奉天会戦 5
——最後の1日——
アレクセイ・ニコラエヴィチ・クーロパトキン将軍の手記より
1905年3月9日、奉天北方・退却途上にて記す
この手記を書く私の手は、震えている。
寒さのせいではない。
心の奥底から湧き上がる、冷たい絶望の波が、体全体を蝕んでいるからだ。
奉天会戦は終わった。
いや、私の軍はロシア軍は終わった。
30万の将兵を率い、満洲の雪平原で日本軍と対峙したあの戦い。
初期の自信、中期の動揺、後期の苦渋、
そして最後の1日――3月9日の決断。
すべてが、胸を抉るように蘇る。
私は、将軍として生きてきた。
ロシアの名誉を背負い、皇帝陛下の信頼を一身に受け、部下たちの命を預かってきた。
しかし、この戦いは、私の驕りを砕き、重圧で押し潰し、絶望の淵に沈めた。
会戦は2月23日に始まった。
初期段階――あの頃、私は勝利を確信していた。
いや、確信していたというより、信じなければならなかった。
日本軍の中央射撃は散発的で、総攻撃の兆候はなかった。
私は、正面に機関銃と重砲を集中し、予備隊を温存した。
ロシア軍の兵は強く、平原は広い。
日本軍の肉弾攻撃を粉砕し、決定的打撃を与える――それが私の計画だった。
旅順の陥落は痛かったが、要塞戦の特殊例。
平原なら違う。
ロシアの伝統的決戦主義が、必ず勝つ。
私は、驕っていた。
皇帝陛下の信頼、参謀たちの期待、将兵の忠誠。
すべてが、私を支えていた。
心のどこかで、日本軍を小国と軽視していたのかもしれない。
東洋の軍隊が、ロシアの巨人を倒すなど、あり得ないと……。
しかし、初期の数日で、わずかな違和感を覚えた。
側面からの報告が遅れ、左翼・右翼の哨戒線が途絶え始めた。
私は、それを小規模偵察と判断した。
日本軍は正面からしか攻めてこない。
そう信じていた。
だが、心の奥で、小さな不安が芽生えていた。
旅順の低損害陥落を、幸運と片付けた私の誤り。
日本軍は、何かを変えていたのかもしれない。
中期に入り、不安は現実となった。
左翼の補給路が遮断され、右翼の高地から側背砲撃が始まった。
日本軍の機動塊――数百名単位の小部隊――が、雪の平原を疾風のように動き回り、私の陣地を分断した。
騎兵の急襲、軽砲の側背射撃、歩兵の分散浸透。
それは、古代の遊牧民の戦法を思わせた。
いや、もっと洗練されたものだ。
私の重砲は射界を失い、機関銃は空を撃つばかり。
逐次投入を繰り返したが、分散した敵に追いつけず、各個撃破の恐怖が広がった。
中期の苦悩は、重圧として胸を圧迫した。
参謀たちは、退却を進言し始めた。
だが、私は拒んだ。
ここで退けば、ロシアの名誉は失われる。
奉天で勝てば、戦争は逆転する。
そう信じようとした。
しかし、心の奥で、絶望の影が忍び寄っていた。
夜毎、指揮所で地図を睨みながら、眠れぬ夜を過ごした。
部下たちの顔が、脳裏に浮かぶ。
彼らの命を、無駄にできない。
だが、決戦を諦めれば、私の軍人人生は終わる。
驕りと義務の狭間で、心は引き裂かれていた。
後期に入り、包囲の現実が迫ってきた。
左右翼の迂回部隊が背後で連結し、奉天市を半包囲。
中央の攻撃が本格化し、正面高地が次々と失われた。
補給の途絶が飢えと寒さを助長し、士気は急速に低下した。
私は、決戦継続を命じたが、心はすでに揺らいでいた。
驕りが、絶望に変わり始めていた。
参謀たちの目が、私を非難しているように感じた。
クーロパトキン、お前は間違っている、と…。
そして、最後の1日――3月9日。
朝、霧が深く立ち込めていた。
指揮所の天幕は、寒気で凍りつき、暖炉の火も弱かった。
参謀たちが、地図を囲み、顔を青ざめさせていた。
夜通しの報告が、私の机に山積みになっていた。
左翼は完全に崩壊し。
日本軍の第一軍の迂回が補給路を断ち、輸送隊が全滅。
右翼の高地は、日本軍の側背砲撃で無力化。
中央は、敵の攻撃で高地を失い、塹壕線が後退を強いられている。
奉天市は、包囲網の中にあった。
私は、地図を睨んだ。
赤い線が、私の陣地を囲み、青い矢印が背後から迫る。
退却路は、一本しか残っていなかった。
北へ、哈爾濱へ。
参謀の一人が、声を震わせて言った。
『将軍閣下……このままでは、全軍が包囲されます。
退却を……』
私は、黙っていた。
心臓が、激しく鼓動を打っていた。
驕りがあった。
ロシア軍は負けない。
平原で、日本軍に負けるはずがない。
しかし、現実は違う。
日本軍の機動は、私の予想を超えていた。
分散した小部隊が、泥濘をものともせず動き回り、私の重厚な陣地を内側から崩す。
それは、古代の遊牧民の戦法を思わせた。
いや、もっと洗練されたものだ。
絶望が、胸に広がった。
旅順の陥落を、幸運と片付けた私の誤り。
日本軍は、変わっていた。
古来名将たちは機動戦を愛し各々様々な形でそれを具現化していたという。そ
の戦法を、日本軍は近代の火器で蘇らせたのだ。
私の教範は、無力だった。重圧が、肩を圧迫した。
皇帝陛下への忠誠、ロシアの名誉、30万の将兵の命。
すべてが、私の決断にかかっていた。
退却すれば、敗北を認めることになる。
だが、留まれば、全軍が壊滅すると…。私は、立ち上がった。
天幕の外は、霧と雪。遠くで、砲声が響く。日本軍の射撃だ。
私は、参謀たちに告げたのだ、退却を開始せよと…。
あの瞬間、私の心は、引き裂かれた。
勝利を信じていた自分が、愚かだった。
しかし、将軍として、生き残った将兵を救う義務があった。
驕りが、絶望に変わった瞬間だった。
退却の命令は、下された。
奉天会戦は、私の敗北で終わった。この手記を、退却途上で書く。哈爾濱へ向かう道は、長く、冷たい。
ロシアは、負けた。
日本軍の新戦法にだ。断じて、力で負けたわけではない。
古の風が、平原を吹き抜け、私の軍を散らした瞬間であった…。




