後日譚①
後日譚①
『デートに誘いましょう』
彼、如月皐月は悩んでいた。
「うーん……」
ベッドに横になり、枕に顔を埋めてそう唸る。
「何がうーんよ、なにが」
仕切りのカーテンの向こうから姉の声が聞こえる。
昔は二段ベッドにカーテンを張って、子供部屋の仕切りとしていたのだが、皐月が中二の頃に部屋の模様替えが行われた。部屋の両端にそれぞれのベッドを置き、中央にカーテンを張って仕切る形。併せて居間の模様替えを行い、居間からも子供部屋にアクセスできるようになったので、皐月のスペースを通らなくても弥生のスペースに入ることが可能となった。プライバシーがだいぶ改善され、安心したものだ。
閑話休題。
皐月が悩んでいるのは他でもない。霞に送るメールの文面をどうするか、である。枕元に転がった携帯電話のメール作成画面は真っ白。ただ送信先のところに霞のメールアドレスが入力されているだけだ。
男友達にメールするのは簡単なことだ。
『暇?』
この二文字で事足りる。何も考えなくても入力できる。なのに、何故。何故、相手が霞だと、こうも悩むのだ。
「うーん……」
「うーうーうるさいよ~」
姉の小馬鹿にした口調がなんだか腹が立つ。
気分転換にポータブルMDプレイヤーを充電器兼スピーカーに突っ込んで、再生ボタンを押す。
霞に告白したのは一昨日のこと。そのときに携帯電話の電話番号とメールアドレスを聞いたのだが、今まで連絡できずじまい。電話をしようかと思ったが、メールすら送れないこの有り様ではどだい無理な話だ。
あれだけ見栄を切って告白したのに、メールの一通も送れないとか、情けないったらありゃしない。
「皐月ー、風呂空いたぞー」
先に風呂に入っていた父の声が聞こえた。
「さっちゃん、さっさとお風呂入りなさいよ」
姉は台所に移動しながら催促してくる。長いこと無視していると、彼女の機嫌を悪くしてしまう。
なんでこうも悩まないといけないのだろうか。気の利いた文章を送りたいから? 何のために?
それはいいかっこをしたいがためでは?
メールの一通も送れなかったのに、何がいいかっこだ。そんなことよりも、まずは連絡だ。悩んでいる順番がおかしい。
「さっちゃーん」
「今入るって……」
やってやる。
携帯電話を手に取って、メールの本文を入力する。
『今何してる?』
送信ボタンに手を置く。これでいいのか? いや、いいはずだ。
「ワン・オア・エイト……!!」
一か八か、送信する。送信完了、の文字を確認して、携帯電話を勢いよく閉じる。
どう返ってくるか、とりあえず風呂に入って考えよう。引き出しから下着を取り出して、風呂に向かう。
「何がワン・オア・エイトよ。一か八かのつもりでしょうけど、間違ってるでしょ、それ」
台所で洗い物をしていた姉が茶化してくる。こっちの気持ちも知らないで。
「うるせー! 通じればいいんだよ!!」
「外人さんには通じないと思うなぁ。これだから英語で赤点取る奴は」
「それは去年の話だろ!!」
英語は苦手である。去年の三学期の期末テストでは赤点を取り、初めて補習というものを受けさせられてしまった。
「ワン・オア・エイト~♪」
何が気に入ったのか口ずさむ姉を後目に、皐月は風呂に入るのだった。
テレビでは歌番組をやっていた。司会者のゲストいじりでスタジオに笑いが起きる。
そのとき、携帯電話の着信音が鳴った。滅多に鳴らない、メール用の着信音。
「あ。鳴らないケータイが鳴ってますよ」
新月は雑誌を読んでいる。
「アタシ、初めて聞いたよ。その着信」
巻雲はテレビから目を離さない。彼女が贔屓にしているアイドルユニットが出ているので無理もないことだろう。
迷惑メールかな。そんなことを考えながら携帯電話の画面を確認する。
