八
たぶん夢を見ているんだろうな、と認知しながらも、ふわふわとその心地良い空間を彷徨っていた。
夢の中には、九藤がいた。
九藤の後ろ姿を見て、僕は思うのだ。
好き。九藤が好きだな、と。
何処が好きかと訊かれれば、いくらでも答えられる。顔も声も性格も、更に言えば、薄い唇も甘党なところも照れたときに前髪をくしゃりと掻き混ぜる癖も、全部好き。
でも、それは解答としては不適切なんだと思う。例え九藤と同じ要素を持つ人が現れても、九藤に鏡写しのような双子の兄弟がいたとしても、僕はその人を好きにならない。
九藤だから、好きになったんだ。
だから、もし九藤が白石や他の誰かを好きになったとしても、構わない。そんな九藤のことも、僕は好きになる。
「駿河」
ふと、目の前を歩いていた九藤が振り返った。
「するが、するが」
何度も僕の名前を呼んでくれた。嬉しい。僕は九藤に名前を呼んでもらうのが好きだ。
だからわざと返事をしないでいた。七回目くらいで九藤の声音に拗ねたような色を感じたので、小さく笑いながら「はい」と返事をした。
「なんですか、九藤」
「歩き疲れた、休憩にするか」
「はい、そうですね」
すると途端に、僕らの目の前にテーブルと椅子が現れた。夢の中だから何かと都合がいい。
僕は九藤の正面の席に座った。九藤が甘いものが食べたいと言うので、クッキーを探す。ぽんっと目の前にクッキーの缶が現れた。こちらも何処からか現れた皿に、クッキーを取り分ける。
「クッキーにはやはり、飲み物が必要ですね」
甘いクッキーを食べていたのでは、喉が渇いて堪らない。そう言うと、九藤は自分が用意すると言って席を立とうとした。僕は慌ててそれを止める。
「ああ、大丈夫ですよ九藤。僕がやっているから貴方は座っていてください」
「…………また、それかよ」
「え?」
顔を上げた九藤は、キッと僕を睨んだ。その顔は怒っていたが、同時に悲しそうでもあった。
「いつもそうだ。駿河は俺に好きだっていつも言うくせに、俺に何も求めない」
「何言ってるんですか?いつも九藤には十分すぎるくらいたくさんのものをもらっています。貴方に頼らなければ、この学園の運営なんてやっていけません」
「それは、会長と副会長としての話だろ。そうじゃなくて、九藤雪隆に対して駿河要は何も要求してこないって言ってるんだ。寮で同室だった一年の頃、お前は家事の一切を俺にやらせなかった。無能は座っていろとでも言いたいのかと思った」
「そんなっ!?僕はっ……!……そんなこと、ないですよ……」
絞り出したような声で、ぽつりと答える。
しーん、と辺りが静かになった。僕と九藤しかいない空間なのだから、僕らが黙れば当然辺りは森閑としてしまう。
やがて九藤は、無言で飲み物を作り始めた。ふたつのマグカップに温めたミルクを丁寧に注ぎ、蜂蜜を加える。ティースプーンでくるくると回す。九藤が好きな、蜂蜜入りホットミルク。
「ほら、今日は俺が作った。飲めよ」
「ありがとう、ございます」
受け取ったマグカップは、ミルクの熱でほんのりと温かい。なんだか無性に優しい気持ちになった。
ぼんやりとカップの中を眺めていると、九藤はくすりと笑った。
「お前と違って薬を入れたりとかはしてないぞ」
指摘されてぎくりとする。ばつの悪さで胸がいっぱいになった。
「……勝手なことして、すみませんでした」
「全くだ。もし俺が目覚めなかったら大変なことになってただろうな」
「そういえば、どうして九藤はあのとき、駆けつけてこれたんですか?薬の効果はもっと続くはずだったのに」
「俺、昔から薬が効きにくいたちだからな」
そうだった。九藤は風邪を引いたときも市販薬ではいまいち効かず、困っていたのだった。どうしてこんな重要なことを失念していたのだろう。
「あと、早く起きなきゃいけねえなって思ったからかな、俺が」
少し吊り気味の目尻を下げて、九藤は笑った。
「午後から一緒に学園祭回ろうって言っただろ、お前。早く起きて、お前と学園祭を見て回りたかった」
ーーああ、なんて。
なんて都合のいい夢だ。
九藤がつくってくれたホットミルクを飲み干して、僕は立ち上がった。
「……九藤、そろそろ休憩を終わりにしましょう」
「ああ、そうだな。行くか」
僕はそこで気がついた。この夢の中で、僕と九藤は何処に向かっているのだろう?
行き先を九藤に尋ねてみると、「なんだ今更そんなこと」と呆れられてしまった。
「何処に行くかなんて決まってるだろ。俺たちが行くのはーー」
ああ、そうか。そうだね、そこなら僕も行きたいな。
九藤に置いて行かれないように、僕は足早に歩き始めたーー。