ワシントン32
「五陵。どう思う。」
神崎は、工場へ向かう車の中で訊いた。
「あれは、葉が違うのだな。どれだけ頑張っても、葉が貧弱なのだから、美味くはならん。それだけの事だ。」
五陵は結論を言ってみせた。
「では、工場へ行くだけ無駄という訳か。」
「プレミアムをハバナに劣らぬ物に仕上げるのは難しい。だが、我が国で生産する為の参考として見ておきたいと考えている。」
五陵は、目的を神崎に告げた。
「だが、文治君は、それ以上の事を、やってのけるのだろうな。」
神崎は、助手席で運転するサムの息子に話し掛けている姿を見ながら言った。
工場へは、20分程で到着した。
工場の入り口には、袋が大量に積まれていて、作業者が忙しそうに担いでいく。
「これが農場から運んできた煙草の葉です。かなり手間の掛かる工程になっています。ご案内しますので、こちらへどうぞ。」
ダニエルは、先ず、事務所へ6人を案内した。
事務所の中は、雑然と書類が机に積んであって、奥の電話器3台は全て使用中で大きな声で話をしている。
雑然とした机の間を抜けて、ダニエルは会議室に案内した。
「さて、今日は、カークから紹介があって、日本の議員達が我々に助言をくれるという話でした。ホテルでの葉巻について、何か助言を貰えますかな。」
ダニエルの言葉に、神崎と五陵は顔を見合わせた。
「済みません。私は葉巻の工程を知りません。説明してもらえますか。」
文治は、躊躇う事無く言った。
「何いー、工程も知らないのか。それでは、助言など無理ではないか。カーク、騙したのか。」
ダニエルは、カークを向いて、大きな声で言った。
「おい、ダニエル。おかしな話をするなあ。お前が言っている事は、消費者が全員、製造工程を知っているという事だぞ。お前は、今、手に持っているペンが、どの様な工程で作られているのか知っているのか。」
オウルは、ダニエルと同じ位大きな声で言った。
暫く、沈黙が有って、ダニエルは小さな声で、「済みません。」と謝った。
「それで、ダニエルさん。工程を教えてもらえますか。」
文治は、何事も無かったかの様に尋ねた。
「はあ。少々、お待ちください。」
ダニエルは、一旦、会議室を出て、直ぐに戻ってきた。
机の上に、紙を広げ、皺を延ばして工程の話を始めた。
紙には工場の全体図が書かれていて、入荷した煙草葉が、どこで何を処理していくのかを説明していった。
文治は、いつもの要領で、時折、紙に覚書をし、ダニエルに工程の目的を訊いた。
ダニエルは、文治の質問に、工程の目的を説明するが、文治は、その答えに満足することなく、気温や湿度で条件が変わった場合の対処方法を何度も尋ねた。
ダニエルは、文治の質問に答える事ができず、工程の中で説明させると、何度も答えた。
一通り工程を説明して、ダニエルは文治が自分を試したのだと考えていた。
要所での質問が、的確に指摘されていたから、工程の商才を知っていると思えたからである。
「文治さん。工程を知らないなんて言って、俺を試したのですか。人が悪い。」
率直にダニエルが言った。
「えっ、何の事ですか。ダニエルさんの説明で、煙草の工程が初めて分かりました。大変興味深いですね。
日本の緑茶の工程に似ています。」
「はっ、緑茶ですか。」
「ええ。紅茶は茶葉を完全に発酵させますが、日本では緑茶や抹茶を飲む文化が有りまして、茶葉の発行度合いで風味が違うのです。それは、かなり職人の勘と経験が効いてくるのです。
ただ、煙草は大きな葉で、葉脈を取り除くための発酵をしてからの感想と、それを再び発酵させるという二度の発酵をしていますので、その効果が、どの程度、風味に効いてくるのかは分かりません。」
文治が早く理解できた理由に、ダニエルは納得したが、緑茶だとか抹茶という言葉は、理解できなかった。
そして、煙草葉を乾燥前に貯蔵することが、発酵であると明言したことに驚いていた。ダニエルは、葉脈を取り除く前に貯蔵する事が発酵であるとは考えていなかったからである。
「文治さん。日本で飲んだ、あの泡の立っていたのが、そのお茶かい。大きな器で、少ししか入っていなくて、苦いやつ。」
ヨハンは、文治の説明に出てきた、お茶について訊いた。
「はい。それは、抹茶ですね。茶葉を粉にして、お湯で溶いたものです。苦かったのでしたら、あまり良いお茶ではなかったのかも知れません。」
「成程。抹茶にも良し悪しが有って、発酵によって味が変わるということか。」
ダニエルは、文治が発酵に拘る理由を、その様に捉えた。
ダニエルの案内で、6人は工場の見学を始めた。
袋から出された葉は、既に発酵が進んでいて、中心部は深緑だが、周りは黄色や茶色に変色している。
それを箱に詰め直して、水を回し掛け、蓋をする作業だった。
「ダニエルさん。あの人と、あの人では、水の量が違っています。何か違いが有るのですか。」
文治は、人によって作業が違っている事に対して疑問を投げた。
「まあ、柔らくなって葉脈を外せれば良いという工程です。あまり細かな指示はしていません。」
ダニエルは、正直に答えた。
「そうですか。確か、この後の工程は、葉脈を取って一次乾燥ですよね。加える水の量で、乾燥する時間が変わってしまう様な事は無いのですか。」
ダニエルは、文治の執拗な程の質問に、工程の責任者を呼んだ。
「やあ、ダニエル。お客かい。」
「ジュリアス。お客さんが、質問されるので、答えてやってくれ。お客さんの文治さんだ。」
ジュリアスと呼ばれた責任者の男は、未だ若い文治に対して、少年に接する態度になって、文治に話し掛けた。
「やあ、青年。質問は何かな。」
文治は、ジュリアスのそんな態度を気にする事なく、ダニエルにした質問を繰り返した。
ジュリアスは言葉に詰まったが、少しして答えた。
「葉は一枚毎に違うので、水分量も違う。なので、加える水の量も、それに合わせる必要がある。作業者は、葉の状態を見ながら入れているのだよ。」
「そうですか。分かりました。それでは、発酵の時間も、葉の状態を見て、調整されるのですね。
その時間は、誰が確認しているのですか。」
文治の追加の質問に、ジュリアスは黙ってしまった。
ジュリアスは、ダニエルと何かを小声で話し始めた。ジュリアスは何度も首を横に振り、そして、肩を落とした。
ジュリアスは、文治に向かい直して、話し始めた。
「文治さん。前言撤回だ。加える水の量は、全て、作業者任せになっている。箱に詰めた葉を取り出す時間も作業者任せにしている。」
「そうですか。作業者に任せても大きな問題になっていないのでしょうね。箱での保管期間のおよその時間は分かりますか。」
ジュリアスは、文治が「問題になっていない」と言った時に、額に皺を寄せた。
「保管期間というのは、明確にはなっていないな。箱の蓋を開けて、葉の色が黄色くなっていれば、そこで取り出して、乾燥に回すという判断をしている。」
「成程。そうすると、置き過ぎてしまう事も有りそうですね。」
「そうなんだ。腐ってしまって、一箱すべて、箱にも臭いが付いて、箱ごと捨てなくてはならないことが、年に数回有る。」
ジュリアスは、ぼやきを口にして、相手が客である事に気付いて、手で口を覆った。
文治は、意に介さなかったが、周りのカークを始めとする商人達は、思わず笑った。神崎と五陵は、苦笑いといった表情だった。




