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帰京1

横須賀の港では、見覚えがある者達が迎えに来ていた。

車が7台停めてあって、實小路家の金丸、藤神家の梅吉、佐々家の佐之助、白井家の岩太が来ているのが分かる。

神崎家、姉尾家、五陵家の運転手も、そこに来ているのだろう。


「おう、中上。彼が文治君だ。」

五陵が迎えの者に気付き、続いて下船してくる文治の肩に手を掛けて、声を掛けた。

中上は、五陵の言葉に、背筋を伸ばし、深々とお辞儀をした。


「初めまして、文治です。」

文治も、お辞儀をしながら、中上が挨拶を口にするよりも早く、挨拶を口にした。

「初めまして、中上です。宜しくお願いします。」

中上は、文治の素早い対応に、一旦起こした体を再び、お辞儀をし直して言った。


「ヘイ、實小路。軍用艦の司令官が言うのも変だが、楽しい船旅だった。君等が再び米国を訪れる時には、また一緒できると良いな。」

「ジョーンズ。機会が有ったら、また会おう。次もポーカーで、金を巻き上げてやるよ。」

「あーん。今度は、俺がカモにしてやるぜ。じゃあな。」

船員達は、交代に降りてきて、8人と別れを惜しんだ。


「せて、明日は、拙宅で議員会館の者達から報告を受ける。皆、良いな。」

米国に居る時は、皆は、声に出して返事をしていたのだが、日本に上陸した途端、片手を上げただけで、次々と車に乗り込んだ。


「文治さん。五陵家でも、恵子が色々動いて、まるで違う姿になっています。機会が有れば、是非、お越しください。」

中上は、文治の手を両手で握って、文治に会えた事に感動している様子だった。

「中上、行くぞ。」

五陵が、中上を急かせたので、中上は最敬礼をして、五陵を車に案内した。


文治を後ろから抱き締めた者が居る。

「文治さん、お帰り。」

振り向くと、藤神家の幸子だった。

「随分と髭が伸びたわね。でも、似合わないから剃った方が良いわね。また、遊びにいらっしゃいね。」

幸子は、頬を文治に摺り寄せて言った。

幸子は、良い匂いを残して、藤神と共に車に乗り込んだ。


「さて、文治君。我々も帰るとするか。」

實小路は、最後となった文治に声を掛けた。


「お帰りなさいませ、お疲れ様です。」

金丸が實小路のために、車の後席の扉を開けようとした時に、声を掛ける者が居た。

「あっ、吉次さん。御無沙汰しています。」

文治が、声の主に気付いて挨拶をした。

吉次の格好が、周囲と同様に軍服であったので、軍港に居ても全く違和感が無かった。文治が気付かなければ、挨拶を返すだけで、通り過ぎてしまいそうだった。

實小路も、一緒に入港を見ていた筈の金丸も、吉次である事に気付いて、驚いた。


「お前、吉次だったのか。」

特に驚いた金丸が、大きな声を出した。

「あれっ、金丸さん。入港待ちで、世間話をしていたじゃないですか。私は、てっきり気付いているとばかり思ってましたよ。

周りに人が居るから、当たり障りのない話しかしないのだろうと思っていましたが、本当に、気付いていなかったのですね。

その方が、私にとっては驚きです。」

實小路は、笑って吉次に、車に乗る様に指示をした。


いつもの様に、文治は早々と助手席に乗ってしまったので、吉次は仕方なく、實小路と、後席に乗り込んだ。

車は、軍港を出て、一路、東京へ向かった。


實小路家では、實小路と文治を迎える為の準備が進んでいる。

3か月程、主人が不在だったので、その間は、金丸とハナが常駐し、時折、重吉が庭の手入れをする程度で、静かな日々だった。

久し振りに、實小路家が活気付いている。


「今日は。」

未だ、實小路達は到着していないが、實小路家に来客が有った。

「はい。どちら様でしょうか。」

「古荘と申す。實小路殿は、御戻りかな。」

「いいえ。未だ、御戻りにはなっていません。未だ、暫く掛かると思います。」

「そうか。早く来すぎたか。實小路殿は、何時頃戻られるのかな。」

「はい、古荘様。執事の金丸が迎えに行っておりまして、金丸の話では、後、1時間は掛からない予定です。ただ、横須賀からの帰りとなりますので、予定通りとなりますかどうかは分かりません。」

「そうか。御女中、待たせてもらっても良いかな。」


「あの、失礼ですが、お約束されてますでしょうか。t、申しますのは、洋行よりのお帰りですので、旦那様も疲れておいでではないかと思いますので。」

「うん、知っておる。本日、帰国予定との便りであったのでな。それと、約束はしておらん。だが、實小路殿からは、かなり急かされておってな、直ぐにでも報告しておこうという訳だ。」

