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古の灯火  作者: 丸亀導師
戦間期
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電波の目

1924年(大正13年)冬、仙台。


東北帝国大学、工学部電気工学教室。

外はしんしんと雪が降り積もり、校舎内は底冷えがしていた。

しかし、その一室だけは、異様な熱気と、焦げ付いた絶縁体の匂い、そしてオゾンの香りに包まれていた。


部屋の主は、八木秀次教授と、その助手である宇田新太郎。

そして、その実験を見つめる二人の男がいた。

一人は、帝国空軍技術局の日野熊蔵少将。

もう一人は、海軍技術研究所から派遣された若き俊英、伊藤庸二大尉(史実でのレーダー開発の第一人者)である。


彼らがここに来た理由は、「緒省連絡会議」の特命であった。


『国内の大学に眠る、軍事転用可能な基礎研究を根こそぎ発掘せよ』


そのリストの中に、八木の「短波長電波の研究」が含まれていたのだ。

実験台の上には、奇妙な装置が置かれていた。

中心にあるダイポールアンテナ(放射器)。その前後に、長さの異なる金属の棒が並んでいる。


ただの針金細工にしか見えない。


「……では、始めます」


宇田がスイッチを入れる。

発振器が唸り声を上げ、中心のアンテナから電波が放射される。

八木教授が、手にした小さな電球(受信アンテナ付き)を持って、アンテナの「前方」に立つ。

電球は、眩いばかりに輝いた。

次に、八木はアンテナの「後方」や「横」に移動する。

すると、電球はフッと消えた。


「ご覧の通りです」


八木は自信たっぷりに言った。


「通常、電波は池に石を投げたように全方位に広がります。

しかし、この『導波器ディレクター』と『反射器リフレクター』を並べることで、電波をホースの水のように、一方向に鋭く絞って飛ばすことができるのです。

これを『電波指向方式』と名付けました」


八木の頭にあったのは、あくまで「無線電力伝送」や「混信のない通信」だった。

電波をビーム状に飛ばせば、遠くへ、効率よくエネルギーや情報を送れる。 

彼は、学術的な大発見としてこれを誇った。


しかし、それを見ていた軍人二人の眼には、全く別の光景が映っていた。

海軍の伊藤大尉が、震える声で尋ねた。


「先生……その『ビーム』ですが。

もし、その延長線上に、金属の塊……例えば船や飛行機があったら、どうなりますか?」


八木は怪訝な顔をした。


「は? ……まあ、金属であれば電波は反射します。

反射して、一部は戻ってくるでしょうな。微弱ですが」


空軍の日野少将が、畳み掛けるように聞いた。


「その『戻ってきた微弱な波』を、このアンテナで拾うことは可能か?」


「可能です。このアンテナは、出すだけでなく、受けるときも『指向性』を持ちますから。正面からの電波には、猛烈に敏感です」


日野と伊藤は、顔を見合わせた。

二人の脳裏には、同じ戦慄が走っていた。

(闇夜で懐中電灯を向ければ、相手が見える。それと同じだ)

(電波の懐中電灯……。これがあれば、霧の中でも、雲の上でも、敵が見える!)


