不屈の花に恋した王子
レティー・ミルドラン伯爵令嬢といえば、ワストワ王国ではちょっとした有名人だ。
良い面では、貴族の子弟が通う学園で優秀な成績をおさめ、マナーも完璧。見た目も良く、遠目から彼女の姿を見て憧れる者も多い。
悪い面では、そんな彼女の婚約者が悪名高いジペルク侯爵令息ユークリッドであること。ミルドラン伯爵領では数年前大規模な災害が起き、私財をなげうって復興にあたったが、家計が火の車となってしまった。出来の悪い次男を持つジペルク家は、復興支援金と引き換えに彼を半ば強引にレティーの婚約者としたのだ。紛うかたなき政略結婚かつ格下の伯爵家への婿入りに、ユークリッドは反発した。レティーを粗雑に扱い、あまつさえ彼女の目の前で別の令嬢を口説くことすらしている。女遊びに夢中で、学業がおろそかになっていることをレティーが諌めれば、
「これだから頭の固い陰気な女は嫌なんだ」
「これから一生、お前の顔を見なければならないかと思うとうんざりする」
「その無駄に賢しらな所しか見所がないのだから、将来のためにせいぜい机にかじりついていろ」
と罵詈雑言を並べる始末。これだけひどい態度を取ってもユークリッドがお咎め無しなのは、ジペルク家がミルドラン家に莫大な支援を行っているからだ。借金を盾にされると、彼女もそれ以上言い募ることはできない。ユークリッドの態度を理由にした婚約解消など、夢のまた夢だ。傍目から見ると、本当に胸糞悪い光景である。
二人と同学年である自分──留学している隣国の第三王子であるウィラーは、そんな状況に何度も出会してきた。その度に眉をひそめ、こっそり友人であるこの国の王族や高位貴族の子弟たちに「あれを放置して良いのか」と耳打ちしたが、彼ら彼女らが動く様子はない。もどかしく思ったウィラーは、彼女に変な噂が立たないよう注意したうえで彼女に声をかけたこともある。
「ミルドラン伯爵令嬢」
「ウィラー殿下?」
まさか隣国の王子から直接声がかかると思わなかったのだろう、レティーはわずかに目を見張ってからカーテシーをした。公爵令嬢、否王女にも引けを取らない美しい所作だ。このような素晴らしい婚約者をなぜああも邪険にできるのか、ユークリッドの思考は理解に苦しむ。
「大丈夫か」
虚を突かれたように彼女の目が点になってから、先程の婚約者とのいつものやり取り──心ない扱いをされている場面を見られていたと理解したのだろう。レティーはにこりと笑った。その笑顔に曇りがないのが、逆に痛々しい。一体何度彼女はこの笑みを浮かべ、そして慣れてしまったのか。
「お見苦しいところをお見せしました。ですが、ご心配なく」
「だが」
「殿下」
少し力のこもったレティーの呼びかけに、ウィラーは口を閉じる。
「殿下は見聞を広めるため、と光栄にもこの国を選んでいただき留学されている身。わたくしごときを気遣う寛大さは痛み入りますが、どうぞお捨て置きくださいませ。僭越ながら、殿下は殿下のなすべきことをなさいますよう」
そう凛とした表情でやや不敬ともとれる発言をしたレティーに、ウィラーは惚れた。この気高く美しい不屈の花に。いや、認めよう。今までも、薄々惹かれていた。ウィラーがこの時ようやく、自覚しただけだ。
将来の伴侶として、彼女に隣にいてほしい。
隣国の第三王子ではあるが、王太子である長兄と后との間には既に王子が誕生していて、ウィラーは成人と同時に臣籍降下する予定だ。そのため身分的に問題なく、ウィラーはミルドラン伯爵家に婿入りできる。伯爵家の借金も、手の者に調べさせているがウィラーの個人資産をやり繰りすれば何年かで十分完済できるだろう。後は、今は決して裕福ではないが、優秀なレティーが後を継ぐことで有望な婿入り先となるミルドラン伯爵家の価値を知って手放そうとしないであろうジペルク侯爵家に、如何にして諦めさせるか。見る目のないユークリッドはそもそもこの婚約に不満たらたらなので、その隙をつくか……。