「皐月!?」
送信者の名前を見たとたん、変な声が出た。当然のように、二人の視線がこちらに向く。文面を見ると、自然と笑顔が浮かんだ。
「なんすか、二月クンからメールすか?」
新月がニヤニヤしながら画面を覗き込もうとしてくる。彼女から画面をガードしつつ、返信ボタンを押す。
今何してる、か。なんと返信しようか。
「……あまり長く返すと変に思われるかのう?」
「何て来たんすか?」
「……今何してる、と」
まぁ、他愛のない文面だ。別にばらしてしまっても問題ないだろう。
「うわ、二月の奴、芸がねぇなぁ」
「しょうがないっすよ。モテなかったみたいすから」
皐月がモテなかったというのは納得いかない。周りの女は見る目がなさすぎるのではないか。
「まぁ、話のきっかけでしょうし、普通に返したらいいんじゃないすか? 歌番組見てる、みたいな」
「絵文字など使ったほうがいいかのう?」
「やめといたほうがいいんじゃないすか? 霞さん、センスないっすから」
反論できない。新月や巻雲とメールするときはほとんど絵文字を使わないのだから。
「まどろっこしいな、いっそ電話しちまえよ。その方がはえーだろ」
巻雲の言葉で顔が強張る。いや、確かに皐月の声を聞きたくはあるが、急に電話していいのだろうか。
「それがいいかもしれませんね。霞さん、メール下手っすから」
他人事だと思って気楽に言ってくれる。だが、新月の言うことも確かだ。メールはどうにも苦手である。
メールの画面を閉じて、アドレス帳を開く。皐月の名前はすぐに見つかった。
電話番号を押す。あとは発信ボタンを押すだけ。一度、深呼吸。
「……南無三」
発信ボタンを押して、携帯電話を耳に当てる。新月と巻雲の視線は気にならない。呼び出し音にだけ集中。
しばらく呼び出し音を聞いていた霞だったが、出る気配がない。ため息をつきながら電話を切る。
「なんだよ、二月の奴、出なかったのか。ヘタレてんなぁ」
「まぁまぁ。ひょっとしたら家族が近くにいるから出られないのかもしれませんよ」
「……そうかもしれぬな」
そうであって欲しい。折り返しの電話を待ってみよう。
ひとまず落ち着くために、緑茶を淹れに行く霞であった。
いい湯だった。
皐月は風呂から上がると、髪を乾かして、寝間着を着る。
台所で麦茶を飲んでいると、居間でテレビを見ていた弥生が声をかけてきた。
「さっちゃん、鳴らないケータイが鳴ってたわよ」
まさか。
コップを放置。部屋に駆け込み、携帯電話を開く。出ていたアイコンは、メールではなく着信ありのアイコン。履歴を見てみると、そこに載っていたのは霞の名前。
「さっちゃん、どこ行くのよ」
それを見た瞬間、いてもたってもいられず、家を飛び出し、団地の階段を下りながら霞に折り返しの電話をかける。
少しの呼び出し音の後、電話が取られた。
『……もしもし』
「もしもし、霞さん?」
『おお、皐月か! 電話に出なんだから、どうしたのかと思ったぞ』
「ごめん。メールした後、風呂入ってたよ。長いこと風呂入らなかったら姉さん怒るから」
『確かに、温くなってしまうのう』
何気ない、他愛ない会話。それでも霞の声を聞けるのは、とても嬉しい。とりあえず、自分の原付のシートに腰かける。
「それで、霞さんは何してたの?」
『歌番組を見ておったぞ。巻雲の好きなアイドルとやらが出ておったからのう』
どうやら巻雲の趣味も変わっていないらしい。以前、アイドル好きかどうかを聞いてみたら理不尽なパンチを食らったのを覚えている。否定していたが、あれはどう考えても図星の反応だろう。
「ああ、あのグループ。俺も中学の頃は好きだったなぁ」
