十
あいつ専用の着信メロディを止めて、恐る恐る応答した。
『――あー、もしもし。飛羽か?』
「…………迅?」
無機質な液晶画面の向こうからくすくすと笑う声が聞こた。
『そ。一週間ぶりの俺との電話で嬉しいか、飛羽ちゃん?』
「妙な勘違いしないでよ……」
『相変わらず俺には冷たい対応だな。まあ、そういうツンデレなところも可愛いんだけど』
「はあ?誰が!?」
『それはそうと飛羽、折角の夏休みだろ?』
「……いきなり、何?」
『寮生活してる飛羽と会えるのなんて長期休みくらいじゃねえか。こっち帰って来いよ』
「ああ、そういう要件か」
なんでもない風を装ってみたが、内心では胸がぎゅっとして苦しくなった。
俺が最後に迅と会ったのは、今年のゴールデンウィーク以来だ。
――どれだけ、迅のことを考えて日々を過ごしてきたことか。
切ないような痛みは、そろそろ無視できない程度にまで膨らんできている。気づかないふりはもうできない段階だ。
『ああ、ってなんだその反応は。飛羽は俺に会いたくない訳?』
「別に俺と会わなくても、迅は友達いっぱいいるじゃん」
この前ゴールデンウィークに人の家に行ったときに知った。迅は男女問わず人が集まってくる人気者だ。その証拠に友達からの電話だとか遊びの誘いだとかがたくさん来ているのを見た。
確信が持てる。あれは迅の家柄に群がっているのではなく、迅自身に惹かれて集まってくる人間だ。
『お?何、もしかして飛羽、嫉妬してるの?』
「してない!」
『へえ。……やっぱ飛羽は可愛いな』
「…………は。い、意味分かんないし」
電話越しなのに動揺させられる。無機質な液晶画面から熱を感じるのは、内臓のバッテリーのせいだ、たぶん。
「てゆうか、会いたい会いたくないとかそういう問題じゃなくて。俺もう、里帰りしてるから」
『……は?どういうことだよ』
「だから、俺の学校の……後輩?が家に来たいって言うから……っと、ちょっ、ナツ!」
唐突に携帯が遠ざかったかと思うと、背後にいつの間にか忍び寄っていたナツに取り上げられていた。
いきなり自室に押し入られ、しかも通話中にも関わらず携帯を奪われた俺はナツを睨む。――が、ナツは予想していた悪戯っ子の表情ではなかった。
無表情。何を考えているのか分からない顔で、俺の携帯を耳に当てた。
「もしもし?こんにちは。初めまして、飛羽先輩の後輩です。――はい。……はい。――やだなあ、そんな訳ないじゃないですか。そんなに怒らないでくださいよ、怖いなあ。――まあ、そうですね。――……じゃあ僕が飛羽先輩のこと、もらっちゃおうかな」
「ナツ!」
明らかに迅を挑発するような口調の上に、変なことを口走るナツを慌てて諌めた。無理矢理携帯を奪い返し耳に当てるが、もう向こうから迅の声は聞こえない。
「ごめん、勝手に切っちゃった」
先程までの無表情とは打って変わって、笑顔でナツが手を合わせる。
「……ナツ。なんでこんなことしたの?」
「先輩って、今の電話の相手に対しては全然性格違ったよね。やっぱりさっきのが本当の先輩なんですか?」
「ナツ、それは今関係ない話だよ?」
「関係なくないよ。どうしてこんなことしたのかって聞いたでしょう?」
ナツの中性的で綺麗な顔が近づいてくる。俺は何故か湧き上がってくる恐れの念に囚われて、無意識に後退った。
「ずっと先輩を見てて思ったんだけどさ、先輩は好きな人がいるでしょ?多分それは、今の電話の相手。違う?」
「……何言ってるのかな。俺はみーんな大好きだよ?親衛隊のみんなも、なるたっちゃんも、ナツのことも」
「そういうのが聞きたいんじゃないよ、飛羽先輩」
ベッドまで追い込まれて、小さく肩を押された。ほんの少しの力だったにも関わらず、俺は吸い込まれるようにベッドに仰向けになる。
天井を背景に、ナツの大きな黒目に自分が映っているのが見えた。焦燥に駆られた情けない顔。
ナツは俺を追い詰めている。物理的にじゃない、精神的に。
「鳴滝隊長はきっと、飛羽先輩のことが好きだよ。僕だって飛羽先輩のこと、大切に思ってる。他にも飛羽先輩のことが好きな人はいっぱいいるのに、どうしてあの人なの?」
「どうしてって……」
「どうしてよりによって、あの人のことが好きになっちゃったの?」
「…………迅のことが、好き?」
冬空の中に放り出された凍えた手で、心臓を鷲掴みにされたみたいだ。
頭が真っ白になって冷水を浴びせられた気分だが、どうしてナツの言葉は凍えた手のように冷たいのか?――どうしてナツは冷たい手で寂しそうに俺に触れるのか?
「あの人から電話が掛かってくると、飛羽先輩は嬉しそうに出て、電話が終わると悲しそうな顔をする。可哀想で見てられないよ。好きなのになんであんな顔をするの?」
それは、話す度に自分と迅の距離を測ってしまうから。
パーティの夜。あの月夜のバルコニーで迅の手を握ったとき、俺は思った。傀儡から逃れて自由になりたいと。
でも本当は、迅のようになりたかったのだ。俺はただ単に、迅に憧れたのだ。
常に前を走る迅と、それに追いつきたくて走る俺。その差は埋まるものではない。
「先輩」
憧れてしまった時点で、恋愛は成り立たないのだ。だって釣り合わないから。
「飛羽先輩。……泣かないで」
「………………え?」
ナツの指が俺の頬を撫でた。ぬるい涙はそれを微かに濡らしている。
ベッドに押し倒された俺の上に、ナツがゆっくりと覆い被さった。俺の指を解き、握り締めていた携帯をシーツの端に投げる。
抱いてくださいよ。それが駄目なら抱かせてください。
そんなことを言っていたくせに、ナツは無防備な俺に何もしなかった。ただ、迷子になって涙を流す俺を抱き締めたまま、静かに眠りについた。
苦しくなるような迅への恋心は捨てるべきだとナツは言う。――俺もそう思う。
十年近く付き合い続けてきた感情。そろそろこの想いと向き合い、そして終わらせる頃合いなのかもしれない。




