表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
古の灯火  作者: 丸亀導師
戦間期
121/135

逆鱗


一九四〇年(昭和十五年)一月。

極東と欧州における二つの「防衛のブロック」が完成の域に達し、世界が奇妙な膠着状態に陥る中。大日本帝国は、ついにアメリカ合衆国の「最も柔らかい腹」、すなわち彼らが神聖不可侵の裏庭と見なしてきた中南米へと、その経済的・外交的な食指を本格的に伸ばし始めました。


「武力による威嚇など必要ない。良質なインフラと、アメリカのドル支配から脱却できるという『実利』さえ提示すれば、彼らは喜んで我々のブロックに参加する」


霞が関の外務省と総力戦研究所が立案したこの「環太平洋・南米連携構想」は、アメリカにとって、過去数十年のいかなる軍事兵器よりも恐ろしい、国家の根幹を揺るがす一撃となりました。


南米の牙(アルゼンチンとメキシコの離反)

一月。ブエノスアイレスとメキシコシティにおいて、日本の外交団と巨大商社の代表たちが、各国の首脳と極めて友好的な会談を重ねていました。



南米の豊かな農業大国であるアルゼンチンは、かねてよりアメリカの傲慢な経済干渉に不満を抱いていました。日本はそこへ「莫大な牛肉と小麦の長期買い付け」を提案。さらに、その見返りとして**「最新鋭の工場インフラの輸出」と「軍備の協力(旧式化したチハ車や自動小銃、そして防弾素材のライセンス供与)」**という破格の条件を提示したのです。


これは日本にとって、パナマ運河に依存しない「南米最南端(マゼラン海峡・ドレーク海峡)ルート」と大西洋の安全な中継港を確保する、完璧な地政学的布石でした。


メキシコとの「環太平洋貿易協定」:

さらに致命的だったのは、アメリカと直接国境を接するメキシコへの接近です。

日本は、メキシコの豊かな銀や石油資源を「ドルを介さず、円と現物(日本の高品質な工業製品)で直接取引する」という環太平洋の自由貿易協定を打診。アメリカの安値での資源買い叩きに苦しんでいたメキシコ政府は、この極東の経済巨人からの魅力的なオファーに強く惹きつけられました。



これらの情報が、南米に潜伏するアメリカの外交官からワシントンD.C.へと打電された時。

ホワイトハウスのオーバルオフィス(大統領執務室)は、かつてないほどの激しい怒号と、氷のような絶望に包まれました。


「……メキシコだと!? 我々の足元の、リオグランデ川のすぐ対岸で、あの極東の島国が油と銀の取引をしているというのか!」


ルーズベルト大統領は、車椅子の上で血走った目を剥き、報告書を机に叩きつけました。


「それだけではありません。アルゼンチンは日本の軍事顧問団を受け入れ、あの忌まわしい『弾き返される装甲(MBF)』の製造プラントを国内に建設しようとしています。もしこれが実現すれば、ブラジルやチリも雪崩を打って日本の経済圏ユーラシア・ブロックへと寝返るでしょう」


国務長官が、蒼白な顔で答えます。

一八二三年に宣言されて以来、アメリカ合衆国の絶対的な外交方

針であった


**「モンロー主義(ヨーロッパやアジアの列強は、南北アメリカ大陸に干渉するな)」**。


それが今、一発の砲弾も撃たれることなく、純粋な「経済と技術の魅力」によって、内側から食い破られようとしているのです。


「大統領。ユーラシアとアフリカを締め出され、さらに我々の『裏庭』である中南米の市場まで日本に奪われれば、我が国の産業は完全に窒息します。すでに全米の港湾と工場では共産党の扇動による暴動が相次いでおり、これ以上の市場喪失は、国家の崩壊(内戦)を意味します!」


陸軍参謀総長が、拳を握りしめて叫びました。


「奴らは我々を孤立させ、真綿で首を絞め殺す気だ! これはもはや外交などではない、明白な『経済的侵略サイレント・インベージョン』だ!」


ルビコン川への歩み


ルーズベルト大統領は、執務室の窓から、不況とストライキで煙の上がらないワシントンの工業地帯を虚ろな目で見つめました。


「……日本は、一線を越えた。彼らは我々の裏庭に土足で踏み込み、我々の尊厳と生存権を根底から否定したのだ」


大統領の言葉は、もはや理性的な政治家のそれではなく、追い詰められた獣の唸り声でした。

アメリカが「大国」としての体面を保ち、国内の暴発寸前の国民の目を外へ向けさせるためには、もはや外交的抗議などという生温い手段では不十分でした。


**「日本に対して、我々がまだこの半球の支配者であることを、最も暴力的な形でわからせる」**必要があったのです。


「大統領、どうなさいますか。日本へ最後通牒を送りますか?」


「紙切れなど何の意味もない。奴らの鼻っ柱を物理的にへし折るのだ」


ルーズベルトは車椅子の車輪を強く握り、冷酷な決断を下しました。


「中南米と極東を繋ぐ物流の要、そして我々が唯一完全にコントロールできる『首根っこ』……。パナマ運河だ。あそこを通る日本の大型貨物船を、いかなる難癖をつけてでも拿捕だほしろ。貨物を没収し、船員を拘束し、アメリカの法と力を見せつけるのだ」


「……しかし! それは明らかな国際法違反、事実上の戦争行為アクト・オブ・ウォーです! もし日本がそれを口実に、太平洋艦隊へ攻撃を仕掛けてきたら……」


海軍の将官が青ざめて制止しようとしました。


「構わん!!」 


ルーズベルトの怒声が、執務室の空気を震わせました。


「座して餓死するよりマシだ! 日本が怒り狂って先に手を出してくるなら、むしろ好都合だ! それこそが、この分裂し、腐りかけたアメリカ国民を再び一つにまとめ上げ、巨大な戦時経済(軍需産業)を回すための唯一の着火剤になるのだからな!」 


一九四〇年。

大日本帝国によるアルゼンチン・メキシコへの経済的浸透。

それは、帝国にとっては純粋な「ブロック経済の拡張と航路の安定化」に過ぎませんでしたが、アメリカ合衆国にとっては、国家のアイデンティティ(モンロー主義)を粉砕される、絶対に許容できない最後の一線でした。


すべてを失いかけ、国内の暴動に怯える超大国は、ついに自ら国際法のタガを外し、パナマ運河という密室で、極めて理不尽で暴力的な**「拿捕(実力行使)」**へと踏み切る準備を整えました。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