そのアイドルは、中学生の頃に大変流行っていたが、今は全盛期が過ぎた感じになっている。流行っていた頃、推しのブロマイドを財布に入れていたのは秘密にしておこう。
『巻雲は今でも好きじゃぞ……いたた、はたくでない』
未だに好きなのを大っぴらにしないのか。周知の事実だから、隠すこともないのに。キャラに会ってないとか、そういうのを気にしているのだろうか。
『皐月は今、どの歌手が好きなのじゃ?』
「うーん、最近は洋楽ばっか聴いてる」
高校からの友達に洋楽のロック好きがいて、彼の影響で聴くようになった。父はプログレ好き、姉はインディーズのロックバンド好き、という周りの環境もそれを手伝った。おかげでだんだん流行曲についていけなくなってきている。
『ほほう。是非とも歌ってみてほしいのう』
「いや、歌うのは勘弁して……」
洋楽はよく聴いているが、歌うとなると話は別だ。英語で赤点を取ったレベルである。雰囲気か空耳ベースでしか歌えない。
「霞さんは何聴いてるの?」
『わしはな……』
霞が口にしたのは女性シンガーソングライターだ。可愛い感じの曲をよく歌っていて、デビューしたのは5年ほど前だが、今でも根強い人気がある。皐月も知っている曲が多い。霞も流行りの曲を追っていたりするというのはちょっと意外だった―失礼かもしれないけど―。
「へー、ちょっと意外」
『まぁ、わしは音痴じゃがな』
「そんな堂々と言うことじゃないって」
まぁ、人のことは言えない。
そんな話をしていたら、カラオケに行きたくなってきた。
「霞さん、カラオケとか行くの?」
『いや、最近はご無沙汰じゃな』
……ひょっとして、この流れなら。連絡を取ろうとした時は考えていなかった、三文字の行為に誘えるかもしれない。
「……じゃ、じゃあ、一緒に行く?」
そう、デートに。
つい勢いで言ってしまったが、これで断られたらカッコ悪すぎるな。
『本当かッ!?』
その心配は杞憂だった。すぐに霞の嬉しそうな声が聞こえて、ほっとひと安心。
「うん。やっぱ、霞さんと一緒に遊びたいしね」
というか、今すぐにでも顔が見たい。生の声が聞きたい。
『わしもじゃ。すぐにでも皐月の顔が見とうて見とうて。明日でも全然構わぬぐらいじゃ』
明日の予定はない。というか、夏休みの間の予定は面接の練習だけだ。それは来週の火曜日。まだ先だ。
「俺もいつでもいいよ。っていうか、俺も暇だし、もう明日にしちゃう?」
『うむ。善は急げ、と言うしな。思い立ったが吉日、とも』
「じゃあ、明日にしよう。時間は?」
『いつでも、できれば早いほうがいいのう』
霞の声は弾んでいて、本当に嬉しそうだ。
かわいい。その感想しか出てこない。
「じゃあ、十時にしよっか。場所は……」
霞と相談して、隣町のショッピングモールに決まった。そこにはボウリング場やゲームセンター、そしてカラオケがあるので、遊ぶところには困らない。それに、友人の行動範囲からは微妙に外れているので、知り合いと出くわす可能性は低い。
「それじゃ、そろそろ切るよ。あんまり長いこと外に出てると姉さんから怪しまれるから」
『うん? 家ではないのか?』
「外からかけてる。霞さんと電話してるのを家族に聞かれるの、ちょっと恥ずかしいし」
『なるほど。では、また明日、な』
「うん、また明日。家出たら連絡するよ」
『うむ。ではな、おやすみ』
「おやすみ」
電話を切る。
「……っしゃあ!!!」
そして、ガッツポーズをするのであった。
ろくに眠れなかった。枕元の時計を見てみれば、時刻はおよそ7時半。携帯の目覚ましは8時半にセットしていたのだが、これはいくらなんでも早起きすぎる。
とはいえ、目は冴えているので、居間に向かう。
「うわ、珍しく早起きしてる。洗濯物は部屋干ししといたほうがいいかしら」
