六
金属バットで頭を殴られると、当然痛い。
でも今は、バットによる殴打以上の衝撃が、がつんと僕の頭を殴っていた。
僕の背後に立っていたのは、九藤の親衛隊で隊長を務める先輩、白石。拘束もされていないし、ましてや乱暴に扱われた様子もない。いつも通り愛らしくて綺麗な隊長がそこにいた。
目を見開いていると、うなじに生暖かい何かの感触を感じた。手で触れてみると赤い液体が付着する。流血したらしい。
僕の怪我に委員長が何か言っていた気がしたが、そちらに気を回すほどの余裕は残っていなかった。僕の脳内は、疑問の嵐に占められていたから。
「どうして、白石隊長がこんなことを……?篠井隊長は、貴方が暴行を働かれそうになっていると……」
「篠井もほんと馬鹿だよね。僕と烏谷のあんな安っぽい演技に騙されてくれるなんてさ。それとも自覚がないだけで、僕って名俳優なのかな?」
いつも清純なイメージは見る影もないような、淫靡な顔で笑う白石。烏谷はそんな彼を茶化す。
「名俳優っつうよりは女優だよな、イケない動画に出れちゃうかもよ、その顔」
「それ褒めてるの?まあいいけどね、こんな顔この場でしか見せないから。九藤様の前では可愛いお人形さん貫いてるし」
僕を挟んで烏谷と白石が下卑た会話を始める。
未だ現実が信じられないが、状況は段々把握できてきた。つまり僕は、僕らは、
「騙されて無様に踊らされてたってことですか」
「あっは。流石カナメちゃん、飲み込みが早いね」
烏谷が笑いかけてきた。反吐が出るかと本気で思った。
僕は烏谷を視界から除外し、改めて白石を凝視した。
「何故、こんなことをしたんです」
「あんたが邪魔だからに決まってんでしょ」
白石は普段のそれとは全く違う、冷たく憎々しげな表情で僕を睨めつける。だが僕には、白石にここまで憎まれる理由に心当たりがない。僕の心情は顔に出ていたのだろう、白石は嘲笑した。
「今朝、あんたが九藤様に薬を盛ったって聞いて決めたの。今日、あんたを嵌めるってね。そのために烏谷たちを動かした。九藤様を呼び出せば、その名前に釣られてのこのことあんたは現れる。ほんと、面白いくらい簡単に引っかかるね」
「そゆこと。ごめんなカナメちゃん?悪いけど白石くんからは報酬たんまりもらってるからさあ」
突然、烏谷の声が至近距離に感じられた。次いで背後から覆い被さられる感触。両手首を掴まれる。拘束されたとわかっているのに、抵抗できない。力が、入らない。
「あんたが気に入らないの。九藤様に好き好き連呼してべたべたまとわりついて……副会長だからって調子乗らないでよ」
「……それは」
「あんたなんかは九藤様と釣り合わない。だから九藤様がいない今、消えてもらおうと思ったの」
「つりあわ、ない……」
「そう、釣り合わない。だからあんたには退場願う。ここであんたの尊厳を踏み躙って人にばらされたくないこと散々してやるから。そこにいる風紀委員長サマも、こいつの尊厳を守りたいならこれから起こることは他言しないことだね」
ステージ下の委員長が悔しげに拳を握りしめたのがわかる。どうやら僕を人質に取られて動けないらしい。
ごめんね、委員長。ひとりで動くなっていう約束を守っていれば、委員長に迷惑をかけることはなかったのかもしれない。
ごめんね。……ほんとに、ごめん。僕、もうちょっと迷惑かけることになるかも。
「ーーな」
「はあ?何、なんか言った?」
「……っざけんじゃねえっつったんだよこの裏切り者がッ!」
気づけば僕は未だかつて出したことのないような大声で怒鳴り散らしていた。まさかこんな大声が出るとは自分でも思っていなくて、なんだか肌がビリビリする。
それでも僕は止まらない。烏谷に捕らえられた身体で必死にもがきながら汚い言葉で白石を罵る声は、僕自身にも止められない。
「九藤はなっ、お前を信頼してたんだよ!白石がいるから親衛隊の集会は問題ないって安心してたんだよ!なのになんで今更こんなこと引き起こして九藤を裏切ったりできるんだ!?僕が嫌いならそれでも構わない、けどな!嫌いな僕なんかのためになんで九藤の信頼を裏切れるんだよ!?自分の隊員を傷つけられるんだよ!?お前みたいな奴に隊長やる資格なんかねえよ!!」
暴れすぎたせいで烏谷に握られた手首が痛い。すぐ側で烏谷が、怪我してるのに暴れるなとかなんとか言っていたが、そんなものは耳をすり抜けていく。
何故だか涙腺が緩んだ。ぼろぼろと馬鹿みたいに涙が溢れてくる。
「僕が九藤と釣り合わない?そんなこと知ってんだよ!お前の方が九藤の隣に立つのに相応しいんじゃないかって僕はずっと思ってた!だけどそれは間違いだったんだ!」
怒りで目の前がカッと赤くなる。
許せない。こいつが、白石が許せない!こんな奴が九藤の隣にいるなんて、僕は絶対に認めない!
「僕がこんな脅しに屈すると思うな!絶対にお前の不祥事を学園に晒してやる!お前なんかに九藤は渡さない!僕は、僕は……!」
深く息を吸い込んで、そして吐き出した。思いの丈と一緒に。
「お前なんかよりずっとずっと、九藤が好きだ!誰よりも九藤を好きなのは僕だ!!」
言ってみればすっと胸が晴れた気がした。
そうだ。そうだよ。誰よりも九藤を好きだっていうこの一点は誰にも譲らない。ずっと隣にいたんだ。傍にいたんだ。
それを、こんな脅し如きでやめられるわけがない。どんなことがあっても、僕は九藤が好きだ。