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古の灯火  作者: 丸亀導師
戦間期
110/136

日華事変

一九三七年(昭和十二年)、夏。

大日本帝国が極東からユーラシア大陸にかけて築き上げた巨大なインフラ経済圏『韃漢国ダッカン』。その南の境界線は、かつて秦の始皇帝が築き、明代に改修された巨大な石の防壁――「万里の長城」によって隔てられていた。


長城の南側では、中華民国の蒋介石が、各地に割拠する軍閥たちを辛うじて力と金でまとめ上げ、不完全ながらも「統一政権」の形を作り上げつつあった。

史実の蒋介石は日本軍の度重なる侵略に怒りと恐怖を抱いていたが、この世界線の彼は、長城の北で圧倒的な豊かさを誇る韃漢国(日本経済圏)に対し、強烈な**「嫉妬と奪還の野心」**を燃やしていた。


その野心に、大量の「ドル」と「ポンド」、そして武器という名の薪をくべたのが、日本の台頭に焦り狂うアメリカとイギリスの諜報機関である。


『日本軍は極東でソ連を破ったが、彼らの数は少ない。彼らの経済インフラは精密な機械のようなものだ。我々米英が資金と武器を援助する。長城を越えてその機械に「砂」を投げ込めば、彼らの経済ブロックは機能不全に陥る』


米英の甘い囁きと援助を受けた国民革命軍(蒋介石軍)は、密かに長城の南側に数十万の大軍を集結させつつあった。


七月七日、深夜。

長城の東端に近い要衝、山海関さんかいかんの国境検問所。

韃漢国側の検問所には、日本の総力戦研究所が張り巡らせた電灯が煌々と輝き、MBF(鋼紙)の防弾盾を備えた日本の国境警備隊が、暗闇の広がる南側を警戒していた。対する中国側には、米英から供与された真新しいライフルを構えた兵士たちが、息を潜めて塹壕に潜んでいる。

緊張が極限に達していたその時。


――パーンッ!!


漆黒の夜闇を引き裂くように、一発の乾いた銃声が響き渡った。

それは、長城の石壁に反響し、どちらの陣営から撃たれたものか、誰にも分からなかった。


「撃ってきたぞ! 韃漢側のトーチカだ!」


「南から発砲あり! 全員、配置につけ!」


暗闇の中での疑心暗鬼は、瞬く間に連鎖的な発砲を誘発した。

中国軍の陣地から猛烈な機銃掃射が始まり、日本の国境警備隊も即座に大正一五式歩兵銃と重機関銃で応戦する。曳光弾が長城の上空を飛び交い、静かだった国境線は一瞬にして阿鼻叫喚の戦場へと姿を変えた。


銃撃戦は数時間続き、夜明けとともに両軍は一旦後方に引いた。

しかし、事態はすでに取り返しのつかない所まで進んでいた。長城の石畳の上には、MBFの胸甲の隙間を撃たれて絶命した日本の若い警備隊員と、日本の猛烈な反撃を浴びて倒れた無数の中国兵の死体が、血の海の中に折り重なっていた。


最初の一発を撃ったのは誰だったのか。


日本の強硬派を刺激して戦争を起こさせたかった中国の地方軍閥か。

あるいは、両者を共倒れさせようと企む共産党の工作員(便衣兵)か。

それとも、この泥沼の火蓋を切るために潜入していた、アメリカ(ONI)やイギリス(MI6)の諜報員か。

あるいはただ単に、極度の緊張に耐えきれなくなった若い新兵の、ライフルの暴発だったのか。


その「真実」は、歴史の闇の中に永遠に葬り去られた。

確かな現実はただ一つ。**「日中双方の血が流れ、中華民国の正規軍が、韃漢国の国境(長城)を越えて武力侵攻を開始した」**という事実だけであった。


***


東京、総力戦研究所。

山海関での衝突と、中国軍の長城越えの報告を受けた大作戦室は、かつてないほど重苦しい空気に包まれていた。


「……やられましたね」


中国大陸の地政学を担当する分析官が、苦々しい顔で口を開いた。


「アメリカの連中、議会で自分たちが動けないとなれば、蒋介石に金と武器を渡して『代理戦争』を仕掛けてきやがった。我々の極東インフラという巨大な精密機械に、数億の人口という『泥』を投げ込んできたんです」


