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古の灯火  作者: 丸亀導師
戦間期
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擬革紙

1923年、陸軍輜重科内務班のとある一室で数名の士官が、神妙な顔つきをしながら、目の前の水の張った桶の目の前で立っていた。

彼らの手元には、陸軍標準装備である歩兵1人当たりが携行する、

弾薬盒:マガジンポーチ

雑嚢や背嚢の革紐

帯革ベルト

銃剣の鞘の吊り革

そして、弾薬を入れて置く弾薬箱


を手に持ち、少々怪訝な雰囲気を垂れ流していた。

 

「これより性能試験を行う。物品それぞれ、桶の中へと入れよ。」


水の張られた桶の中へとこれらの物が入れられていく…。

本来これらの物は革製で、一度塗れれば内部へと水が浸透し始め最終的に、内部は水浸しとなる。

特に、金属製の弾薬箱は完全に水のなかにまで浸されており、このままでは内部へと水は止め処無く入っていくだろう事が予想された。


五分、十分と時間が流れていく。

水にこれらのものを入れた士官たちは、其れ等の光景をただジッと見つめながら、鼻息をしていた。


兵站…それは軍事において最も難しい分野である。飯がなければ人は動かず、燃料がなければ車も動かず、弾がなければ銃も単なる鈍器に成り下がる。

この世界線の日本軍は、それを痛いほど理解していた。

特に、メソポタミアへの派兵の際問題となったのは、弾薬の運搬時の保存であった。


強烈な太陽光と照り返し、砂塵に覆われた世界。

そんな中にあって、弾薬箱の中に砂や泥が入ったらどうなるか…銃器の故障の原因となる。


さらに、第一次世界大戦後、日本の領土は拡張し今度は南洋、ニューギニア島のセピック川以北にまで拡張したのである。

コレは由々しき事態であった。


兵站を担当する陸軍輜重科は、この問題に対して苦慮していたのだ。


兵站と言うものは、何も物を運ぶだけの話ではない。物を如何にして平時において保管し、それを何処にどれだけ置いても大丈夫であるかなど、ソレこそ平時こそ彼らにとっては戦争である。


「20分経過、引き上げ。強度試験、後再度水へと浸せ。」


この実験は、そんな兵站を護るために果たしてどんな物が最も効率的で、かつ安上がりであるのかと言う、そんな疑問から突き付けられた。

陸軍の予算はそれ程多くない、輜重科にも潤沢な資金が回ってくるということもない。

運搬用の機器類は確かに揃っているが、やはり貯蔵庫に対して、何処の国も似たようなものであったからだ。


そしてコレは、従来の皮革製品と『擬革紙』という、古くから耐水性を高く持っていた代替革を軍用に適するのか?という、温故知新のプロジェクトであった。


20分という時間は、従来の皮革製品であれば水分を吸い始め、表面が重く、鈍い色に変わり始める頃合いである。

しかし、引き上げられた装具たちは、水滴を弾く独特の光沢を放っていた。

若手の士官が、恐る恐る『蒟蒻糊と柿渋と和紙から作られた「擬革紙製」の弾薬盒』を手に取り、その蓋を開けた。


本来、革を縫い合わせた装具には必ず「針穴」が存在し、そこから毛細管現象で水が侵入するものである。しかし、蒟蒻糊で何層にも貼り合わせられたこの試作品は、まるで一体成形された樹脂のような剛性を持っていた。


「……乾いております。内部、湿気すら感じられません」


士官の声が震えるように言う。特に完全防水が絶望的と思われていた弾薬箱は、柿渋の強力な皮膜が文字通り「水の壁」となっていた。金属製よりも軽く、それでいて水に浮くほどの気密性を保っている事実に、一同に衝撃が走った。


それらに目をやりながら、班長は時計を目にしながら次の指令を出した。


「よし、次は強度だ。コンクリートの床へ叩きつけろ!」


班長の鋭い号令とともに、水浸しにされた直後の帯革ベルトと銃剣差が床に叩きつけられた。

通常の紙であれば、水を含んだ状態で衝撃を与えれば無惨に破れるはずである。

しかし、蒟蒻糊で繊維が強固に結合された擬革紙は、バチンという乾いた音を立てて跳ね返った。


「表面に亀裂なし。革紐の柔軟性も維持しています!」


其れ等を確認して、班長は興味深げにそして納得するように首を縦に振ると2度目の水没試験へと入った。過酷な限界試験への挑戦である。


「……再度、水へ。今度は一晩だ。明朝、これらが『ただの濡れた紙屑』に戻っているか、あるいは『帝国陸軍の救世主』となるかを見極める」


班長の言葉に、室内には張り詰めた沈黙が流れていた。


時間の経過と言うものは残酷であった。

12時間、それは途方もない時間である。通常の革製の道具であれば、全てが浸水し内部は完全に水に汚染されている事だろう。

そして、この浸水試験の結果、擬革紙に訪れ結末もまた同様なものであった。


強度試験を行ったもののうち、幾つかの擬革紙紐にはヒビが入っていたのだろう。

その部分から亀裂が走り、そこに水が浸透する事によって、擬革紙はグズグズに蕩けていた。


その光景を見た担当官は落胆していた。自信を持っていたからだ。紙製ならば擬革紙ならば、革製並みの重さで防水性はさらに高い、これならばいけると…しかし現実は非情であった。


