地中海
一九三六年、夏。
世界の耳目は、極東のアムール川で起きた凄惨な殺戮戦の余韻から、ヨーロッパの中央に位置するひとつの熱狂的な都市へと釘付けになっていた。
第十一回夏季オリンピック・ベルリン大会である。
狂乱の祭典と、巨大な見世物
アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツは、この平和の祭典を「アーリア人の優秀性と、新生ドイツの圧倒的な国力」を世界に見せつけるための、かつてない規模のプロパガンダ装置として利用した。
国家予算を惜しみなく注ぎ込み、建築家アルベルト・シュペーアに命じてベルリンの都市計画そのものを改造。十万人を収容する巨大なオリンピック・スタジアム(オリンピアシュタディオン)を建設し、街中はハーケンクロイツ(鉤十字)の赤い旗で埋め尽くされた。
「見よ、これが我々ゲルマン民族の力だ!」
スタジアムの貴賓席で、ヒトラーは熱狂する群衆を見下ろしながら誇らしげに胸を張っていた。ドイツの威信をかけた最新鋭の飛行船が上空を舞い、完璧に統制された軍隊のパレードが地響きを立てて行進する。
欧米の外交官やジャーナリストたちは、その軍国主義的な威容と巨大な建造物群に圧倒され、あるいは底知れぬ恐怖を抱いていた。
しかし、この「力と血」を誇示する巨大な見世物の陰で、もう一つの帝国が、極めて静かに、そして狡猾に動いていた。
ローマ進軍から十数年を経て、国家ファシスト党を完全に掌握し、独自の経済成長を謳歌していたイタリア王国である。
ベルリンの密室、甘美なる毒杯
オリンピックの喧騒から少し離れた、ベルリン最高級のホテル・アドロンの豪奢な一室。
そこに陣取っていたのは、イタリア外務省の洗練された外交官たちと、招待されたバルカン半島諸国――アルバニア、ユーゴスラビア、ギリシャ、ブルガリアの政府高官たちであった。
窓の外から微かに聞こえるドイツの軍楽隊の演奏を背に、イタリアの特命全権大使が、最高級のキャンティ・ワインをグラスに注ぎながら微笑みかけた。
「皆様、総統閣下の催しは実に素晴らしい。しかし……少々、肩が凝りませんか? 我々地中海の人間には、あの冷たい鋼鉄の行進よりも、もっと実りある『果実』の分かち合いの方が性に合っている」
バルカンの高官たちは、顔を見合わせた。彼らもまた、隣国ドイツの異常な軍備拡張に脅威を感じていたからだ。そこへ、イタリアが滑らかな口調で本題を切り出す。
「大日本帝国が極東で何を成し遂げたか、皆様もご存知でしょう。彼らは大砲で他国を脅すのではなく、インフラと資本によって『誰もが豊かになる巨大な経済圏』を創り上げた。……我々も、同じことをしませんか?」
大使は、一枚の美しい青写真をテーブルに広げた。
それは、軍事同盟の提案ではなかった。**「域内関税の完全撤廃」「イタリア資本による港湾と鉄道の近代化」「農産物の固定価格での全量買い取り」**という、小国からすれば夢のような経済支援プログラムであった。
「我々イタリアは、皆様の主権を脅かすつもりは毛頭ありません。ただ、我々のリラ(通貨)と技術を使って、共に地中海とバルカンを豊かにしたいのです。ドイツが『剣』を誇示するなら、我々は『パンと鉄路』で結びつきましょう」
見えない鎖の完成
アルバニアやユーゴスラビアの高官たちの目に、欲望の色が浮かんだ。
彼らには、この甘い提案の裏に隠された「劇毒」が見えていなかった。関税を撤廃し、インフラの規格をイタリアに握られれば、自国の産業はイタリアの下請けとなり、経済の心臓部をローマに握られることになる。それは、軍隊による占領よりも遥かに強固で抜け出せない「隷属化」を意味していた。
しかし、目の前の貧困にあえぐバルカンの小国たちにとって、イタリアが差し出す札束とインフラ投資の魅力は、抗いがたいものだった。
さらに、東西の結節点に位置するトルコ共和国の外交官が、この密室の会合にオブザーバーとして同席し、「我々もこの枠組みの物流を全力で支援しよう」と魅力的な保証を与えたことで、彼らの警戒心は完全に解き放たれた。
スタジアムでヒトラーが金メダルに熱狂し、世界中がドイツの軍靴の音に気を取られていたあの熱い夏。
イタリアは一発の銃弾も撃つことなく、最高級ホテルの密室とシャンパングラスの乾杯だけで、バルカン半島という巨大な獲物の首に「経済」という名の見えない鎖を巻き付けることに成功したのである。
各国の高官たちは、自国がイタリアの巨大な経済ブロックの「下僕」に組み込まれたことにも気付かぬまま、満面の笑みで協定の草案にサインをしていった。
結果1936年末に、『地中海貿易協定』が成立する事になる。