史実の日本軍であれば、ここで「基礎研究など役に立たん」「電波で敵を探るなど臆病者の兵器だ」と一蹴したかもしれない。


しかし、この世界線の彼らは違った。

「緒省連絡会議」で、総力戦と科学技術の重要性を骨の髄まで叩き込まれている。

日野少将は、懐から一枚の書類を取り出した。

それは、研究費の助成申請書ではなく、「国家機密指定書」だった。


「八木先生、宇田君。

この研究、本日只今をもって、『甲種軍事機密』と指定する」


八木は驚いて抗議しようとした。


「な、何を仰る! これは科学の発展のため、世界に発表すべきものです! 英語論文の準備も……」


「ならん!」


日野が一喝した。その声色は怒気の混ざったものだろう。赤子がいたら泣き叫んでいた事だろう。


「先生、あなたは『通信』だと思っているかもしれないが、これは『眼』だ。

次の戦争で、我々が生き残れるかどうかの『眼』なのだ。

論文発表は禁止する。特許は『秘密特許』として国が買い上げる。

その代わり……」


日野は、伊藤大尉に目配せをした。

伊藤は、カバンから分厚い封筒を取り出し、実験台の上に置いた。

中には、八木が喉から手が出るほど欲しかった「研究予算」の決裁書が入っていた。額は、大学の年間予算に匹敵する。


「金は出す。資材も出す。東芝の最高級真空管も、好きなだけ使っていい。

実験場として、無人の野原も用意しよう。

だから先生、『電波で空の飛行機を見つける装置』を作ってくれ。……頼む」


空軍の将軍が、一介の学者に頭を下げたのだ。

八木秀次という男は、プライドは高いが、技術者としての情熱は人一倍である。


「自分の技術が、国を救う鍵になる」と言われ、さらに「無制限の予算」を積まれて、燃えないはずがなかった。


「……わかりました。ただし、条件があります」


八木は眼鏡の位置を直しながら、ニヤリと笑った。


「東芝の真空管だけじゃない。

東北大の冶金研究所の本多光太郎先生……あの『KS鋼』も使わせてください。

強力な磁石がないと、強い電波は出せませんからな」


「承認する。本多先生も、すでに『こちらの側』だ」


こうして、1924年の雪の仙台で、歴史的な握手が行われた。

史実では「Yagi Antenna」として世界中に知れ渡り、敵国のレーダーに使われた技術は、この世界線において**『一三式電波標定機』**という無機質な名称を与えられ、日本軍の最高機密という深い闇の中に隠匿された。


数年後、太平洋上で米軍機が「何もないはずの空域」から正確な迎撃を受けたとき、彼らは知ることになる。

その不可解な敗北の種が、雪深い東北の実験室で撒かれていたことを。


1927年(昭和2年)、横須賀海軍工廠、電気実験部。

窓のないコンクリート造りの実験室で、一人の男がオシロスコープ(当時のものはまだブラウン管が緑色に鈍く光るだけの原始的なものだ)を凝視していた。


東北帝国大学から極秘裏に招聘された八木秀次博士である。

その横には、海軍技術研究所の伊藤庸二中佐、そして空軍技術局の日野熊蔵少将が腕組みをして立っている。

陸軍からも、通信学校の教官が陪席していた。


「……見えました。」


八木の静かな声が、室内の重い空気を破った。

オシロスコープの波形の中に、周囲のノイズ(雑音)とは明らかに異なる、不規則だが意思を持ったような「山」が隆起していた。


「東京湾の入り口、距離30キロ。……移動しています。速力からして、駆逐艦クラスです」


窓の外は、濃霧に覆われていた。

肉眼では、数メートル先の手すりさえ見えない「視界ゼロ」の状態である。

しかし、八木が開発した「指向性アンテナ」と、東芝(東京電気)製の高出力送信管から放たれた不可視の電波は、霧を突き抜け、対象物に当たり、そして帰ってきたのだ。


「……信じられん。」


海軍の伊藤中佐が呻くように言った。


「30キロ先だぞ? 測距儀レンジファインダーどころか、水平線の向こうじゃないか。」


空軍の日野少将が、ニヤリと笑った。


「伊藤君、これが『電波の目』だ。

霧も、闇夜も、雲も関係ない。

敵がそこにいれば、光る。

……これがあれば、我々は敵が寝ている間に喉元へナイフを突きつけられるぞ。」


この日、日本の軍事ドクトリンは、「有視界戦闘」から「電子戦」へと、世界に先駆けて舵を切った。

 