だが、そんな中でも唯一健在な物があった……。弾薬箱である。

箱自体、弾薬を入れるために強固に作られていたコレであるが、好か不幸か、一滴の漏れ水も確認できない。


だが、班長はそれを見て慎重に判断していた。

これも亀裂が入れば、同様に蕩けるのだろう。だが、コレは別に使えないという訳では無い。

要はコイツを内側にすれば良いのだと。


「中尉、落胆するには及ばん。むしろ逆だ。」


班長は水を滴らせる弾薬箱の断面を凝視しながら続けました。その目には確信があった。


「外側にあるから、衝撃で柿渋の膜にヒビが入る。ヒビが入れば、そこから水という敵が侵入し、蒟蒻糊の城壁を内側から崩す。ならば、城壁を『外殻』で守ればどうなる?」


士官たちは顔を見合わせました。


「木箱、あるいはブリキの箱。その内側にこの擬革紙を密着させるのだ。外側が少々凹もうが傷つこうが、内側の擬革紙が『第二の皮膚』として弾薬を包んでいれば、水は一滴も届かん。」


弾薬箱が壊れることがなかったのは、紐のように激しく曲げることはなく、ただ叩かれただけだからだ。つまり、擬革紙と言うものは、固定される用途であれば、通常の革等よりも遥かに頑丈である。


「始めから分かりきっていたことだった、紐のように激しく動かすものをコレを使えばどうなるかなど…。」


班長はこれらの実験の結果を纏め、軍上層部に送った。

研究会に所属する者達にとって、兵站というものはやはり重要な問題である。

事ここに至って、これらのアプローチに対して輜重科の少将は、これらを持って、盛大に言い放った。


「輜重あっての軍である!!」


それに対して、周囲は確かに首を縦に振っていた。


このアプローチを機に、この擬革紙を使用した弾薬箱の研究が本格的にスタートしたのだ。

さらに、海軍や空軍もこれらの話に食い付いた。

擬革紙、つまりは紙である。もしこの紙に耐久性が有るのなら、馬鹿高い絹性の袋を使用した、弾薬を代替できるのではないか?と。


特に海軍の使用する弾薬、即ち大口径砲に使用されている火薬は、絹袋に収められており其れ等の装填の際、柔らかい為にゆっくりと装填することが必要である。

もしも強度があれば…、装填速度を改善することができる。

さらに、薬莢式のものにも取り入れられれば、重たい真鍮からおさらば出来るのだ。

艦艇で使用するという、海軍ならではの事情にもこれらはマッチした。


「その話、我々も噛ませてもらってもいいか?」


海軍の莫大な予算のうち、軍縮条約によって浮いた予算が、それらに僅かに振り付けられる。


そして、同時に空軍にとってもこれらの問題にアプローチするのは必然だった。

昨今航続距離を飛躍的に伸ばしている航空機であるが、ドロップタンクという使い捨てタンクに対する研究が、空軍でもスタートしていた。


しかし、高価な金属を使い捨てにするのには些か問題があったのだ。

もしも、これらの問題を解決することができればと、この問題に対して首を突っ込んだ。


こうしてここに、全軍一致の擬革紙プロジェクトが発足した。


耐水試験や風雨試験を繰り返しすこと数度、陸軍の物が最も早く完成する。


耐火性のそれさ、表面の炭化だけで事なきを得るので、申し分ない。

耐水、これも柿渋をむらなくドブ漬けする事によって、完全に担保される…。

耐食性に関しても、元来皮革の代替品として作られたコレである。最低でも革並み、ゴムパッキンよりも遥かに劣化し辛い。

だが、最大の問題があった……。


それは、熱帯に存在する害虫達である。


そもそもの話、熱帯という地域はとてつもない程に物が腐食しやすい。

ブリキ缶等、雨ざらしにしておけば10日のうちに腐り始め、木材にはシロアリがたかり、食い荒らされる。


それだけではない、カビやキノコなど当たり前のように存在しているのである。

木片等を置いておけば、立ちまち10日もしないうちにカビが生えてくる。

コレは英国やオランダ等の諸外国も同様の問題に頭を悩ませていた。


これに対して、陸軍は弾薬箱の積層化によって答えた。

金属箱の内側に貼り付けるように取り付けられた擬革紙は、防腐防虫成分を伴いながら、湿気を呼吸の要領で吐き出す。

これによって、薬莢の錆び付きは勿論のこと天然ゴム等と違い劣化すること無く長期保存を実現したのだ。


真っ先に予算をこれにつぎ込もうとして、実際実現された。しかも、擬革紙の生産だけを工場として、内部の貼り付けは内職でも出来た。

家の中で家事をしている主婦層に、協力してもらう形となったのだ。




次に完了したのは空軍のドロップタンクであった。

所謂概念試験的側面が強いものがあったのだが、竹を骨格に、ベニヤ板と擬革紙によって整形されたそれは、軽く使い捨てという用途には当然の如く使用後は処分される。

戦時に於いては、コレは重要な要素であった。

これの研究は後に大戦へと突入する中で、敵地でのドロップタンクの切離しに何の憂いもなく行えるようにと、確実に進捗していった。


最後までかかったのは、海軍であった。元々艦内の弾薬庫での保管を中心に、絹袋を使用していたノウハウから、それ相応の強度と焼尽性を作り出すことに成功した。

完成したのは研究開始から大凡4年の1929年、恐らくは世界で初めての、実用的焼尽薬莢であった。 


絹よりも頑丈で、安上がり。そのくせ防水性も高く、射撃時のプライマーの発火の際には燃え尽きる癖に、外部からの溶接の火花ですら引火することはない。

当に海軍にとっては、コレ以上無い素材であった。


製紙工場近郊部へ擬革紙工場が立ち並び始めている中、海軍のそれも弾薬工場の中で1931年頃から生産が開始された。






ただ、擬革紙(バイオ・プラスチック)の台頭の陰に絹の需要は大きく目減りしていくこととなる。


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