後日譚②
「花火を見ましょう」
8月最後の土曜日。辛木川では花火大会が行われていた。珍しく賑わいを見せる河川敷を後目に、皐月は原付を走らせていた。目的地は大角山。原付のミラーには買い物袋。
こうしていると、6年前のことを思い出す。もっとも、目的に違いはないのだけれど。
大角山の近くは静かなものだ。原付を停めて、鍵をかける。すぐ傍の路肩には白い角ばったワゴン車が停まっていた。どうやら新月のクルマらしい。6年前と同じ外車のメーカー。このメーカーが好きなのだろう。
階段を上った先には、3人の人ならざる者がテーブルを囲んでいた。キャンプで使うような折り畳みのテーブルである。その中心にはランタンが置かれていた。
「よー二月、遅かったじゃねーか」
浴衣姿の巻雲が缶ビールを掲げながら声をかけてきた。浴衣に合わせてなのか、髪型はツインテール。相変わらず、瞳を前髪で隠している。
携帯電話で時刻を確認すると、待ち合わせの時間よりは早い。
「いや、時間前だし……。っていうか、もう出来上がってんのか」
「花火を見ながら一杯、というのも乙なものじゃよ」
霞も浴衣姿。今日はポニーテールにしているようだ。かわいい。思わず息を呑んでしまった。霞は缶チューハイを持っている。酒を飲むイメージはあまりなかったので、少し意外。
「そういうこった。どーだ、二月も一杯」
「いや、俺、原チャで来てるし……それ以前に未成年だっての」
「そっすよ。それに、新月ちゃんだけシラフってのもあんまりじゃないっすか。二月クンも酔っ払いの相手してやってくださいよ」
新月はいつも通りノースリーブのブラウスにショートパンツ。運転手なので運転しやすい格好なのだろう。
「とりあえずこれ、差し入れ」
買い物袋から先程出店で買ってきた焼きそばやたこ焼き、フライドポテトをテーブルに並べる。他に並んでいたのは裂きイカやピーナッツといった乾きものばかりだ。それと、小さなクーラーボックスが見えた。
「おお、ようやくまともな食べ物が」
「巻雲に任せておったらつまみしか買わなんだからのう……」
「アタシはイカがあれば満足だからな」
「これだから飲兵衛は。さ、二月クン、どーぞ」
新月がプラスチックのコップを差し出してきたので、自分で炭酸飲料を注ぐ。
「もう、言ってくれたら注ぎますって」
「じゃ、まだ来てねぇ奴もいるけど、改めて……」
「こんばんは〜」
巻雲が音頭を取ろうとしたところに、千歳が現れた。なんてタイミングだ。
「お、千代。遅かったじゃねーか」
「もう、時間前ですよ。結構急いで来ましたんで、ちょっと汗かいちゃいましたよ」
千歳は手提げからハンカチを取り出して、額の汗を拭く。
「はい。少ないですけど、私からも差し入れ」
千歳が買ってきたのは菓子だった。テーブルに並べた後、皐月の横に座る。
「千代もどーだ、一杯」
「だから未成年だっての……」
「別に飲んでもいいですけど、責任持てませんよ?」
千歳はくすくすと笑って、コップに炭酸飲料を注ぐ。この口ぶりだと、飲んだことあるな、こいつ。
「じゃあ、みんな揃ったことですし、年長者に音頭をお願いしましょうか?」
「アタシがか? まぁ、別にいいけどよ」
年長者、という単語に釣られたのか、巻雲が立ち上がる。新月はしてやったり、といった表情。どうやら巻雲はおだてに弱いようだ。
「えー、この5人、不思議と縁があるもんだな。二月と霞が出会って、そこからアタシと新月、それに千代も加わって。色々あって離れ離れになったけどよ、こうして再会できたのはいいことだと思うわ。それで、えー……」
巻雲が言葉に詰まりだした。表情はわからないが、おそらく目も泳いでいるだろう。
「えー、なんだ。……乾杯!」
巻雲の音頭で乾杯する。すると、ちょうどよく花火が上がった。
「おおー。巻雲さん、持ってんなぁ」
「ま、まぁな。このタイミングを見計らってたんだよ」
「明らかにテンパってたのに、よく言うっすね……」
