表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
119/175

帰京2

車の音がして、その音が静かになった。

「お帰りなさいませ。」「長旅、お疲れさまでした。」

そんな声が何度かして、応接室の扉が開いた。


「おう、貴君が古荘殿か。實小路である。」

實小路が、入るなり大きな声で言った。

實小路は、上着を脱ぎ、後から来た女中に渡した。


女中は、上着を受け取った後、汗拭きを渡した。

「おう、有難う。我が家の職員の対応は、嬉しいな。早苗、飲み物を頼む。あっ、古荘殿にもな。」

そう言って、實小路は、応接用の椅子に腰を下ろした。


「何だ、古荘殿。上着を着たままではないか。脱いでくれて構わん。見ているこちらが暑くなる。」

「あ、いや、しかし。」

古荘は、困っている様子である。

實小路の後ろに控えている早苗が、實小路に耳打ちをした。


早苗の言葉を聞いて、實小路は笑い出した。笑いが収まった所で、實小路は古荘に言った。

「古荘殿、下着姿で構わんよ。あ、そうか。」

そう言って、實小路も上に着ているものを脱いで、肌着姿になった。

古荘は、實小路の行為に促されて、上着を脱いだ。


「古庄殿。水うちわを使ったかね。まあ、普通のうちわでも涼しいのだが、それに輪を掛けての涼しさというものが、結構気に入っておるのだよ。」

そう言って、實小路の前にも用意された水うちわを水に浸して、顔を扇いだ。

「この水うちわはな、文治君が土産に持ってきたものだ。美濃地方の特産らしい。東京近郊でも生産している所が有るらしいがな。

おっと、そうか。文治君については、後程、紹介するとしよう。我が家の書生だ。

彼が、わざわざ美濃から紙を仕入れて欲しいというのだよ。近場の上州に生産地があるのにな。

まあ、その紙質について、上州と美濃の生産者へ行った折に、美濃の帰りでの土産だ。

この水うちわを使ってみて、紙の技術の良さに文句が付けられなかった。そういう、代物なのだよ。」


實小路の話が一段落着いた時に、再び、早苗が入ってきて、實小路に耳打ちをした。

「うん、わかった。」

實小路は、そう答えただけだった。


「實小路殿。小生が本日伺ったのは・・・。」

古荘が、そこまで切り出した時、實小路は、古荘の言葉を制して言った。

「古庄殿。明日は日曜なので、学校は休みであろう。急ぎの用が無ければ、少々早いが、夕食を一緒にしたい。貴君の都合は、どうかね。

儂個人の都合なのだが、今朝まで、まともな米の飯が無かったので、茶漬けで良いから食したいと、職員に頼んだら、味噌汁も魚の煮付けも用意してあるということで、早く和食を喰いたいのだよ。」

「はあ。まあ、今日明日は、取り立てて用件はありませんが。」

「よし。早苗、飯にしよう。」


實小路は古荘を連れて、食堂に入っていった。

食堂には、いつもの席に文治が座り、重吉と話をしていた。

文治は、實小路に気付いて立ち上がった。


「古庄殿。紹介しよう、文治君だ。」

實小路は、古荘を文治の横に連れていった。

「文治君。こちらが、古荘殿だ。第一高等学校の校長をしておられる。」

「文治です。古荘様、宜しくお願いします。」

「あ、いや、自分は、校長を退いて、木下に任せておるので、今は、校長では御座らぬ。ただ、卒業した者達との交流が有るので、米国への派遣候補者達と話を致して、その結果の報告をするために参っただけなのだが。」

