五
それは、まだ俺たちが小学生だった頃の話だ。
父は某家が主催するパーティー会場に俺を連れて行った。なんのパーティーだったかはあやふやで覚えていないが、かなり盛大なものであったことは薄ぼんやりと記憶している。
少し離れたところで、親と思わしき男性に連れられて挨拶をしている少年を示して、父は俺に命じた。
「新しい取引先のご子息だ。仲良くしなさい」
父に仲良くしなさいと言われたので、俺の中でひとつの事実がインプットされた。
あの子は俺と親友になる、ということ。
まるで父の人形のような従順っぷりだが、当時の俺には傀儡の自覚が全くなかった。そのように刷り込まれ、遊佐家の利益のために行動するよう教育されていた。
ーーそして、その傀儡から解き放ってくれたのが、彼だった。
父はあの子とあの子の親の元に俺を連れ立って近づいた。
「こんばんは、烏谷さんーー」
その後父たちは、どうでもいい決まり文句をお互いに口にしあって、やれ今日の夜会は素晴らしいだのなんだのと、子供にはつまらない話をつらつらと並べていた。
ふと、親の横に控えていた彼と目が合った。
瞬間、俺はその黒々とした双眸に吸い込まれた。
その眼差しに名前をつけるなら、意志の眼だ。
何ものにも囚われない、自由な意志。その眼はじっと俺を見つめ、やがて微かに曇った。
感情の機微に敏感な子供だった俺には、わかった。そのとき彼は、俺に同情したのだ。家に、親に、飼い慣らされ首輪をつけられ、それを当然のように受け容れている俺に。
自由な彼と、束縛されている俺。その圧倒的な差に呆然としていると、彼はにこりと笑いかけてきて、俺の手を握った。
そしてこっそりと囁く。
「こんな話、暇だよね。一緒に抜け出しちゃおうよ」
そう言うがいなや、俺の手を掴んで歩き出す。
人気のない二階のバルコニーまで一気に小走り。月明かりに照らされたバルコニーは薄暗く、人の話し声も遠くしか聞こえない。
静謐な空気の中、彼は振り返った。
切り揃えられた黒い髪。綺麗に整った愛らしい顔の少年。
彼は綺麗な顔に似合わない悪戯っぽい顔で、にやりと笑った。
「俺ね、ジンっていうの。烏谷迅。よろしくね」
差し伸べられた白い手。
烏谷。父の新しい取引相手。仲良くしなくちゃいけない子。
「迅くんって呼んでもいい?僕、遊佐飛羽。飛羽って呼んでよ」
笑顔でその手を握り返そうとしたのだが、それは叶わなかった。
手が触れる前に、彼が手を引っ込めたから。
「とばね、ね。随分と綺麗なお人形さんだ」
「…………え」
「俺も部屋に飾っておきたいくらいだね。そしたら毎日お人形遊びして可愛がってあげるんだけど」
馬鹿にされてるというのはわかったが、不思議と怒りは湧いてこなかった。事実だったから反論できなかったということもある。
そんなことより、俺よりきみの方が綺麗な顔してるよ。そんな見当違いな言葉が脳裏を過ぎったほどだ。
浮世離れした美しさを持つ、人間じゃないみたいな彼。
「そんな、僕は別に……」
だからこそ、俺はぽろりと零してしまった。
「……俺、あんたと親友にならなきゃいけない」
しまった。それは言っちゃいけないことだ。それなのに、どうしよう。止まらない。
「前に親友になった奴は、あいつの家がいきなり傾いて会社が潰れたら、いつの間にか親友じゃなくなってた」
「ふーん。お前、意外と薄情なんだ」
「別に、好きで親友やってたわけじゃないし。父さんがあの子が親友って言った奴が親友になるだけ」
ちらりと彼を見やる。俺より少し背の高い彼を上目遣いに見上げれば、彼は品定めする目で見つめ返してきた。
「こんな俺でもいいって言うなら、打算で仲良くしてよ。お互いの家のためにも、さ」
そう言い放ってから、ふとしっくりこないことに気がついた。
「…………違う。やっぱ今の嘘」
溢れ出る感情の渦。
この黒い意志の眼に吸い込まれた。蜜を求める蝶のように誘い込まれた。離れたくない。
彼の最も近くに居て、彼のことを知ってみたい。
「俺も……俺もあんたみたいに自由になってみたい。誰かの目を気にしないで喋りたい。あんたみたいに、なりたい」
憧れてしまったんだ、彼に。
「あんたと友達になりたいよ、迅……!」
「よっし、よく言った」
トン、と彼の手が俺の胸をノックした。触れた手はじんわりと暖かい。
「なら俺んとこに来いよ、飛羽!」
月下の元で、生命力に溢れた太陽の彼が微笑むこと。その、なんと美しいことか。
「親父さんがお前を人形として可愛がってるときより、もっと俺が可愛がってやるから!友達として、生きた生身の飛羽を、俺は大切にする!」
ドクン。ドクンドクンドクンーー。
どうしよう。こんなに胸が熱くなって、嬉しいのに泣きそうになるなんて、初めてだ。
「迅っ!」
今度こそ握り締めた迅の手は、真っ白い色に似合わず温かく僅かに湿っていた。
これが、俺が初めて烏谷迅と出会った夜のこと。




