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古の灯火  作者: 丸亀導師
戦間期
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SDGs

1928年 東京某所 下町長屋の朝


「てやんでぇ! 誰だ、また煮汁をそのまま流そうとした奴は!」


早朝の共同炊事場に、大家の怒鳴り声が響いた。

長屋の朝は早い。かまどに火が入り、朝餉の支度が始まる時間だが、ここの空気は以前とは少し違っていた。


「大家さん、あたしじゃないよ! ちゃんと『おがくず』に吸わせたよ!」


「嘘をおつき! 流しの『油取り(グリストラップ)』に油膜が浮いてるじゃねぇか。これじゃあ、今日の回収で『特級』の判子が貰えねぇだろうが!」


大家が血相を変えて怒るのも無理はなかった。

かつては「流せば終わり」だった厄介者の排水やゴミが、今や長屋の修繕費を賄い、店子たなこたちに盆暮れの餅を振る舞うための「財源」になっているからだ。


路地裏には、すでにカーキ色のトラック――陸軍払い下げの車体を改造した『公社回収車』――が横付けされていた。

この車は、工場に来ていたあの巨大なタンク車とは違う。荷台には、各家庭から集められた「分別容器」を積むための棚と、小さな計量器が載っている。


「へい、今日は『一番』の樽(生ゴミと残飯)が満杯ですね」


回収員の男が、慣れた手つきで樽を天秤にかける。

その中身は、堆肥工場で発酵させれば、極上の肥料とメタンガスに変わる「資源」だ。


「25キロ……よし。今日は歩留まりがいいから、スタンプ2つおまけしときやす」


「おっ! 話がわかるねぇ!」


「奥さん、これも立派な燃料になりますからね。……はい、これ、今月の『還元品かんげんひん』の引換券」


係員が手渡したのは、配給切符ではなく、陸軍のマークと『資源報国』の文字が印刷された、商品引換券だった。


「あらやだ、今月は『台湾製のお砂糖』じゃない! 嬉しいわぁ」


「へへっ、軍が台湾総督府から安く大量に仕入れた特級品ですよ。普通に店で買えば高いですからね」


「これで子供に甘い卵焼きを作ってやれるわ。……ねえ、あとどれくらい貯めれば『石鹸』も貰えるの?」


「あとスタンプ3つってとこですかね」


彼女たちは知らない。

自分たちが手渡したその「油まみれの紙くず」が、巡り巡って鶴見の発電所で燃やされ、今夜の我が家の電灯を灯すエネルギーになることを。

あるいは、丁寧に分別したその生ゴミが、埼玉の農家で野菜を育て、また明日の食卓に並ぶことを。


ただ、「分ければ得する」「混ぜれば損する」。

その単純明快なルールだけが、長屋の隅々まで徹底されていた。


「さあさあ、回収車が行っちまうよ! 次は『かわや』の汲み取りだ! 若い衆、手を貸しな!」


かつて、鼻をつまんでやり過ごした「汚い仕事」は、今や町内総出の「出荷作業」へと変わっていた。

ドブ板の下を流れる水は、薄く濁ってはいるものの、鼻を突くあの腐敗臭はもうしない。


この小さな路地裏の「ケチでたくましい」営みの集積が、やがて大河・隅田川となり、一人の老人に「美しい」と言わしめる清流を作り上げているのである。



1928年 東京品川 某町工場


その日、何台かのトラック『公社専用車両:TGE-R型「再生(Re-born)大型ボンネットトラック(4トン積み級)」』が町工場へとやってきた。

そこから数名の男たちが降りる。一人が工場長と話す為に、事務所の方へと向かった。

その間に、他数名の男たちは工場の一部区画にトラックを停めると、そこの蓋を空け中から黒黒とした、穴の開いたレンコンのような物を取り出していく。


大きさは、だいたい15〜20センチ程だろう、それらの物体を見た男たちは目を顰めるも、それも仕事なのだとそう納得しているのか、其れ等を運び始めた。

其れ等の物体は、まず猫車に乗せられて、トラックの空いている荷台の上へと乗せられる。


別のトラックからは、カラカラと良い音を立ててなる先程のレンコンの様な者、『多孔質練炭』が取り出された場所に整然と並べられていく。


どうやらそれらの交換に、男たちは来たようだが工場長はその様子を見ながらもほくそ笑んでいた。

工場排水を流しているだけで、金が懐に入ってくる。こんなボロい商売は無い。

しかも、これが御上の御意思で決められた事なのだから、寧ろ良い気分であった。


これらは、関東大震災の際に法律で義務付けられた

産業廃棄物資源化及水質保全法(大正13年 制定)

