教育者の苦悩と改革者の苦悩
1913年秋、東京郊外の公立小学校。
鈴木太郎は、四十五歳の小学校教員として、二十年近く教室に立っていた。
彼は、明治の学制以来の教育者として、修身・国語・算術を教え、子どもたちに道徳と知識を授けることを誇りとしていた。
しかし、この頃、鈴木の心は静かな戸惑いに満ちていた。
毎朝、職員室で教科書を広げると、胸に重いものがのしかかるような感覚を覚えた。
戦争の勝利がもたらした変化が、教育の場にまで及んでいることを、実感せざるを得なかった。
日露戦争の勝利から八年。
学校教育は、戦争の成果を反映し、変化を始めていた。
国は、勝利を基に科学・技術の重視を掲げ、教科書に新しい内容が加わった。
栄養学の授業が導入され、米糠の重要性が教えられるようになった。
軍の奨励で、機械の知識や体力訓練が強化された。
子どもたちは、航空機や自動車の絵を教科書で見、目を輝かせていた。
鈴木は、職員室で同僚と話した。
「最近の子どもたちは、戦争の勝利を当然のように思う。栄養の話や機械の話に、熱中している。」
同僚は、頷いた。
「国の奨励だ。
オリザニンの発見が、教科書に入った。
脚気の予防として、米糠食を教えることになった。」
鈴木は、内心で複雑な思いを抱いていた。
彼の世代は、修身と忠君愛国を教育の中心に置いていた。
天皇への忠誠、道徳の涵養。それが、教育の根本だった。
しかし、今の教科書は、科学の進歩を強調する。
オリザニンが脚気を防ぐ。
機械が農業を変える。
航空機が空を飛ぶ。
鈴木は、授業で子どもたちに米糠の話をした時、戸惑いを覚えた。
子どもたちは、興味深そうに聞いていたが、鈴木の心は揺れた。
「科学は大事だ。だが、道徳はどうなる。」
そんな思いが、胸に去来した。
修身の時間が減り、科学の実験が増える。
子どもたちの心が、物質的なものに傾くのを、どう教えるか。
鈴木は、自分が時代遅れになっているのではないかと、不安を感じた。
職員室で、鈴木は一人考えた。戦争の勝利が、国を強くした。
それは、認める。
しかし、教育が変わる速さが、怖かった。
伝統の修身が、科学の影に隠れていくようで。
子どもたちの未来は、明るいのかもしれない。
だが、自分の教え方が、通用しなくなるのではないか。
同僚の若い教師が、言った。
「鈴木先生、子どもたちが航空機に憧れている。
将来、飛行士になりたいと言う子が多い。」
鈴木は、微笑んだが、心は重かった。
「飛行士かそれは良いことだ。国が強くなる。」
しかし、内心では、戸惑いが消えなかった。
教育者は、国の方針に従う。
だが、子どもたちの心が、科学と機械に傾くのを、どう導くか。
道徳の教えが、薄れていくのではないか。
鈴木は、教室に戻り、子どもたちを見た。
彼らは、栄養の授業で米糠の絵を描いていた。
純粋な目で、未来を夢見ていた。
鈴木は、静かに黒板に書いた。
「国を強くするのは、知識と心だ。」
教育者の戸惑いは、静かに続いていた。時代が変わる中、伝統と新しさの間で。
1913年、東京帝国大学教育学部。
佐々木浩一郎は、四十二歳の教授として、教育学講座を担当していた。
彼は、欧米留学の経験から、ジョン・デューイの思想に深く影響を受けていた。
デューイの児童中心教育と経験を通じた学習の理念は、佐々木の心を強く捉えていた。
物質的な知識の詰め込みではなく、子どもたちの経験を基に、自ら考える力を育てる。
それが、教育の真髄だと信じていた。
しかし、日本でこの思想を実践するのは、容易ではなかった。
日露戦争の勝利がもたらした国家主義の波は、教育を「国力強化」の道具として位置づけていた。
修身・軍事訓練・科学知識の習得が重視され、児童の個性や経験は二の次とされていた。
佐々木は、講義室で学生たちに語った。
「教育は、子どもたちの生活から生まれるものだ。
経験を通じて、自ら学び、成長する。それが、真の教育である。」
学生たちは、熱心にノートを取ったが、佐々木の心には戸惑いがあった。
デューイの言葉「民主主義と教育」は、日本でどう響くか。
「民主主義は経験から生まれる」という原意を、そのまま伝えるのは難しい。
日本では、民主主義はまだ遠い概念。
国家・天皇への忠誠が、教育の基調だった。
佐々木は、日本的に変換した。
「和の精神は、日々の経験から育まれる。
子どもたちが、互いに学び合い、自然と触れ合いながら、心を豊かにする。それが、日本人の道である。」
彼は、児童中心の教育を、「和の経験教育」と呼んだ。
物質主義の詰め込みではなく、子どもたちの生活・遊び・自然体験を基にした学習。
農村の子どもたちが田畑で学び、都市の子どもたちが街の暮らしから学ぶ。
佐々木は、附属小学校で実験を開始した。
子どもたちに、米糠の栄養を実際に調理させ、脚気の予防を体験的に学ばせた。
機械の模型を作らせ、自動車や航空機の原理を触れながら理解させた。
子どもたちは、目を輝かせた。
教師たちは、最初は戸惑ったが、子どもたちの変化を見て、徐々に賛同した。
佐々木は、内心で葛藤を抱えていた。
国の奨励は、科学・軍事教育を求めている。
自分の改革は、逆行しているのではないか。
しかし、子どもたちの笑顔を見ると、信念が強まった。
「教育は、国家のためだけではない。
子どもたちの未来のためだ。」
佐々木の試みは、小さな波紋を広げ始めた。
デューイの思想を、日本的に変換した経験教育。
それは、大正の教育に、新たな光を投げかけた。




