたしより先だと思うから、質問教えてね」
「おー、覚えてたらな」
菫は手を振って、今度は別の女子のところに話に行った。よほど暇なのだろう。全く人見知りしない性格のようだ。
緑茶パックを捨てて、しばらくぼんやりしていると、採用担当者が入ってくると共に、前の机に置いてあった時計のアラームが鳴った。休憩時間は終わりのようだ。ざわついていた部屋の中が一気に静まりかえる。
「はい、それでは今から面接となります。列の前の方から、別室にお願いします。右側の机の方はAの部屋に、左側の方はBの部屋にお願いします」
一番手だった。Aの部屋。他の三人と一緒に席を立って、会場から出る。廊下に部屋は二つ準備してあった。隣に座っていた人が先に部屋の中に入り、皐月は廊下の椅子に座る。
待ち時間が嫌な感じだ。緊張がひどい。Bの部屋の前に座っている人を見てみたが、同じように緊張しているようだ。視線に気付いていない。
十分か、十五分か、それぐらい経過して、隣に座っていた人が部屋から出てきた。出番のようだ。ネクタイの具合を調整して、ドアをノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
手汗を拭って、ドアを開けた。
終わってみればあっという間だった。五分ほどだっただろうか。部屋から出たとたん、大きく息を吐く。
質問内容はおおかた予想通り。高校で頑張ったこと、志望動機、アピールポイント。ほぼほぼ練習通りの成果が出たが、一つだけ予想しなかった質問があり、少し焦ってしまった。
会場に戻る。時計を見てみれば、20分ほどが経過していた。緊張していたせいか、早く感じていたようだ。別の部屋で面接を受けていた人は帰り支度をしていた。皐月も支度をする。
「如月君、どうだった?」
菫が寄ってきた。彼女の席は列の後ろのほうなので、結構後のようだ。
「ああ、緊張したけどなんとかなったんじゃないか」
「どんなこと聞かれた?」
「定番の質問。頑張ったこととか志望動機とか。ただ、委員長とか部長してたら要注意だ。そこで苦労したこととか聞かれたぞ」
予想していなかった質問は「総務委員長をされていたようですが、どういったことをされてましたか?」だった。
特に仕事もなさそうなので、内申狙いで就いた総務委員長であった。それは確かに当たっていた。仕事といえば生徒総会の準備ぐらいのものだった。だが、面接でそんなことを言えるはずがないので、適当に嘘をついたのだった。相手は納得していたので、変なことは言わなかったのだろう。
「そこは大丈夫。あたしは長のつくことは何もしてなかったから」
「聞いててよかった。俺、美化委員長だったからな。仕事してなかったけどな」
いつの間にか取り囲まれている。このままではいつまで経っても帰れそうにない。鞄を持って、立ち上がる。
「じゃ、お先に」
「いいなぁ、お疲れ様」
「みんな頑張ってな。お疲れさん」
挨拶をして、部屋から出た。廊下にいた担当者にお辞儀をする。
「如月です。帰ります」
「はい、お疲れ様でした」
担当者が名簿に消し込みを入れたのが見えた。エレベーターに乗る。一気に気分が軽くなった。とりあえず、霞と弥生にメールを送っておく。今終わった。自信はある、と。
ネクタイを外しながら切符売場に向かい、帰りの切符を買う。途中で私鉄に乗り換える必要があるので、忘れないようにしないと。気が楽になったからといって、寝過ごさないように。
菫や他の人はどうだろうか。受かるのだろうか。全員受かったとしたら、同期は最低でも30人以上か。そんなに名前覚えられるのかな。
皐月はそんなことを考えながら、電車を待つのだった。
電車に揺られて二時間。自宅に帰りついたのは夕方であった。部屋着に着替えて、部屋に入り、帰りがけに買っていたコーラを飲む。一息ついた。とりあえず、霞に電話しよう。霞はすぐに電話に出た。
「もしもし」
『おお、帰ってきたのじゃな。お疲れ様じゃ』
霞の声で、自然と頬が緩む。
『どうじゃ、自信のほどは』
「まぁ、多分大丈夫と思うよ。学科も面接もうまくできたと思う」
『うむ、やるではないか。わしも一安心じゃよ』
「結果が出たらまた連絡するよ」
そのとき、扉が開いた音がした。弥生が帰ってきたようだ。
「あ! 姉さん帰ってきたから切る! また後でかける!」
『あ、うむ。また後で』
