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古の灯火  作者: 丸亀導師
戦間期
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世界恐慌2


アメリカ合衆国・ニューヨーク・ウォール街を中心として始まった金融危機は瞬く間に、世界中へと普及していった。

ドイツでは、アメリカからの融資が止まったことで、最も早く深刻な影響が出た。1930年3月には失業保険をめぐる対立で内閣が崩壊し、国そのものの方針が大規模な転換を求めた。 


英仏では、 輸出が急減し始め、経済的なつながりが強かったイギリスから順に景気が冷え込んでいった。


社会全体で見れば、消費は冷え込み、 貯蓄を失った人々が高級品や車の購入を控えるようになり、フォードなどの工場では減産や一時帰休が始まはじめていた。


対応は遅れ、 多くの政府が「自由放任主義(放っておけば治る)」をとったため、抜本的な対策が取られることは無かった。


生活の変化の観点から言えば

「余裕が消え、不安が忍び寄る段階」として大まかに3つに纏められた。


1. 「浪費」から「節約」への急転換

直前までの「狂騒の20年代」の華やかさは消え、人々は一気に財布の紐を締め始めた。

自動車や家電など、ローン(割賦販売)で買うような大きな買い物がピタッと止まり、買い控えが加速していた。

当時のアメリカで流行った言葉は、「使い切れ、着潰せ、間に合わせろ、なければ諦めろ」(Use it up, wear it out, make do or do without)である。服は継ぎ接ぎして着るのが当たり前になっていく。


2. 「中流階級」へのじわじわとした打撃

まだ失業していない人々でも、生活レベルを下げざるを得なくなった。

解雇を免れても、週の労働時間が減らされたり、給料がカットされたりする人が続出していた。

医師や弁護士といった専門職でも、顧客が支払えなくなることで収入が最大4割程度落ち込むケースも出現した。


3. 社会の底が抜ける「予兆」

半年時点ではまだ「飢死」が蔓延する段階ではありませんでしたが、最底辺の生活環境が崩れ始めた。

住宅ローンの支払いが滞り、家を追い出される人が出始めた。彼らは空き地にトタンなどで小屋を作り始め、これが後の「フーヴァービル(貧民街)」へと発展する。

炊き出しの列: 都市部では、民間団体による「スープキッチン(炊き出し)」に並ぶ失業者の列が、日常の風景になり始めていた。


それが、世界恐慌の半年の欧米の出来事である。

しかし、そんな中にあって極東、西太平洋を中心とした広大な海域を保有する一国、大日本帝国を中心とする経済圏だけは、違った光景を見せていた。



世界恐慌の荒波は、確かに日本列島の岸辺まで押し寄せてはいた。生糸の対米輸出は壊滅し、本来ならば農村から娘が売られる悲劇が繰り返されるはずであった。


だが、この世界線の日本政府――その背後にある『総力戦研究所』の描いた絵図面は、その荒波を巨大な水車を回すエネルギーへと変えていたのである。


欧米が沈黙と停滞に沈む中、日本列島からは「槌音つちおと」と「蒸気」が立ち上っていた。


その風景は、以下の3つの点において、世界の他の地域とは決定的に異なっていた。


1.「素材革命」による農村の救済と産業転換

ウォール街の暴落と同時に、日本政府は即座に「生糸」を見限った。

本来ならゴミとなるはずだった桑の木や、二束三文のこうぞ三椏みつまたは、政府の号令一下、全く新しい価値を与えられた。

それが『鋼紙こうし』である。

「鉄の代用」となるこの硬化繊維素材を生産するため、地方の製紙工場や化学工場は24時間体制で稼働を始めた。

農家は桑を切り出し、工場へ納めることで現金を手にし、その息子たちは工員として雇用された。

ニューヨークの市民がスーツを継ぎ接ぎしている頃、日本の学童たちは、軽くて丈夫な「鋼紙製のランドセル」を背負い、サラリーマンは「鋼紙製のトランク」を提げて満員電車に揺られていた。