痛いところを突かれたのか、巻雲が新月の頭をはたく。
「それにしても、二月もでかくなりやがったな。前はアタシと同じぐらいだったのによ」
「いや、巻雲さんよりは身長大きかったから。それに、言っても172ぐらいだって」
実際のところは171センチちょいなのだが、少しぐらいはサバを読んでもバチは当たらないだろう。
「嫌味か、てめぇ」
巻雲が肩にパンチをしてきた。冗談半分なのか、力はそんなに入っていなかった。
「髪まで染めやがって。輩か」
「だから輩じゃねぇって……。水泳やってたから脱色されただけだっての。根元、黒いだろ」
この弁解にも慣れた。部活を引退して2ヶ月近く。髪の毛もだいぶ黒くなってきた。これで散髪すれば染めたとは言われなくなるだろう。
「でもさっちゃんの学校、ガラ悪いよね」
また余計なことを。
「悪くない、悪くないから。良くもねぇけどな」
皐月が通っている工業高校は、中学生の間ではガラが悪いともっぱらの評判だった。覚悟して入学してみると、確かに輩っぽい先輩や同級生は何人かいたが、割合は中学の頃と大して変わらなかった。授業や実習も荒れていないし、真面目な生徒も多い。女子がほとんどいないため、学校行事にどことなく粗暴というか男臭い雰囲気が漂っているのはご愛嬌といったところだ。
「しかし、皐月は男前になったぞ。茶髪も似合うておった」
「はいはい、ノロケはやめとくっすよ。霞さん、二月クンが坊主になってもカッコいいとか言うでしょ」
「恋は盲目ってか。やだやだ」
「ねぇ?」
千歳達が顔を見合わせてからかうように笑った。霞と二人、なんだか居心地が悪い。
「……千歳も雰囲気が変わったのう。ショートカットも似合うておるぞ」
霞が露骨に話題を反らす。
「そういえばそうっすね。千代ちゃんはロングのイメージがありましたよ」
「なんだ、失恋でもしたのか?」
「まぁ、そんなとこです。振ったほうと思いたいですけど」
「ひょっとして、後輩にコクられたって話か?」
少し前に、千歳と同じ高校に通っている友人から聞いた噂話。
「そうそう。結構広まってるみたいなんだよね。困ったものだよ」
「……何があったんすか?」
「いや、去年、全然……いや、顔ぐらいしか知らない後輩から告白されまして。話したこともないのに、私のことが好きだって」
「まぁ、千歳は美人じゃし、そういうこともありそうじゃの」
「もう、褒めても何も出ませんよ。それで、私のどこが好きなの、って聞いてみたら、私の長い髪が好きだって」
その後輩の気持ちもわからなくもない。顔と言うと直球だから、ボール球で様子を見てみたといったところか。
「話したこともないのに、私のこと、全然知らないのに、髪だけで好きになるって。なんだかもやっとしてきて。その場で髪の毛、切ってやったんですよ。これでも私のことが好きなの? って」
そして、千歳が某野球漫画ばりの悪球打ちでグワラキーンとホームラン。
「……気持ちはわからんでもないが、それは少しやりすぎたんじゃねぇか?」
巻雲が引いている。皐月も初めて聞いたときは引いた。
「まぁ、その後輩も今はちゃんとロングヘアの可愛い子とお付き合いできてますから。経験ですよ、経験。……ごめんなさい。正直私も後悔してます。美容室の予約入れてた日で助かりましたよ、ほんと」
「でも、そこからずっとショートなんすよね?」
「はい。何気に評判が良くて。怪我の功名ですよ」
確かに千歳はロングよりショートのほうが似合っている気がする。昔よりも快活になったのも手伝っているのだろうか。
ふと千歳のコップを見てみると、黄金色の泡立った液体が入っている。
……ビール飲んでる、こいつ。
「……知らねぇぞ、千歳」
「あはは、ちょっとぐらいなら大丈夫だって。さっちゃんは飲んだことないの?」
「まぁ、部活引退したときに、打ち上げってことでちょっとだけな。缶チューハイ1本で顔真っ赤だよ」