「お待ちください、殿下」
いささか先走っていたウィラーに待ったをかけたのは、故国からついてきた従者だった。前にレティーに声をかけた時も、ウィラーと二人きりにならないよう彼が控えていたので、レティーとの会話も全て見聞きしていて事情もよく把握している。忠実だが言うべきことは言う頼れる臣下なので、ウィラーは耳を傾けた。
「どうした?」
「殿下のご計画ですが、最優先で確認すべきことがあります」
「確認すべきこと?」
「ミルドラン伯爵令嬢のお気持ちです」
「なっ! そんな、いきなり」
「最後にしたい、というお気持ちは分かります。ですがこのまま計画を実行し、仮に成功いたしましても令嬢からすればまさに青天の霹靂です。もし令嬢が殿下に対して同じような気持ちが持てなければ、今よりももっと最悪の事態になりかねません」
「何だと! 私が、あの馬鹿者より男として劣ると言いたいのか!」
「いえ、逆です。殿下が、ジペルク侯爵令息より遥かに能力も権力も人望もお持ちだから困るのです」
「……どういうことだ?」
「殿下の計画が成功したとしましょう。隣国の有能な王子が不遇の伯爵令嬢を助け、彼女に求婚。世間は物語のようだと持て囃し、彼女が当然求婚を受けるものと思うでしょう」
「それは、そうなる……かもしれんな」
「ですが、ここで問題がひとつ。伯爵令嬢が王子を好いていなかったとしたら?」
「えっ」
ウィラーは慌てて、脳裏にレティーの姿を呼び出す。勉学の場で共同で学ぶ時も、声をかけた時も、彼女の表情は柔らかく麗しい。嫌われては……いないと思う。
「殿下。言うまでもありませんが、“嫌いではない”は“好いている”と同義ではありません」
「わ、分かっている」
「“好いている”としても、それが“友人として”と“恋愛的な意味で”ではまた違って──」
「分かっていると言っているだろう!」
そんなこんなで、計画を実行する前にレティーの意向を確認することになった。実質、告白するようなものである。
先はどうあれ、レティーには現在婚約者がいる。そこで、恥をしのんでワストワ王国の王女に協力を依頼した。彼女が優秀なレティーに興味を持ちお茶会に呼んだところ、偶々ウィラーが通りかかったという体にしてもらったのである。
途中からお茶会に加わったウィラーに、レティーは驚いていたようだが忌避する様子はない。これはやはり──彼女も私のことを、と恋に浮かれるウィラーを後押しするようにお茶会の雰囲気は和やかだ。
「時に、ミルドラン伯爵令嬢」
「はい」
カップを置いたウィラーの指に、力が入る。王族として感情を軽々しく表に出さないよう、訓練してきてそれなりに身についたと思っていた。しかし、恋の前では案外脆いなと緊張し過ぎて逆に他人事のように思いながら、ウィラーは口を開く。
「ジペルク侯爵令息──婚約者殿とは、どうだろうか」
「どう……とは?」
「あのような男を、本当に婿に迎えるのか」
レティーの微笑みが、一瞬強張った。かち、とレティーの手元で茶器が鳴る。完璧な淑女である彼女らしくないミスだ。
「殿下方にはいつもお目汚しを披露してしまい、すみません」
「貴女が謝ることではない」
「そうよ、貴女は何も悪いことをしていないわ」
レティーから見えない角度で、王女が険のある視線を向けてきた。何回りくどいことをして彼女に謝罪させてるの、と暗に言われたような気がする。
ウィラーはごくりと唾を飲み込み、覚悟を決めた。
「その婚約をなくせるとしたら、どうする?」
「ウィラー殿下?」
「侯爵令息の横暴さは、見ていて目に余る。自領を思って甘んじる君の気高さは美徳だが、それで君がすり潰されては元も子もない。だから」
「殿下が、助けてくださると?」
「そうだ! 私の個人資産を活用すれば、」