「陸軍の強硬派は激怒しています。『今すぐ数個師団を大陸に派遣し、蒋介石の首都・南京まで一気に攻め込んで中華民国を解体すべし』と、すでに出兵の準備を始めています」


その言葉を聞いた所長は、忌々しげに机を叩いた。


「馬鹿を言うな。それがルーズベルトとチャーチルの最大の『罠』だということが分からんのか!」


所長の冷徹な目が、壁の巨大な中国大陸の地図を睨みつけた。


「我が国の強みは、限られた絶対防衛圏(韃漢国や南洋)のインフラを、高度なテクノロジーで徹底的に『点と線』で管理していることだ。もしここで感情に任せて、インフラも何もない広大な中国大陸の『面』へ大軍を踏み込ませてみろ。

いくらMBFの装甲を着ていようが、兵士たちは終わりのないゲリラ戦と泥濘の中で衛生物質もないまま病に倒れ、我が国の莫大な国家予算と資源が、大陸の泥沼チャイナ・トラップに永遠に吸い込まれ続けることになるぞ!」



一九三七年(昭和十二年)七月。

山海関での衝突からわずか四十八時間後。東京の帝国議会・秘密会において、陸軍強硬派が息巻いて提出した「華北への数個師団の増派および、中華民国への全面侵攻案」は、総力戦研究所が提出した一枚のレポートによって完全にへし折られた。

そのレポートの表題には、極めて冷酷な文字が並んでいた。


『大陸面制圧における非合理性の証明、および、特一号・斬首作戦の提議』


「……いいか、よく聞け」


所長は、議場の演壇から陸軍の将官たちを見下ろして言い放った。


「広大な中国大陸を『面』で占領しようとすれば、我が軍は補給線を無限に引き伸ばされ、米英から無尽蔵に湧いてくる武器と資金によって、永遠に続くゲリラ戦の泥沼チャイナ・トラップに沈む。それは、ルーズベルトとチャーチルが最も望んでいる最高のシナリオだ」


「では、同胞の血が流されたというのに、長城の北で指をくわえて見ていろと言うのか!」


将官の一人が激昂した。 


「誰が何もしないと言った? 奴らは『日本が泥沼に足を踏み入れる』ことを計算の前提にしている。ならば、我々はその前提を根底から破壊する」


所長は背後の黒板に、中華民国の首都・南京、そして蒋介石のいる国民党軍の最高司令部を示す赤い印を叩きつけた。


「我が帝国が現在持てる**『一〇〇%の国力と機動力』**を、惜しみなく、ただ一点にのみ集中させる。

期間は最大でも一週間。長城を越えてくる数十万の有象無象(軍閥部隊)など一切相手にせず、真っ直ぐに南京の心臓部だけを抉り出し、中華民国の『脳(蒋介石)』を物理的に切除する。

首を失えば、米英の資金の受け皿はなくなり、中国は再び軍閥と共産党が骨の髄まで食い合う『内戦状態』に逆戻りする。我々は首を取った後、ただちに長城の北へ全軍を撤収させ、彼らが互いに殺し合うのを高みの見物と洒落込めばいい」


