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古の灯火  作者: 丸亀導師
戦後戦間期
19/81

オリザニン

オリザニン


オリザニン(Oryzanin)は、鈴木梅太郎が1910年に米糠から抽出した抗脚気有効成分の名称である。


発見経緯


日露戦争中の軍糧食試験(米糠入り兵糧丸の脚気予防効果)により軍が早期支援し、鈴木の研究が加速。1910年に結晶化に成功し、栄養欠乏が脚気の原因であることを科学的に証明。


また人類に必須栄養素としての側面を、後年明らかにされた。


命名体系: オリザニンB1(脚気予防)、オリザニンA(視力・成長関連)、オリザニンC(壊血病予防)など、


軍の積極支援により、脚気対策が早期に成功し、国民栄養学の基礎を築いた。


しかし、オリザニンを語る上で避けて通れないものがある。

それ鈴木梅太郎と、日本医学会との対立であった。



鈴木梅太郎は、1874年(明治7年)4月7日、静岡県浜松市に生まれた。

父は旧幕臣の家系で、維新後の没落を経験した人物だった。

家は裕福とは言えなかったが、梅太郎は幼少から学問に秀で、家族の期待を一身に背負っていた。


地元の学校では常に首席で、教師たちから将来を嘱望されていた。

彼の性格は、静かで内省的だったが、好奇心が強く、植物や土壌に興味を抱く少年時代を送った。

1896年(明治29年)、梅太郎は東京帝国大学農科大学に入学した。


当時、農学は国家の近代化に不可欠な学問と位置づけられ、農業生産性の向上や食糧問題解決が重視されていた。

梅太郎は、土壌学と植物生理学を専攻し、米の栽培と栄養成分に深い関心を持った。

大学時代、彼は米の精白過程で除去される糠の役割に疑問を抱き始めた。


日本人の主食である米が、なぜ脚気という病を引き起こす地域が多いのか。

医学界では細菌感染説が主流だったが、梅太郎は農学者の視点から、栄養成分の欠乏を疑っていた。

卒業論文では、米糠の化学成分分析をテーマに選び、教授から高い評価を受けた。


1901年(明治34年)、26歳の若さで東京帝国大学農科大学の助教授に就任。

研究室を与えられ、米糠の抽出実験に没頭する日々が始まった。

梅太郎は、鳩を使って実験を繰り返した。

白米だけを餌にした鳩は脚気症状を示したが、米糠を加えると回復した。

この結果は、梅太郎の仮説を強めた。

脚気の原因は、細菌ではなく、米糠に含まれる未知の成分の欠乏にあるのではないかと。


1904年(明治37年)、日露戦争が勃発した。

梅太郎は、戦争の報に心を痛めた。

満洲へ派遣される兵士たちの糧食が、白米中心であることを知り、懸念を深めた。白米の精白過程で、米糠が除去される。

それが、脚気の原因ではないか。


梅太郎は、陸軍衛生部へ提案書を送った。


米糠や雑穀の活用を提案し、試験導入を求めた。

しかし、当時の軍医たちは感染説を信じ、提案はほとんど無視された。


戦争が長期化する中、満洲から届く報告は、梅太郎の懸念を現実のものとした。

脚気患者が急増し、戦力の低下を招いていた。

梅太郎は、研究室で実験を続けた。

米糠のアルコール抽出物を鳩に投与し、脚気症状の改善を確認した。


この物質を、彼は「オリザニン」と仮称した。


1905年(明治38年)、戦争は終結へ向かった。

旅順の陥落、奉天会戦、日本海海戦の勝利。

ポーツマス条約の調印が報じられた頃、梅太郎は31歳になっていた。

戦争の勝利は、国民に喜びをもたらしたが、梅太郎の心は別の思いで満ちていた。


満洲から、一部の部隊報告が届いていた。

米糠入り兵糧丸を試験的に使用した部隊で、脚気発症が減少したという。

それは、梅太郎の提案が、間接的に受け入れられた証だった。

梅太郎は、研究室で静かに考えた。


戦争は終わった。


しかし、脚気の謎は残っている。


オリザニンの抽出を、純粋な形にしなければならない。

日露戦争の終結は、梅太郎の人生に新たな光を投げかけた。

軍の支援が始まるのは、もう少し後のことだったが、戦争の教訓は、すでに彼の研究を後押しし始めていた。



1905年秋、東京帝国大学農科大学。

日露戦争の勝利が確定し、ポーツマス条約の調印報が全国に広がる中、鈴木梅太郎は研究室で新たな段階を迎えていた。

三十一歳の彼は、オリザニンの抽出実験を加速させる機会を得ていた。


