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尾張名古屋時代8

権座は、文治を桑名に残して組に戻ってきた。今迄、文治がやってきた事を改めて整理してみることにした。

組の者達は、権座が大量に紙を買ってきて、座敷で一人、黙々と書を綴っている様子を見て大混乱になっていた。遺書を書いているとか、文治の生霊に憑りつかれたとか言うのだが、直接、権座に話しをする者は居なかった。

流石に、権座も慣れない作業を半日もすると、限界になっていた。夕食を囲む時に、組の者達、賄いの婦人達の前で、文治についての事を掻い摘んで話した。

左義長を期に文治が東京へ旅立つ事、年末迄桑名に居る事、今迄の文治の行動を整理しようとしている事等である。

その内容に、組の者達も、近隣の婦人達も、大いに驚いた。婦人達は我が子を送り出す準備をするが如く、「あれを持たせて、これも持たせて、水当たりの薬だとか、新しい下着も」などと思い付くことを口にしていた。組の者は汽車の手配、東京の知人への紹介、宿の手配などを直ぐにでもしようと、夕食どころでは無くなりつつあった。

権座は、一言。「文治だったら、何と言うか考えてみろ。」

権座は、皆が文治の東京行きに文句を言うかも知れないと思っていたが、誰一人口にする者は居なかった。全員が文治を信用し、信頼し、彼が決める事に間違いが無いと考えていたし、息子の様に愛している事を嬉しく思った。自らも、そして、ここに集う者達も周りから、その様に思われる存在になるべきである事も認識できた。改めて、これからの組の者達の育成に思いを馳せる権座だった。

その後、夕食は今迄の文治について、まるで昔話をする様に和やかに進んでいった。誰もが、文治が居候をして、たった半年余りということに気付いて驚いた。僅か半年で、文治が居る事が当たり前と感じていたのである。

元服したての若造なのに、人心を捉えてしまう、そして、権座によって語られた桑名の話しからすると、短時間で店の者達の心をも開かせてしまうという凄い奴だと、組の者達は口々に話しながら食事を進めた。

最後に、白湯を啜りながら権座は言い放った。

「てめえら、これから、俺も含めて全員が文治になる。これからの人足紹介業は、力仕事の人足だけ斡旋するだけじゃ駄目だ。桑名の三吉は人足上りでも店主になって、しかも、使用人からも地域の奴等からも頼られ慕われる様になった。それも、たった一年で。それは、三吉の努力もあるが、文治が居たからできた事だ。文治は東京へ行く。残った俺達は、この名古屋の地で文治の続きをやることにする。」権座は、全員も顔を見回して、更に続けた。

「俺等は文治程の才は無い。だが、俺等は半年以上、文治と寝食を共にして、文治の話しを毎日聞いて、どうすれば文治に近付くことができるか、大体、分かる筈だ。一人じゃ足りねえかも知れねえが、俺達全員が文治になることにすれば、文治の二人分、三人分にはなる。俺達が、どれ程文治になったかは、ここに居るヨネ婆ちゃん以下、近所の姉さん達が見てくれる。

いいか、明日から、いや、今から俺達は文治だ。大晦日には文治が戻って来る。そして、左義長までの二週間、足りねえ事を文治に訊く事もできる。権座組の人足は、そこいらの人足じゃねえ、と言わせることを手始めにしていく。手前えら、山程のやんなきゃならねえことができちまったが、権座のとこに居た事の定めとして諦めて、心して動いてくれ。じゃ、俺は、これから文治の真似をする。慣れねえ紙との睨めっこをするから。」と、権座はまくし立てて、座敷へ引き籠ってしまった。

組の者達も、賄いの婦人達も呆然と権座が座敷へ消えるのを見送った。組の者達の頭の中には、文治の言動や、これからへの思いが渦巻いて、暫くは誰も言葉を発する事ができなかった。