制服―白い半袖ブラウスと、黒い膝までのタイトスカート―に着替えて化粧していた弥生が驚いたような声を出す。父はもう出勤しているようだ。
「うっさいなぁ、何か食うもんある?」
「パンでも焼いてなさい。あんたいっつも昼前に起きるのに、珍しいこともあるもんね」
「用事あんだよ」
食パンをトースターに入れて、タイマーをセット。焼いている間に麦茶を飲むと共に、冷蔵庫からマーガリンを取り出しておく。
「へぇ。さては女絡みかしら?」
「はぁ!?」
突然の質問に思わずむせる。
「あんた、昨日電話かかってきて外に出たでしょ。あれ、女からじゃないの? なる君とかからなら絶対そんなことしないと思うんだけどなぁ~」
察しがいい。いや、バレないほうがおかしいか。
弥生は弁当箱なんかが入った鞄を持って、楽しそうに玄関へと向かっていった。
「ま、健全なお付き合いをなさい」
「だからそういうのじゃねぇって!!」
「はいはい。じゃね~」
弥生は手を振って、家を出た。皐月は大きくため息をつく。電話に出るタイミング、考えなきゃな。
ショッピングモールまでは原付で30分ほど。少し早めを狙うべく9時すぎに出発したのだが、今日は妙に道が混んでいた。駐輪場に原付を停めて、ヘルメットを脱ぎ、時刻を確認すると9時45分。危ないところだった。
原付のサイドミラーで髪を確認。潰れていない、大丈夫。U字ロックをして、店内へ。
待ち合わせ場所に指定していたエスカレーター前の広場を見渡してみる。霞の姿はすぐに見つかった。当然だが、人間の姿に化けている。そして、珍しくジーンズを履いていた。珍しくというか、霞がパンツスタイルなのは初めて見る。
待たせてしまったかな。霞のところに駆け寄る。
「おお、皐月。おはよう」
「霞さん、おはよう。ごめん、待った?」
霞は左手首の時計をちらりと見ると、笑顔で首を横に振った。
「いや、5分ほどじゃよ。新月からは『早すぎ』と文句を言われたぞ」
「あ、新月さんに送ってもらったんだ。新月さん、まだあのワゴンに乗ってるの?」
「いや、一昨年に買い替えたな。まぁ、似たようなものじゃ」
霞がくすくすと笑った。ああ、笑顔がかわいい。
「それで、ちょっと早いけど、もうカラオケ行く?」
「いや、せっかくじゃし、ちと店を見て回らぬか?」
「それもいいね。何か欲しいのとかある?」
「鞄でも見たいのう。だいぶ手提げが傷んでおってな」
確かに霞の手提げにはだいぶ年季が入っている。
「そっか。俺は靴が欲しいな」
今はよそ行きの靴を履いているが、通学用の靴はだいぶボロボロである。そろそろ買い替え時かもしれない。
「では、参ろうか。2階じゃな?」
「みたいだ……うわっ!?」
霞が手を繋いできた。突然のことに変な声が出てしまう。
「デート、とは、こうするものじゃろう?」
霞は口元を隠してくすくすと笑うのだった。こんなこと、どこで覚えたのやら。
とはいえ、悪い気はしない。それに、霞の手は柔らかく、すべすべしていて、そして少しひんやりとしていた。繋いでいて気持ちいい。
皐月は顔を赤くしながら、霞と並んでエスカレーターに乗るのだった。
鞄と靴を見て周り、レストラン街のお好み焼き屋―霞のリクエスト―で昼食を済ませると、時刻は12時を少し回っていた。
ようやく霞と並んで、手を繋いで歩くのにも慣れてきた。歩いていたら、何度かチラチラと見られた。おそらく霞のことを見ているのだろう。自分には不釣り合いなほどの美人なのだから。誇らしい反面、少し危機感も覚える。
「さて、腹も膨れたし、カラオケでも行くかのう」
「そうだね。空いてるといいけど」
