ワシントン21
クリスと日本人3人は、再び車に乗り、ニューアークを目指した。
夜間なので、道は空いていて、主要道路として整備されているので、速度が出た。
「文治さん。明菜さんという方は、どんな方なのですか。」
クリスは、三人が、文句も言わずに従っている事が不思議だった。
「私の娘だよ。」
藤神が答えた。
「彼女の夫は、日本の国務省北米次官でな、彼女自身も国務省の職員なのだよ。今回の旅行は、全て彼女に任せてあるのでな、我々は、その指示に従えば良いという事なのだよ。」
「そうなのですか。今回の旅行自体も、日本の国務省の指示なのですか。」
「いや。旅行自体は、我々議員で決めた事だ。君達の様に進んだ会社を視察するためにな。」
藤神が、強めの口調で言ったので、クリスは藤神の心証を害したと感じた。
「済みません。失礼な事を言いました。」
「良いのですよ。何を見たいのか、知りたいのかを伝えただけで、明菜さんが、全て計画して頂いているのですから、米国での旅行は、明菜さんが決めた様なものですから。」
横から文治が口を挟んだ。
「ところで、社長さんが、夕食を一緒されたいと、突然言われる事は、良く有る事なのですか。」
文治の問いに、クリスは暫く考え、そして答えた。
「私は、聞いた事が有りません。前を走っているマッケンリーは、社長秘書を10年程しているのですが、彼も当惑気味でしたので、そんなには無いのだと思いますよ。」
「それでは、何の気まぐれなのか、分らんな。明菜が何か言ったのかも知れんな。」
白井も気に掛かっていたのか、感想を漏らした。
「クリスさん。今日は、この後、ご予定が有ったのではありませんか。」
文治は、思いついた様に言った。
「予定では、我々が航空機に乗ってしまえば、今日は終業でしたよね。でも、ニューアークまで送って頂く時間と、御戻りになる時間を考えると、2時間程が、余計に掛かってしまう事になります。」
「大丈夫ですよ。家には、ライザが居るだけですから。」
「えっ、じゃあ、ライザさんを待たせることになってしまいますよね。」
「文治さん。大丈夫ですよ。彼女は、犬です。それに、隣のパーキンソンさん一家が面倒を見てくれていますので、夕食も心配無いのです。」
「そうなんですか。クリスさんは、お一人で暮らしなのですか。」
「まあ、そうですね。両親が訪ねてきて、3か月程、一緒に居る事はあります。それも、クリスマス前後なので、今は一人暮らしですね。」
前を行くマッケンリーが、給油のためなのか、脇の店に入った。
クリスも続いて、店の駐車場に停めた。
マッケンリーが、何か伝えてくるかと思っていたが、何も言わずに慌てて店の中に入っていった。
「なんだあ。こちらに一言あっても良いのに。
仕方無い。藤神さん、白井さん、文治さん。ここで休憩にしましょう。」
日本人3人は、クリスに促されて車を降りた。
藤神も、白井も腰を伸ばして空を仰いだ。
辺りは、低い灌木が生えている道が伸びているだけで、明かりは店の灯りだけである。
上弦の月があるので、闇夜という訳ではない。
「じゃあ、中で珈琲でも飲みますか。」
クリスは、3人に声を掛けた。3人は、誘われるままに入口に向かった。
マッケンリーが飛び出してきた。そして、扉を振り返ったと思ったら、そのまま、尻餅をついた。
続いて、店の扉が開いて、銃を構えた大男が出てきた。
「おう、スミスアンドウエッソンを馬鹿にしているのか。一発、喰らってみるか。ああん。」
「そ、そんな事は、ありません。ただ、シングルアクションだと申し上げただけです。」
「だから何だ。南部戦争では、何十人も撃ってきた。こいつはシングルアクションだが、俺の相棒だ。それを馬鹿にする奴は許さん。」
男は、撃鉄を起こして、マッケンリーの足元に打ち込んだ。
「こらあ、ラルフ。店で銃を撃つんじゃないよ。そんな奴には、もう酒を売らないからね。」
男の後ろから、女性の声がした。
ラルフと呼ばれた大男は、首をすくめて、銃を腰に収め、店に戻っていった。
「済まねえ、女将。」
ラルフが大声で謝る声がした。
残されたマッケンリーは、尻餅をついたままだった。
「マッケンリー、どうしたんだい。」
クリスが地面に座ったままのマッケンリーに声を掛けた。
銃弾がマッケンリーに当たっていない事は見て取れていたので、肝を冷やした程度だろうと、半分笑いながらマッケンリーに近付いていった。
クリスが目にしたのは、マッケンリーが尻餅をついたまま、ズボンを汚している姿だった。
マッケンリーは、子供の様に、引きつった様に泣いている。
「ありゃあ、大変だな、こりゃあ。」
「クリスさん。替えのズボンは有りますか。」
横に来ていた文治が訊いた。
「俺の車に、作業用ズボンが有るが、マッケンリーには、大き過ぎるんじゃないかな。」
「でも、このままという訳には、いきませんよね。」
「分かった。持ってくる。」
そう言って、クリスは踵を返して、車に戻っていった。
「マッケンリーさん。立てますか。」
マッケンリーは、文治に気付いて、発条細工の様に起立した。
「はい。」
背筋を伸ばして立ったが、ズボンは濡れている。
「おやおや。可哀想な事になっているね。」
店から女性が出てきて、マッケンリーのズボンを見て言った。手には、桶と雑巾を持っている。
「坊や、ズボンを脱いで、体を拭きな。ズボンは、軽く洗ってあげるから。」
そう言って、マッケンリーの横に桶と雑巾を置いた。
横を先程の男、ラルフが、大きな体を丸める様にして通り過ぎようとした。
「ラルフ、お待ちなさい。ちゃんと謝りなさい。」
女将は、ラルフを呼び止めた。
ラルフは、体に似合わない小さい声で、「済まねえ。」とだけ言って、走り去ってしまった。
マッケンリーは、子供の様に女将に言われるがまま、ズボンを脱いで、濡れた雑巾で足と尻を拭いた。
女将は、手早くズボンを丸めると、店の中に入っていった。
マッケンリーは、クリスの作業ズボンを履いて下を向いたまま立ち尽くしていた。
藤神と白井が、店の中から扉を開けて呼んだ。
「どうした。中に珈琲が淹れてあるぞ。飲んだらどうだ。」
いつの間にか、二人は店に入っていた。
店の中では、数人の客が、グラスで酒を飲んでいる。
クリスは、マッケンリーの肩を支えながら店の中に入ってきた。
文治は、その後から、桶を片手に続いた。
「女将さん、有難う御座います。桶をお返しします。」
「はいよ。」
女将は、桶を受け取り、代わりにマッケンリーのズボンを寄こした。
水洗いの後、絞った痕で、皺が目立つ。
マッケンリーは、意気消沈し、椅子に座っている。
「女将、有難う。あまり、ゆっくりできないんだ。ニューアークに待ち人が居るんでね。」
クリスは、マッケンリーの肩を叩きながら言った。
「あら、そうなのね。だから、その子は、急いでいたのね。」
女将は、マッケンリーが急いでいた事を告げた。
マッケンリーは、クリスの言葉に、我に返り、立ち上がった。
「社長がお待ちです。急ぎましょう。」
綿の作業ズボンに黒の上着という格好のマッケンリーが言った。
「女将、済まなかったな。グラスが4,5個割れてしまった。これ位で足りるかな。」
白井は、10ドル札を何枚か食卓の上に置いた。
女将は、微笑しながら、答えた。
「そうね。2枚だけ貰っておくわ。珈琲代としてね。」