この頃になると、満洲からの報告が、軍上層部に影響を与え始めていたのだ。

研究会メンバーの戦場報告が、衛生部に届いていた。


一部部隊で米糠入り兵糧丸を試験的に使用した結果、脚気発症が減少した事実が、栄養欠乏説の再検討を促した。


衛生部長は、鈴木の研究を評価し、公式支援を決定した。

支援の内容は、予算の提供、実験施設の拡張、動物供給の優先、そして軍医の協力だった。


鈴木は、これまで孤立気味だった研究を、大規模に進めることができるようになった。


助手たちは、増えた装置と資料に目を輝かせていた。

衛生部長からの訪問があったのは、支援決定の直後だった。

部長は、鈴木に言った。


「君の提案書は、戦場で効果を発揮した。

米糠の有効性は、否定できない。軍は、栄養説を再検討する。」


鈴木は、慎重に答えた。


「感染説が主流である以上、抵抗は予想されます。

しかし、科学的事実は、変わりません。」


部長は、頷いた。


「児玉次長も、興味を持っている。

研究会の方々が、戦場での結果を強く推している。」


鈴木は、内心で研究会メンバーへの感謝を思い浮かべた。

彼らは、戦場で米糠の効果を実証し、軍内の風潮を変えつつあった。


支援の効果は、すぐに現れた。

実験規模が拡大し、オリザニンの精製が着実に進んだ。

鈴木は、米糠の抽出物をさらに濃縮し、効果の強い部分を分離した。

鳩の実験で、オリザニンの投与が脚気症状を治癒させることを、繰り返し確認した。

しかし、抵抗は強かった。


医学界では、感染説を信じる派閥が、栄養説を「非科学的」と批判した。

軍医学校の講義では、鈴木の研究が槍玉に挙げられ、細菌原因の証拠を強調する声が多かった。


1907年頃、感染説派の著名な軍医・森が、鈴木の研究室を訪れた。

彼は、データを確認した後、議論を求めた。


「鈴木先生、君のオリザニンは興味深いが、脚気は細菌によるものだ。栄養欠乏など、証拠が不十分ではないか。」


鈴木は、データを示しながら答えた。


「満洲の報告では、同じ環境で米糠食の部隊の発症率が低い。

オリザニンを投与した実験でも、症状が改善する。」


森は、首を振った。


「鳩の実験は、人体に適用できない。

軍の兵士たちが、白米で脚気になったのは、戦場の不衛生によるものだ。」


鈴木は、冷静に反論した。


「しかし、細菌を分離できていない。

感染経路も不明瞭だ。一方、オリザニンの効果は、再現性がある。」


軍医の声が高くなった。


「軍の教範は、ドイツ医学に基づいている。

栄養説が正しければ、なぜ海軍は脚気が少ないのか。」


鈴木は、それに対して明確に答えた。


「海軍は、麦飯を多く摂取している。

それが、違いを生んでいる。」


議論は、長く続いた。

感染説派は、従来のデータを挙げ、鈴木は実験結果と戦場報告で対抗した。

助手たちは、緊張した空気の中で、静かに記録を取っていた。

軍医は、最後に言った。


「君の研究は、注目に値する。

しかし、軍の公式見解を変えるには、もっと確実な証拠が必要だ。」


鈴木は、静かに頷いた。


「その証拠を、結晶化で示す。」


軍医が去った後、鈴木は助手たちに言った。


「結晶化を急ごう。

これが、論争を決着させる。」


支援の効果は、徐々に現れた。

軍の施設で大規模実験が可能になり、オリザニンの性質が明らかになり始めた。

鈴木は、結晶化への道を着実に進んでいた。

感染説の抵抗は、続いたが、研究会戦法の成功が軍内の変革風潮を生み、栄養説の受け入れを後押ししていた。

鈴木の研究は、軍と科学の狭間で、静かに前進を続けていた。

1909年までに、オリザニンの精製は、結晶化直前の段階に達していた。

軍の支援が、鈴木の研究を支え、脚気の謎解明を近づけていた。



1910年、東京帝国大学農科大学。


鈴木梅太郎は、研究室の作業台で、慎重に試験管を扱っていた。

軍の支援が始まってから4年が経過していた。

予算と施設の拡大、実験動物の供給、軍医の協力が、研究を大きく前進させた。


米糠から抽出される物質の精製は、着実に進み、ついに結晶化の段階に達していた。

鈴木は、助手たちに指示を出した。


「温度を厳密に管理せよ。この結晶が、鍵だ。」


助手の一人が、試験管を覗き込んだ。


「先生、結晶が形成され始めました。」


鈴木は、静かに観察した。

白い結晶が、ゆっくりと析出していく。