カラオケやゲームセンターが入っている建物は、二階の連絡通路の向こう側。ちょうど夏休みなので、中学生や高校生、大学生ぐらいの人もたくさんいる。賑わっているようだ。
カラオケの受付に足を進める。待っている人はいないようだ。すると。
「あ、キサ君じゃん」
聞いたことのある声。振り返ってみると、そこには友人がいた。
「……誰かと思えば、エドワードと鉄人かよ」
洋一とあおば。この二人は中学生の頃から付き合っている。そういえば、あおばはこの辺りの高校に通っていたんだった。不覚。
「なんだよ、デートか?」
「まぁね、いつものやつ」
洋一はクールな部分があるが、あおばのこととなると別だ。すぐにデレデレする。少し前までは無性にムカついたものだ。だが、今日はそんなにでもない。やはり、霞がいることで心に余裕が生まれたのだろうか。
「キサ君こそデート? 綺麗な彼女連れて、このこの」
あおばが肘で小突いてくる。綺麗、という言葉に、霞は少し照れているようだ。
照れてる霞さん、めちゃくちゃかわいいな……。
思わずにやついてしまう皐月だった。
霞のこと、どう紹介しようか。お茶を濁すのは霞に失礼だろう。この二人は友達だし、恥ずかしくはあるが、正直に紹介すべきか。
「……そう、彼女だよ。霞さん、こいつらは俺の友達。エドワードと鉄人」
「あだ名で紹介しないでよ。どうも、角田洋一です」
「う、うむ。霞と申す」
霞が恥ずかしそうに頭を下げた。
「モテないブラザーズは解散だね、これ」
「おー。解散を伝えたら、なるちゃんからボロクソ言われたよ」
「あはは、言いそうだ。まぁ、なるちゃんは妹さんがね」
成美の妹は結構可愛いのだが、兄にべったりなので、何かと面倒なようだ。女友達にも文句をつけるレベルらしい。
「二人は今からカラオケ?」
「おう。お前らは?」
「ボウリング。邪魔しちゃ悪いから、これでね」
この建物にはボウリング場もある。中学生の頃はボウリング場目当てに来ていたものだ。
「じゃあね~」
洋一とあおばは手を振って、ボウリング場のほうに歩いていった。
「はー、予想外だったよ。まさか知り合いに合うなんて」
「お似合いじゃったな。今の二人は付き合っておるのか?」
「そう。中学からだから、結構長く続いてるよ」
「よいことじゃ。わしらもそうありたいものじゃな」
「そうだね。……本当に」
霞の気持ちを裏切るということは考えられない。例えどんな誘惑があったとしても。少なくとも、今はそう思っている。
「じゃ、カラオケ行こうか」
「うむ」
霞と手を繋いで、受付に向かうのだった。
「これが愛の形~♪」
霞が1曲歌い終えた。本人は音痴と謙遜していたが、そんなことはなく、十分上手かった。彼女は歌うと声が高くなるようだ。地声とはだいぶ違う。
「上手いじゃん! どこが音痴なの」
「いやいや、新月や巻雲はもっと上手いぞ。周りが上手いと困ったものじゃ」
新月はどことなく上手そうな雰囲気があるが、巻雲も上手いとは思っていなかった。
「巻雲さん、なんか振り付けも踊ってそうだね」
「うむ。ここだから言えるが、可愛らしいぞ」
本人の前では言いにくいのはわかる。殴られそうというのは失礼だろうか。
「俺は本当に下手だからね……」
とりあえず、中学の頃に流行っていた曲を入れる。持ち歌ではある。
1曲を歌い終えた。霞の拍手が聞こえる。
「ね、下手だったでしょ」
「いやいや、思っていたほどの音痴ではなかったぞ……なんて」
霞が冗談めかして笑った。お世辞はなしか。まぁ、それのほうが助かる。
「では、次は一緒に歌わぬか? この曲、知っておるか?」
霞が見せてきたのはデュエット曲。これも中学の頃にヒットした曲だ。大体は知っている。
「うん、多分歌えると思う」
「では、一緒に」
