八
久しぶりに副会長のターンです。
副会長は基本、九藤以外の役員のことを、心の中では役職名で呼んでいます。ドライです。
「香具山の奴、やけに上機嫌だったな」
ーー風紀室からの帰り道、九藤がふと呟いた。
確かに今日の香具山風紀委員長は、やけににこにこしながら書類を受け取り、
『烏谷迅の様子はどうだ?まあ九藤の元なら心配も要らないだろうがな』
なんて労いの言葉まで掛けてきた。普段はそう易々と人を褒めたりしない委員長が、だ。
おまけに書類の一部を生徒会室に忘れて庶務の花見に届けさせるという不備があったにも関わらず、手厳しい言葉の一つすらなかった。
僕こと駿河要は、九藤の言葉に同意して頷く。
「そうですね。委員長もやっと九藤の素晴らしさに気づいて、九藤の来訪に感激していたのではないかと」
「お前の妄想は相変わらず迷走中だな」
「ありがとうございます」
「褒めてねえよ?」
という一連のやりとりは無論、冗談であって、委員長の機嫌が良かったのは白石隊長の一件以来、他の親衛隊も処罰を恐れたのか、制裁が激減したことに由来するのだろう。
でも、こういった結果に落ち着いたのはやはり九藤の力があったからこそではないのだろうか。委員長も九藤の素晴らしさに気づいて九藤教に入信すればいいのに。言うまでもなく開祖は僕である。
「……あ。でも委員長が九藤のことを好きになって横恋慕されたら困るので、やっぱり今のはナシで」
「困るの?駿河が?」
「はい。もし九藤が浮気したらと思うと……」
「思うと、何」
「………………どうしましょうか」
想像したら割と本気で落ち込んできてしまった。
もちろん、浮気相手なんかに負ける気はしない。九藤を誑かす泥棒猫なんぞは八つ裂きにして東京湾に沈めてやるつもりだ。
でも、事はそう単純な話ではない。どれだけ浮気相手に制裁を加えても、僕が抱くのは虚しさだけだろうから。制裁によって僕が得られるのは、満足感などではなく、九藤の心が離れてしまったことに対する絶望感の一点のみであるはずだ。
ーー白石隊長も、きっと今そんな気持ちなのだと思う。
「九藤の浮気相手を殺して僕も死にます……」
「浮気相手と心中してどうすんだ……って、何?お前、本気で落ち込んでるの?」
沈鬱な面持ちの僕に九藤は目を丸くして、それからくしゃりと頭を撫ぜてくれた。
「何落ち込んでんだ、馬鹿。香具山なんか守備範囲外に決まってるだろうが。むしろ俺の守備範囲は狭いぞ、お前だけだ」
「……ありがとうございます、九藤。そのちょっとクサい台詞に僕は救われます」
「クサくて悪かったな!」
いつも九藤は小っ恥ずかしいことをさらりと言って、それを指摘すると照れて拗ねる。生徒の前では完全無欠の生徒会長をしているというのに、そういうところがどうも決まらない九藤が、やっぱり好きだ。
「九藤、好きです。浮気しないでくださいね」
もはや口癖のようなものになってしまった九藤が好きというフレーズを、今日も今日とて繰り返す。
九藤の方も、いつものようにそれに応えてくれる……かと思いきや、何故か少し怖い顔で僕の眉間を突っついてきた。
「うわっ、何ですか九藤、痛いです」
「お前な、どの口が浮気するななんて言ってんだ。フラフラしてるのはお前のほうだろうが」
「え?」
つんつんと眉間を突き続ける九藤の手は優しかったが、それに反して表情は苦々しい。
しかし僕には、全くもって心当たりがない。疑われるような後ろ暗いことは何もないのだけれど……と首を傾げると、九藤は痺れを切らしたらしく、ぐい、と強引に僕の腕を引き寄せて、
「だから、烏谷迅だっての」
そう耳元で囁いた。
