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古の灯火  作者: 丸亀導師
戦間期
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猜疑


一九四〇年(昭和十五年)末。

東京オリンピックの熱狂が過去のものとなり、世界が「完全なる経済封鎖トータル・エンバーゴ」の冷たい海に沈みゆく中。大日本帝国の巨大な経済ブロックと真っ向から対立することになったアメリカ合衆国は、極東における自らの「最大の、そして最後の軍事拠点」に強烈な猜疑の目を向けていた。


アメリカ領フィリピン自治領コモンウェルス

史実においては、一九四六年の完全独立を約束され、アメリカの指導のもとで独自の「フィリピン軍(比軍)」を組織しつつあったこの島国は、この世界線において、極めて歪で危険なバランスの上に立たされていた。


軍事と政治の首根っこはアメリカ(ワシントン)に握られている。

しかし、経済の心臓は、完全に「日本」に握られていたのである。


「……マニラ港を見てみろ。停泊している貨物船の半分は日本の船だ。街を走るトラックも、製糖工場の発電機も、すべて日本のインフラ(STEL技術など)に依存している。我々がいくら経済制裁を叫んだところで、現地のフィリピン人どもは、日本の『円』と『物資』なしでは一日たりとも生活できんのだ!」


マニラの在比米軍司令部。

司令官のダグラス・マッカーサーをはじめとするアメリカ軍の将官たちは、窓の外に広がる熱帯の都市を見下ろし、苛立ちと恐怖に唇を噛んでいた。

ジュネーヴでの経済制裁決議以降、アメリカ本国からの補給線は細り、フィリピン駐留米軍は孤立感を深めていた。逆に、すぐ北の台湾や南越(広蒼国)を拠点とする日本の巨大な経済圏の引力は、フィリピンの農民や商人たちを強力に惹きつけていた。


「もし、日本軍がこの島に上陸してきたらどうなる?」


米軍の参謀が、神経質に地図を指差した。


「我々が訓練し、武器を与えた『フィリピン軍(比軍)』十万。彼らは我々アメリカ人のために血を流して戦うか? ……否だ! 彼らは生活の糧を与えてくれる日本軍に寝返り、我々の背後から銃を撃ってくるに決まっている!」


それは、パナマ運河での理不尽な拿捕事件を起こした時と同じ、大国アメリカが陥った「猜疑心とパラノイア(偏執病)」であった。


インフラと経済力で他国を絡め取る日本の『備戦術』の恐ろしさを誰よりも理解していたからこそ、アメリカ軍は「自分たちの足元(フィリピン人の忠誠心)」がすでに日本に奪われているという幻影に怯え切っていたのだ。



一九四〇年十一月。

アメリカ本国のルーズベルト政権からの極秘の承認を得て、在比米軍は信じがたい暴挙に出た。


「これより、合衆国軍の権限において、フィリピン自治領軍の『一時的な武装解除』ならびに『指揮権の完全接収』を実行する!」


深夜、マニラ郊外の比軍の駐屯地に、完全武装したアメリカ軍のM3軽戦車と海兵隊が突入した。

寝込みを襲われたフィリピン兵たちは、訳も分からぬまま練兵場に引きずり出され、アメリカ兵の銃口を突きつけられながら、自らの小銃や機関銃、弾薬を次々と没収されていった。


「な、何をするんだ! 我々はあなた方の同盟軍だぞ! 共に極東を防衛する約束ではないか!」


フィリピン軍の将校が英語で抗議したが、アメリカの憲兵は冷酷にそれを小突いた。


「黙れ。お前たちの武器は、いざという時に我々合衆国軍の安全を脅かす危険がある。明日からは武器を持たず、我々の陣地構築のための『土木作業員』として働け」


これは、単なる武装解除ではなかった。

アメリカの真の狙いは、フィリピンの**『パナマ化』**であった。

パナマ運河地帯と同様に、現地の政府や軍隊から一切の主権と武力を奪い取り、島全体を「アメリカ合衆国の直接統治下にある、純然たる巨大要塞(軍事植民地)」へと作り変えること。日本という脅威を前に、アメリカは「独立の約束」という民主主義の建前を完全にかなぐり捨てたのである。



この異常事態に対し、フィリピン自治領政府のケソン大統領は激怒し、マニラの米軍司令部に乗り込んだ。


「約束が違う! 武器を取り上げ、我が国の兵士を奴隷のように扱う権利がどこにある! これは明白な主権の剥奪だ!」


しかし、米軍司令官は冷ややかに葉巻の煙を吐き出した。


「大統領閣下。貴国が日本の経済圏にどっぷりと浸かり、我々に対する忠誠を疑われるような隙を見せたのが悪いのです。合衆国の安全保障は、貴国の主権に優先します。大人しく我々の保護下に入りなさい」


猛反発する比政府であったが、それを止める物理的な力(武力)は、すでに一夜にして奪い去られていた。


しかし。


アメリカのこの冷酷な計算は、最悪の形で裏目に出ることになる。

彼らは、フィリピンという国の人間が持つ「誇り」を致命的に見誤っていたのだ。


「……ふざけるな。アメリカ人は、我々を守る保護者ではなく、ただの横暴な占領者だったということだ」


武器を奪われ、屈辱に塗れた元・フィリピン軍の将兵たち。彼らの中の血気盛んな若手将校や下士官たちは、アメリカ軍の監視の目を盗み、あるいは夜陰に乗じて、次々と駐屯地を脱走し始めた。


彼らはマニラを捨て、ルソン島の深く険しい密林や、山岳地帯へと姿を消していった。

史実においては、日本軍の侵攻に対してアメリカ軍と共に戦った彼らが、この世界線では**「アメリカの支配から祖国を解放するための反米抵抗組織ゲリラ」**へと身を落としたのである。

「武器がないなら、奪えばいい。そして、極東からやってくる『本当の解放者』を待つのみだ」



東京の霞が関。

フィリピンにおける「米軍による比軍の武装解除と、ゲリラ化」の情報を傍受した日本は、信じられないものを見るような目で報告書を読み直していた。


「……アメリカの連中、ついに恐怖で発狂したか? 自らの手で、現地の同盟軍を敵に回すような真似を大真面目にやっているぞ」


「パナマでの拿捕に続き、またしても強引な実力行使ですか。しかし、これほど我が軍にとって都合の良い話はありません」


日本の参謀たちは、冷酷な笑みを浮かべた。

アメリカがフィリピン人を裏切り、彼らから武器を奪ったことで、日本が将来フィリピンに侵攻する際の「最大の障壁」が自滅してくれたのだ。それどころか、密林に潜む元比軍の反米ゲリラたちは、日本軍が上陸した瞬間に、アメリカ軍の背後を突く最高の「協力者(第五列)」として機能することが確定した。


「大国が猜疑心に駆られ、実力行使で現地民を弾圧する。……見事な自滅オウンゴールだ。我々はただ、彼らが自らの首を絞め終わるのを待っていればいい」


一九四〇年末。

フィリピンの密林に消えた数万の反逆者たちの怒りは、やがて太平洋の海を真っ赤に染め上げる巨大な戦火の、極めて重要で致命的な「火種」となったのである。



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