曲を入れると、今まで斜め向かいに座っていた霞は、皐月の隣に座ってきた。
「わ、近っ!」
「ここのほうが画面がよく見えるのじゃ。ほら、始まるぞ」
曲が始まったので、男声パートを歌う。なんか緊張する。
霞の女声パートの後、二人でサビを歌う。すると、霞が肩に手を回してきた。驚きながらも、その手を握る。すると、彼女は満面の笑顔を浮かべた。
大きくなったとはいえ、霞にリードされるという状況にはあまり変化がなさそうだ。女性慣れしていないから、しょうがないか。この状況、楽しいし。
あっという間の3時間だった。代金を支払って、カラオケから出る。
「霞さん、今日は何時まで?」
久々にカラオケなんか行ったものだから、声が枯れているのが自分でもわかる。
「声が枯れておるぞ。そうじゃな、新月には5時と言っておるが」
時刻は15時半。少し時間がある。
「じゃあ、この辺ちょっとブラブラしようか」
「うむ、良いな」
このフロアはゲームセンターになっている。適当にぶらついていると、霞が足を止めた。
「どうしたの?」
「このような菓子も景品なのか?」
霞の前にはクレーンゲームがある。景品は駄菓子の束だ。これなら取れるかもしれない。
「じゃあ取ってみようか」
100円を入れて、クレーンを操作する。霞に見られていると緊張するが、スムーズに景品を取る。
「おお、上手いのう」
「これはいいところに置いてあったよ。……霞さん、これ好きでしょ?」
取ったのはソース味の駄菓子。
「うむ、そうじゃな。この味に限る」
「じゃ、せっかくだしあげるよ。半分こにするのもなんだし」
「よいのか?」
「うん。これぐらいなら安い安い」
駄菓子だし、威張れるほどのものではない。ともあれ、霞が笑顔になってくれたので一安心。備え付けの袋に入れて、霞に渡す。
「うむ、ありがとう」
「どういたしまして」
霞と一緒に歩いていると、霞が袖を引っ張ってきた。
「どうしたの?」
「せっかくじゃし、一緒に撮らぬか?」
霞が指差す先には写真シール機。小学生の頃には何度か撮ったことがあるが、それ以来使ったことはない。
「いいけど……久しぶりだな、これ……」
「記念に、な」
「それもそうだ。よっと……」
中に入る。霞と一緒にフレームを選び、立ち位置を調整。予想以上に接近。案の定、どぎまぎする。
「ほれ、皐月、笑顔じゃ、笑顔」
「いや、やっぱこんなに近いと……」
はにかみながらも撮影が終わった。少しの間の後、シールが出てきたので、備え付けの鋏で半分こ。
……うん。霞はかわいい。撮ってよかった。
「ふふ、男前に写っておる。大事にせんとな」
「うん。ケータイにでも貼ろうかな」
鞄を持ってきていなかったので、とりあえず財布に入れる。
「では、次は何をするのじゃ?」
「そうだね……」
二人は再び手を繋いで、フロアを歩き始めるのだった。
「ただいまー」
帰ってみれば、時刻は18時半を回っていた。新月が遅刻してきたうえに、帰宅ラッシュに巻き込まれ、予想外に遅くなった。すでに姉は帰宅しており、台所に立っている。どうやら夕飯の準備をしているようだ。
「おかえり。デートはどうだった?」
「だからなぁ……」
言い返すのも面倒だ。とりあえず部屋着に着替える。
姉が台所に立っている隙を伺い、霞と撮ったシールを携帯電話の電池カバーの裏に貼る。シールをもう一度見ると、今日のことを思い出して、にやついてしまう。
「うわ、めっちゃにやけてる。キモッ」
そして、そのにやけ面はなかなか直らないのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
特にヤマもオチもありませんが、書きたかったので追加しました。
一応あと3つか4つは投下する予定……。