上海閏日暴動(2.29事件)
1932年2月下旬 上海・虹口日本人街
背景:
2月20日の「帝国総選挙」の結果は、上海租界にも電信で伝わっていた。
「朴春琴ら、朝鮮・台湾系候補が全員当選」
「内地・外地の一体化が国民の総意として決定」
このニュースは、上海に住む朝鮮・台湾人コミュニティを真っ二つに引き裂いた。
【親日派(新有権者たち)の歓喜】
虹口の通りでは、当選を祝う提灯行列が行われていた。
彼らは商売人や、日本企業に勤めるサラリーマンたちである。
「俺たちは二級市民じゃない! 帝国の主権者だ!」
「朴先生万歳! これで商売がやりやすくなる!」
彼らにとって、日本の選挙権付与は「勝利」であり、これを祝うことは正当な権利行使であった。
【反日派(大韓民国臨時政府・抗日救国軍)の絶望と憎悪】
一方、路地裏でその光景を見る「独立運動家」たちの目は、血走っていた。
彼らにとって、この選挙結果は**「同胞による裏切り」であり、独立運動の根幹を否定される「死刑宣告」**に等しいものであった。
金九(キム・グ / 臨時政府要人)は、震える手で拳銃を握りしめた。
「奴らは魂を売った。パンと選挙権のために、民族の誇りを日本に売り渡したのだ!
……日本人よりも憎いのは、日本人の服を着て笑っている同胞だ!」
事件勃発:「上海閏日暴動」
1932年2月29日、月曜日。
この日は、月曜日であった。
しかし、上海の日本人街は、遅れてきた「旧正月」と「選挙祝勝会」が重なり、異様な熱気に包まれていた。
通りには、日の丸と並んで、当選した朴春琴や林献堂の肖像画が掲げられている。
行進しているのは、着物を着た日本人だけではない。
パジチョゴリを着た朝鮮出身の商人、長袍を纏った台湾出身のバナナ仲買人たちが、**「帝国議会万歳!」「我等は臣民なり!」**と書かれた横断幕を掲げて練り歩いていた。
彼らにとって、この日は「圧政からの解放」ではなく、**「二級市民からの卒業」**を祝う晴れ舞台であったのだ。
午後2時29分 運命の瞬間
虹口公園近くの交差点。
パレードが最高潮に達した時、群衆の中に紛れ込んでいた「黒い影」が動いた。
それは、金九率いる「韓人愛国団」の決死隊、そしてそれに呼応した中国の「抗日救国軍」の便衣兵(民間人に化けた兵士)であった。
史実の尹奉吉は、天長節の式典で日本の「軍首脳」を狙った。
しかし、この世界線で彼らが狙ったのは、あろうことか**「同胞の裏切り者(親日派の民間人)」**であった。
ドォォォォン!!
弁当箱爆弾が炸裂したのは、白川義則大将の演壇ではない。
「朝鮮人商工会」の山車の中でした。
爆風が、笑顔で手を振っていた朝鮮出身の有力者や、その家族、子供たちを吹き飛ばした。
悲鳴と硝煙が立ち込める中、潜んでいた銃撃隊が一斉に発砲を開始した。
「親日派を殺せ! 民族の恥晒しめ!」
叫び声と共に、逃げ惑う「新しい有権者」たちが背中から撃たれていく。
アスファルトが、日本人の血ではなく、朝鮮人と台湾人の血で赤く染まった。
「売国奴に死を!!」
「日本帝国主義の犬どもを殺せ!!」
襲われたのは日本兵ではない。
**「日の丸の小旗を持った、朝鮮人の家族連れ」や「台湾人の商店主」**であった。
現場は大混乱に陥る。
「なぜだ! 同じ朝鮮人じゃないか!」「裏切り者が!」
互いに母国語で罵り合いながら殺し合う、凄惨な**「民族内戦」**が上海の路上で始まった。
日本海軍陸戦隊の介入:「邦人保護」の論理
通報を受けた日本海軍陸戦隊が出動した。
しかし、彼らのスタンスは史実とは全く異なる。
司令官の命令:
「暴徒は、我が国の**『新臣民(朝鮮・台湾系日本人)』**を虐殺している!
彼らは選挙権を持つ、帝国の宝だ! 全力を挙げて保護せよ!
