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古の灯火  作者: 丸亀導師
戦後戦間期
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大正デモクラシーと女性軍属

大正デモクラシー運動の状況


1913年は、大正デモクラシーの萌芽期に相当します。


日露戦争の勝利が国民の自信を高め、普通選挙運動や政党政治の活性化を促しました。

研究会(日本軍学研究会)の検討結果として、軍事効率化が国民教育・健康向上に波及し、社会全体の民主化意識を間接的に後押しした点が特徴です。


普通選挙要求運動が活発化し、桂太郎内閣に対する批判が高まりました。

勝利の余韻が軍部権威を維持しつつ、知識人・中間層の政治参加意欲を増大させました。

研究会による科学・栄養学の進展(脚気対策成功)が、国民の健康向上と教育投資を促進。

これが、民主主義の基盤となる識字率・健康度の向上に寄与しました。



婦女子軍属採用議論


1913年頃、陸海軍内部で婦女子の軍属採用議論が浮上しました。

研究会が検討した結果、補給・衛生・通信分野での女性活用が効率化に有効と判断され、議論が本格化しました。

背景: 戦争勝利の人的余裕と女性教育の進展(女子高等教育の拡大)が、女性の社会参加を後押し。


研究会は、男性兵員の戦闘集中のため、後方業務(看護・事務・通信)の女性採用を提言。

議論の内容: 陸軍衛生部を中心に、看護婦・通信手としての採用を検討。

史実より早期に女性軍属の試験採用が実施され、1910年代後半の本格化へつながりました。

裏側の影響: 女性の軍属採用は、社会的ジェンダー観の変革を促し、大正デモクラシーの女性参政権運動に間接的に影響を与えました。



退役軍人の独身者に対する見合いの機会

日露戦争帰還兵の社会復帰支援として、退役軍人の独身者に対する見合い機会の提供が、1910年代初頭から国家的に推進されました。

背景: 研究会が検討した結果、帰還兵の社会安定が軍の士気維持に不可欠と判断。

戦争勝利の英雄的イメージが、退役軍人を「良縁」の対象として魅力的にした。

実施状況: 政府・軍・地方自治体が連携し、見合い会や紹介制度を組織。


1913年頃、全国規模の見合い斡旋が本格化し、独身帰還兵の結婚率が向上しました。

裏側の影響: この政策は、戦後社会の安定化に寄与し、家族形成を通じた人口増加・労働力確保を促進。

女性の社会参加(看護婦など)と連動し、ジェンダー観の緩やかな変化を招きました。


1913年の日本は、大正デモクラシーの萌芽と軍事・社会の変革が交錯する時期でした。




婦女子軍属採用枠という特別枠に対する、肯定的典型的な一人の女性をみていこうと思う。





1913年、東京・本郷の女子学習院近くの下宿屋。


佐藤綾子は、二十六歳の誕生日を一人で迎えていた。

士族の家に生まれた彼女は、幼い頃から父の厳しい教育を受け、剣術と柔道を修めていた。


男勝りで気性が強く、奥ゆかしさとは縁遠い性格で、家に縛られるのを嫌い、大学への進学を望んだが、父の反対で断念する。


代わりに、女子学習院で学び、卒業後、東京で下宿しながら女性の自立を模索していた。

この日、綾子は新聞を広げ、目を細めた。


軍が、婦女子の軍属採用枠を試験的に設けるという報だった。

看護婦、通信手、事務補助――後方支援の役割で、女性の軍内雇用を拡大する方針だ。


綾子は、忌々しげに新聞を机に叩きつけた。


「ふん、後方支援か。看護や事務だけかよ。」


口が悪いのは致し方ない、元来男と比べられる事に対する苛立ちや、自らよりも腕っぷしや頭が劣る男ですら、平然と世を回していることが我慢できなかった。

彼女の心は、苛立ちと興奮で揺れていた。


士族の娘として、武道を修め、男たちに負けぬ体と気概を持っていた。

家に縛られ、嫁ぎ先を決められるのを嫌い、自立の道を求めていた。

軍属採用は、女性の社会参加の第一歩かもしれない。

しかし、やはりということか、後方だけでは不満だった。


「私なら、前線で戦える。

柔道で男を投げ飛ばせるのに、なぜ看護だけだ。」


綾子は、立ち上がり、部屋の中で型を繰り出した。

突き、受け、投げそして受け身、汗が額を伝う。


彼女は、平塚らいてうと同年代の女性たちを知っていた。

らいてうの『青鞜』を読んでいた。

女性の自立、権利の拡大それは良い。

軍属採用は、その一歩かもしれない。


だが、綾子は思うのだ。

軍は、女性を道具として使うだけだ。

前線で戦う機会を与えないなら、意味がない。女の自立をなんだと思っているのか?


