メソポタミア派兵 終
1917年3月24日 ティグリス川流域。
クート・アル・アマラの包囲が解かれた朝、オスマン軍の残存部隊は混乱のうちに北へ退却を始めていた。
英軍による砲火力、日本軍による強襲によって分断、各個撃破されていく部隊も多く存在していた。
ハリル・パシャの第6軍は、誇り高き包囲戦力を失い、補給線を断たれたままの撤退を強いられた。
将兵たちは、疲弊と恐怖に駆られ、ティグリス川を渡ってバグダッド方面へ逃げ散った。
その姿は無様を絵に描いたようなもので、実際彼らは必死の形相で逃げに徹していた。
しかし、総崩れとなったオスマン軍をそのまま返す程、連合軍は甘くはなかった。
オスマン軍のその退路を塞ぐように、連合軍の追撃が始まったのだ。
英国軍主力(ティグリス軍団約30,000名)は、西方から河川沿いに北上を開始。
クート内部の解放された部隊も、士気回復とともにこれに加わり、青年の恨みを晴らすが如く怒涛の勢いのもと地を駆ける。
そして、東岸から迫るのは、日本軍合同派兵部隊だった。
神尾光臣中将の指揮下、機械化部隊を先頭に、軽戦車と自動車化歩兵が砂漠を疾走し、航空機が禿鷲のように上空を旋回する。
「敵の退路を遮断せよ。包囲を逆転し、敵を猛撃撃破するのだ。」
神尾の命令は、簡潔で明確だった。5年式軽戦車約50輌は、砂塵を巻き上げながら、オスマン軍の側背を突いた。
37mm砲の火線が、逃げ惑うオスマン兵の列を切り裂き、肉片を飛び散らせる。
後続の歩兵は、自動車から降りると、統制された射撃で残敵を掃討。その射撃は見事な腕前であり、日頃の訓練が生きる舞台となっていた。
そして、11mm重機関銃の弾幕が、立ち上がろうとする者を容赦なく倒した。
上空からは入れ替わり立ち替わり、航空機が連携を取りながらオスマン軍退路に、見事なまでの銃弾の雨を振り注ぐ。上空から、波状に飛来し退却路を爆撃し、補給隊を壊滅させオスマン軍の退路を塞ぐ。
そして、英国軍の砲撃は、西方からこれに呼応しながらその火力を存分に発揮していた。
曲射火力がオスマン軍の集結点を粉砕し、混乱をさらに増大させ剰え存在しなかった望みを絶つのには充分なほどに…。
オスマン軍の将兵たちは、絶望に陥った。
「西方からは砲弾、東方からは鉄の箱、上空からは鉄の鳥……どこへ逃げろというのだ!」
部隊の統制は失われ、個別の逃走が集団的な崩壊へと変わり、多くの部隊は総崩れとなる。
伝令は届かず、個別の無線機の無い指揮官の声は、全くと言って良いほどに届かない。
ハリル・パシャは、馬上で叫んだ。
「陣を張れ! 抵抗せよ!」
しかし、その声は砂漠の風に消えていった。
日本軍の機械化部隊は、敵の退路を次々と遮断しまるで網の目のように絡め取る。
英国軍の正面進撃と連携し、オスマン軍を包囲殲滅の網に追い込んだ。
これにより、オスマン軍と連合軍の状況は完全に逆転したのだ。
ハリル・パシャの目には、絶望が映った。
自らの指揮する精鋭が、側背攻撃と正面からの圧迫に晒されて細切れにされていく姿を。
そして、彼は決断を下す。
「現時点を以て退却を開始する。全軍に退却の指示を出せ!!
バグダッドに戻り防衛戦で敵を迎え撃つ。」
軍の3分の1を切離し、尻尾を巻いて逃げるしかない。
正しく、蜥蜴の尻尾切りである。
殿となっている部隊は、既に分断され各個撃破されるのを待つしかない。ハリル・パシャは、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、重い決断を下した。
しかし、その決断すら、既に遅れていた。
日本軍の空軍偵察機は、退却命令の無線を傍受し、即座に位置を特定、師団本部指揮所に直ぐ様に通達する。
地上からは、赤い信号弾が上空に上がり、それを目印に迫撃砲部隊がより苛烈に曲射弾がオスマン軍を襲う。
混乱状態と、曲射砲撃によって恐慌状態となり動きが止まったオスマン軍を、軽戦車部隊が退路をさらに絞り込んだ。
英国軍の砲撃は退却路を集中攻撃し、オスマン軍の列を寸断しする。そして、後続から追いついた英軍の突撃と銃声が其れ等を蹂躙する。
砂漠の平原は、逃げ惑うオスマン兵の叫びと、機械の轟音で満たされた。
日本軍の自動車化歩兵は、統制された射撃で殿部隊を掃討し軽戦車は、37mm砲を吐きながら、残敵の集団を粉砕した。
オスマン軍の退却は、組織的なものではなく、ただの逃走へと変わっていった。
将兵たちは、武器を捨て、馬を走らせ、徒歩で北へ北へと逃げた。
補給隊は放棄され、弾薬・食料は日本軍と英軍の手に落ちた。
ハリル・パシャは、馬上で最後の命令を下した。
「生き残れ……バグダッドで、再び相見え陣を整える……」
しかし、その声は、すでに部下たちに届いてはいなかった。
日本軍の追撃は、容赦なかった。
神尾光臣中将は、指揮車両から戦場を眺め、静かに言った。