「紙」が国を救う――この奇妙な熱気が、農村の絶望を払拭していた。


2.「昭和ニューディール」による国土の再構築

欧米が財政均衡にこだわり公共事業を凍結する中、日本は「借金」を恐れなかった。

海軍が開発した「焼尽薬莢」によって節約された膨大な銅資源は、即座に「全国送電網」と「電話線」へと姿を変え、暗かった農村に電灯を灯した。

更に、東京―下関間の「弾丸列車」計画が前倒しで着工された。

失業者が列を作るのは「炊き出し」の前ではなく、「建設作業員」の募集所の前であった。

アスファルトで舗装された国道を、国産のトラックが資材を満載して走り回る光景は、不況どころか、一種の「建設ブーム」の様相を呈していた。


3.「円ブロック」という独自の生存圏

ドルもポンドも持たない国々にとって、日本の提案する「バーター貿易(物々交換)」は福音であった。

南米のコーヒーやゴム、中東の石油が、日本の「鋼紙製品」や「繊維雑貨」と交換され、海を渡った。

横浜や神戸の港は、不況で停泊したままの欧米船を横目に、満載喫水線まで荷を積んだ日本船が出入りしていた。

「金本位制」という古びた鎖を断ち切った円経済圏ブロックの中では、カネではなく「モノ」と「労働」が絶え間なく循環していたのである。

半年が経過した1930年夏。

世界が「持てる者(米英)」と「持たざる者(敗戦国・植民地)」の格差に苦しむ中、極東の島国だけが、そのどちらでもない第三の道――『国家総力戦体制による計画経済』という、未だかつてないシステムで、不気味なほどの繁栄を謳歌し始めていた。


その巨大な槌音は、内地だけに留まらず、帝国の支配が及ぶあらゆる海岸線で響き渡っていた。

朝鮮半島の釜山や鎮海、台湾の基隆や高雄、そして南洋群島のトラックやパラオ。


これらの港湾では、内地と同様の規格で、浚渫しゅんせつとドックの拡張工事が昼夜を問わず進められていた。

「鋼紙」によって作られた軽量かつ頑丈なコンテナや港湾資材が山積みになり、現地で雇用された労働者たちが、不況知らずの現金収入を得て活気づく。


かつては「搾取の対象」でしかなかった植民地経済が、本国と一体化した巨大なサプライチェーンの一部として、急速に近代化を遂げていたのである。

そして、その整備された港湾から生み出されようとしていたのが、世界を驚愕させる「巨船群」であった。


1. 「一〇万トン級ドック」の同時着工

呉、長崎、神戸といった内地の主要造船所だけでなく、朝鮮やシホテルーシの港湾においても、常識外れの規模を持つ乾ドック(ドライドック)の建設が開始された。


表向きは「将来の海上貿易量の増大に対応するため」とされたが、その規模は明らかに商船の枠を超えていた。

これは、来るべき超巨大戦艦(大和型)の建造準備であると同時に、有事の際には空母や損傷した艦艇を、本土に戻さずとも修理・補給できる「前線基地」を太平洋全域に敷設することを意味していた。



2. 共通規格の「戦時標準巨船」

総力戦研究会は、船の設計思想も根本から変えた。

職人芸による一品生産ではなく、自動車のような「ブロック工法」と「電気溶接」を全面採用した、排水量1万トン〜2万トン級の高速タンカーや貨物船の量産を開始したのである。


これにより船体重量が劇的に軽くなり、その分だけ多くの石油や鉱石を積むことができた。これらの船団は、欧米の旧式船を駆逐するほどの輸送効率を叩き出した。



3. 「北」と「南」の動脈形成


この造船・港湾インフラ輸出は、支援国との関係を不可逆的なものにした。

シホテルーシ共和国(北の動脈):

