平和の……
一九四〇年(昭和十五年)、夏。
ジュネーヴの国際連盟本部で「経済という名の世界大戦」が布告され、パナマ運河や日本近海で互いの商船が拿捕されるという異常事態が続く中。世界は、完全に真っ二つに引き裂かれつつあった。
しかし、そんな崩れゆく足場の上にあって、大日本帝国の首都・東京は、まるで嵐の目に入ったかのような、奇跡的で熱狂的な「平和の光」に包まれていた。
第十二回オリンピック競技大会。
史実においては、泥沼化する日中戦争と国際社会からの非難によって開催権を返上し、「幻」となった大会である。
しかしこの世界線において、帝国はユーラシア・ブロックという巨大な経済圏を完成させ、圧倒的な国力と最先端のインフラを世界に見せつける「絶頂期の祭典」として、このオリンピックを堂々と開催したのである。
開会式が行われた明治神宮外苑競技場の上空には、雲一つない青空が広がり、平和の象徴である鳩が舞い上がっていた。
戦争の足音が、すぐそこまで近づいている。誰もがその不気味な地鳴りを感じていた。だが、だからこそ人々は、この一瞬の、おそらく最後になるであろう「世界が一つになる祭典」を、狂おしいほどに謳歌しようとしていた。
このオリンピックにおいて、世界中から集まった外国人記者や選手たちを最も驚愕させたのは、日本の「インフラ」であった。
横浜港や神戸港から彼らを東京へと運んだのは、漆黒の蒸気機関車ではない。青と白の流線型の車体を持つ、全く新しい概念の高速鉄道――**「新幹線(夢の超特急)」**であった。
「オー・マイ・ゴッド……。機関車がないだと? 一体何がこの列車を引っ張っているんだ!」
東京駅のプラットホームに滑り込んできたその列車を見て、アメリカの記者は度肝を抜かれた。
この新幹線は、機関車が客車を引っ張る従来の方式を完全に捨て去っていた。**全車両の床下に小型・高出力のモーターを配置した「全車両動力車 完全電気機関車 動力分散方式」を採用していたのである。
加減速が極めてスムーズであり、標準軌の専用軌道を時速二百キロ近い猛スピードで、一切の振動もなく滑るように走り抜ける。
「政府の『上の連中』と鉄道省が、オリンピックに間に合わせるために国運を賭けて完成させたインフラです。これが、我々の新しい『足』ですよ」
案内役の日本の外務省職員が、誇らしげに胸を張った。
そして、このオリンピックは単なる技術の博覧会にとどまらず、世界の「人種的イデオロギー」に巨大な一石を投じる舞台ともなった。
選手村や競技場において、日本はすべての国、すべての人種の選手を「完全なる平等」のもとに歓待した。
特に、日本の経済圏に組み込まれ、同盟国として国力を飛躍させているエチオピア帝国の黒人選手団や、アメリカからやってきた黒人の陸上選手たちに対する、日本人観衆の熱狂的な声援は、白人至上主義の国々から来た代表団に強烈な違和感と衝撃を与えた。
「見ろ。あの黄色い猿どもは、黒ん坊のランナーにまで拍手喝采を送っているぞ。気味が悪い」
アメリカやイギリスの保守的な外交官や記者たちは、露骨に顔をしかめた。
彼ら米英等の「非同盟組(旧秩序の既得権益者)」は、自らの経済的・技術的な優位が日本やドイツによって根底から崩れ去りつつある現状に、深い恐怖を抱いていた。だからこそ、彼らは「我々白人こそが最も優れた人種である」という時代遅れの優生思想に、病的なまでにしがみついていたのである。自分たちより肌の色の濃い有色人種が、全車両動力の超特急を走らせ、世界最大の祭典を成功させているという現実を、彼らのプライドは絶対に認めることができなかった。
一方で、日本と同盟を結んでいるドイツやイタリアの視線は、極めて複雑かつ「現実的」なものへと変化していた。
ヒトラーの密命を帯びて東京を訪れていたドイツの視察団は、競技場で歓声を上げる日本の群衆と、エチオピアの選手と肩を組む日本の役員たちを見て、静かに手帳にメモを取った。
「……アーリア人種の優位性という我が国のドクトリンは、この極東の地においては修正を余儀なくされるな」
