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尾張名古屋時代7

程無く、二人は三吉の店に着いた。

店に着いて、権座は驚きを隠せなかった。人足上りの三吉の店ということで、小ぢんまりとした数名の店員で回す程度の店だと思っていた。しかし、その店は創業数百年という老舗だった。老舗ではあっても、客は引切り無しにやって来る。

「文さん、こりゃあ何だい。人足上りの三吉の店じゃなかったのかい。」

「はい、三吉さんのお店です。」

「はあぁ。だかだか1年やそこらで、こんな立派な店を持てる訳が無かろう。訳を聞かせてくれ。」

「あ、そうでした。三吉さんの説明はしましたが、こちらのお店の説明はしていませんでした。申し訳ありません。」

文治は、三吉に絡めながら、簡単に店の説明をしていった。この店は桑名の殿様の時代より続く店で、三吉は、この店の妾の子で、妾が暇を出されると共に名古屋へ引っ越し、母一人子一人で暮らしていた。この店も、老舗に有りがちな、客商売という意識が無くなった期間が長く続いて、江戸幕府が無くなり、藩のご用達の機会も減って、左前になっていた。それに加え、店主と後継ぎの男児が相次いで病で亡くなった。店主が亡くなって数年間は、当時の番頭が店を任されていたが、奉公人に給金が払えなくなって、お店を閉める迄になっていた。店の家族も後家と嫁いだ娘のみとなってしまう。本来ならば、店が潰れて御仕舞なのだが、桑名の町の人々や旧藩主の子等が、この店の味が途絶えることを惜しむ声があった。番頭が、後継ぎを探すことになって、三吉さんが探し出された。

「三吉さんは、このお店で育ったのですから、舌は確かですし、毎日の遊び場がお店の調理場だったそうで、料理人の方々とは旧知の仲となっておられて、店を閉めた時に暇を出された方々を呼び戻すには、大変役に立ったそうです。」

「妾の子が幸いしたってことか。だが、殿様商売のままじゃ、やっていけなかったのじゃねえのか。」

「そこは、一旦、お店を畳んで帳場の人や番頭さんは、もう居ませんから、数人の職人さんと三吉さんだけで、お店を開けたそうです。半日だけ、お店を開けて、半日は三吉さんはもちろんですが、職人さん達も行商をしたそうです。先代の後家様は、年で足を悪くして行商はできませんので、他の方々が行商に出ている間、ご来店くださったお客様のお相手をする対応をされていたとのことです。数か月で、お客様が戻って来てくださって、今では有難い事に、忙しくなっています。そこまでになった折に、三吉さんが亡くなったということで、大変残念な事です。」

店の中には、若い丁稚が二人、帳場に番頭が座っているが、買い物に来ている客は十数人、奥からは何人かの職人が声を掛け合う声が聞こえる。二人が店に入っていった時には、文治を見止めて、丁稚、番頭は手を止めて歓迎の意として、深々と頭を下げた。そして直ぐに、客対応へ戻った。店の者達は皆、腰が低く客を公平に扱う。今夜のおかずに要る分だけを求める少量の客にも丁寧な対応をしていた。店主の三吉が居なくなったとは思えない程の動きの店員達である。

文治と権座は、番頭に午前中の忙しい時間に来てしまった事を詫びて、暫く外を回ると告げ、店を出た。

文治は、店から出てきた客を捕まえて、店についての感想を聞いた。或る者は対応の親しさ、丁寧さを評価し、或る者は価格の手頃さを喜んでいた。そんな中でも店主の三吉の不在を口にする者も有った。三吉が店を再開し、身を粉にして働き、その人柄の良さを好まれ、伝統的な味を守ると共に、時代に合った新しい商品を出してきて、商品の価格は手頃なものに抑え、偉ぶらず、近隣の行事へは積極的に協力する姿勢であったのだから、長く見ないと気になる人が少なくなかった。

店の内外には、喪中、忌中が分かるものは何も無く、店主が亡くなった事を知らせるものも何も無かった。したがって、客は店主が他界したことを知る由も無かった。

昼の客足が途絶えた頃、文治と権座は再び店を訪れた。店の者達は遅い昼食を摂っていたが、文治達を快く受け入れてくれた。文治達も賄い食のご相伴に預かりながら、話しをすることになった。昼食には足を悪くした後家、その面倒を見ている娘、三吉の妻と幼い二人の子も一緒だった。