それは、米糠のアルコール抽出物をさらに精製したものだった。

鳩の実験で、脚気症状を治癒させる効果が繰り返し確認されていた。


この物質を、鈴木は「オリザニン」と呼んでいた。

脚気の原因が、オリザニンの欠乏にあることを、科学的に示す証拠となる。


軍の支援は、決定的だった。


研究会メンバーの戦場報告が、米糠の有効性を上層部に認めさせ、感染説の抵抗を弱めた。

衛生部長は、定期的に進捗を尋ね、追加予算を承認した。


しかし、完全な勝利とは言えなかった。

医学界では、感染説を信じる派閥が、栄養説を「非科学的」と頑なに批判し続けていた。


鈴木の研究は、軍内の論争の中心にあった。


ある日、医学界の著名な医師から訪問者が来た。

感染説を強く支持する大学教授だった。


彼は、鈴木の研究室を訪れ、実験データを詳細に確認した後、議論を求めた。

教授は、鈴木に言った。


「鈴木先生、君のオリザニンは興味深いが、脚気は細菌感染によるものだ。

栄養欠乏など、証拠が不十分ではないか。」


鈴木は、冷静に答えた。


「実験で、オリザニンが脚気症状を治癒させることは、繰り返し確認されている。

感染説では、説明がつかない。」


教授は、声を荒げた。


「白米食の部隊で脚気が多いのは、衛生環境の悪さだ。

細菌が原因である証拠は、数多い。」


鈴木は、データを示した。


「満洲の報告では、同じ環境で米糠食の部隊は発症が少ない。

これは、栄養の問題だ。」


教授は、首を振った。


「一時的な効果に過ぎない。

医学の教典を変えるには、もっと確実な証拠が必要だ。」


議論は、熱を帯びた。

感染説派は、ドイツ医学の権威を盾に、栄養説を否定しようとした。

鈴木は、静かにデータを積み重ね、反論した。


助手たちは、緊張した空気を感じていた。

この論争は、医学界の方向性を決めるものだった。

鈴木は、内心で決意を固めた。

結晶化を急がねばならない。

科学的事実が、すべてを変える。


数ヶ月後、鈴木は、ついにオリザニンの結晶化に成功した。

白い結晶が、試験管に析出する瞬間を、助手たちと共有した。

それは、米糠から抽出された物質の純粋な形であり、脚気治療の鍵となるものだった。

鈴木は、助手たちに静かに言った。


「これが、オリザニンだ。

脚気の原因を、科学的に示す証拠となる。」


助手たちは、興奮を抑えきれず、拍手した。

軍の支援が、この成果を可能にした。

研究会メンバーの戦場報告が、米糠の有効性を上層部に認めさせ、感染説の抵抗を弱めた。


衛生部長は、定期的に進捗を尋ね、追加予算を承認した。

学会での発表が、決定されると。会場は満席で、軍関係者も多数出席した。

感染説派の医師たちも、結果を見極めようと集まっていた。

鈴木は、壇上で結晶を披露した。


「このオリザニンは、米糠から抽出された物質です。

脚気患者の治療に効果を発揮し、原因が栄養欠乏にあることを示しています。

鶏を使った対象実験に於いて、白米のみを口にした鶏は脚気を発射した事に対し、このオリザニンを混ぜた白米を食べさせた場合、玄米を食したときと同様脚気を発症しなかった。」


会場は、静まり返った後、拍手が起こった。

軍関係者も、結果を高く評価した。感染説派の医師たちは、顔を青ざめさせた。


オリザニンの結晶化は、成功した。

鈴木の研究は、国際的に注目を集め始めていた。

軍は、これに即座に反応した。麦飯・米糠食の全軍導入を決定。

脚気患者は、急速に減少した。


感染説派の抵抗は、続いたが、結晶の存在がすべてを変えた。

軍医学校の講義で、栄養欠乏説が取り入れられ始めた。

鈴木は、研究室に戻り、静かに考えた。

皮肉なことだが…戦争が、科学を変えたのだ。


栄養学の進歩は、軍事から民間へ広がり、国民の健康を向上させる基盤となった。

オリザニンの結晶は、鈴木の研究の頂点であり、脚気騒動の帰結を告げるものだった。



後年彼は、この研究の結果スウェーデンのノーベル財団から、ノーベル賞を授与される事となる。

彼は賞とは関係なく、オリザニンと似通った全く別の栄養素も存在する可能性を示唆した。


そして、軍の力を借りつつオリザニンC,やA等を抽出する事に成功したのだ。


なお、彼が最初に抽出したオリザニンはB1と名付けられた。



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