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帰京4

實小路は、古荘と文治を従えて、いつに無く早足だった。急いでいる事が分かる。

応接に入っていくと、作務衣を着た男が立っていた。吉次である。

「おう、吉次。ご苦労。

古荘殿、彼は吉次といって、警察庁の者だ。まあ、話を聞こう。」


古荘は、何故、警察の者が同席するのかの説明が無く、報告を急がされて、困惑顔で椅子に座り、鞄から紙を取り出した。

實小路と文治は、机を挟んで反対側に座り、吉次は扉の脇に立ったままである。

古荘は、吉次を気にしながらも、食堂での話題を続けた。


殆どの話は、終わっていたので、米国へ経つ者達の名前と職業、その者達の性格等を話し、未だ、説得できていない者と、その者達の所属する企業の状況について説明をした。


「古荘さん。その用紙は、お持ち帰りになるのですか。」

文治が訊いた。

「えっ。これは、自分の覚えですから、持ち帰りますよ。」

「そうですか。控えを取らせてください。宜しいですか。」

言うが早いか、文治は、古荘が机の上に置いた紙を取り上げ、いつの間にか用意した紙に書き写し始めた。


文治が書き写している間に、實小路は吉次を呼び寄せ、椅子に座らせた。

「古荘殿。警官が居る事を奇異に思っているだろう。その説明をしよう。

実はな、我が家は数か国の諜報員に監視されておったのだ。今では、二か国程度に減っているがな。

その二か国の間者の動きを、この吉次が探ってくれている。

洋行帰りの初日から、面白くない話だが、監視が始まったと吉次が報告してくれた。

そして、今、貴君が我が家に来てくれておる。

奴等は、貴君が来てくれた時には、未だ、監視を始めては居らんかった様なので、貴君の事は、気付かれてはおらん。奴等が、貴君を知れば、貴君も諜報活動対象となってしまう。

そこで、貴君には、一つ芝居をしてもらいたい。

これから料理人達を返すので、貴君も料理人の姿で帰って欲しいのだ。衣装は、用意させるのでな。」


實小路の話しが終わると同じくして、文治は覚書を古荘に返した。

古荘は、今迄、諜報活動などとは無縁だったので、文治から紙を受け取りながら、どう対応したら良いのか、全く分からず、困惑した顔になった。

「古荘殿。そう深刻にならんでも良い。

今迄、危害が及んだのは、この文治君だけだ。それも、指示をした張本人は、既に処分されておる。儂も監視されておるとはいえ、普段の業務には、殆ど支障をきたしてはおらん。

だが、念のため、貴君が我が家に来た事を知られぬ方が良いだろうという事だ。」


古荘は、文治に危害が及んだと聞いて、文治を見た。

文治は、とても武道をしているとは見えない体格で、その彼が、何事も無かったかのようにしている。

警察の者が守っているのは、そのためなのだと、古荘は納得した。


古荘は、指示されるがまま衣装を替え、料理人達と共に、勝手口から實小路家を後にした。


「吉次。間者は、どこの国の者かね。」

「未だ、明確ではありませんが、恐らく、露国だと思います。奴の訛りが越後辺りでしたので。」

「越後か。露国だろうな。それで、何を探っているのか分かるか。」

「未だ、分りません。恐らくは、明日、皆さんが集まってからの行動だと思われます。」

「そうか。それでは、一旦、集まってから、議員会館へ移動して、話をするか。奴等も議員会館の中までは来れまい。」

「旦那。それが、最近、怪しい雲行きになりつつあるのです。」

「ほう、何だ。」

「会館の職員に、間者の近親者が近付いています。」

「怪し気な者が近付いたとしても、職員ならば、警戒するだろう。」

「それが、市中銀行の行員なのです。役職も課長です。議員への献金に来たり、預託を引き受けたりしていまして、下院の自由党に入り込んでいるのです。」

「それは、厄介だな。その近親者の情報は、いつに判って、対処は、どうしているんだね。」

「判明したのが、二日前です。確証が取れたのが、今朝です。自由党に顔の利く多羅尾様には、今朝、連絡致しました。」

「そうか。良い判断だ。それで、多羅尾は何と言っておるのかね。」

「多羅尾様は、密偵を使って探ると。自由党の幹部の方と、本日、夕食を共にする算段をすると言われていました。」

「おう、そうか。流石に動きが早いな。良し、明日は予定通り、我が家での会合とするか。

吉次、ご苦労だが、宜しく頼むぞ。」

吉次は、一礼をして出ていった。


「實小路さん。古荘さんの控えです。」

文治は實小路に、先程、古荘の覚書を控えたものを渡した。

「おっ、未決定の候補者と企業名も書いてくれたのだな。

うん。これに住友の情報を足せば、今回の訪米成果の進捗が見られる訳だ。

さて、長旅の疲れを癒す為に、今日は早目の風呂とするか。」

實小路は、独り言とも、文治に告げるともなく、そう言って自室へ戻っていった。

文治は、いつもの様に、紙とペンを持って自室へ戻った。


文治の部屋には、大量の紙束が置いてある。旅行中に書き留めて、日本へ送ったものである。

当初の予定では、往復4週間の船旅と4週間の滞在だったが、船旅で2週間を余計に費やしたので、滞在が2週間と短かった。したがって、予定とおりであれば、紙束の量は、もっと増えている筈であった。

それでも、旅行記にするには、十分過ぎる量である。

紙束には、實小路家の職員が受け取りの時に付けてくれた受取日が束に付いている。

そして、順に並べてあるので、整理がし易い状況である。


文治にとって、直近の気掛りは、米国へ旅立つ者達の事である。

彼等は全員、初めての洋行である。日本と米国の習慣の違いや留意すべき点を伝えるべきと考えていた。

日々の生活の中で、覚えていく事が許される内容については、彼等の体験に任せるにしても、それ以外の事で、特に、危険が及ぶ事項や研修に支障となる事項は、全員の共通留意事項として伝えるべきである。

事前に分かっていれば、彼等の心労を軽減するために役立つのであるから。

そして、研修先の企業の情報については、サンフランシスコの公館に残してきてはある。だが、船での移動時間が有るので、事前に把握させておくべきである。


古荘が伝えてくれた情報には、名前と年齢、勤務先以外にも、簡単ではあるが、出身地や家族について記述があった。

そこから、類推する育った環境や習慣に対して、留意すべき内容も、個別に伝えることにした。


文治も旅の疲れが有って、眠気と闘いながらの作業となった。

開け放たれた窓から、夜気が入って来る頃に、ようやく書き終え、封筒に入れ、金丸に託した。

文治も風呂に入り、のぞみが用意してくれた紅茶を飲み干すと、力尽きて眠りに落ちた。


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