彼女は、新聞を再び手に取り、記事を読み返した。

採用枠は少数。

試験的に、看護婦中心。

しかし、研究会という軍内のグループが、女性の活用を提言したと書かれていた。


綾子は、その名を見て笑った。


「研究会か。日露戦争の勝因を作った連中だな。

なら、女の力も認めるかもしれない。」


彼女の心は、決意で満ちた。軍属採用に応募する。

看護ではなく、通信や事務で入り、内部から変える。


あるいは、武道の腕を活かせる道を探す。

綾子は、士族の家に縛られるのを嫌っていた。

軍という男の世界に、女性として挑むのだ。


それが、自立の道だと思った。

部屋の外では、東京の街が、静かに夜を迎えていた。

大正の風が、女性たちの心を、わずかに揺らし始めていた。

綾子は、応募書類を書き始めた。男勝りの筆致で、力強く。


その信念は確かな物があった。


1913年夏、東京・陸軍工兵学校。

夏の陽光が、演習場の砂地を熱く照らしていた。

陸軍は、婦女子軍属採用の試験を、初めて実施していた。

会場は、工兵学校の講堂と隣接する訓練場。

応募者は、全国から集まった女性数十名。

看護・通信・事務の適性を試す試験だった。


試験は、三日間にわたった。



一日目は、筆記試験。


軍事知識、衛生学、通信基礎。

綾子は、机に向かい、筆を走らせた。

士族の教育が活き、軍事史や衛生の質問に正確に答えた。

周りの女性たちは、看護志望が多く、穏やかな表情だったが、綾子は鋭い目で問題を睨んだ。



二日目は、体力・実技試験。


訓練場で、行軍模擬と通信機器の操作。

綾子は、柔道で鍛えた体を活かし、行軍を軽々とこなした。

通信機器の組み立てでは、男勝りの手つきで迅速に完了し、試験官の軍医将校が、驚いた表情を見せた。


三日目は、面接。

試験官は、衛生部長と軍医将校たち。

綾子は、礼服姿で部屋に入った。


「佐藤綾子と申します。」


部長が、問うた。


「なぜ、軍属を志望するのか。」


綾子は、静かに答えた。


「女性も、国に貢献できるはずです。看護だけでなく、通信や事務で、軍の効率を高めたい。」


将校の一人が、眉をひそめた。


「女性は、後方支援に適している。前線は、男の仕事だ。」


綾子は、内心で苛立ちを抑え、答えた。


「後方こそ、軍の基盤です。女性の力が、そこを強くする。」


試験官たちは、互いに視線を交わした。

綾子の気性の強さと、武道で鍛えた体躯が、印象に残った。

試験は、終了した。


三日間の試験が終了した後、綾子は訓練場の隅で息を整えていた。

汗が額を伝い、礼服の袖をまくり上げた腕には、柔道の鍛錬でできた筋が浮かんでいた。


周りの女性たちは、看護志望の穏やかな表情で互いに言葉を交わしていたが、綾子は一人、遠くの空を睨んでいた。試験の結果は、数日後に通知されるはずだった。

しかし、彼女の心はすでに、次の戦いを見据えていた。


試験官たちの視線が、綾子の強靭な体躯と鋭い回答に驚きを隠せなかったことを、彼女は感じ取っていた。

衛生部長の目には、興味と戸惑いが混じっていた。

軍医将校の一人は、面接の後で同僚に囁いていた。


「後方支援に、あのような女性が来たら、どうなるか。」


綾子は、士族の家に縛られるのを嫌っていた。

父の期待、母の諦め、兄の嘲笑。

すべてを振り切り、東京で自立の道を探していた。

軍属採用は、女性の社会参加の第一歩かもしれないがしかし、看護や事務だけでは不満だった。


通信手として入り、内部から変える、あるいは武道の腕を活かせる機会を探す。


それが、彼女の決意だった。


そんな彼女が見える位置、訓練場の外、工兵学校の門近くで、一人の海軍将校が立ち止まっていた。

海軍の制服を着た男は、陸軍との協議を終え、帰路につくところだった。


彼の手には、炒り豆の袋がぶら下がり、時折一粒を口に放り込み、カリカリと音を立てて噛んでいた。


将校――秋山真之――は、試験場の様子を遠目に見ていた。


この変人とも天才とも言われる男は、女性たちが集まる異様な光景に、興味を引かれた。特に、一人の女性の姿が目立っていた。

背筋を伸ばし、男勝りの歩き方で訓練場を移動する彼女。

面接室から出てきた時の、鋭い表情。


真之は、炒り豆を噛みながら、独り言のように呟いた。


「面白い女がいるものだなぁ。」


彼は、陸軍の戦法を海軍に応用し、共に支援する議論を終えたばかりだった。 


女性の軍属採用は、耳新しい話だったが、後方支援の効率化か、それとも何か別の意図か。真之の脳裏には何があるのか?

