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古の灯火  作者: 丸亀導師
第一次世界大戦
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メソポタミア派兵 2

〘いってらっしゃい〙


〘武運長久を祈る〙


〘頑張って来いよ〙


等々様々な垂れ幕を垂らしながら、船に乗り込む二万の将兵とその後ろ姿を拝む民衆の姿。

皆華やかにしつつもどこか寂しそうで、そして何処か誇らしげなそんな雰囲気を漂わせている。


時に1917年1月上旬


正月も終わり、さて新年を始めようと一息着いている者達が殆どの中、大日本帝国軍はその威容を世界に示さんが為に、一路中東はペルシア方面。

場所は、メソポタミア流域へと派遣される運びとなっていた。


これらの動きを見る英国軍の武官たちは、呑気にこんな事をやっている場合ではないと、内心気が気ではなかった。


日本軍が中東へと派遣される運びとなってから、既に数ヶ月は経過している。

少なくともこの間に、欧州ではまた何万という命が犠牲になっている事だろう。

そして、それは中東戦線に於いても同様に要請前とは打って変わっていた。


まず、英国が置かれている状況である。


1915年9月頃、英国は中東現在で言うところのイラク中部に位置する、クートという街まで前進し中東戦線東部を有利に進めていた。

また、この頃中東戦線の全体としては、未だ英国有利のまま進展していたが、ここにきて問題が発生した。


11月、クートを足掛かりにバグダッドへの侵攻を進めた英国中東方面軍。

タウンゼンド少将指揮の部隊は、ここに攻勢を仕掛け大敗、そのまま逃げるかたちで再び南下するものの、追撃するオスマン軍によって追いつかれてしまう。


その辺りから、中東戦線全体での雲行きも怪しくなっていく。


シナイ半島・パレスチナ戦線は膠着状態となった。

英国エジプト遠征軍がシナイ半島を進撃し、オスマン軍を後退させるも、オスマン軍の強固な守りによって攻勢は頓挫パレスチナ方面で膠着。


ここにきて更に、クートで対峙していたタウンゼンド少将隷下の部隊は、クートにて完全に包囲される事態となっていた。そこから幾度もの支援を行い、包囲を解こうとしたものの、英軍の攻勢虚しく、それを打ち破る事はついぞ出来ずにいた。


英国の派兵要請には、このような背景もあったのだ。

そして、何故英国が交渉に折れたのかと言えば、やはりこれが最も大きい理由だったのかもしれない。


故に、英国としては一刻も早く日本軍の部隊が欲しかった。

参入し、少しでも早く戦線に当てクートの解囲を行わなければ、将兵13,000人の戦力を失う事となる。


しかし、彼らの努力を虚しくも現実というのは非情である。


クート包囲下の英国軍は、1916年末から1917年初頭にかけて、補給の枯渇と疾病の蔓延により、日々数百名の戦闘力を失っていた。

タウンゼンド少将は部下に「救援は近い」と繰り返したが、内部では降伏の時期を密かに検討せざるを得ない状況に追い込まれていた。


一方、日本軍の派兵部隊は、ようやく横浜軍港を出港したばかりである。

広大な太平洋とインド洋を横断する航海は、順調に進んだとしても数ヶ月を要する。英国武官たちが横浜で見送ったあの威容ある船団が、実際にクートの戦場に到達するのは、早くても3月以降のことになるだろう。 