慌てて電話を切る。そして、制服姿の弥生が部屋に入ってきた。
「もう、女に電話してたんでしょ? 気にしなくていいのに」
「あんたは気にしないかもしれないけどよ、俺は気にするんだよ」
もう隠す気もなくなってきた。とはいえ、彼女との電話を姉に聞かれるのは嫌だ。
「それで、どうだったの」
「まぁ、自信はあるよ。いい飯食わせてもらったし」
「それならボロ儲けじゃない。羨ましいわねぇ」
「そういえばさ、姉さんは、橘菫って子、知ってんの?」
「ああ、知ってる知ってる。あんた、たっちんは知ってるでしょ? ほら、たまに遊びに来てた眼鏡かけた後輩。あの子の妹さん。人見知りしないいい子だよ。その子がどうしたの?」
そういえば、弥生の後輩に眼鏡をかけていた人がいた気がする。何度か遊びに来ていたのを見た。その人の妹、ということか。
「いや、試験会場で会って。西高田でクラスメートだったらしいけど、覚えてなくてなぁ……」
「まぁ、あたしとたっちんは仲よかったけど、あんた達はそうでもなかったもんね。覚えてないのも無理ないよ。そっか、菫ちゃんも就職かー。っていうか、工場でしょ? あの子、身体ちっちゃいのに、大丈夫なのかしら」
「それは思った。小学生みたいな身長だったもんな」
試験会場には菫のほかに何人か女子がいたが、菫は群を抜いて小柄であった。力仕事は大丈夫なのだろうか。少し不安になる。
「で、晩飯は?」
「麻婆豆腐よ」
「えー。せっかく試験が終わったのに、全然特別感ねぇなぁ」
「それは結果が出てからよ。ここでお祝いして、実は落ちてたらダサすぎるでしょ」
「確かに。受かってたら焼肉だな」
「はいはい」
弥生は笑いながらカーテンを閉めた。焼肉を食べられるよう、願っておくとしよう。
試験から一週間。就職志望者のほとんどが試験を終え、学校は日常に戻っていた。そんな日の帰りのホームルーム。担任が嬉しそうに入ってきた。
「内定第一号が出たぞ。それは……」
担任はなかなか結果を言おうとしない。いやいや、もったいぶらないでいいから。
「如月! おめでとう!」
「俺!?」
変な声が出てしまった。担任が手招きしたので、教壇に上がる。担任から封筒を受け取り、中身を確認すると、内定通知の文字が見えた。
受かっていた。自然と笑顔になる。
「はい、拍手!」
「しゃあっ、ありがとう!!」
クラスメートからの拍手を受けて、一気に喜びが出てきた。ガッツポーズをして、席に戻る。それから、担任の話はろくに耳に入らなかった。
実習棟で成美達と簡単な祝勝会をやり、帰宅する。すでに弥生は帰ってきていた。
「おかえり。遅かったじゃない」
「おお姉さん、これを見ろよ」
「何よ、偉そうにして」
鞄から内定通知書の入った封筒を取り出し、弥生に渡す。
中身を読んだ途端、弥生の目が潤んだのが見えた。
「受かってた……って、姉さん」
弥生が抱きついてきた。突然のことに困惑する。
「おめでとう、おめでとう……」
弥生の声は震えている。泣いている。泣くほどのことだろうか。
「よかったわね、本当に……。よくやったわ……」
弥生の背中を軽く叩いてやると、彼女は顔を上げた。やはり泣いていたようだ。目が赤いが、笑顔である。嬉し涙だろう。そこまで喜んでくれると、なんだかこちらも嬉しくなる。
「これで母さんにも面目が立つってものだわ。ほら、手を合わせて。母さんに報告しなさい」
ああ、なるほど。弥生は母の代わりに皐月を育ててきた。それが一段落ついたのだ。涙を流すのも、無理のない話だ。
弥生と一緒に手を合わせて、目を瞑る。記憶の中のおぼろげな母親に、就職が決まりました、と報告。
そして、誰よりも感謝しないといけない人は、目の前にいる。
「……姉さん」
「ん?」
「……今までありがとう」
「……ふふん。内定もらったからって調子に乗って。ちゃんと卒業できるようにしなさいよね」
弥生は誇らしげに笑うと、皐月の背中を叩いた。
「さ、父さんに電話しなきゃ。焼肉行くから、早く帰って来なさいって」
「焼肉はどこ行くんだ? ちから?」
近所の焼肉屋でも一番ランクの高い店だ。特別なお祝い事でもない限りは使わない店。
「そうね。たまにはいいでしょ。あんたの出世払いで」
「いやいや、俺のお祝いだろ」
また後で霞にも報告しよう。彼女も喜んでくれるだろうから。
昔はカメラ付きの携帯電話は珍しかったんです。