ドイツの将校が呟いた。
「彼らは我々と同じ、あるいはそれ以上のインフラを構築し、有色人種たちを巨大なシステムの中に組み込んで統制している。……力なき劣等民族ではなく、我々と対等に世界を分割する『名誉アーリア人』として、彼らの強さを認めざるを得ない。肌の色など、もはやこの圧倒的な国力と技術力の前にあっては、些末な問題に過ぎん」
皮肉なことである。かつて人種的偏見に満ちていた枢軸国(独伊)の側が、日本の「備戦術と技術力」という圧倒的な実力を前にして人種的優位の疑問を抱き、現実的な柔軟さを見せ始めているのに対し。
民主主義と自由を掲げるはずのアメリカやイギリスが、既得権益を脅かされた恐怖から、最も醜い人種差別の殻に引き籠もろうとしていたのだ。
オリンピックの中盤。
世界中の目が陸上競技場や水泳場に向けられている最中、東京湾からほど近い横須賀の海軍基地において、歴史の針を決定的に進める「四つの巨大な影」が、ついにその全貌を世界に現した。
一九三六年末のワシントン・ロンドン海軍軍縮条約の失効。
その「条約明け」の即日に、帝国海軍と『上の連中』が総力を挙げて建造を開始した、四隻の全く新しい主力航空母艦。
『蒼龍』『飛龍』『白龍』『黒龍』。
史実においては、蒼龍・飛龍は一万トン級の中型空母として条約の制限下で苦心して設計されたが、この世界線では全く違う。建艦条約という足枷が外れた瞬間に起工されたこの四頭の竜は、史実の『翔鶴型』に匹敵する、あるいはそれを超える超大型・最新鋭の正規空母として誕生していた。
オリンピックの観戦の合間に横須賀を訪れていた各国の海軍駐在武官たちは、双眼鏡越しにその威容を目にし、一様に絶句した。
「……信じられん。あの巨大な空母群、いつの間に造り上げたというのだ? 我々の諜報網は、あんな化け物が四隻も同時に建造されているなど、一切掴んでいなかったぞ!」
アメリカ海軍の武官が、脂汗を流しながら叫んだ。
彼らが気づけなかったのも無理はない。この四隻の建造には、大日本帝国が世界に先駆けて実用化した革命的な造船技術――「ブロック建造工法」と「先行艤装」、そして**「電気溶接の多用(全体の約四〇%)」**が全面的に採用されていたのだ。
船体を細かなブロックに分けて別の工場で造り、ドックで一気に溶接して組み立てる。これにより、船台を占有する期間を劇的に短縮し、欧米の常識では考えられないスピード(一九三九年中頃)で、四隻同時の就役(完成)を実現していたのである。
横須賀に停泊する旗艦『蒼龍』の艦上では、極秘の運用テストが最終段階を迎えていた。
その「要目」は、まさに来るべき太平洋戦争における絶対的な覇権を約束するものであった。
* 【船体規模と動力】
* 満載排水量: 三四、一〇五・一トン。
* 全長: 二五七・五メートル。
* 主機: ロ号艦本式缶(空気余熱器付)八基、艦本式高中低圧タービン四基。
* 出力と速力: 一二万五千馬力を叩き出し、この巨体を三一・〇ノットという高速で海の上を滑らせる。
* 航続距離: 一八ノットで一万二千海里。ハワイはおろか、アメリカ西海岸まで無補給で到達し、余裕で帰還できる無尽蔵のスタミナである。
* 【航空運用能力の極致】
* 飛行甲板: 長さ二四二・二メートル、幅三二・〇メートル。
* 搭載機数: 常用八十二機、補用十二機(計九十四機)。四隻合わせれば、実に四百機近い艦載機を一度に投射できる計算になる。
* 射出装置: 飛行甲板の前方には、艦載機を風力に頼らずに射出できる**『油圧式カタパルト』**が二基、甲板と完全に同一平面に埋め込まれていた。
* 【装甲と不燃化(MBFの恩恵)】
そして何より、この四隻を不沈の要塞たらしめているのが、その装甲防御力であった。
* 機関室防御: 舷側に四六ミリのCNC鋼、甲板に七五ミリCNC鋼と二五ミリDS鋼の二重装甲。
* 弾火薬庫防御: 舷側に一六五ミリNVNC鋼と五十ミリDS鋼、甲板には一五二ミリNVNC鋼という、戦艦並みの極厚装甲。