文治も忙しい時を過ごしていた。

店の調理場では夕方の客に提供するための仕込みが始まっていた。並行して翌日の昼に出す為の仕込みが行われ、釜には全て火が入り、汗ばむ温度となっている。

文治は、その作業を手伝いながら、火傷をしない為の工夫や仕入れた生ものを傷ませない工夫、それでいて、動きが少なくて済む様な工夫、重い物を楽に動かす工夫といった事を提案し、そして、実際にやってみせて、話し合い、納得させ、店の者が自らの案で工夫が進められる習慣にするという作業を行っていた。

店の者の最初の提案は、僅かな段差を無くすといった一番若い調理場の者の提案だった。その提案は、最初は削るという単純なものだったが、その意味が、重い鍋を移動する際に火傷の危険を減らすという目的であることが分かって、皆で話し合っていくうちに、重い鍋を簡単に移動するために、そろばん玉の上を転がす、湯切り場で定位置で鍋を止め作業する時に熱湯が掛からない様にするという工夫に迄行き着く結果となった。

そんな皆で知恵を引き出し、次の仕事を考える時間を捻出するということを習慣付けることを短期間で実施しなければならないという強行日程となっていた。

この工夫を習慣付けるという作業は、調理場だけが対象では無かった。接客や帳簿付けについても対象となっていた。

客に気持ち良く買い物をしてもらう為の工夫を番頭、若手の区別無く話し合った。客を待たせている間に、客が待っているという意識にならない接客方法の工夫、ついで買いに繋がる接客、客が欲しくなる商品考案に向けて調理場との連携をする習慣、そのための調理場の者が接客をしてみるという試行などの話し合いをさせて、そういった事をする理由や目的を意識させ、店の者全員が話し合いの内容を理解し、共有するといったことを毎晩、行わせた。

調理場では、実際に作業が目に見えて楽になっていくので、文治が提案することを自分達で改善していくことが、如何に大切なのかを納得して実施していった。元来、三吉が指示して改善をすることに抵抗が無かった者達であり、文治の話しは、その内容の延長上にある事なので、すんなりと受け入れられる素地はできていた。


あと二日で大晦日となる日に、店主の知美は、閉店後、店の者と夕食を摂りながら、明日には帰途に就く文治に礼を言った。

「二週間前迄は、毎晩へとへとになるまで、皆、先の事を考える事などできず、体を休ませることしかできませんでした。それが、文治さんが来てもらってから、段々と余裕が出てきて、そして、お客様も増えて繁盛しています。何より、店の者全員が先を考えて仕事をする様になって、明日が楽しみになってきています。明日には、文治さんがお戻りになりますが、私達は、これからも続けていくことができると思います。有難う御座いました。」

「いえ、皆さんが私の様な若輩者の事を聴いていただくという姿勢が、食材の声やお客様の声を聴くという事に繋がっただけのことです。時期に合わせ、時代に合わせ、お客様の求めるものを手頃なお値段で提供し、お客様に喜んでいただく、そして、仕入れ先の方々も、我々も商売繁盛することで、嬉しい時が過ごせる様に、工夫をすれば良いことを共に学ばせていただきました。そのためには、手間を掛けても支障が出ない様に要らない仕事を減らしていくことが大切ということも学びました。」

店の者達は、皆、頷いている。

「たかだか二週間という短い期間でしたが、私にとっても大変貴重な経験でした。これは、私の率直な感想です。同じ様に、皆様にも、この期間の学びが、更に大きな成果となっていく様に願っています。」文治は、店の者達の顔を見回して、誰もが成果を上げる者達であることを確信した。

「一つだけ、重ねてのお願いです。面倒でも、ご近所様とのお付き合いは大切にしてください。御近所様は店が商をしている事を当たり前として受け入れていただけていますが、何もしなければ、いつまでも当たり前に受け入れ続けていただけるとは限りません。お付き合いを続ければ、受け入れ続けてくださることができるでしょう。既に、行っていただいていますので、今更の事なのですが、お忘れの無い様に申し上げておきます。皆様と一緒に暮らさせていただき、大変有意義な経験をさせていただきました。重ねてお礼申し上げます。」