今はまだ、外も明るい放課後で、廊下には疎らではあるものの人影もあるものの人影もある。それを考慮して固有名詞を聞こえないように配慮したのだろう。
それはわかる、わかるのだけれど。
「九藤、真昼間から大胆ですね」
「はっ……はあっ!?今のはそういうんじゃないだろ!」
慌てて首を振りつつも、九藤の手は僕の腕を掴んで引き寄せたまま離さない。
少し痛いくらいの握力に九藤の愛を感じて小さく笑うと、「笑い事じゃないんだよ」と再び小突かれた。
「仕事中だっていうのにお前と烏谷はイチャイチャと……お前の恋人は俺だろうが、要」
「うっ……!」
「…………どうした?」
思わず頭を抱えて呻く僕に、九藤が訝しむ。
「……今のは、反則でしょう。いきなりの名前呼びは萌え死にそうで心臓に悪いですよ……」
「お前はもうちょっと可愛い照れ方を覚えろよ……って、そうじゃねえよ。あー、さっきから全然話が進んでねえ」
がしがしと髪をかきながら九藤がぼやく。話とは一体何だったか……ああそうだ、烏谷迅についてだったか。
九藤は僕と烏谷の仲について気にしているようだが、
「心配ありませんよ、九藤」
僕は誓って烏谷とは何もないと宣言できる。
僕自身が九藤以外眼中にないということももちろんあるが、それ以前に烏谷の方も僕のことをなんとも思っていないのはわかっている。彼が仕掛けてくるスキンシップ、もといセクハラは、謂わばコミュニケーションの一環だ。
ところが九藤の方は、全く納得した様子はなく。
「どうしてそう言い切れるんだ。あいつはうちの元隊長と結託して問題を起こした張本人だろう」
「だって九藤、見ていてわかりませんか?」
「……わかる?」
「はい。烏谷が意識しているのは僕ではなくて、むしろーー」
ーーぺらぺらと話しているうちに、いつの間にか生徒会室の前まで戻ってきたらしい。
僕は意図せずして、そこで口を噤んでしまった。別にここで濁してもったいぶろうと思っていたわけではない。
「……花見、狗飼?何をしてるんです」
何故か生徒会室の扉の前に座り込み屯する、ゆるふわパーマの女子高生(♂)と、ぼんやりと虚空を見つめる図体のでかい男子高校生の図。庶務の花見の方は、生徒会室の扉に耳を当てて、中を伺っているようだ。
「こんな所で堂々とサボタージュとは、貴方たち、いい度胸をしてますね」
「ちょっ、駿河先輩、勘弁してくださいよぉ〜。私たちだって中に入りたいんですってば」
庶務が慌てて弁解すると、書記も小さく頷いて、何気なく意思表示をする。
確かに、会計の遊佐ではあるまいし、このふたりが仕事をサボるとは考えづらい。
何処か様子がおかしいところを見ると、何かあったのかもしれない。
「そういえば遊佐と烏谷の姿がないな。中にいるのか?」
九藤の問いかけに、庶務は珍しく言葉を詰まらせ、書記は数度瞬きする。どちらも煮え切らない態度だ。
「烏谷先輩の方は、いることにはいるんですけどぉ……」
庶務の視線は、ちらっと生徒会室の扉に注がれる。
僕と九藤は顔を見合わせた。一瞬のアイコンタクトの後、僕は扉に歩み寄り、ドアノブを握る。
「更生のために烏谷を生徒会に連れ込んだのは、僕です。彼に関しては僕が責任を取りましょう」
少し躊躇いつつも、ドアノブを回し、ゆっくりと扉を開いた。
キィ、と蝶番の軋む音。徐々に現れる生徒会室内部。
「これはーー」
思わず言葉を失ってしまう。
僕と九藤が出払っていた三十分足らずの間に、生徒会室は変貌していた。まるで誰かが発狂し大暴れしたかのように、荒れている。
撒き散らされた書類、床に落ちた本の数々、零れて机に水溜りを作っているホットミルクと、割れたマグカップ。
ーーそして、部屋の隅で壁に寄りかかって蹲る、烏谷迅の姿。




