洋行14
監視員の負傷者が出て、20分程経過した頃、急に天候が回復した。嵐を抜けたのである。
未だ、波は高いので気を抜く事はできないが、先程までの高さに比べれば、随分と低くなっている。
雲が薄くなって、明るさも増している。
極限状態が続いたガーニック、マードは大きく息を吐いた。
マードは、海図を確認して、ビーグル水道迄、僅かな距離となっている事を確認し、ガーニックに告げた。
監視員達も揺れに備えて手摺りを強く握っていたが、支える程度に力を緩めることができた。
「ん。」
右舷を監視している者が声を上げた。
窓枠に身を乗り出し、望遠鏡で確認をしながら報告をした。
「船長、水柱が見えました。・・あ、また。」
ガーニックは、舵を大きく左に切った。
船は左に傾き、机の上の定規や方位磁石が床に落ちた。マードは机にしがみ付いた。
「マード、鯨だ。2頭以上の様だ。」
ガーニックは大声で怒鳴った。
マードは右舷監視員の所へ行って、双眼鏡で確認をした。
「凄い。船の2倍以上の大きさだ。」
そして、振り返って、ガーニックに言った。
「船長。あまり陸に近付かないでください。岩礁に乗り上げてしまう危険があります。
鯨は、こちらに近付いては来ません。離れていく様です。」
ガーニックは、舵を戻し、船は水平に戻っていた。
マードは床に落ちた道具を拾い上げ、陸からの距離と現在位置を確認した。
その後、1時間程航行し、ビーグル水道の入り口に達していた。
ビーグル水道に入ると、外洋の荒波が嘘の様に落ち着いた状況となっていた。
運行に余裕が出てきたことから、ガーニックは船員達に被害状況の調査を指示した。
既に灯りが要る時間となっていて、昼間で無ければ分からない箇所も有ると思われるが、直ぐに手を打たなければならない箇所の把握をするためである。
機関室は、石炭が大量に床に散らばっていて、機関士のトビアスと、助手、更に手伝いをしていた下働きのサムは、全身が真っ黒である。
厨房は揺れを予想して固定してあった食器棚や食材庫の転倒は無かったが、それらの棚の中身が扉を開ける時に崩れてきた。作り置きの豆の煮物は、固定してあった蓋が外れて半量が床にこぼれていた。
調査結果として、怪我をしたのは、左舷を監視していたアダムだけで、商人達や貴族院の者達も無事であった。船体にも緊急で修繕が必要な箇所は見当たらなかった。
船は、船首に灯りを点け、切り立った岩々を両側に見ながら、速度を落として進んだ。
この水道の中でも、鯨が出現する可能性が有る。今のところ、鯨に遭遇しても避けるだけの余裕は有る。
気温は氷点下まで下がるので、甲板での監視は難しい。したがって、操舵室での監視となる。ただ、外洋での遠方迄監視という状況ではないので、監視員の人数は1名である。
夕食は、豆の汁、チーズ、干し肉となっていた。こぼれてしまった豆の煮物を汁に仕立て直すしかなかった。
船長のガーニックと航海士のマードは、流石に疲れ果てていた。機関室で奮闘していた3名も気が抜けた様で、黙々と夕食を口に運んでいる。
食事を済ませたガーニックとマードは、壁際の椅子に座ると、何かを話していた様だが、直ぐに居眠りを始めてしまった。
船は、船長見習としてトーマスが舵を握っているが、食事を済ませたら指導するという約束は、果たせそうもない。
「おい、ヨハン。南アメリカを回らずとも、ワシントンへ行ける様にならないのか。」
オウルは、商人団仲間で比較的、交通に詳しいヨハンに話し掛けた。
「中央アメリカを横断する方法が最も可能性が高い。ただ、100kmの距離が有るからなあ。」
「100kmか。それなら、スエズよりも短い距離ではないか。スエズは南アフリカを回る事を避けるために整備されておる。どうだ、やってみるか。儲かるぞ。」
ヨハンの言葉にオウルは指摘した。
「スエズは、平らな土地で、大昔から手が付いていたから、掘り直すだけだったので、可能だったのだ。
中央アメリカは、標高がある。単純に掘っていくだけでは無理だろう。可能ならば、既に始まっておるだろう。」
「そうか、簡単ではないな。だが、我が国を陸路で横断するのでは、西と東で物流が滞ってしまう。何か考えねばなるまい。」
「うん。西海岸で商売をする者が考える一番大きな課題だからな。」
オウルとヨハンの話は、それ以上進まなかった。
今回の嵐の中を突き進んだ直後なので、食堂に居た者達は、オウルの話に思わず聞き耳を立ててしまっていた。
「オウル様。私達も幾度か南アメリカを回らなくても良い方法が有ったら良いなと、話しています。でも、誰も良い答えを持っていないという事は変わらず、ですね。」
給仕をしているラジムが、オウルの皿に汁を継ぎ足しながら言った。
「文治さんなら、何か良い答えを出すのでしょうかね。」
ラジムは、一言、付け足した。