店の者達は、今夜も驚きとなった。文治は店の為に八方手を尽くして、新人から店主の店の全員のみならず、前店主の後家とその娘の意識をも変え、その結果、行動をも変えていった。店の者の個々の技能を見つめ直させ、店の者達全員を一体にさせていった。その文治が、礼を言うなどとは思いも依らぬことだったからである。


権座組の周りは、大混乱だった。今迄も権座の気まぐれによって、組の者達が早とちりして暴走する事は有った。だが、今回の暴走は異常だった。

今迄、恫喝に近い口調だった強面の者が、突然、変な丁寧語で話し始めたのである。人足の紹介を受ける会社の者も、紹介を受ける人足も、全員が奇異の目で見る。そのことは直ぐに噂になって、権座組は狐に憑りつかれたに違いないという話になっていた。

だが、当然、付け焼刃の丁寧語であるので、少し揶揄えば、素が出てくるので、まるで滑稽な漫談の様でもあった。

「何事も形から入る」という権座の指示を履き違えて対応する者が大半であった。何しろ文治になるといっても、大半の者は食事の時しか文治と接していないので、文治になるということは、丁寧な語り口調で柔和に接して、穏やかな口調で示唆をする、諭すということだ、その中に少しの誇張や引き合いを含めて愉快な雰囲気を醸し出すことだと勘違いする。

組の者達が、そんなことになっていることが権座の耳に入って、直ぐに組の者達を呼び集めた。権座が求めるものを明確に説明していなかったことだと、反省しきりであった。権座が組の者達に求めるものを説明した。

それは、地域の人達や地域で働く人々にとって、権座組の者達が居て良かった、権座組の者達は役立つ者であると常に感じてもらえる状況となる事である。今迄は、人足達にとっては有難い存在だったが、地域住民にとっては、やくざな厄介者達だと映っていた。文治が来るまではである。

権座は、文治が東京へ行ってしまったら、元に戻ってしまうことを恐れている。文治が来る前と後で何が変わったかといえば、毎日の様に起きる問題の解決方法を夕食で若衆達に報告させ、理想的な解決方法に向けて、時間を掛けて導いてやるということが習慣になっているということである。この結果、無用な騒動を起こす事無く、誰もが納得する解決対応となっていく。そのことが、大きな成果として全員が認識している。

誰もが納得する解決方法を選択することを組の者達に学ばせる方法として、権座は、文治の「形」という表現をしたが、それが間違いだった。

皆を集めて、権座は文治の真似をして、諭す様に説明をしていった。言葉を選びながら、組の者達が理解できる様に、具体的な事例を引き合いに出して、何をしなければならないのかを指示するというものである。たった10分少々の説明だったが、権座の脳味噌は沸騰しそうだった。

皆に分かり易く説明をして納得させるという作業が、どれだけ大変な事なのかを、権座は、やってみて、初めて身に染みる思いだった。文治は、毎晩、こんな事をやって、更に婦人達にも受けの良い話しを加えていた。自分が文治になる事、皆を文治にさせる事などは、到底出来るとは思えなかった。

こんな時に、文治だったら、どう言うだろうか。聞いてみたいと思う。多分、文治なら、笑いながら、分かり易く、対処する方法を二つ三つ話してくれて、その中から出来そうな事を選ばせてくれるのだろう。権座は、一つも思い浮かばなかった。

それでも、組の者達は、合点がいった様で、「なあんだ、今迄のままで、ちっとも構わないんじゃないか。」「人足達を使う時に、いつ迄に何をするのかを、ちょろっと言って、お前の仕事は、そん中のこんだけだ、って言うだけじゃねえか。」「俺っちの取り分二割、人足の取り分八割って、はっきり言えば良いんだよな。」

そう言えば、こいつ等も文治と共に生活し、文治の行動や考え方をいつの間にか学んでいるのだ、難しい事を考えて話してやる必要は無いのだと、気付いて、権座は文治の居候を決めた結果が、如実に現れてきていることに安心と達成感を感じた。