「ありがとうございます」
それは、何よりも明白な断りの文句だった。ぽかんとするウィラーに、レティーは微笑む。
「ですが、我が領は自分で立て直したいのです。今でこそジペルク家に頼っていますが、その借金を天からの助けに等しい殿下のお力で切り抜けるのではなく、わたくしたち伯爵家の、弱くとも折れない力を合わせて」
「アレと夫婦になるなんて、君はそれでいいのか」
「殿下。わたくしたち臣民は、王族の方から見ればか弱く見えるでしょうが、意外と強かなのですよ?」
ああ、花だ。風雨に晒されても、決して折れない不屈の花。
思わず魅入るウィラーに、「無礼なことを申し上げました」とレティーは頭を下げる。
「いや、気にするな。ただ、勤勉な君が蔑ろにされているのが見過ごせなくて……何かあったら言ってくれ。君のために何かしたいのは、嘘ではないか「本当ですか!?」え?」
食い気味に聞いてきたレティーに、ウィラーは目を白黒させる。狼狽えたウィラーにハッと我に返ったレティーは、「失礼しました」と居住まいを正した。しかし、その頬は薄っすら上気していて、新たな一面を見たウィラーの心臓は景気良く跳ねる。
「あら、よっぽどお願いしたいことがあるの? どうせなら、頼んでみたら?」
空気を読んで空気に徹していた王女が、口を挟んだ。ウィラーとしても彼女の力となるのは本意なので、急かさない程度に聞きたい雰囲気を醸し出す。王族二人からの圧に、レティーは少し迷っていたようだが、やがて真剣な表情になると王女に向き直った。
「例のことに関わるのですが……よろしいでしょうか?」
「ああ、あれね。よろしくてよ。ウィラー殿下も口は堅いでしょうし」
「え? あ、ああ、他言してほしくないことなら、しないが」
「では」
レティーは深呼吸する。綺麗な形の瞳が、ウィラーを見つめた。気のせいでなければ、潤んでいるような。熱っぽい眼差しを向けられて、ウィラーの胸は高鳴った。まさか、やはり、彼女もウィラーのことを憎からず思っていて、ユークリッドと離縁したら結婚してほしいとかそういう──
「わたくしとヴェリが婚姻できるよう、お力添えいただけませんか?」
「…………………………誰?」
衝撃のあまり全てを取っ払い、素の表情でたずねたウィラーに、思わずと言った調子で王女が吹き出した。
始終呆然としていたウィラーが、レティーから聞き取ったことには。
ヴェリ──ヴェリタスとは、ミルドラン伯爵領の代官の息子でレティーの幼馴染らしい。幼い頃から想い合っていたが、身分差や災害やジペルク家との婚約もあり、結ばれるのは非常に厳しい状況だった。
だが、レディーとヴェリタスは腐らずに節度を持って抗い続けた。
「将来領主となることを見据え、領地のことを知らせる手紙が定期的に送られるのですが、その差出人が彼なのです。ユークリッド様は、そういった面倒なことはこちらに丸投げだったので、わたくしが受け取っておりました。もちろん、誓って不貞はしておりません……ただ」
レティーの瞳が細められる。その切なげで慈愛のこもった眼差しは、きっと故郷の彼にだけ向けられているのだろう。
「普段は事務的なことばかりなのに、時たま記される領地で咲いた花の知らせは、災害でも枯れ果てなかったしぶとさを感じられて、幾度も折れそうになったわたくしに勇気をくれたのです」
なるほど。彼女が不屈の花であったのは、その芯となる想いがしっかりと根付いていたかららしい。
「災害で荒れた領内を調査しているうちに、魔石の鉱脈を発見しました。当時は復興もまだで、とても開発を受け入れるまでには至らなかったのですが……現地にいる彼や父と協議を重ね、採掘できるまでもうすぐかと」
魔石は装飾品になるほか、動力源にもなるため、国に報告する義務がある。王女に許可を取ったのは、この決まりがあったからだ。