先ず、権座が切り出した。「三吉が亡くなったのは、いつの事なんだい。」

「主人が亡くなって六日になります。」三吉の妻の知美が答えた。

「それじゃあ、未だ、忌中じゃねえか。何日、店を閉めたんだい、」

「半日程です。」

「なにぃ、・・・」

「主人の遺言が有ります。今、持って参ります。」知美は奥から一通の書状を持ってきた。

遺言、

一つ、私財、自宅は妻と子に与える。一つ、伊勢屋の株は妻、知美に譲渡する。但し、知美が以下の事を行う事を必須とする。条件1、伊勢屋は地域の財産であり、社員の給金の原資であるので、私こと三吉が他界しても、それを理由に長期の休みとしないこと。条件2、原料または燃料の入手困難や天災等によって地域社会への貢献が優先されるといった特別の理由が無い限り店を休むことが無いこと。但し、年間、月間で定める休日は除く。一つ、方針である誰もが店の顔であることが貫ける様に、指導や相互の意見交換ができる様に計らうこと。

以下はお願いである。義母はなを手厚く介護して欲しい。亡き父幸吉の連合いなれば。

「私は、伊勢屋の株が欲しい訳ではありませんが、三吉が遺言にした意味を考えますと、この伊勢屋を地域の方々のお役に立てる店で有り続ける事を私とこの子達に託したいとの思いだと考えております。私も地域の方々に支えられてこの子達を育ててこれたと感謝していますので、三吉の意思を継いでいきたいと思っています。」

「遺言にしたがって、店を休まなかったということか。ところで、三吉は何で死んじまったのかい。」

知美も店の者も互いに顔を見合わせて、口にすべきか迷っている様子だった。そして、店の者達が下を向いて黙っているという時間が暫く流れた。

口を開いたのは文治だった。「権座さん、三吉さんは、御上の手打ちに遭ったんですよ。」

権座は、自らも受けている御上の不条理が直ぐに思い出された。そして、下唇を噛んで黙り込んだ。

どんな不条理なのかは、権座は聞かなかった。自分に降り掛かった多くの不条理は、役人の駄々、気まぐれなのだから、理論理屈では解することはできない。何度掛け合っても、門前払い、血気盛んな若衆が掛け合いに行った時には骸となって帰ってきた。いつの時代も、権力側に居る者が弱者を踏みにじることには変わりが無い。

そんな事情は百も承知なのだが、権座は行き場の無い憤りを持て余してしまっていた。

「権座さん。三吉さんは、御上の仕打ちに怒っていたのです。庶民にできる抗議を考えていたのでしょうね。三吉さんが亡くなっても、お店は喪に服すこと無く商いを続けています。商いは御上の都合には左右されることは無く、御上の駄々は庶民にとって怖いものでは無いのだと見せることを望まれたのでしょう。」

「そんな事で、犠牲になった三吉が浮かばれるのか。役人の我がままに踊らされる庶民の抗議を貫くために。」

それ以上は、権座は何も言わなかった。ただ、黙々と昼食が進み、食器の音だけが暫くの間、食卓を支配していた。

白湯を飲み終えた後、権座は聞きたいことが山ほどある中で、一つだけ質問をした。「その後、役人からは何かあったのかい。」

「・・・一つだけ。」と知美は答えた。「私が店主を務める事を許すと。」

この事が何を意味するのか権座には理解できなかったが、隣で文治がにこやかに頷いているのを見ると、役人の方に非が有った事が認められたのだろうということが何となく分かった。

と、突然、文治はいつもよりも下座に移り、また、正座し、深々と頭を下げて言った。

「皆さん、私がもう少し、三吉さんに世渡りを伝えていれば、三吉さんは別の方法を選んでいたかも知れません。私にも三吉さんを亡くした一端が有ると考えています。そこで、これより年末迄の間、私、文治は軒をお借りして、知美さん以下伊勢屋の方々の商いのお手伝いをさせていただきます。短い間ですが宜しくお願いします。」

権座は、客が捌ける迄の間に文治から聞かされていたので驚きはしなかったが、店の者達も何も言わずに頭を下げたことには驚きを隠せなかった。全員が、文治の滞在を承知しているということである。

文治の書状が返送されてきたその日には、既に文治は三吉他界の噂を聞き、気丈に店を切り盛りする知美に会い、説得し、三吉の考え方を店の者に説いていた。その内容が全員に行渡っているということが権座には驚きだった。

昨日、文治が朝に出掛け、権座が返ってきた書状を読んでいる夕刻に帰ったきた事は知っているが、往復の時間を考えると、短い時間で店の者達全員を納得させたということである。

店の者達は、三吉が指示する内容が、文治の指摘を反映したもが少なくない事を誰もが知っていて、三吉亡き後、年末までの慌ただしい期間ではあるが、三吉の様な技量を身に付ける機会であることを認識している。

権座も、文治を居候させている理由に通じるもので、良く理解できる。権座は、文治が戻って来る元旦から、文治が東京へ旅立つ迄の二週間が、最後の学びの場であることを自らに言い聞かせった。


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