ワシントン軍縮条約で主力艦を対米7割(3.5)に抑えられた帝国海軍にとって、この技術は文字通り「干天の慈雨」だった。

数で劣るなら、先手を取るしかない。だが、いかに訓練された見張り員でも、夜間の視認距離は数キロが限界だ。

海軍は直ちに「電波探信儀レーダー」の実用化に全力を挙げた。


技術的ブレイクスルーとなったのは、本多光太郎博士(東北帝大)が開発した「KS鋼」である。

世界最強の磁石鋼であるKS鋼は、強力な磁場を必要とするレーダーの送信機や、受話器のスピーカーの性能を飛躍的に高めた。

1928年、戦艦「長門」のメインマストに、奇妙な「魚の骨」のようなアンテナが設置された。


演習において、長門は闇夜に乗じて接近する仮想敵(駆逐艦部隊)を、探照灯サーチライトを一切点灯することなく、20キロ手前で発見。

主砲をレーダー射撃管制(まだ初期段階で補正が必要だったが)によって指向し、照明弾一発で「敵」を白日の下に晒した。


「これでは、夜襲も奇襲も成立せん……」


演習相手となった水雷戦隊司令官は、青ざめた顔でそう報告したという。

海軍はこれを「二号電波探信儀」として制式化。すべての主力艦への搭載を急いだ。


また、「水中聴音機ソナー」においても革命が起きた。

「マツダ」の高感度真空管は、海中の微細なスクリュー音を、雑音の中から増幅して拾い上げることに成功した。

パッシブ・ソナー(聴音)の探知距離は、従来の倍以上に延伸。

「敵潜水艦が魚雷を撃つ前に、その息遣いを聞く」ことが可能となった。


一方、空軍は別の問題に直面していた。

八木アンテナを用いた初期のレーダー(メートル波)は、アンテナが巨大すぎて航空機には積めなかったのだ。


「地上設置の早期警戒レーダー」としては優秀だが、戦闘機自身が「闇夜の目」を持つことはできない。

この壁をぶち破ったのが、岡部金治郎博士の「分割陽極マグネトロン」である。


1927年に発明されたこの真空管は、波長が極めて短い「マイクロ波(センチメートル波)」を強力に発振できた。

波長が短ければ、アンテナはお椀型パラボラの小さなサイズで済む。 


「これなら、飛行機の機首に入る!」


空軍技術局は、東芝・日本電気の技術陣を総動員し、マグネトロンの実用化を推進。

1930年頃には、双発爆撃機や大型飛行艇の機首に搭載可能な「機上電探」の試作機が完成する。


これにより、日本空軍は「雲の上から、雲の下の艦船を爆撃する」あるいは「夜間に敵爆撃機を迎撃する」という、欧米がSFだと笑うような戦術を現実のものとしつつあった。



陸軍もまた、この技術に飛びついた。

彼らの懸念は、広大な満洲・シベリア国境の防衛である。

シホテルーシ共和国を守るため、そしてソ連の爆撃機から満洲の重工業地帯を守るため、陸軍は国境線沿いに巨大な八木アンテナ群を建設した。


通称「千里眼ライン」。

数百キロにわたって設置された早期警戒レーダー網は、ソ連軍機が離陸し、編隊を組んだ瞬間を探知する。

その情報は電話線で後方の飛行場へ伝達され、日本空軍の迎撃機が「敵が国境を越える前」に待ち伏せを行う。


史実のバトル・オブ・ブリテン(英国の防空戦)でチャーチルを救ったシステムが、この世界線では10年早く、満洲の荒野で稼働を始めていた。



これらの電子兵器を支えた、もう一つの隠れた立役者がいる。

古賀逸策博士(東京工業大学)である。


レーダーや無線通信において、周波数(波の揺れ)がズレると、正確な位置がわからなくなる。

古賀博士は、温度変化があっても周波数がズレない「R1カット水晶発振子」を発明した(史実では1932年だが、軍の要請で前倒しされた)。


中東の灼熱の砂漠でも、シベリアの極寒の空でも、日本のレーダーと無線機は、水晶のように澄んだ、狂いのない周波数を刻み続けた。

欧米の無線機が温度変化でピーピーと周波数ズレを起こしている間、日本軍は正確無比なデータリンクを実現していたのだ。


1930年秋 駿河湾沖 陸海空合同大演習

夜明け前、漆黒の闇。

「青軍(仮想敵国)」役の艦隊が、無灯火で接近していた。

彼らは自信を持っていた。月明かりもなく、視界は最悪。接近に気づかれるはずがない。


しかし、「赤軍(日本軍)」の旗艦「長門」のCIC(戦闘指揮所)では、緑色の光点がスクリーン上を這うように近づいてくるのを、司令官たちが冷ややかに見下ろしていた。


「敵艦隊、距離25,000。方位1-2-0。」


「上空、味方攻撃隊、敵頭上に到達。」


赤軍司令官が、静かに受話器を取る。


「……照明弾、発射」


ズドン、という音と共に、長門の副砲が吠える。

数秒後、パラシュート付きの照明弾が青軍艦隊の真上で炸裂し、海面を真昼のように照らし出した。

そこには、完全に無防備な陣形で航行する青軍の姿があった。

同時に、上空で待機していた空軍の爆撃隊が、正確に模擬弾を投下していく。


「馬鹿な! なぜ我々の位置がわかった!?」


青軍の無線から、パニックになった悲鳴が聞こえる。

それを聞きながら、長門のCICで八木博士は、技術将校たちに囲まれながら、少し疲れたような、しかし誇らしげな微笑を浮かべていた。


「人間の目は、疲れるし、騙される。

だが、電波は嘘をつきません。」


日本は手に入れたのだ。

霧を透かし、闇を払い、水平線の向こうを見通す「神の目」を。

来るべき大戦において、この「目」の差は、戦艦の装甲の厚さや大砲の大きさよりも、遥かに残酷な勝敗の分水嶺となるはずだった。


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