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古の灯火  作者: 丸亀導師
第一次世界大戦
55/81

『見えざる敵』

1818年の秋頃

中東戦線からの一部兵員の帰還が始まっていた頃、船上に於いて幾つかの不穏な音が鳴り響いた。

ゴホゴホ


乾いた音は、最初は単発だったが、数日後には連鎖するように広がった。

熱に魘される者が続出した。

額に手を当てれば焼けるような高熱、体は震え、関節は痛み、息苦しさが胸を締めつける。


軍医たちは、すぐにこれが「スペイン風邪」と呼ばれる、後にインフルエンザと呼ばれるものであることを察知した。

船内は急速に混乱に陥った。狭い船室、密集した乗員、換気の悪さ。感染は指数関数的に拡大し、わずか1週間で数百名が発症した。


船内は一人また一人と、熱病に苛まれる者達が増えていく。


軍医は、患者の身長・体重を基にした比例関数で薬量を細かく調整し、1日3〜4回に分けて煎じ薬を飲ませた。


発症初期の患者――まだ高熱が極端に上がっていない者たち――には、まず葛根湯を投与した。


「葛根湯を飲め。汗をかいて熱を逃がせ。体を温め、風邪の毒を外に出すのだ。」


高熱が続き、呼吸が荒くなった者には、麻黄湯を主に用いた。


「麻黄湯だ。肺を開き、咳を止め、熱を散らす。力を抜くな、戦え。」


麻黄附子細辛湯も重症例に投与され、体力を温存しながら循環を改善した。


船内の状況は苛烈だった。

甲板は熱に浮かされた兵士たちの呻きで満ち、医務室は常に満員。


しかし、漢方薬の早期投与が功を奏し始めた。

発症後24〜48時間以内に葛根湯・麻黄湯を飲んだ者の多くは、3〜4日で熱が下がり、咳が軽減した。

重症化率は、史実の欧米船団に比べて明らかに低かった。


回復した兵士たちが、次第に看病に加わった。


「俺も葛根湯で助かった。次は俺が煎じる番だ。」


熱に魘される軍医の代わりに、兵士たちが薬を煎じ、患者の額に冷たい布を当て、励ましの言葉をかけた。

船団は、死の影を振り払いながら、ゆっくりと日本本土へと近づいていった。


横浜港に到着したとき、船内の死亡者数は、予想を大幅に下回っていた。




遡ること8年程前、日露戦争によって体内存在するオリザニンという栄養素が不足する事によって、脚気という病が発生すると、日本国内で公に公表された頃だろうか?

その噂を聞きつけた、若い漢方医に奥田謙蔵という人物がいた。


当時、漢方というものは、非科学的であり偽医行為であるとレッテルを貼られ、その地位を低迷させている時期であった。

ここで岡田謙蔵は、オリザニンの事を聞きつけてある仮説を立てた。


漢方は、体内から身体を治療する。ならば、栄養学の観点から漢方の有用性が立証できるのではないか?

そう考えた彼は、当時オリザニン研究に忙しかった鈴木梅太郎を尋ねた。


当時、鈴木梅太郎は軍の力を借りて、オリザニンの研究の真っ只中にあり、余裕もそれ程無かったが、岡田の言葉に対しては心地良く耳を傾けた。


「漢方は先生の仰る、体内に存在する栄養素を身体の中に摂取することで、病を治しているのではないでしょうか?」


岡田が話す言葉には、一利あった。

確かに、例えば脚気の改善の為に使った糠も、腹痛を治す為に処方された征露丸も、どれもこれも漢方医学と密接に関わるものである。


鈴木は岡田に一筆書くと、これを軍に見せなさいと言った。

岡田は直ぐ様駆けていく。これで、漢方は認められるかもしれない、その効能をそして西洋医学だけではなく、より効果的に棲み分けして互いに手を取り合うことが出来るかもしれないと…。


陸軍軍医学校と東京帝国大学農科大学の共同研究が、1910年代後半に本格化。 1912年頃、オリザニンが脚気予防・治療に決定的効果を持つことが証明され、「脚気=ビタミンB1欠乏症」という認識が急速に広がった。


漢方研究者たちは、「漢方処方の多くは栄養補給・代謝改善作用を持つ」という仮説を立て、葛根湯・麻黄湯・六君子湯・補中益気湯などを「科学的栄養療法」として再解釈し始めた。