ウラジオストクやナホトカには、日本の技術支援で砕氷能力を持つ港湾施設が整備された。ここから、シベリアの鉄鉱石や石炭、そして木材(鋼紙の原料)が、ピストン輸送で日本海を渡り、舞鶴や新潟へ運び込まれる「日本海の湖化」が完成しつつあった。



シャム・ペルシア(南の動脈):

シャム(タイ)のバンコク港、ペルシア(イラン)のアバダン港でも、日本のゼネコンによる大規模な拡張工事が行われた。

特にペルシアにおいては、英資本(アングロ・イラニアン石油会社)の影響力を削ぐべく、日本は「石油の全量買取」を条件に、最新鋭のパイプラインとタンカー用桟橋をプレゼントした。


ペルシア王室は、欧米のような植民地支配ではなく、「ビジネスパートナー」として接してくる日本に全幅の信頼を寄せ、中東の石油がマラッカ海峡を経由して日本へ流れ込む「エネルギー・ロード」が開通したのである。



世界が不況の波に飲まれ、船が錆びついた港で係留されている1930年。

日本の旗を掲げた真新しい巨船たちは、北は氷海から南は熱帯の海まで、休むことなく物資を運び続け、帝国の血管をドクドクと脈打たせていた。

それは、来るべき「持てる国」との決戦に備え、国家という生物が皮下脂肪(備蓄と兵站)を極限まで蓄えようとする姿そのものであった。




日本の都市計画も進行していた。

関東大震災後、復興を遂げていた帝都東京。

その帝都東京をモデルとした、地方都市の構造的改革が同時に進行していたのである。


震災の瓦礫の中から蘇った帝都・東京は、単なる復旧ではなく、後藤新平が夢想し、史実では予算縮小により叶わなかった「完全なる帝都復興計画」が、この世界線では潤沢な資金によってそのまま具現化されていた。


それは、道幅の拡張や区画整理といったレベルを超えた、来るべき総力戦に耐えうる**「要塞都市」としてのグランドデザイン**であった。

そして1930年。

この「東京モデル」を雛形テンプレートとして、大阪、名古屋、福岡、札幌、仙台といった地方の中核都市においても、ドラスティックな**「構造的改革(都市改造)」**が断行されていた。

その改革の要点は、以下の三つの「血管と骨格」の作り替えにあった。


1. 「広路こうろ」による兵站ネットワーク化

従来の日本の都市は、江戸時代の城下町の名残である「敵の侵入を防ぐための迷路のような狭い道」がそのまま残っていた。これは近代戦、特にトラック輸送においては致命的な「動脈硬化」であった。

政府は、都市の中心を貫く幅員30メートル〜50メートル級の「放射状幹線道路ブールバール」と、それらを結ぶ「環状線」を地方都市にも強引に敷設した。

目的: 平時は物流の高速化、有事には軍用車両の大部隊が都市を素早く通過・展開するための「軍用道路」としての機能。

舗装: 地方の砂利道は、輸入したアスファルトと、国産セメントによって完全舗装された。これにより、雨天でもトラックの足が止まることはなくなった。


2. 「不燃化」と「防火帯」の強制

関東大震災の教訓、すなわち「木造密集地帯は焼夷弾一発で全滅する」という事実は、総力戦研究会にとって最大の懸念事項であった。

ゆえに、地方都市においても容赦のない「不燃化」が進められた。


コンクリート建築の奨励:

主要街道沿いの建築物は、木造を禁止し、鉄筋コンクリート造(RC)とすることを義務付けた。内装や建具には、あの「鋼紙こうし」が不燃処理を施されて使われた。


公園という名の「防火帯」:

都市の随所に、広大な公園や緑地帯が意図的に配置された。これは市民の憩いの場であると同時に、空襲や火災の際に延焼を食い止める「絶対防火ライン」であり、有事には高射砲陣地や避難所となるスペースであった。