ハナは、古荘を応接に案内しながらも、それだけは訊き出していた。


ハナは、古荘を座らせて、応接室の窓を開け、灰皿を机の上に置いた。

「それでは、旦那様が戻られましたら、お知らせします。お待ちください。」

ハナは、それだけ言うと応接を出ていった。


暫くして、のぞみが、お茶を持って入ってきた。

「失礼します。」

机にお茶と焼き菓子を並べ、配膳用の台車を入口の脇に片づけてから、のぞみは訊いた。

「古庄様。失礼ですが、残暑厳しい折、上着を脱いでくつろいで頂いた方が良いかと思いますが、如何ですか。

衣紋掛けを用意してありますので、掛けさせて頂きます。」

「うっ、いや、結構。」

「そうですか。失礼しました。」


のぞみは、再び、配膳用台車を机の所に持ってきて、起毛の手拭きを洗面器に浸けて、強く絞って、広げ、振って、畳んだ。

それを古荘の前に器に載せて差し出した。

「井戸水を使いましたので、少しは涼しくなるかと思います。お使いください。」

古荘は、のぞみの差し出した手拭いを持って、おっ、という顔になった。そして、それを首筋にあて、ふうと息を吐いた。


「古庄様は、水うちわをお使いですか。」

のぞみは、更に古荘に問い掛けた。

「水うちわ・・・。いや、聞いた事も無い。」

「そうですか。このうちわは、水に濡れても破れ難い様になってまして、たらいの水に浸します。」

「あっ、」

のぞみが、たらいに、うちわを浸したので、古荘が驚いた。

古荘の驚きの声に、のぞみは顔を上げて微笑んだ。

「そして、軽く水を切って・・、そして、扇ぎます。

のぞみは、古荘に向かって、うちわを扇いだ。冷えた風が古荘に届いた。

「ほう、確かに涼しい。」


のぞみは、台車を古荘の近く迄運んで、足元に、たらいを置き、机の上に乾いた手拭きを二筋並べ、微笑して言った。

「お邪魔かも知れませんが、足洗い用に、たらいを用意させて頂きました。30分程しましたら、下げに参ります。

何か御用が御座いましたら、机の上の鐘を振ってください。それでは、旦那様が戻りますまで、お待ちください。

それでは、失礼します。」

そう言って、のぞみは、台車を押して、部屋を出ていった。


古荘は、机の上に置かれた水うちわを使ってみた。冷えた風が顔に当たり、首筋には濡れた手拭いと気持ちが良い。

足洗いにと置かれたたらいを使うために、靴と靴下を脱いで、足を浸けた。これも冷んやりとして、暑い中を歩いて、火照った足に気持ちが良い。手拭いで足を洗うと、幸せな気分になる。


古荘は、上着を脱いで脇に置いた。

足を洗い終え、煙草を一服吹かすと、自宅と同じ程、くつろぐ感がする。

水うちわで扇ぎながら、茶を飲むのも心地良い。


そうしているうちに、外が賑やかになってきた。

古荘は、實小路家を訪れている事を思い出し、急いで靴を履き、上着を着た。


「古庄様、宜しいでしょうか。」

扉の外で、女の声がして、扉がゆっくり開いた。

のぞみが、台車を押して入ってきた。


「先程、日本橋の油問屋から連絡がありまして、車の燃料を入れているとのことです。

従いまして、10分程で、旦那様が戻って来られるとのことです。

たらいを片付けさせて頂いても宜しいですか。」

「おう、御女中、有難う。」

古荘は、のぞみが作業し易い様に、足を除けた。

「恐れ入ります。」

のぞみは、たらいと机の上の水うちわ用の桶を台車に載せ、机を布巾で拭いて、新しい桶を机の上に置いた。

そして、手拭きを新しいものに代えた。


古荘は、気が利く対応に、思わず声を掛けた。

「御女中。名を尋ねても良いかね。」

のぞみは、一瞬、何の事か分からないといった顔をしたが、自分の事を訊かれていると判って、微笑した。

「はい。のぞみと申します。何か不都合な事でも有りましたでしょうか。」

「あ、いや。良く気が付くので、感心したのだよ。」

「そうですか。有難う御座います。實小路家に仕えている者は、全員が同じ様に務めています。私だけでは御座いません。

ただ、本日は、旦那様が戻られる初日ですので、少々、忙しくしておりまして、他の者達は、古荘様に十分な対応ができずに、心苦しく思っていると申しております。」

「えっ。」

のぞみの言葉に、古荘は絶句した。

これまで配慮されて、自宅以上にくつろぐ事ができた。普段ならば、更なる配慮ができるというのである。


「あら、旦那様の御戻りの時間まで、あと少しですわね。

申し訳ありませんが、失礼します。旦那様が戻られましたら、ご案内します。もう暫く、お待ちください。」

のぞみは、お喋りしている時間が無いとばかりに、台車を押して出ていった。


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