帰京3
「古荘殿、文治君は欲深いのだよ。」
實小路は、文治の答えに納得できないといった顔をした古荘に向かって言った。
「欲深い・・・」
「そう。知識欲が極めてな。」
「知識欲というのは、初耳です。どんな事なのですか。」
古荘は、知ったかぶりをしない男である事が分かる。
「凄いのだ。何でも知りたがる。我々が説明をしてやると、我々にとって当たり前として、あまり深く考えてこなかった事迄、問うてきてな。我々が答えられなくなる迄、質問をしてくるのだ。」
「そうですか。まるで、幼児の様ですな。」
「うん。だが、文治君の場合は、そこからが凄い。全てを文書として残しておくのだ。
儂等は、専門外として知ろうともしなかった事であっても、文書として回って来るだから、読んで学んでしまう。
専門家が、素人の文治君に、分る迄説明をした内容が、全てを素人の目線で文書にしてあるのだから、分かり易く、これを読んだ素人は、一気に専門家になってしまうのだよ。」
古荘は、半信半疑といった顔で聞いている。
「旦那様。私は、いつも文治さんの手紙の写しを持っています。何度読み返しても、毎回違う気付きにつながるのです。」
のぞみは、前掛けの奥から、封筒を取り出して、實小路に渡した。
「ほう。これは、いつの時の手紙かね。」
實小路は、のぞみから封筒を受け取って、尋ねた。
「はい。三吉さんの奥様と、お店の方々が、地域の方々と協力して、お店を立て直す努力をされた話です。」
「ああ、確かに、色々な人の思いと温かさに、自らが何を為すべきかといった事を考えさせられる内容だな。」
實小路は、のぞみの了解を得て、古荘に渡した。
「我が家の職員は、文治君の手紙で育った様なものなのだ。古荘殿も、一読されると良い。
先程の専門家の件とは、少し違うが、細かな所迄、説いてある事は同じだよ。」
古荘は、他人宛の手紙など、読んだ事が無かったので、少し躊躇いながら、手紙を広げた。
書き出しは、實小路宛となっている。
古荘は、實小路を一瞥した。
自分宛ての手紙を使用人に読ませた。更には、写しを許すという事が、不思議でたまらないという意味である。
實小路も、差し出した文治も、平気な顔で、飲み物を口に運んでいる。
古荘は、仕方無く、続きを読む事にした。
概略は、のぞみが言った通りの内容だった。しかし、その前の前段が有った。
権力者に仕える者が、その権力者の笠を着て、傲慢な態度や三吉の奥方への仕打ちが正確に書かれている。
何の脚色も無く、事実だけが客観的に書かれているので、読む者には、辛さを想像させるに十分である。
その後、地域の者達との交流、地元の有力者との面談、地方行政との交渉、店の得意先訪問といった、数々の内容が掛かれ、その中の一部は、代表的な事例として克明に記述されていた。
交渉をするに当たっての目標や目的を明確にし、交渉直後に、交渉した結果を、その場で記録した事、そして、成果の達成度も自己評価してある。
十分な根回しをした上で、最後の訴えを行政に行い、店を取り潰させない様にした事が、結果として示されていた。
ここまでで、十数枚の紙面である。
そこから、店を元の盛況にするための店の者達の努力が綴られている。
離職した職人達を呼び戻すに当たって、
安心して働ける地域の環境整備を考え、行政の圧政軽減を地域の有力者と共闘した事、
給金支払い確保のための得意先回りや仕入れ先回りをして、その者達から言われた内容や期待された内容、
当座資金確保のための家財の始末では、店主の遺品を泣く泣く手放す事になり、その中に店主三吉が残される家族を思って先々迄考えてあった内容が分かった事、
辞めずに残ってくれた店の者達の無償の支援と、それらを可能にした生前の三吉の人となりや人々への貢献などが、書かれていた。
そうした努力の結果として、三吉が好き、三吉の店が好き、三吉の店で働く者達が好きという状況を作り出すことができ、店は徐々に活況を取り戻していった。
この危機を経験した者は、自分達を支えてくれる人々や顧客へ、謝意や礼を尽くす事になって、更に、店が好きという人々を増やす事につながったと結んであった。
古荘は、文書を読む事には慣れているので、読み進めるのは速い。それでも、時折、目を閉じ、暫くして、また読み続けるといった行動をとった。最後の方では、「うん、うん。」と独り言を言い、読み終えて顔を上げた時には、薄っすらと涙を滲ませている様にも見えた。
古荘は、丁寧に手紙を封筒に戻し、のぞみに直接手渡した。
「文治さんは、この様な経験を何度もしているんですか。」
どこか涙声にも聞こえる声で、古荘は尋ねた。
「いいえ。何度もという訳ではありません。知人を亡くして、その様な対応をしたのは、三吉さんだけです。」
文治は、曖昧な答えをした。
「古荘殿。文治君は、同じ様な手紙を7度送ってきてくれている。
まあ、手紙だから、掻い摘んで書かれておるので、全ての事項での人々の機微は分からぬがな。それでも、読む者に分かり易く書く努力は惜しんではあらぬし、何通かには、別紙で説明を付ける様な事迄してくれている。
いつも読み手が分かる様に気を遣ってくれているのだよ。
その対応は、会議の議事を書く事にも反映されておって、議事には注釈用の別紙が付いておる事が珍しくない。時には、議事録よりも注釈の方が多い事もある。
その注釈は、文治君が我々から訊き出す事で書かれておって、議事録の読み方で、異なる解釈ができない程になっておるという事だ。」
古荘は、實小路の説明を聞きながら、文治を見た。
文治は、紅茶を啜りながら、焼き菓子を摘まんでいる。
「文治さん。貴方は、こんな事を實小路さんに言われて、面映ゆくは無いのですか。」
古荘は、實小路が文治を誉めちぎっているのに、平然としている事が気に掛かった。
「はい。もう慣れました。
實小路さんが私を誉めるのは、私に対して、もっと精進する事を求めているのだという事です。
先程の話でも、説明用に別紙を用意したとありますが、別紙を見なくても、本文だけでご理解頂ける様な文書にする事を求められていると理解しています。
そうすれば、貴重な時間を、基本的な事項をお伺いする事に費やすことを避けられ、議題の深部やその先について討議できるでしょう。
その様に考えて、實小路さんのお話を伺っています。」
古荘は、文治の発言に、返す言葉が無く、黙ってしまった。
「古荘殿。これが文治君だ。どうだ、面白いだろう。文治君と話をすると、最初は皆、そうなる。」
實小路は、笑いをこらえている様に見える。
そして、後ろに控えている女中も笑顔になっていることに、古荘は気付いた。
古荘が当惑しているのを楽しんでいる様子である。
一人の男が入ってきた。金丸である。
金丸は、古荘に一礼して、實小路に耳打ちをした。
實小路は、真顔に戻って、二、三度頷いた。
「古荘殿。そろそろ応接に戻って、残りの報告をしてもらおうか。文治君も一緒に来たまえ。」
金丸の報告が、急がせる内容であったことが分かる。
實小路は、真っ先に立ち上がって、食堂を出た。古荘、文治とそれに続いた。