「まあ、兎に角、飯にしよう。古荘殿、ここへ座ってくれたまえ。」

實小路は、古荘を席に座らせ、自分も文治の横に座った。

文治は、實小路と古荘が座ってから、椅子に座った。


食卓には、既に、煮魚と茄子の田楽、香の物、菜物のお浸しが並んでいる。

「さて、頂くとしよう。文治君も和食が恋しかっただろう。」

實小路は、言うが早いか、箸を持って、魚を口にした。

「美味い。」

一言だけ、感想を言うと、後は、黙々と料理を口に運んだ。

文治も、同じ様に料理を楽しんだ。


「うーん、これが海外で食べられたら嬉しいですね。ただ、この花鰹は枯節を作る必要がありますので、容易では無いですが。」

文治は、和食の素晴らしさを感慨深げに称えた。

「文治君。生節は、それでも美味かったぞ。」

「ええ。でも、あれは単なる茹で魚の燻製です。帰りに寄ったハワイで、刺身の漬けを楽しみ始めていたのには、驚きましたが。」

「それは、当然だな。燻製にする木材が少ないのだから、燻製を作るのは難しい。だから、刺身を魚醤で味付けする。そうして、地域独特の文化となっていくのだろう。」

實小路と文治は、古荘そっちのけで、話しながら和食を楽しんでいる。


「古庄さんは、海外へ出られた事は、ありますか。」

のぞみが、文治の前に飯を置いたので、手を休めた文治が、訊いた。

「ええ。英国と米国に行っています。」

「そうですか。實小路さんの様に、和食が恋しくなりましたか。」

「そうですねえ。英国も米国も、酒は、それなりですが、食材を、そのまま楽しむというのが多くて、和食は食材の旨味を引き出すという点で、他よりも美味いと思います。でも、私は、ウィスキーが美味ければ、他は、あまり気にしなかったので、和食が恋しいとは、思わなかったですね。」

「そうなんですか。ウィスキーがお好みなのですね。」

「ええ。英国でウィスキーを口にしたときは、かなり衝撃を受けました。日本で、麦の酒といえば、焼酎だったので、木桶で熟成させると、こんなにも違う酒になるのだと、初めて知りました。」


「おう、古荘殿。貴殿はウィスキーが好みか。葡萄酒は、どうだね。」

古荘の発言に、實小路はが応えた。

「ワインですよね。私は、あの渋味の後味が、好きではないですね。」

それから、暫く、酒についての話が続いた。


茶漬けになり、西瓜が口直しに出された。献立が終わったことが意味する。


「あっ。」

古荘が、声を上げた。

「済みません。肝心な報告をしていません。」

古荘は、楽しい夕食に、實小路家を訪れた目的を、すっかり忘れていた。


古荘は、席に座り直し、真顔になった。

「第一高等学校の校長は、木下に代わりましたが、それまで務めた人脈で、卒業生達に米国の技術習得を打診しました。

その中で、8名の者が手を上げてくれまして、明後日に米国へ向けて出港する予定となっています。

鉄鋼に関しては、住友が調査団を出しているという事ですので、他の自動車、鉄道、石油、化学等に1名ずつ、学びに出向きます。

えーっと、彼等の名は・・・、応接に鞄を置いてきてしまいました。後程、紹介します。」

「そうか、有難う。航空機についてはどうだね。儂らは、何度か、米国内で乗ったが、直線で向かうことができるので、自動車よりも早く目的地に着く事が出来る。それと、通信はどうかね。我が国でも電話は普及しつつあるが、様々な技術が、米国で芽吹きつつある。」

「はい。候補者は居るのですが、各々が、企業の中核を担っていて、経営者が、米国へ行かせる事に難色を示しているのです。」

古荘の言葉に、實小路は、文治を見て、微笑んだ。


文治は、實小路の様子を見て、口を付けようとした紅茶を食卓に置いて、話し始めた。

「どこの企業も同じですね。中核を担っていらっしゃる方々は、次の飛躍の原動力です。10年後も、今と同じ仕事が続く訳ではありません。

中核を担っている方は、その技能を若手に伝承し、その者達に、更に次の技能を磨かせる責務を負っています。

それを遂行する為には、中核の方も若手の方々も、より多くの事を学ぶ必要があります。

経営者は、彼等に、その機会を与える責務があります。そうでなくては、企業は、5年、いや、3年で、事業が傾いてしまうことになるのです。

古荘先生も、その為に教鞭を取っていらっしゃったのですよね。」


古荘は、文治の言葉に天を仰いだ。

「言われる通りです。彼等の為になることを伝えわすれていました・・・。

文治さん。しかし、貴方は、若いのに、そこまでの知見を、どうしたら持てるのですか。」

文治は、笑みを浮かべながら、答えた。

「はい。色々な方々と、お話をさせて頂いていますので。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