真之は、豆をもう一粒口に含んみ、カリカリという音が、夏の風に混じった。


綾子は、試験場の外へ出た。

将校の姿に気づき、視線が交錯した一瞬の間、真之は彼女の強い目を捉えた。


綾子は、軽く会釈し、歩き去った。

真之は、微笑んだ。

海軍の未来も、変わり始めているのかもしれないと。



1週間後 東京・陸軍工兵学校。

試験から数日後、工兵学校の掲示板に、合格者の名簿が掲示された。

綾子は、下宿から自転車で駆けつけ、掲示板の前に立った。

名簿を上から下まで、鋭い目で追った。


自分の名前は、なかった。グッと綾子は、唇を噛んだ。


不合格。


看護・通信・事務のいずれも、採用されなかった。

彼女は、静かに息を吐いた。

士族の娘として、武道を修め、男勝りの気性で生きてきた。

軍属採用は、自立の道だった。


しかし、軍は彼女を受け入れなかった。

綾子は、掲示板を離れ、自転車で下宿へ戻った。

心は、苛立ちと悔しさで満ちていた。

男の世界に、女性として挑んだのだ、それが、拒絶された。



一方、陸軍工兵学校の会議室。


秋山真之少将は、試験官たちと向き合っていた。

4月の春に少将へ昇進した彼は、陸軍との協議で工兵学校を訪れ、偶然試験の様子を目撃していた。


女性軍属採用の試験は、陸海軍共同の枠組みで進められており、真之も海軍側の観察者として関与していた。試験官たちは、衛生部長と軍医将校たち。

彼らは、綾子の不合格を決定した理由を説明していた。


「佐藤綾子は、体力・知識は優秀だが、性格があまりにも強すぎる。

軍の規律に適合しない、寧ろアレは乱します。」


真之は、静かに炒り豆を噛みながら、聞いた。

カリカリという音が、会議室に響いた。

彼は、口を開いた。


「諸君。

古来、武将のなかには男をも勝る女武将がいたのだ。

巴御前、ともえ。

彼女たちは、戦場で男たちを凌駕した。」


試験官たちは、驚いた顔で真之を見た。

真之は、真顔で続けた。


「頑強な意地となったら、女の方が男よりも頑固なところもある。綾子という女性は、体力も知識も優れていた。

軍は、そんな人材を拒むのか。」


そんな彼の言葉に対し衛生部長が、慎重に言葉を選んで答えた。


「しかし、海軍少将。

女性は、後方支援に適している。特に…、男仕事が女に出来るとは思えんのです。

特に……性格が強すぎる者は、規律を乱す恐れがある。」


一点張りである。しかし真之は、炒り豆をもう一粒口に含んだ。


「規律は、強さから生まれることもある。

彼女のような女性が、軍に新しい風を吹き込むかもしれない。

そんな可能性を、みすみす逃すのが軍の…御国の為か?」


議論は、続いた。真之は、綾子の合格を強く主張した。

海軍側の観察者として、女性軍属の可能性を指摘した。

最終的に、試験官たちは再検討を約束した。

数日後、綾子の下宿に、正式な通知が届いた。


合格


通信手として、採用。

綾子は、通知を手に、静かに微笑んだ。

軍の扉が、開かれた。



佐藤綾子(1887年生まれ) 


1913年の婦女子軍属採用試験合格後、通信手として陸軍に採用されました。

その後の人生は、軍事・社会の変革に深く関わるものとなりました。


1910年代: 軍属として通信・情報業務に従事。第一次世界大戦期の青島攻略戦で後方支援を担い、女性軍属の有効性を証明。

戦後、軍内の女性活用推進に貢献し、1920年代に軍属教育担当へ異動。


1920〜1930年代: 軍の近代化に伴い、女性軍属の訓練指導官として活躍。

研究会思想の影響を受けた教育で、女性の役割拡大を提唱。

私生活では、軍人との結婚を避け、自立を貫きました。


1940年代: 太平洋戦争期、女性軍属の組織化を主導。

戦後、女性参政権運動に関わり、教育者として後進を指導。


晩年: 1960年代まで存命。女性の社会参加を象徴する人物として、回顧録を残しました。


彼女の軍事・社会の狭間で自立を追求した人生は、多くの女性に影響を与えました。



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