「敵は崩壊した。これで、バグダッドへの道は開けた。残敵掃討後、各軍は再度態勢を整え第二次攻撃の準備に取り掛かれ。」
英軍の司令官、サー・フレデリック・スタンリー・モーズヘッド将軍は、この光景を目の当たりにした。
そして、日本軍の統制の良く生き届いた軍隊としての形と、その戦力に感嘆を持ちつつも、その冷酷さに眉を顰めた。
徹底的な迄の蹂躙は、オスマン軍を憐れと思うには充分なほどに、苛烈であった。
投降の猶予すら与えられないその進撃速度、もしこれが自軍に向かったらどうなるか…?考えただけでも頭の痛い話である。
彼はこの軍の動きを、詳細に書き留める。
いつか、何処かで役に立つかもしれないと信じ。
4月上旬
クートからの追撃戦は終わりを迎え、日英軍は戦闘態勢を整える。
そして、バグダッドへの侵攻の手筈を整えるが、ここに来て日本軍と英軍は再び協議を始めた。
英国軍側は、サー・フレデリック・スタンリー・モーズヘッド将軍と参謀団が、日本軍側は神尾光臣中将、加藤定吉中将、山本五十六准将らが出席した。
テント内の地図は、オスマン軍の崩壊した陣地とバグダッドまでのルートを赤線で示していた。
モーズヘッド将軍が口火を切った。
「クート追撃戦での貴軍の貢献は、言葉に尽くせぬほどだ。オスマン軍は完全に崩壊し、バグダッドへの道は開けた。
だが、次の侵攻について貴軍の意向を伺いたい。」
神尾中将は、落ち着いた声で応じた。
「我が軍は、貴軍の正面進撃を支援しつつ、東岸から側面を確保する方針を維持したい。バグダッド占領後、石油地帯の防衛と補給線安定化を共同で進めることを提案する。」
山本准将が地図を指しながら補足した。
「航空支援は継続可能です。偵察機で敵残存部隊を監視し、戦闘機で上空優勢を確保する。貴軍の砲撃と連携すれば、バグダッドは無血占領に近い形となるでしょう。」
モーズヘッド将軍は頷きつつ、慎重に言葉を選んだ。
「貴軍の機動性は、我々の想像を上回る。だが、バグダッド占領後の統治と資源管理について、連合国全体の合意が必要だ。貴国の中東権益を尊重するが、英国のインド防衛も考慮願いたい。」
神尾中将は、静かに微笑んだ。
「我々は連合国の勝利を最優先とする。資源は共同管理とし、日本は軍事支援を継続する。バグダッド占領は、連合軍の共同勝利として記録されるべきであろう。」
会談は、数時間に及び、具体的な進撃ルート・補給分担・航空支援の詳細を調整しつつ進んだ。
英国側は、日本軍の質的優位を再認識しつつ、長期的な中東支配の共有を模索する。
日本側は総力戦意識により、連合軍全体の勝利を優先しつつ、自国の権益確保を巧みに織り交ぜていた。
この協議は、バグダッド占領への最終準備を整え、中東戦線の連合軍優位を確定づけるものとなる。
テント外では、将兵たちが次の進撃に備え、機械の整備と補給を進めていた。
クート解囲から約3週間後、連合軍はオスマン軍の残存抵抗を掃討しながらティグリス川沿いに北上を続けた。
英国軍の正面進撃と日本軍の東岸側面包囲は、敵の統制を完全に崩壊させ、バグダッド南方の防衛線を次々と突破した。
オスマン軍は、もはや組織的な抵抗を維持できず、混乱の中でバグダッドを放棄。
1917年4月下旬、連合軍はほとんど無血に近い形でバグダッド市内を占領した。
英国軍将兵たちは、クートでの絶望から一転、勝利の喜びに沸いた。
タウンゼンド少将は、日本軍の指揮官に向かって静かに礼を述べた。
「貴軍の介入なくして、この勝利はなかった。東洋の援軍に、心から感謝する。」
神尾光臣中将は、穏やかに応じた。
「連合国の勝利のために、我々は来たのです。」
バグダッドの空に、日章旗とユニオンジャックが並んで翻った。
それは、英国の危機を救い、オスマン帝国の南部戦線を決定的に崩壊させた、歴史的な瞬間であった。
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損害比較
日本軍
総兵力
約15,000〜20,000名
死傷者数
約900〜1,200名
疾病・非戦闘損失
約300〜500名
捕虜・行方不明者
ほぼなし
総損害数
約1,200〜1,700名
損害比率
約6〜9%
英国軍
総兵力
約40,000〜50,000名(クート内部+救援主力)
死傷者数
約8,000〜12,000名
疾病・非戦闘損失
約10,000〜15,000名(包囲下の飢餓・疾病)
捕虜・行方不明者
約2,000〜4,000名
総損害数
約20,000〜31,000名
損害比率
約40〜60%
オスマン軍
総兵力
約50,000〜70,000名(第6軍主力+増援)
死傷者数
約25,000〜35,000名
疾病・非戦闘損失
約5,000〜10,000名
捕虜・行方不明者
約10,000〜15,000名
総損害数
約40,000〜60,000名
損害比率
約60〜80%