議場が、水を打ったように静まり返った。

それは、戦争という名の「外科手術」の提案であった。


「……できるのか? そんな、歴史上類を見ない超早期の電撃的侵攻が」


総理大臣が震える声で尋ねた。


「我が帝国のインフラとテクノロジーは、そのためにある」


所長はその冷徹な顔を引き攣らせて言った。


七月十日。

アメリカやイギリスの軍事顧問団が「日本軍は数ヶ月かけて長城を突破し、じわじわと南下してくるだろう」と悠長に防衛線を構築していたその日。


大日本帝国は、文字通り「持てるすべて」を出し惜しみなく盤面に叩きつけた。


長城の北側、韃漢国の広大な標準軌(STEL弾丸列車網)をフル稼働させ、満州や朝鮮半島から、MBF装甲を纏った帝国の最精鋭部隊(機械化歩兵師団)が、常軌を逸したスピードで前線へと集結した。


彼らは長城を越えると、中国軍が構築していた塹壕陣地を「占領」するでもなく、「包囲」するでもなく、ただ圧倒的な火力と装甲で**「ひき殺して素通り」**していった。


「止まるな! 抵抗拠点はすべて無視しろ! 燃料と弾薬の補給はSTEL装甲列車の随伴だけで持たせる! 目標は南京の総統府のみだ!」


時速六〇キロで荒野を爆走する日本の装甲トラックの群れ。その上空を、最新鋭の双発襲撃機が分厚い雲のように覆い尽くし、中国軍の通信施設や橋梁をピンポイントで粉砕していく。

米英から供与されたライフルや機関銃の弾丸は、日本兵が着るMBF胸甲を叩いても「パシンッ」という乾いた音を立てて弾かれるだけだ。


「ば、馬鹿な……! 日本軍の進軍速度がおかしい! 昨日の夕方、長城を越えたはずの敵の先鋒が、もう黄河に到達しただと!?」


南京の最高司令部で、蒋介石は顔面を蒼白にして報告書を握りつぶした。

中国側の軍事常識(歩兵の行軍速度)を数倍も上回る、内燃機関と強靭なインフラによる「電撃戦」。

彼らが各都市で防衛戦を立ち上げようとする頃には、日本軍の機械化部隊はすでにその街を通り過ぎ、遥か南へと土煙を上げていたのである。


しかし、陸路の進軍速度すら、総力戦研究所が用意した「真の刃」の陽動に過ぎなかった。


七月十二日、未明。

中華民国の首都・南京の上空。

厳重な対空砲火に守られたこの都市の夜空に、数日前、アメリア・イアハートを救出したあの巨大な機影が4機、音もなく滑り込んできた。

彼らは爆弾を積んでいなかった。


巨大な機体の腹の中から、漆黒の夜空に向かって、次々と「白い落下傘パラシュート」の群れが飛び出していく。


「特一号部隊、降下開始! 高度一〇〇〇! 降下目標、国民政府・総統府および最高司令部!」


大日本帝国第1空挺団


全身を黒緑色のMBF(特級硬化繊維素材)のフルアーマーで覆い、手には軽量化された短機関銃と、極薄の短刀を握りしめた、二〇〇名の「死神たち」。


彼らは、月明かりすらない夜空から、中国軍が全く警戒していなかった「真上」から、総統府の中庭や屋上へと次々と着地した。

「敵襲! 空からだ! 日本軍が空から降ってきたぞ!」

警備の兵士たちが慌てて小銃を撃ち放つ。しかし、MBFで完全武装した降下猟兵たちは、撃たれても怯むことなく、無言のまま恐るべき速度で総統府の制圧を開始した。


ダダダダダダッ!!


