戦車に対する意見具申
1915年、東京・陸軍工兵学校。
青島攻略戦の終結から数ヶ月が経過していた。
陸軍の機械化初期段階で試験運用された明治45年式軽戦車原型(装軌トラクター改造型)は、青島の地形突破と防御随伴で一定の効果を発揮したが、限界も明らかになった。
速力の低さ、装甲の薄さ、武装の不足が、戦訓として指摘された。
工兵学校の試験部隊では、若手将校たちが、意見具申書を起草していた。
部隊長の福田雅太郎中佐を中心に、研究会影響を受けた技術者・将校が集まった。
彼らは、軽戦車原型の性能向上を強く主張した。
具申書の主な内容は、以下の通りだった。
「青島攻略戦の経験から、明治45年式軽戦車原型の有効性は証明された。
泥濘地帯の突破と歩兵随伴支援は、日本備の機動性を強化した。
しかし、以下の限界が明らかになったため、性能向上を急務とする。
一、速力の向上。
現行の10〜14km/hでは、歩兵随伴に適合するが、敵火力圏からの迅速離脱が困難。
エンジン出力の強化(100馬力以上)と履帯改良で、20km/h級を目指す。
一、装甲の強化。
ライフル弾・破片防御は基本的に有効だが、敵機関銃・小口径砲への耐性が不足。
前面装甲を20mm級に厚くし、斜面配置で重量増を抑える。
一、武装の追加。
初期型は軽機関銃のみで火力不足。
小口径砲(37mm級)または重機関銃の搭載を標準化し、対歩兵・対軽装甲対応を強化。
一、信頼性と生産性の向上。
エンジン過熱と履帯耐久性の問題を解決し、量産体制を確立。
部品標準化で、補給効率を高める。
これらの向上により、軽戦車は日本備の機動塊支援を本格化し、将来の島嶼戦・平原戦で優位を発揮する。
早期の実用化を、強く具申する。」
福田中佐は、具申書に署名した。
「この車両は、未来の戦場を変える。
速力と火力を高めなければ、良い的になるだけだ。」
若手将校たちは、頷いた。
青島の戦場で見た限界を、克服する。
具申書は、参謀本部へ送られた。
1915年、東京・陸軍大学校近郊の研究会室。
青島攻略戦の終結から数ヶ月が経過していた。
机の上には、青島戦での軽戦車原型(明治45年式)の運用報告書が置かれていた。
装軌トラクターの改造型は、泥濘地帯の突破と歩兵随伴で効果を発揮したが、速力の低さと武装の不足が指摘されていた。
研究会は、これを基に戦車開発の検討を深め、戦術的要項の細分化を進めた。
研究会でも長老の一人、松川敏胤大佐は、報告書を読み終え、静かに言った。
「軽戦車原型は、日本備の機動支援に寄与した。
しかし、速力と火力が不足しているという。本格的な戦車開発を、急ぐべきだな。」
若手の将校、宇都宮太郎少佐が、続けた。
「戦車は、騎兵科の機械化延長として位置づけるべきです。
騎兵の偵察・急襲を、装甲で強化したものと再定義しましょう。
それならば歩兵随伴の火力支援も、担える。」
別のメンバー、福田雅太郎中佐が、付け加えた。
「しかし、工兵車両との分化を明確にせねばなりません。
工兵は、橋梁架設・地雷除去・補給輸送を主眼とします中々に、多用途にしよつ可能にならなければ…。ともかく、戦車は、戦闘支援に特化するべきですね。」
議論は、戦術的要項の細分化に移った。
研究会は、戦車の役割を以下のように整理した。
一、騎兵科との連携。
戦車は、騎兵の機械化版として、偵察急襲部隊に編入。
高速型戦車を開発し、騎兵の機動を装甲で強化。
騎兵科の伝統を継承しつつ、火力と防御を付与。
一、歩兵科との随伴。
中型戦車を歩兵機動塊に随伴させ、軽迫撃砲・軽機関銃の支援を補完。
堡塁・掩体攻撃を主眼とし、歩兵の損害を低減。
一、工兵科との分化。
工兵車両は、トラクター・架橋車として補給・地形改良を担当。
戦車は、戦闘専用とし、武装・装甲を優先。
共通部品(履帯・エンジン)を標準化し、生産効率を高める。
一、砲兵科との連携。
重砲牽引型戦車を開発し、側背射撃の機動性を強化。
一、将来の航空連携。
偵察機の観測を活用し、戦車の側背進撃を誘導。
研究会は、これらの要項を意見具申書にまとめ、参謀本部へ送ることを決めた。
60名のメンバー全員が、署名した。
松川は、静かに言った。
「戦車は、日本備の新備となる。騎兵の速さ、歩兵の火力、工兵の突破力を、統合する。」
若手たちは、頷いた。
青島攻略戦の戦訓報告と日本軍学研究会の意見具申書が、参謀本部の会議室に届けられたのは、春の終わり頃であった。
軽戦車原型(明治45年式)の運用経験が、戦車の可能性を強く示していたが、研究会は、速力向上、装甲強化、武装追加を強く提言していた。
参謀本部は、これらに対し以下に纏めた
一、軽戦車原型の改良型開発を承認。
エンジン出力強化(100馬力以上)と装甲厚増加(前面20mm級)を優先。
武装として37mm級小口径砲の搭載を試験。
一、中型戦車の計画立案。
歩兵支援を主眼に、装甲・火力を強化した型を、1920年代初頭の実用化を目指す。
一、騎兵科・工兵科との役割分担を明確化。
軽戦車は騎兵の機械化延長として機動包囲、中型戦車は歩兵随伴火力、工兵車両は補給・地形改良と分化。
一、生産体制の準備。
部品標準化と工場拡張を指示し、量産可能性を検討。
参謀本部は、研究会の具申を全面的に受け入れ、戦車開発を正式に開始した。
軽戦車原型の改良型が、1916年頃に試験採用され、中型戦車の計画が具体化した。