その間に、オスマン軍の包囲はさらに固く締まり、英国軍の抵抗力は限界に近づいていた。

救援の遅れは、単に時間の問題ではなく、1万3千名の将兵の命と、中東戦線全体の帰趨を左右する決定的な遅延であった。


英国側は、日本軍の質的優位に大きな期待を寄せていた。 


青島攻略戦での損害比率と、機械化部隊・航空支援の連携は、欧州戦線で苦戦する連合軍にとって希望の光だった。

しかし、距離と時間の壁は、どれほど優れた軍隊であっても容赦なく立ちはだかった。

日本軍の船団がインド洋を進む頃、クート内部ではすでに絶望が広がり始めていた。

救援の報が届くまで、英国軍はどれだけ持ちこたえられるのか――

それは、誰もが口にせず、心に抱く不安であった。



そんな英国軍の状況をヒシヒシと感じながらも、日本軍は優雅な船旅を満喫する。

と言っても、決して観光目的ではない為うかうかしている事も出来ない。


ゆっくりとした船旅、英国インド洋の要衝コロンボに到着し、補給を行い数日が経った頃…日本軍の行手に奇妙な物が現れた。


それは海中を進む黒い大きな、ズングリとした存在。

海軍航空隊水上機部隊と空軍の慣熟訓練を名目に入れつつ、水上偵察機を使用する哨戒。

それを続けているうちに、其れ等の物体を見つけるに至った。


『我、不審船ヲ見ユ』


偵察機からのその言葉で、船団全体が俄に色めき立つと、護衛艦隊の駆逐艦は輸送艦の前に出て、対潜戦闘を準備する。

ジリジリとした時間が続く中、偵察機からの続報を待った…。


暫くすると想定していた以外の言葉が返ってきた。


『不審船二非ズ、鯨ナリ』


その言葉を聞いた瞬間、艦隊全体の雰囲気は一挙に和らいだ。

Uボートがこのインド洋まで来れるのか?と、そういうものもいるだろうが、実際ほぼ来ることはない。


かの船の航続距離はお世辞にも高いものではなく、特にインド洋迄の道をゆく場合、スエズを英国が抑えているため喜望峰を越えてこなければならない。


それ故に、これらの行動は日本軍の過剰な反応であったが、同時にそれ程までに緊張感はこの旅の中でもあったのだ。

特に海軍関係者の神経は常にピリピリとし、眠る時や自由時間くらいしか、彼らの心は安らがなかった。


その光景を見ている英国士官の目から見て、日本軍の動きは滑稽に思えたものの、彼らの哨戒行動への拘りを間近に見て感じていた。


英国海軍のベテラン将校、エドワード・ハミルトン大佐は、コロンボ港の桟橋から日本艦隊の様子を双眼鏡で観察しながら、隣に立つ同僚に呟いた。


「鯨をUボートと見間違えるとはな。だが、彼らの反応の速さは見事だ。まるで常に戦場にいるかのように緊張している」


同僚の少佐は苦笑しながら応じた。


「我々が地中海でUボートに怯えるのと同じだよ。ただ、彼らはまだ実戦を経験していない。インド洋の広大さを甘く見ているのかもしれん」


しかし、ハミルトンは首を振った。


「違う。あれは甘さではない。準備の証だ。青島でドイツ要塞を落とした時も、同じような慎重さだったと聞く。彼らは常に最悪を想定している」


日本軍の哨戒は、その後も続いた。

水上偵察機は毎日、数機が交代で上空を飛び、船団の前方・側方を監視した。駆逐艦は常にZ字機動を繰り返し、爆雷投下訓練を欠かさなかった。


将兵たちは、熱帯の陽射しの下で訓練を続け、夜間は星明かりの下で警戒を怠らなかった。過剰なまでに見えるその行動は、しかし必要なものであると、誰もが認識していた。

そんなある日、再び偵察機から報告が入った。


今度は、遠くの水平線に煙が見えたという。


「商船か? それとも敵の補助巡洋艦か?」


艦隊は再び緊張に包まれた。


だが、近づいてきたのは、英国の補給船団だった。

この日本軍の過剰とも言える警戒は、英国側に「頼もしい味方」という印象を与え始めていた。


コロンボでの数日間の滞在は、こうして緊張と緩和の繰り返しの中で過ぎていった。


そして、補給を終えた船団は、再びインド洋へと進路を取った。


次なる寄港地、アデンへ向かう長い航海が始まるのである。


その先に待つのは、灼熱の砂漠と、クートの包囲下で苦しむ英国軍の将兵たちだった。


日本軍の船団は、静かに、しかし確実に、その戦場へと近づいていく…。


その航海は、単なる移動ではなく、大日本帝国が世界の戦場に踏み出す、歴史的な一歩でもあったのだ。




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