航空部隊 戦訓上申
1914年11月下旬、青島占領地・旧ドイツ飛行場。
青島要塞の陥落から2週間が経過していた。
日本軍の占領は順調に進み、ドイツ守備隊の残党処理と施設接収が完了した。
旧ドイツ飛行場は、日本軍の航空基地として再利用され、水上偵察機が並び、整備作業の音が響いていた。
共同研究部隊の海上飛行隊は、作戦の成功を支えた功労者として、青島に残留していた。
パイロットたちは、飛行場の格納庫で休息を取り、作戦の振り返りをしていた。
操縦士の佐藤健太郎大尉は、三十歳。
彼は、偵察機の翼を拭きながら、観測士の鈴木中尉に言った。
「今回の作戦で、偵察機の価値は証明された。要塞の堡塁を、上空から正確に観測でき、尚且つ砲撃の修正が、即時にできた。」
鈴木中尉は、納得するように頷いた。
「しかし、敵の対空射撃が、脅威だった。もし、武装があれば、もっと積極的に攻撃できたと思う。皆はどうであろうか?」
他のパイロットたちも、集まってきた。
二十代後半の若手将校たち。
彼らは、青島の戦場で初めての実戦を経験した。
一人が、言った。
「爆弾を搭載できれば、堡塁を直接攻撃できる。偵察だけでは、歯痒い。ですし、何より直接火点を潰せばそれだけ歩兵も楽になる。」
健太郎は、静かに考えた。
「そうだ。航空機は、偵察だけでなく、攻撃の手段にもなる。敵機を落とす戦闘機も、必要だと思うが…。」
パイロットたちは、熱を帯びて議論した。青島の戦いが、航空機の可能性を示した。偵察機の観測が、勝利を決めた。しかし、それだけでは不十分であると。もっと、積極的に戦う航空機が必要だ。
その夜、若手将校たちは、意見上申書を起草した。
健太郎と鈴木を中心に、共同研究部隊のメンバーと海軍・陸軍の若手将校が参加した。
上申書の主な内容は、以下の通りだった。
青島攻略戦の経験から、航空機の役割を再考すべきである。
偵察・観測の有効性は証明されたが、以下の開発を急務とする。
一、爆弾投下装置の搭載。
偵察機に爆弾を吊るし、敵陣地を直接攻撃可能に。
一、戦闘機の開発。
敵航空機を撃墜する武装航空機を、早期に実用化。
一、無線通信の強化。
モールス信号の限界を克服し、音声伝達の研究を進める。
一、艦載・陸上基地の連携。
海軍・陸軍の航空部隊を統合し、共同運用を標準化。
若手将校たちは、上申書に署名した。
彼らは、青島の戦場で見た未来を、信じていた。
健太郎は、静かに言った。
「この上申が、通れば、航空機は変わる。空の戦いが、始まるぞ。」
鈴木は、頷いた。
「我々の経験が、次に繋がる。これは何としても通して欲しい。」
意見上申書は、軍令部・参謀本部へ送られた。
1914年12月、東京・陸軍大学校近くの研究会室。
青島攻略戦の終結から1ヶ月あまりが経過していた。
日本軍学研究会――新旧合わせて60名のメンバーが集う、数少ない部署――は、いつものように静かな議論を交わしていた。
階級の壁は、ここでは存在しなかった。
大将から大尉まで、意見を自由に言い合える。
それが、研究会の伝統だった。
机の上には、青島の海上飛行隊から届いた意見上申書が置かれていた。
佐藤健太郎大尉と鈴木中尉を中心に起草されたもの。
爆弾投下装置の搭載、戦闘機の開発、無線通信の強化、陸海航空部隊の統合――航空機の未来を提言する内容だった。
研究会長老の一人、松川敏胤大佐は、上申書を読み終え、静かに言った。
「青島の戦いで、偵察機の価値は証明されたようだが…。
しかし、この意見書は、正しい。偵察だけでは、不十分だと私も思う。」
若手の将校、宇都宮太郎少佐が、続けた。
「爆弾投下は、急務です。
敵の堡塁を、上空から直接攻撃できれば、陸軍の損害はさらに減る。
戦闘機も、必要でしょうね。敵も我々と同じ事を考えるでしょう。
敵機を落とす手段がなければ、我々の偵察機は脅威に晒される。」
別のメンバー、福田雅太郎中佐が、付け加えた。
「無線通信の強化も、重要だ。モールスでは、即時性が不足する。音声伝達の研究を、急ぐべきだ。」
議論は、熱を帯びた。研究会は、青島の戦訓を、冷静に分析した。
偵察機の観測が、砲撃精度を高めた。しかし、敵の対空射撃が、脅威だった。航空機は、偵察だけでなく、攻撃の手段となるべきだ。老練のメンバー、秋山好古少将は、静かに言った。
「陸海の連携も、強化せよ。
航空部隊を、統合する。空は、陸海の共通の戦場だからな。
寧ろ…空を専門とする軍の創設も…視野に入れておかねばなるまい。」
若手たちは、頷いた。
研究会は、意見上申書に付け足しを行った。
追加の内容は、以下の通りだった。
一、航空機のエンジン出力向上と前引き式プロペラの研究を急ぐこと。プッシャー式の限界を克服し、速度と機動性を高める。
一、対空戦闘の手段として、機銃搭載の開発を優先。
一、爆弾投下装置の標準化と、投下精度の向上。
一、陸海航空部隊の合同演習を定期化し、連携を強化。
一、航空部隊を主兵とする、新たなる軍の創設を意見具申
研究会は、上申書を修正し、参謀本部へ送ることを決めた。
60名のメンバー全員が、署名した。
参謀本部での審議
1914年12月、東京・参謀本部。
青島攻略戦の終結から1ヶ月あまりが経過していた。
日本軍学研究会から届いた意見上申書は、参謀本部の会議室で審議されていた。
上申書は、青島の海上飛行隊の経験を基に、航空機の爆弾投下装置搭載、戦闘機開発、無線通信強化、陸海航空部隊の合同演習、そして航空部隊を主兵とする新軍の創設を提言する内容だった。
研究会が付け加えたエンジン出力向上、前引き式プロペラ研究、機銃搭載優先などの項目も、詳細に記されていた。
参謀総長田中義一は、書類を読み終え、静かに言った。
「最もな意見だ…。青島の戦いで、偵察機の価値は証明された。
しかし、新軍の創設は急務ではない…が、視野に入れるべきではあるか。」
参謀次長の上原勇作が、応じた。
「しかし、開発の一元化というのであれば、理に適うのではなかろうか。陸海の別々では、無駄が生じる。」
海軍側から出席した軍令部代表が、慎重に言った。
「だが、海軍に必要なものは潮風や限られたスペースで運用できるものだ。陸軍の機体を、そのまま艦載するのは難しい。」
陸軍側の若手参謀が、提案した。
「であるならば、航空学校は一元管理の下、パイロットを養成し、海軍の航空隊と新軍を持てば…事が済むか。
開発された機体を、海軍仕様にすれば…管理も共同出来よう。」
田中総長は、頷いた。
「その線で、検討せよ。新軍の創設は、時期尚早だが、準備は進める。航空機は、陸海の共通の戦場だ。決して競いこそすれ、争ってはならない。」
会議は、静かに進んだ。
研究会の上申書は、参謀本部に波紋を広げた。航空の未来が、動き始めた。
空軍の創設は、近い将来に実現する事だろう。