どうやら酒に強くはないらしい。姉もよく酒を飲んでは顔を赤くしているし、遺伝のようだ。
「……さてと。新月ちゃんはお花摘みに」
新月が立ち上がって、千歳に目配せする。それを受けて、千歳も立ち上がった。
「ほら、マッキーも」
「はぁ? アタシもか?」
「二人じゃ心細いんすよ。ほら、早く早く」
巻雲を引きずるように、新月達は離れていく。そのとき、新月がウィンクした。気を遣ってくれたのだろう。
「……まったく、いらぬ気を遣いおって」
とは言うものの、霞の口調は嬉しそうだ。ひとまず、彼女のすぐ横に座り直す。すると、霞はこちらの肩に頭を預けてきた。チューハイの缶を両手で包むように持っている。彼女の髪からはいい匂いがした。
彼女の頬は上気していた。それは酒のせいか、それとも。
「……こうしておると、あの頃を思い出すのう」
あの頃。新月は6年前もこうして二人きりにしてくれた。
「そうだな。こうやって、花火を見て」
「酒は飲まなんだがのう」
「そういえば、霞さん」
皐月の言葉を遮るかのように、霞の人差し指が皐月の唇に当たる。
「前から言おうと思っておったが、さん付けなどせずとも良い。そのような間柄ではないじゃろう?」
となると、呼び捨てにするのが正解だろうか。ちゃん付けはなんだか違う気がする。年上を呼び捨てにするのは少し気が引けるが。
「……じゃあ、霞……」
実際に口にしてみると、なんだか凄く恥ずかしくなった。恋人を飛び越えたような気がする。霞はそう思っていないのか、笑顔のままだ。
「……スミちゃん」
すぐに思い浮かんだあだ名で言い直す。霞は少し面食らったような顔をした。
「どうしたのじゃ、急に」
「いや、あだ名で呼んだほうがいいかなって。嫌だった?」
霞は笑顔のまま首を振った。
「いや。そのような呼ばれかたは初めてじゃ。嬉しかったぞ、さっちゃん」
唐突なあだ名呼びは破壊力が高かった。飲み物を吹き出しかけてむせる。
「……それはちょっと、強い……」
「ふふ、わしもそう呼んでみたくての」
霞はくすくすと笑いながら、皐月の背中をさする。
「はいはい、イチャイチャタイム、終〜了〜」
巻雲が手を叩きながら戻ってきた。霞と二人、慌てて座り直す。今のやり取り、聞かれていなかっただろうか。
「二月クン、スミちゃんさん、いい時間ですし、片付けましょ」
ばっちり聞かれていた。めちゃくちゃ恥ずかしい。恥ずかしさを紛らわすかのように、てきぱきと動く。
「霞さん、いいなぁ〜。私なんか、さっちゃんからあだ名で呼ばれなくなりましたよ」
「じゃあ呼んでやるよ、ちーちゃんよぉ!」
恥ずかしいからか、なんだかもうやけくそ気味。
「もう、もっと普通に呼んでってば」
そうこうしているうちに、片付けは終わり。一番重そうな折り畳んだテーブルを持って、下に降りる。
「後ろに積んどくよ」
「ああ、すみません」
新月達は人間の姿に化けて、車に乗る。巻雲は助手席に、霞は後部座席に。
「それじゃ、気をつけて」
「特に千代な、ポリに目ェつけられんなよ」
「大丈夫ですって。普通にしてれば大人しそうな女の子ですから」
「自分で言うな、自分で」
「ではな、さっちゃん」
だからあだ名呼びの破壊力が高い。
「……またね、スミちゃん」
新月がにやついたのが見えた。これ、続けたほうがいいのかな。新月は車をUターンさせると、短くクラクションを鳴らして去っていった。
「じゃあ、帰るか」
余り物を千歳と分けたら、ヘルメットを被って、エンジンをかける。
「けん引してくれないの?」
「道悪いだろ、危ないって」
部活帰り、学校の近所の農道なんかではやったことがあるが、さすがに夜やろうとは思わない。ましてやここは舗装されていないし、千歳は飲んでいるから余計にだ。
「あはは、冗談冗談。じゃあ、また今度ね」
「おう。チャリ押して帰れよ」
「わかってるって。おやすみ〜」
皐月は千歳に手を振り、原付を走らせた。