によって基準が制定されているものである。

最初は誰もが、これらの行動に対して反対を投げかけた。


「環境を護っていては、工業は成り立たない」


「御上は工業の素人のようだ」


等という風説が流れる程であった。


しかし、法律は断行され人々は渋々と言った形で、これらの法律を護る為に、幾つかの補助金を受けながら、工場内にこの多孔質練炭を排水に通す設備を完備した。


基準と合致しない者達は次々と淘汰され、新しい者達に取って代わられる。

そうやって世界は回っていくのだろう…。


さて、話を戻す。

練炭を回収しに来た業者は、今度は工場の煙路を調べに行った。どうやら、何かがあるようで男たちはマスクをしながら、それを覗き込んでいる。


「お~い、これも交換するぞ。新しいのもってこい。」


もう一台の車から、直径 200mm厚さ50ミリ程度の円筒形の筒が現れた。『G型カートリッジ』と呼ばれる、煤煙集塵装置である。

外装は鉄板で覆われているようであるが、中身にはどうやら陶器があるようだ。


「手伝え……セイのっと!!」


それなりの重さがあるようだが、男たちは息を合わせて手慣れたように其れ等を上に上げていく。

覗き込んでいた場所から、似たような物が現れるがそれは煤に汚れていた。


手慣れた手つきで其れ等を入れ替えると、男達の内職長は、再び領収証を取り出すと工場長へと手渡す。

それを見た工場長は、またもや目を緩めていた。


「それでは、またよろしくお願いします。」


そう言うと、男達は工場から離れてまた別の場所へと向かうと、今度はまた同じ様に作業を続け、それらの作業は大凡にして太陽が天にまで昇るまで続けられた。


トラック荷台には、黒黒としてベットリとした物が付着した、多孔質練炭が並び、男達は一路自らの職場へと向かっていく。


その間に大きなタンクがついた車たちとすれ違う。


「汚泥業者も大変そうだ。」


軽口を叩きながら、彼らは目的地へと進んで行く。


彼等の勤務地は、場所は川崎、鶴見火力発電所

次第に道を進んでいくと、同じ様なトラックが何台も並び列を作っている。


「お〜い、そっちも上々だな。」


「おう、そっちもな。」


ガハハハと言う、そんな笑い声が聞こえてくる間も、トラック達は並び続けた。


トラック達は受け入れピットへと到着すると、バックでその大きな穴に荷台を着け、ギリギリという機械式ダンプが音を立てて、その積まれている練炭をゴロゴロゴロと落としていく。