3. 地下インフラの「共同溝コモン・ダクト」化

そして最も先進的だったのが、目に見えない地下の改革である。

道路を掘り返すたびに交通が麻痺するのを防ぐため、そして空爆によるライフライン切断を防ぐため、水道・ガス・電気・電話線をまとめて収納する「共同溝」が、主要都市の地下に張り巡らされた。


資源の有効活用:

ここでも、焼尽薬莢によって節約された「銅」が、地下ケーブルとして大量に埋設された。

また、共同溝自体が一種の巨大な地下トンネルであり、非常時には防空壕や、物資の地下輸送路としても機能する設計となっていた。


1930年代の日本の地方都市。

そこには、かつての薄暗く雑然とした城下町の面影は消えつつあった。

整然と区画された広い道路、その両脇に立ち並ぶコンクリートのビル群、そして地下を走る最新のインフラ。

一見すれば、欧米の近代都市を模倣したように見えるその光景。

だがその本質は、住民の快適さのためだけに作られたものではない。


都市そのものが一つの巨大な「兵站基地」であり、「防空要塞」として機能するように計算され尽くした、冷徹なまでの機能美の結晶だったのである。




―――


日本改造・二十年計画(昭和5年〜昭和25年)

世界中が不景気で苦しんでいる今だからこそ、日本は新しい道を行きます。

これから20年かけて、資源がないと言われたこの国を、世界に負けない**「強くて豊かな、科学の国」**へと作り変える約束です。


【前半の10年】 基礎を固める時期(1930年〜1939年)


〜 みんなの仕事を作り、災害や戦争に負けない町を作る 〜


1. 農村を救う「魔法の紙」を作ろう

アメリカに売れなくなった生糸(絹)の代わりに、これからは日本の木や植物を使って**「鋼紙こうし」**を作ります。

これは「鉄のように硬い紙」です。農家の皆さんには、これを工場へ売って生活を楽にしてもらいます。

子供たちのランドセルも、お父さんのカバンも、これからは日本の技術で作った「鋼紙製」になります。


2. 燃えない町、便利な道路

地震や火事、それに空襲があっても燃えないように、木の家から**「コンクリートの頑丈なアパート」**へ建て替えを進めます。

町には広い道路を通し、電気や水道の線は全部地下に埋めます。これで、どんな時でも水や電気が止まらない強い町になります。


3. 世界中の資源を運ぶ「海のトラック」

1万トンもある大きな船を、ブロックを組み立てるように素早くたくさん作ります。

この船で、海外から鉄や石油を安く、大量に運んできます。

【後半の10年】 世界を追い越す時期(1940年〜1949年)

〜 夢の超特急と、最先端の科学技術 〜


1. 東京から大陸へ! 夢の「弾丸列車」

今の鉄道がいっぱいになったら、東京から下関まで、時速200キロで走る**「弾丸列車(新幹線)」**を作ります。

下関からは、列車ごと乗れる巨大なフェリーで海を渡り、満州(大陸)まで乗り換えなしで行けるようになります。


2. 「情報」と「科学」の力

銅や資源を大切に使って、日本中に電話や通信の網を張り巡らせます。

難しい計算を一瞬で終わらせる「計算機コンピュータ」を使って、無駄のない国づくりをします。

さらに、石油だけでなく「原子の力」を使った新しいエネルギーの研究も進めます。


【私たちのお財布事情】


■ お金に頼らない「助け合い」

海外のおドルがないなら、物々交換をすればいいのです。

日本の「鋼紙製品」や「雑貨」と、シベリアの「鉄」、ペルシア(イラン)の「石油」を交換します。

これで、日本とお友達の国々は、世界が不景気でも困りません。


【むすび】

20年後の1950年。

その頃には、日本は世界のどこよりも安全で、進んだ技術を持つ国になっているでしょう。

お父さんも、お母さんも、子供たちも。

それぞれの場所で力を合わせて、この大きな**「国づくり」**を一緒に進めていきましょう。


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