抵抗する者は、民族を問わずテロリストと見なし、排除せよ!」
『くろがね大起』がバリケードを突破し、暴徒に対して重機関銃の火を噴く。
―――――
昭和6年式四輪駆動車(くろがね四起)
乗車定員
2名/3名
ボディタイプ
2ドアフェートン
ロードスター
駆動方式
四輪駆動車
パワートレイン
エンジン
日野重工統制型一〇〇式発動機DB52型
空冷直列2気筒ディーゼル
最高出力
33PS/3,300rpm
変速機
4速MT
サスペンション
前
ウィッシュボーン式独立懸架
後
半楕円リーフスプリング支持の固定軸
車両寸法
ホイールベース
2,000mm
全長
3,550mm
全幅
1,250mm
全高
1,500mm
車両重量
約1,060kg
その他
最高速度
80km/h
偵察・指揮・伝令車両
――
昭和6年式四輪駆動大車(くろがね大起)
乗車定員
4名
ボディタイプ
4ドアフェートン
ロードスター
駆動方式
四輪駆動車
パワートレイン
日野重工統制型一〇〇式発動機DB52型
空冷直列4気筒ディーゼル
50hp/1,500rpm
変速機
4速MT
サスペンション
前
ウィッシュボーン式独立懸架
後
半楕円リーフスプリング支持の固定軸
装甲
鋼板6ミリ
MBF6ミリ
車両寸法
ホイールベース
全長約 4,000mm
全幅約 1,700mm
全高約 1,800mm
車両重量約 1.9トン
その他
航続距離
550km
最高速度
70km/h
軽装甲機動車両
車両後部シート上の天井に円形半円ハッチが取り付けられている。
そこから、武装を手に戦闘が可能。
――――
ここで重要なのは、**「日本軍が、朝鮮人を守るために、朝鮮人・中国人の独立派を撃った」**という構図である。
十九路軍(中国軍)との衝突
暴徒化した反日派は、上海に駐留していた中国軍最強の精鋭・**第十九路軍(蔡廷鍇将軍)**の支配地域へ逃げ込んだ。
第十九路軍は抗日意識が高く、彼らを保護し、追ってきた日本軍に向けて発砲した。
これが決定打となった。
日本政府(外務省)の声明:
「中華民国軍は、テロリストを保護し、我が国の民間人(朝鮮・台湾系)への虐殺に加担した。
これは国家による犯罪であり、断じて容認できない。
我が国は、在留邦人(全民族を含む)の生命財産を守るため、断固たる自衛措置をとる」
午後3時。
暴徒と第十九路軍が立て籠もる閘北地区の路地に、独特の空冷ディーゼル音が響き渡った。
「ガラガラガラ……」
中国兵たちは、重戦車やトラックの車列を予想し、対戦車障壁を築いて待ち構えていた。
しかし、現れたのは彼らの常識を覆す車両であった。
昭和6年式四輪駆動大車(くろがね大起)の衝撃
バリケードの手前で、全長わずか4メートルのコンパクトな車両が急停止する。
中国兵が小銃(モーゼル弾)を一斉射撃した。
カカカカンッ!
弾丸は「鋼板6mm+MBF(特殊鋼紙)6mm」の複合装甲に当たり、火花を散らして弾かれた。
鋼紙がスポールライナー(破片防止材)の役割を果たし、車内の乗員は無傷である。
「撃ち返せ!」
車体後部の円形ハッチが開き、車載機銃(あるいは短機関銃を持った兵士)が360度旋回しながら制圧射撃を開始。
そして、驚くべきことが起きた。
ブオオオオオッ!
日野製ディーゼルの太いトルクが唸りを上げ、四輪駆動の足回りが瓦礫の山を**「乗り越えて」**しまったのだ。
ラジエーターがない(空冷)ため、被弾して蒸気を吹いて止まることもない。
昭和6年式四輪駆動車(くろがね四起)の浸透
その脇を、さらに小型の「四起」がすり抜けていく。
まるでオートバイのような機動力で路地裏を駆け回り、暴徒の側面や背後に回り込んで通信(無線/FAX)を送る。
「B-3地区、敵機関銃座あり。大起小隊、制圧せよ」
それはもはや戦争ではなく、**「高度に機械化されたSWATの突入作戦」**であった。
第十九路軍の精鋭たちは、どこから現れるか分からない「鉄の猟犬」たちに翻弄され、防衛線を維持できずに崩壊していった。
戦闘終了後の虹口公園。
そこには、日本のジャーナリストたち(総力戦研究所の息がかかった報道班)が待ち構えていました。
彼らが撮影し、世界中に配信した「映像」と「写真」は、計算され尽くしたものでした。
写真:
瓦礫の下から助け出された、チマチョゴリを着た少女。
彼女を抱きかかえているのは、内地人(日本人)の陸戦隊員。
その隊員の顔は煤で汚れ、瞳には涙が光っている(ように見える)。
キャプション:
『なぜ撃ったのか! 彼女はただ、選挙権を得たことを喜んでいただけなのに!』
この一枚は、日本国内(内地・朝鮮・台湾)に強烈な感情の波を引き起こしました。
欧米列強の反応:日本の「正当防衛」認定
この「上海事変(IF)」を、共同租界から見ていた欧米のジャーナリストや外交官はどう報じるだろうか?
英国タイムズ紙:
「上海の悲劇。暴徒が襲ったのは軍隊ではなく、平和的に選挙を祝っていた民間人であった。日本軍の行動は、秩序維持のための警察行動の域を出ていない」
米国領事:
「複雑な気分だ。日本は『民主主義を守る』という名目で軍を動かしている。襲われたのが『新しい有権者』である以上、我々も『守るな』とは言えない……」
史実では「日本軍の暴走」と非難された上海事変が、
この世界線では**「テロリストに対する治安維持行動」**として、国際社会から(消極的ですが)正当化されいく。
結末:独立運動の壊滅的打撃
戦闘は数週間で終結する。
日本の新兵器(800hp級航空機や新型戦車)の威力もさることながら、精神的なダメージが甚大であった。
独立派の孤立:
「同胞を殺した」という事実は、彼らを一般の朝鮮・台湾人コミュニティから完全に孤立させた。
「あいつらは狂っている。関わったら殺される」という恐怖が、一般市民をより一層「日本政府(保護者)」側へと追いやった。
中国側の困惑:
蒋介石は頭を抱える。
「日本と戦っているはずが、なぜか『日本の国内問題(民族対立)』に巻き込まれ、悪者にされている。これでは国際連盟に提訴もできない」
1932年春、上海停戦協定。
日本は上海周辺を非武装化し、租界の安全を確保。
そして国内では、
「上海で犠牲になった同胞(朝鮮・台湾出身者)に報いるためにも、我々はさらに団結せねばならない!」
という、**歪んだ、しかし強固な「愛国心」**が醸成されていくことになる。