1918年のスペイン風邪大流行は、この仮説を決定的に実証する場となった。


輸送船団での漢方早期投与は、発症後24〜48時間以内の葛根湯・麻黄湯投与群で発熱持続期間を平均3〜4日短縮、重症化率を約35〜70%低下させた。


軍医局の調査(対象約150万症例)では、漢方早期投与群の死亡率が非投与群の約半分〜1/3に抑制された。


翌年、日本各地並びにシホテルーシに於いて、スペイン風邪の猛威が奮うこととなるが、この経験を活かし軍民一体となって、この『見えざる敵』に立ち向かう事となった。


中東戦線から帰還した輸送船団を起点に感染が拡散し、横浜・神戸を皮切りに都市部から地方へ、軍隊から民間へと瞬く間に広がった。


当時の推定感染率は人口の45〜50%に達し、初期の死亡率は1.8%前後と、極めて高い水準を示した。

特に密集した都市部と軍事拠点では、1週間で数千名の発症者が続出し、医療体制は瞬く間に飽和状態に陥った。


国会では、1918年11月の臨時議会で「国民健康総動員令」が可決され、漢方医の国家総動員が決定された。

閣議でも、「西洋医学と漢方医学の二元診断体制」の構築が承認され、以下の枠組みが急速に整備された。


第一診断(西洋医学)

医師(西洋医)が感染の確認・重症度の判定・初期治療(解熱剤・栄養補給)を担当。

レントゲン検査、血液検査、体温・脈拍の客観的データに基づく診断を優先。


第二診断・治療(漢方医学)

漢方医が第一診断後に症状(証)を詳細に把握し、処方を決定。

発症後24〜48時間以内の早期投与を原則とし、葛根湯(初期発熱・悪寒)、麻黄湯(高熱・咳)、小青竜湯(鼻水・喀痰)、麻黄附子細辛湯(重症例の体力温存)、補中益気湯(回復期の倦怠感対策)を標準処方とした。


投与量は、患者の身長・体重・体質に基づく比例関数で個別調整(1日3〜4回煎じ薬)。


この二元体制は、1918年12月までに全国の病院・診療所で運用開始され、漢方薬の大量生産(月産約2,000万服)が国策的に進められた。


この「漢方とスペイン風邪の戦い」は、単なる医療対応に留まらず、国家全体の総力戦体制を再確認する契機となった。


軍医局の最終報告書には、こう記された。


「漢方は、栄養学・生理学の観点から再評価されるべきである。」


この経験は、1920年に「漢方医制度」の法制化を決定づけ、西洋医学と漢方医学の二元免許制を確立した。

日本は、世界で最も早く東洋医学を近代的に活用し、国民全体の生存力を高めた国となったのである。



以下、各国の感染者



――――――――――――――――


スペイン風邪被害比較表(1918〜1919年)


日本

人口 約5,600万人

感染者数 約2,500〜2,800万人

人口割合 45〜50%

死亡者数 約28万〜35万人

人口比死亡率 約0.5〜0.63%

感染者死亡率 約1.1〜1.3%

漢方早期投与(葛根湯・麻黄湯など)+国民総動員令により死亡率を大幅抑制


米国

人口 約1億600万人

感染者数 約2,800万人

人口割合 約27%

死亡者数 約67.5万人

人口比死亡率 約0.64%

感染者死亡率 約2.4%

隔離・検疫中心。軍隊内被害が深刻(死亡率約5〜10%)


英国

人口 約4,400万人

感染者数 約1,200〜1,500万人

人口割合 約27〜34%

死亡者数 約22.8万人

人口比死亡率 約0.52%

感染者死亡率 約1.5〜2.0%

軍隊優先対応。民間被害は都市部で深刻


フランス

人口 約3,900万人

感染者数 約800〜1,000万人

人口割合 約20〜26%

死亡者数 約40万人

人口比死亡率 約1.0%

感染者死亡率 約4.0〜5.0%

戦争継続中による医療崩壊。死亡率が欧米で最高レベル


ドイツ

人口 約6,000万人

感染者数 約1,500〜2,000万人

人口割合 約25〜33%

死亡者数 約40〜50万人

人口比死亡率 約0.67〜0.83%

感染者死亡率 約2.5〜3.0%

敗戦直前で医療資源枯渇。軍隊内被害が特に深刻


イタリア

人口 約3,500万人

感染者数 約1,000万人

人口割合 約29%

死亡者数 約45万人

人口比死亡率 約1.29%

感染者死亡率 約4.5%

南欧特有の密集都市で被害拡大。死亡率高め


ロシア

人口 約1億4,000万人

感染者数 約2,500〜4,000万人

約人口割合 18〜29%

死亡者数 約70万〜150万人

人口比死亡率 約0.5〜1.1%

感染者死亡率 約2.8〜3.8%

内戦・飢餓重複で統計不完全。実質死亡率はさらに高い可能性


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