別れの曲はショパン
朝から宝くじをみんなで買おうと話している。
サワが大学は外国に留学するらしい。
その仲間としては金がないと会うこともできない。
五億円ねらいだ。
それが当たれば何回も行けると澤本の話。取らぬ狸の皮算用だ。
「なあ、みんなで買うんだから、良く当たると評判のところで買わないと」
「そうそう、あの美術館の近くが三千万出ましたって書いてたぞ」
「ねえ、いくら買う?」
和香は現実的だ。
いつもピーピー言ってる澤本は千円しか持ってない。慶は五千円持ってるが、絶対当たらない自信があるのでやはり千円。和香もそれならと千円出す。
「サワは?」
「あいつは行くんだからいらんだろ」
「でも、あいつのために行くんだから誘うことにしよう」
だが、サワは来ない。
いつものことだ。
だが、その日は違った。
いつまでたっても来なかった。
ホーム主任はサワの欠席を伝えた。
「サワは今日から一週間欠席だそうだ」
「え? どうしてですか」
澤本が聞く。
今日は期末試験の最終日だから、弁当はいらない日だ。だから、サワからの連絡もなかった。慶もそんな話は聞いていなかった。
「ああ、オーストリアに下見だそうだ」
「ええっ、もう?」
「何がもうだ!」
「留学するんですか」
「そうみたいだな。昨日親御さんから連絡があった」
「高校卒業してからではないんですか」
「ああ、ご家族の拠点があっちだから、転居した方が都合がいいんだろう。小さい弟もいるからな」
そう言われると、親と離れ離れのホマレが確かに可哀そうだった。いくらサワが可愛がってはいても、親の代わりにはなれそうもない。
和香は慶の背中を突っついた。
「慶、聞いてないの?」
「ああ」
「じゃ、宝くじ急がないと」
和香のつぶやきが遠くに聞こえている。慶はそんな大事な話をしてくれないサワに寂しい気がした。練習で忙しいのは分かってる。でも、一言相談があってもいいのではと思った。
さっきまでいつかは留学と思ってはいたが、サワがそんなに早くいなくなるとは考えてもいなかった。特に澤本は机にへな~っとなっていた。
「澤本、朝飯を食ってないのか?」
「そうでーす」
担任はそう言うが、サワのことがショックなのだと慶も和香も知っていた。
いい加減面白くない古典がもっともっとつまらなかった。
休み時間になるともっと仲間を募ることにしようと澤本が言いだした。
「集まれば集まるほど確率もあがる」
「でも、先生に見つかったら?」
「わかりゃしねえよ」
「そうかなあ」
慶もそれはやばいなあと思ったが、確率から言えば人数が多い方がいいに決まってる。
早速、澤本たちの忍者のような活動が始まった。
和香はせっせと集金してはノートに記録。一口千円は高校生にはきついとみんなブーブー言っていたが、何だか退屈な日々に新風が入ったようでクラス全体が盛り上がって来た。
こういうことは地獄耳であっという間に広がるものだ。隣のクラスもそのまた隣もと次々と広がり、ついに学年中に広がった。集金は十万円を突破。和香はまるでどこかの古参事務員の雰囲気が漂ってきた。
「すごいわねえ。でも、この辺りで閉めた方がいいんじゃない?」
「いや、もう少し集まりそうだよ」
澤本はまだまだ集金したいようだ。
でも、慎重派の慶はこのくらいでないと、教師たちの耳に入るような気がした。
「いや、やっぱりもうやめとこうよ」
「うーん、じゃ今日の放課後に買いに行こう」
あの美術館の近くの宝くじ売り場に三人で行くことにした。何しろ十万二千円だから緊張するのだ。
「連番ですか?」
売り場の人はこの若い子たちに怪訝そうな目を向けた。
「おい、どうする?」
三人は売り場の前でひそひそ相談する。
「やはり、半分がバラにしたらどうかな」
「そうね、連番の前後賞も欲しいけど」
「よし、半分ずつにしよう」
三人は小さな窓口に千円や五百円玉で払った。全部で三四〇枚。
「当たるかなあ」
「当たると信じてるわ」
興奮している三人の前に一人の男が立ちはだかった。
「あ、校長先生」
開いた口が塞がらない。
「君たち、そのお金どうしたんだい?」
そう、自転車にはくっきり学校のシールが貼られている。いくら私服であってもそのシールで学校が分かる。大量に買い込む宝くじ。
校長先生も五億円ねらいだった。
別にネズミ講でもないのだからよさそうなのに、と澤本がブツブツ言うから校長先生の硬い頭はカチンと来たようだった。
「高校生たるものが、学校で金を集めて宝くじを買うなんて許されると思ってるのかね」
「でも、当たればきちんと分配するので」
とまた澤本が余計なことを言う。
和香は慌てて澤本を止めて話しだした。サワが留学して会えなくなったらこの賞金で行きたいと。校長先生はもちろんサワの留学を知っていた。
「岩見君は明日から学校に来るよ。もちろん手続きと引っ越しでまたオーストリアへ行くそうだ」
「そうなんですか、いつ引っ越すんですか」
「まあ、一週間程度ではないかな」
校長先生はそう言いながら、三人の顔を見ながら悪気はなさそうだなと考えていた。
「君たちの気持ちは分かるがこういう行為はいかんのだよ。学校の中で商売をするようなものだからな」
「えっ? 僕たちが儲けるわけでもないのに」
「ああ、その金も自分たちが稼いだ金ではないだろ?」
じろりと澤本の顔を見ながら校長先生は言った。
その一言は三人の心を萎えさせた。いくら小遣いだとかお年玉だとか言っても、それは所詮親の金だ。親に報告がいくことは目に見えてきた。校長先生が大量の宝くじと和香のノートを預かるということになった。
早速その夜、保護者が呼ばれたことは言うまでもない。
「慶、ちょっと来なさい」
慶の両親は学校でその話を聞き驚いたことだろう。
慶は覚悟して居間に入った。
「お前は学校で何をやっとるんだ」
「別に勉強もしてるよ。僕らが利益を得るんではないし」
「それはそうだが大人になってからにしなさい」
「うん。ごめん」
「それはそうと聞きたいことがある」
「ナニ?」
「岩見サワって子は女の子か」
「そうだよ」
そう言うと、両親の目がなぜかキランとした。特に母親は嬉しそうに尋ねた。
「その子にお弁当作ってるの?」
「うん。いつも握り飯だからなんとなく」
「そうか、そうか」
二人は顔を見合せながら頷いた。慶は自分の親は理解があるとは思っていたが、変なことに感動しているようで訳が分からなかった。
慶が二階へあがると両親は鼻歌が出そうなくらい嬉しかった。
「あなた、女の子ですって」
「ああ、どうなることかと思ったら、この家も後継ぎができるかもしれん」
「ピアニストですって」
「うん、素敵じゃないか」
「うちにはグランドピアノを置けそうもないわね」
「そうだな。家でピアノが聞けるのか、うんうん」
二人の夢は果てしなく広がっていた。
慶はぼんやりと寝転がっていると、サワから電話があった。
「あ、サワ、帰って来たの」
「うん、ごめんね。急な話で。実は相談したかったんだけど時間が無くて」
「うん。なんか弾いてよ」
「ピアノ?」
「うん」
サワは静かに弾きだした。
慶は何の曲か知らなかったが、寂しい気持ちがこみ上げてきた。つーっと涙がこぼれてきた。
サワの弾いた曲はショパンの別れの曲だった。