そしてダンプは元へと戻り、残った幾つかの物を手でピットへと降ろすと、男たちの仕事はそこまでであった。


また、重い鉄箱陶器の方はと言えば、その運搬トラックの荷台は特殊である。

荷台部分が、ちょうどワインセラーや蜂の巣のように、「直径20cm強の穴」が無数に開いた鉄製の棚になっていて、そこに幾つものG型カートリッジが刺さっているのだ。


しかし、量は膨大である。


しかし、定位置に停止したトラックが精錬棟の「荷下ろし場」に入ってくると

天井から、カニのハサミのようなフックがついたクレーンが降りてく来た。

すると使用済みカートリッジ満載の荷台(数トン)を、クレーンが丸ごと吊り上げて行く。

すかさず、隣のラインから流れてきた「新品カートリッジが入った荷台」を下ろして、トラックに装着して行った。


「ここではトラックは止まらない。黒い蜂の巣が空へ吸い上げられ、白い蜂の巣が降りてくる。その間、わずか3分。運転手が煙草に火をつける暇さえない早業である。」


鶴見火力発電所はこの頃の日本において、最も新しく巨大で、効率的な石炭火力発電所である。

普段の火力発電所ならば、その巨大な円筒から黒煙がモクモクと立ち昇っているだろうが、しかしなんとも静かな光景であった。


煙突から立ち上るのは、真っ白な雲。それも、上に立ち昇ると直ぐに消えていく。要するに立ち昇るのは煙ではなく、水蒸気なのだ。



建屋の分厚い鉄扉が一枚隔てているだけで、そこは別世界であった。

外の静寂が嘘のように、内部は腹の底に響く重低音で満たされている。

まず目に飛び込んでくるのは、巨大な回廊のごとく鎮座する「大正12年式高圧ボイラー」の群れだ。


先ほどピットに投げ込まれた「多孔質練炭」――油と汚泥を吸い込んだ黒い塊――は、ベルトコンベアで絶え間なく運ばれ、この鋼鉄の巨人の口へと呑み込まれていく。


ボイラーの小窓から漏れ出る光は、通常の石炭燃焼のような赤色ではない。化学物質や重金属を含んだそれは、時に青く、時に緑がかった妖しい「極彩色のほむら」となって荒れ狂っていた。


これこそが、摂氏350度を超える高圧蒸気を生み出し、帝都の夜を照らす電力の源泉であり、同時に汚物を浄化する煉獄の業火である。人々はコレを見て、美しいと思うだろうか?


「燃焼室温度、規定値よし! 第三区画、カドミウムの反応色を確認。送風圧上げろ!」


マスクと防塵ゴーグルで顔を覆った技師たちの怒号が、蒸気の噴出音に混じって飛び交う。彼らはただ石炭をくべる労働者ではない。焔の色を見て含有物質を見極める、国家公認の「火の番人」たちだ。彼等のその手には帝都の光が宿っている。


一方、その隣の区画では、回収された『G型カートリッジ』の再生処理が行われている。

巨大なトンネル窯のような装置の中を、煤で真っ黒になったセラミック筒がゆっくりと通過していく。


ここでは陶器を割らぬよう、計算された温度で熱が加えられ、付着した煤塵だけを焼き飛ばすのだ。焼き切られた煤は濃厚なガスとなり、ボイラーからの排気と合流して、建屋の最深部へと送られる。

そこは、この発電所の心臓部にして、最も異様な空間――『集塵・精錬区画』だ。


薄暗い広大な空間に、高さ十メートルはある巨大な鉄の箱が何十基も整然と並んでいる。

最新鋭の『コトレル式電気集塵機」』と呼ばれるものである。


箱の内部では数万ボルトの高電圧が唸りを上げ、ボイラーや再生窯から送られてきた「宝の混じった煙」から、微細な粒子を強引に引き剥がしているのだ。

時折、自動ハンマーが作動し、「ガーン! ガーン!」と鉄箱を叩く音が響き渡る。

そのたびに、箱の下部に設けられたホッパーからは、さらさらとした「灰色の粉雪」が降り注ぐ。


これこそが、煙から抽出された鉛、亜鉛、そして微量の銀を含んだ「鉱石」そのものであった。


「本日の収穫量は、鉛換算で五トンを超えます」


計器を睨む技師が報告する先には、電気炉が赤々と口を開けている。

集められた「灰色の粉」は、その場で直ちに電気炉へ投入され、発電所で生まれたばかりの莫大な電力によって瞬時に溶解される。


ドロドロに溶けた液体金属が、火花を散らしながら鋳型へと流し込まれていく様は、まさに現代の錬金術だ。

昨日までは川を汚し、空を曇らせていた厄介者が、今ここで、鈍い銀色の輝きを放つ『国家備蓄インゴット』へと姿を変え、積み上げられていく。


『……汚ねぇもんだな、人間が出すゴミってのは』


ひとりの老技師が、積み上がった鉛の延べ棒を革手袋で撫でながら独りごちた。

だがその表情には、侮蔑の色はなく、ある種の誇らしげな笑みが浮かんでいた。

外の煙突から出るのは、無害な水蒸気だけ。

毒はすべて、この塔の中で富へと変わるのだから。


この国は変わろうとしている。欧米列強が、今もなお、民を苦しめながら、その足を腐らせているのに対して。

この国は変わろうとしている。ただ無駄に生み出すのではなく、全ては輪廻の理にあるのだと。

この国は変わろうとしている。全ては民の為、国の為、明日の日常の為に。


鶴見の空は、今日も高かった。


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