「魔石が流通すれば、ジペルク家の補助がなくてもやっていけます! そして、あの方との婚約も解消できるのですが……それだけでは、ヴェリとわたくしが結ばれる理由にはならなくて……」
「だから、駄目元でもウィラー殿下の“何かしたい”発言に飛びついたのね。慎重な貴女らしくなくて驚いたわ」
「恥ずかしい限りです」
顔を赤らめて縮こまるレティーは、愛くるしい。しかし、もう先程までのようにウィラーの胸は震えなかった。むしろちょっと泣きそう。
「はは……魔石の発見や採掘までの整備にはその代官の子息も深く関わっていたのだろう? 爵位をもらってもおかしくない功績だ。代わりに、伯爵家の婿にしたいと願い出てはどうかな?」
ぱっとレティーの顔が輝いた。今まででいちばん眩しい笑顔だ。この笑顔を見れたのだ、自分は正しいことを言った。そう思うことにしよう。レティーの顔はすぐに王女に向けられたが、ウィラーの心にくっきりと残像を残した。
「そうね、陛下も魔石の発見を大層お喜びだったから、申し出てもいいかもしれないわね」
「本当ですか!?」
「その時は、わたくしも口添えするわ。貴方もそうよね、ウィラー殿下」
「あ……ああ、もちろん、だとも」
王女の冷静な口ぶりからすると、ウィラーの提案は既に王家では考えられていたのだろう。花を持たせてくれた友人に、ウィラーは心の中で感謝する。
こうしてウィラーの初恋は、完膚なきまでに砕けたのだった。
後日。
無事にミルドラン伯爵家から魔石が流通しはじめ、数年後ではあるが借金の返済が可能となった。婚約解消を打診されたジペルク侯爵家は渋ったが、当事者であるレティーが婚約の継続を望んでおらず(この段階でようやく自分の立ち位置の危うさを思い知ったのか、ユークリッドは婚約解消に反対した)、長年ユークリッドがレティーを虐げ政略結婚だとしても破綻しそうな関係性であること、またユークリッドが事あるごとに婚約解消とそれに伴う援助の中止を脅しとして口にしていたという記録がミルドラン伯爵家より提示されたため、速やかに婚約解消の運びとなった。せっかく将来安泰な婿入り先を用意したのに、自ら台無しにしたユークリッドをジペルク侯爵家は勘当した。平民となったユークリッドはしばらくジペルク侯爵家やミルドラン伯爵家の屋敷周辺をうろついていたが、門兵に追い払われてしばらくすると姿を消したらしい。
無事レティーは女伯爵となり、伯爵家は大いに栄えた。その傍らには、夫となったヴェリタスが寄り添っていたという。
そして、ウィラーは。
時間は、お茶会の後に巻き戻る。
「あ、……危な、かった……」
お茶会を解散し、留学する王族用の屋敷に帰ったウィラーは自室にいた。常の穏やかな王子様然とした雰囲気はどこへやら、長椅子に体を預けてだらりと横になっている。
本当に、危ない所だった。
もし、レティーの意志を確認せずに計画を進めていたら。そして、それが成就してしまっていたら。
助けられた形となったレティーは、他に好きな人がいるにも関わらずウィラーと結婚しなければならなかっただろう。たとえヴェリタスのことを話し、ウィラーが納得して引き下がったとしても、分かりやすい物語を好む世間が受け入れるとは限らない。ウィラーに比べると雲泥の差で身分の低いヴェリタスを選んだレティーが、いらぬ詮索を免れないのは想像に難くなかった。ウィラーの生国の良からぬ考えを持つ者が、うちの王子の何が気に食わなくて代官の息子を選んだのかと難癖をつけ、国同士の小競り合いに発展する危険性すらあり得ただろう。
「はー……」
深い、深過ぎるため息をついてから、ウィラーは目を開ける。しばらく先に、上下逆さまになった従者がいた。
「……これからも、よろしく頼む」
「御意、我が主」
優秀な従者がしかと頷いたのを目に映してから、ウィラーは目を閉じた。そして初めての、それでも教訓に満ちた失恋に泣いたのだった。