「おう、カネ婆さん。二十八日には、餅つきするんで、孫連れてきなよ。おなご衆も、二十八日の餅つきには、子供達を連れてきなよ。正月には、持ち食おうぜ。」

権座は、予想以上に育った組の者達を喜んで、大判振舞いをすることに決めた。

組の者達も、小難しい事を考えなくても良いのだと分かって、権座の言葉に気勢が上がった。

翌日からは、組の者達は、一昨日の状態に戻っていた。だが、意識は少し違った。人足達に情報を与える機会が確実に増していた。

今迄は、或る程度の内容を知らせる程度の対応だったので、人足達の動きが悪く、人足達を、兎に角けしかけ、急がせるとか、間違った仕事をした者に激怒するという事が多かった。しかし、情報として、いつ迄に、どうしなければならないのか、そのための人足達の仕事が何なのかを予め与えておくという方法を採っていくことにした。そうすることで、人足達の動きが、まるで違う事が分かる。また、間違った作業が殆ど無くなり、分からなければ人足達が自主的に問い合わせてくる姿さえも見られる様になってきた。言われた事を何の考えも無しに動くことと、自分で考えて行動する事では全く効率が違ってくる。

人足の受け入れ先は、直ぐに権座組紹介の人足達が、他の紹介の者達と比べ、全く違う動きとなったことに気付く。何軒もの仕事で、期待以上の仕事の出来栄えとなったり、予定よりも早く終える事ができたりと、大助かりとの声が聞こえてくる。

人足達は、日当で給金が決まるので、早く終わってしまうのは、日当が得られなくなる危険性がある。だが、権座組への紹介依頼は、その評判から絶える事が無いので、次々に仕事に就ける。権座組としては、仕事の一件当たりの金額で引き受けているのだから、多くの受注を得て、利益が上がっていく、そうすると、人足達への日当の額を上げることもできる様になる。そうすると、益々、人足達の士気が上がっていく。という、極めて高い好循環に繋がっていく。

人足達の中には、仕事の内容を基に、他の人足達に指示ができる者が現れる。組の者は、そうした者を人足頭として優遇するのだが、今回の取り組みで、数日で、顕著になっていく。かつての、文治にとっての三吉である。そして、人足頭としての期待以上の頭角を現す者には、組員への勧誘をする者まで居た。


文治が戻って来る数日前の夕食では、人足達を上手く使う為の意見交換会となっていた。小難しい事を言うと飯が不味くなると言っていた連中が、全く違う者達に変貌していてた。賄いの婦人達も、権座組の連中の話の輪に入って、権座組が面倒を見ている人足の妻子に対する対応への意見等を言う様になっていた。ただ、婦人達は、議論するというよりも井戸端会議の様な雰囲気での話しなので、時折、笑いが起きる様な事も少なくなかった。それは、文治が居る時と変わらない雰囲気なのである。


二十八日は、夕刻から餅つきを始めた。例年、大勢の者が庭に集まるのだが、今年は、それにも増して人が溢れ、通りにまで人がはみ出し、警官が急遽、人波の整理に駆り出される程になっていた。酒の入った者同士の言い争いも起きたが、そこは従前の強面連中の店である、一喝で争いは収まってしまう。

もち米も、小豆も足りなくなって穀物問屋に走る者、つき手が足りずに、杵や臼を借りに走る者、近所の釜と釜戸を借りる者などで混沌が増していく。この走り回る者達は、仕事帰りの人足達が引き受けてくれている。権座組に所属しているという意識の顕れである。

町全体が、祭りの様相を呈していた。こんな大々的な事が起きるとは、権座も権座組の者達も予想だにしていなかった。そんな予想外の事にも、機転を利かせ、色々な指示をして、多少の騒々しさに対する苦情はあったが、殆ど問題無く餅つきが進んでいき、人波整理の警官も、近所の子供達も、地域の大人も、人足達も、つき上がった餅を頬張りながら、楽しい年越しと新年となることが感じられる、そんな催しとなっていた。


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