* 飛行甲板: 最上面の木甲板に見える部分は、すべて厚さ**四十五ミリの『MBF(特級硬化繊維素材)』**で均一に覆われていた。これにより、鉄よりも軽く、かつ急降下爆撃の直撃を弾き返す驚異的な強靭さを獲得している。
* 徹底した不燃化: さらに艦内の居住区画や格納庫の内装には、木材に代わって「MBFとフライアッシュ(石炭灰)の混合不燃材」が使用され、史実の日本空母の致命的な弱点であった「誘爆と延焼」のリスクを完全に克服していたのである。
飛行甲板に立つ海軍将官は、油圧カタパルトから轟音とともに射出されていく新型艦載機を見上げながら、深い満足の息を吐いた。
しかし、いかに優れた空母を四隻揃えようとも、それに乗るパイロットがいなければただの鉄の箱に過ぎない。
史実の日本海軍がミッドウェー海戦以降に転落していった最大の理由は、「熟練搭乗員の損失を補填する教育システムがなかった」ことである。
だが、この世界線の彼等は、そんな愚かな真似はしなかった。
空母群の就役と時を同じくして、霞ヶ浦をはじめとする全国の航空予備学校、および空軍の飛行学校から、ある莫大な数字が報告されていた。
「本年度の航空学校卒業生(操縦士・偵察員等)、計九千名に到達」
九千人。
それは、当時の欧米列強の基準から見ても、常軌を逸した人海戦術ならぬ「航空技術者の大増産」であった。
日本は、少数のエリートを何年もかけて育成する「一騎当千」の古い考えを捨てた。シミュレーター(教練機)を用いた合理的なカリキュラム、マニュアル化された操縦技術、そして豊富な航空燃料を使った徹底的な飛行訓練により、最低限の「分隊戦術」と「編隊飛行」がこなせる実戦レベルのパイロットを、文字通り工場で製品を造るように「量産」するシステムを完成させていたのだ。
オリンピックの閉会式の日。
国立競技場の上空を、五輪のマークを描くように、数百機の大編隊が轟音を立てて飛び去っていった。
それは、観客たちにとってはオリンピックのフィナーレを飾る華やかな祝賀飛行であったが、それを見上げる米英の外交官たちにとっては、空を覆い尽くす「絶望の黒雲」に他ならなかった。
「……四隻の超大型空母に、九千人のパイロットだと? 一体この国は、どこまで戦争の準備を進めているのだ……」
彼らは悟った。
日本は、アメリカやイギリスとの戦争を「望んで」はいない。しかし、いざ戦端が開かれたならば、太平洋をアメリカの血で赤く染め上げる準備を、完全に、そして冷酷なまでに終えているのだと。
一九四〇年、晩夏。
東京オリンピックは、大成功のうちに幕を閉じた。
新幹線は無事故で走り抜き、世界の人々は日本の美しい街並みと、人種を問わない歓待に酔いしれた。
しかし、その祭典の熱狂が冷めやらぬうちに、世界は再び、冷たく血生臭い「現実」へと引き戻されていく。
アメリカはパナマ運河での拿捕を正当化し、太平洋艦隊をハワイへと前進させた。
日本は近海のアメリカ商船を拿捕したまま、空母機動部隊と九千の若鷲たちに「戦技訓練」の最終段階を命じた。
ジュネーヴでの「経済封鎖」は、真綿のように確実に、世界中の物流の首を締め上げている。
崩れ行く足場のなかで、人々が最後に見た「平和の幻影」は、オリンピックの聖火とともに静かに消え去った。
そして。
大国同士が直接火蓋を切ることを躊躇う中、その「圧力の限界」は、太平洋の遥か南――赤道を越えた南半球の島国で、最も残酷な形で弾けようとしていた。
ニュージーランド。
日本の経済圏に完全に依存しつつあった北島と、旧来の大英帝国・アメリカ経済圏の援助を求める南島。
大国間の経済戦争の板挟みとなったこの牧歌的な島国で、血で血を洗う「内戦」の火の手が上がろうとしている。
それは、第二次世界大戦という人類最大の内乱が、欧州のポーランドでも、ハワイの真珠湾でもなく、この南太平洋の分断国家から始まるという、狂気と必然に満ちた新たな歴史のプロローグであった。