特殊な閃光手榴弾が炸裂し、廊下を警備していた精鋭の督戦隊が次々と薙ぎ倒されていく。

鉄の装甲のように重くないMBFは、彼らの異常なまでの運動能力(体術と近接戦闘)を一切阻害しなかった。彼らはドアを蹴破り、階段を駆け上がり、ただ一つの目標――中華民国という巨大な龍の「脳」へと一直線に突き進んでいく。


「総統! お逃げください! 日本軍の奇襲部隊がすでに階下まで――」


司令部の扉を開けて飛び込んできた副官の言葉は、最後まで続かなかった。

背後から放たれた短機関銃の凶弾が、彼を吹き飛ばしたからだ。

硝煙の立ち込める執務室。

そこに踏み込んできたのは、顔面までMBFのバイザーで覆った、感情を持たない機械のような日本の空挺隊員たちだった。


「……貴様らっ!」


蒋介石が護身用の拳銃を抜き、バイザーの奥の瞳に向けて引き金を引こうとした、その瞬間。

空挺隊員の一人が、常人には見切れない速度で踏み込み、手にした短刀を閃かせた。


――一切の躊躇も、問答もなく。


一九三七年七月十二日。


山海関での衝突から、わずか「五日後」。

アメリカとイギリスが莫大な資金を投じて育て上げ、日本を泥沼のゲリラ戦に引きずり込むはずだった中華民国の「絶対的指導者」は、その首都のど真ん中で、文字通り電撃的な死を迎えた。



蒋介石の死亡が確認された直後。

南京市内に突入しつつあった日本の機械化部隊と、空挺部隊に、総力戦研究所からただちに「全軍撤収」の暗号命令が下された。


彼らは、占領の証である日章旗を南京の城壁に立てることもなく、総統府の金庫から重要機密(米英の資金援助の証拠など)だけを根こそぎ奪い取ると、来た時と同じような嵐のような速度で、さっさと北の長城へと引き返していった。


後に残されたのは、トップを失い、完全に指揮系統が崩壊した中華民国軍と、燃え盛る総統府だけであった。

***

ワシントンD.C.、ホワイトハウス。

大統領執務室に飛び込んできた国務長官の顔は、幽鬼のように引き攣っていた。 


「……大統領。南京が、落ちました。いや、落ちたのではなく……蒋介石が暗殺され、日本軍はすでに長城の北へ全軍撤収を完了したとのことです」


「なんだと……?」


車椅子に座るルーズベルト大統領は、持っていた万年筆を取り落とした。


「数十万の中国軍はどうした!? 我々が与えた武器で、日本軍の補給線を寸断し、大陸の奥深くへ引きずり込んでゲリラ戦を仕掛けるはずだっただろう!」


「日本軍は……中国軍の防衛線に一切付き合いませんでした。彼らは自国のインフラと輸送機で一直線に南京だけを強襲し、首を取って、そのまま帰っていったのです。我が国の戦略は、完全に空振りに終わりました」


国務長官は、震える手で報告書の続きを読み上げた。


「さらに最悪なことに……蒋介石という『重石』が消えたことで、中国大陸は再び毛沢東の共産党と、各地の軍閥による『血みどろの内戦状態』に逆戻りしました。彼らは今、日本軍と戦うどころか、米英が残した支援物資と領土を奪い合って、互いに殺し合いを始めています。

もはや、我々の言うことを聞いて日本に立ち向かうような『統一政権』は、中国には存在しません」


ルーズベルトは、深い絶望とともに天を仰いだ。

日本というシステムに「泥(ゲリラ戦)」を投げ込んで機能を停止させようとしたアメリカの謀略。


しかし大日本帝国は、その泥に足を踏み入れることを拒絶し、極限まで研ぎ澄まされたテクノロジーという名の「メス」で、相手の心臓だけをピンポイントで切り裂き、泥沼を「送りアメリカ」へと突き返したのだ。


「……我々は、化け物を相手にしているのか」


ルーズベルトは呟いた。

軍事力でも、経済でも、そして謀略でさえも、極東の帝国には勝てない。


この「特一号・斬首作戦」の完全なる成功により、大日本帝国は背後(中国大陸)の脅威を数十年単位で無力化することに成功した。大陸が内戦で疲弊している間、帝国は悠々と、来るべき米英との「最終決戦」に向けてさらなる技術開発(エレクトロニクスの発展など)に邁進することになる。


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